6話
栗色のショートヘアの後ろ姿を見つめていると、俯いていた彼女が顔を上げて手元マグカップに口付けた。
タイミング良く動いたことで、結希は少し身体をずらすとその横顔が見られた。
想像していた通り、受付け嬢の鈴原に似ていた。
けれど、本人かどうかは横顔だけでは確証が持てず、話し掛けるのを躊躇っていると、彼女の手にゲーム機が握られていることに気づく。
落ち着いた雰囲気の鈴原からは連想出来ない物で別人だったかと思う。
(似た人だったかな……?)
それでも友人である晴樹だって、趣味がゲームとは思えないような大層な顔立ちをしているし、容姿からは趣味を特定することなんて出来ないだろう。
店員に呼ばれて飲み物を渡されると、最後にもう一度、栗色のショートヘアの彼女に目を向けた。
すると向こうもこちらを見ていたらしく、視線がぶつかって思わず立ち止まる。
結希の身体が固まったように、彼女──鈴原も硬直していて、やっと確証を得た結希は笑顔で手を上げた。
鈴原からは会釈で返事が返って来て、結希は座っている窓際のカウンター席へとゆっくりした足取りで近寄った。
「こんばんは」
「こ、こんばんは」
「奇遇だね。誰かと待ち合わせてる?」
「いえ! 一人です!」
「じゃぁ、隣り座っても良いかな」
「ど、どうぞ……!」
慌てた様子で隣りの椅子を指す鈴原に、結希は苦笑しながら隣りに座った。
分かりやすく仕草から動揺しているのが伺える。
顔見知りだから固まることはないだろうと気兼ねなく座ってみたが、緊張している様子に結希は何を話そうか迷った。
悩んで頭の中に浮かんでいた幾つかの質問の中から、少し踏み込んだ言葉を掛ける。
「鈴原さんもこの近くに住んでるの?」
「いえ。電車で一駅隣りに住んでます」
あまり追求せず結希は「そうなんだ」と頷いたが、ふと違和感に気づいた。
「あれ、この店って会社の最寄り駅向かう道から少し逸れてなかった?」
結希にとっては目の前の道が通勤で使う歩道だが、会社から駅へ向かう道からは逸れている。
その為、電車通勤の人は滅多に立ち寄らないお店だった。
なのにどうしてこんな所にいるのだろう。
「それてますね……。その、ゲームをしに最近来てて……」
確かに鈴原の手にはゲーム機が握られているし、アイテムフォルダのような画面が映し出されている。
手元のコーヒーも半分に減っているから退勤して直ぐにここへやって来たのだろう。
「家でやらないの? 部屋の方が落ち着くと思うけど……」
「わたし実家に住んでいるので、家には兄妹がいるんです。だから集中して出来なくて」
「あぁ、実家にいると一人になれる時間が少ないもんね。あたしの友達にも、ゲームする為だけに一人暮らしをするヤツがいるくらいだし」
「すごい。羨ましいですね」
本心からかスッと出て来た鈴原の言葉に、結希は思わず笑ってしまった。
「鈴原さんもかなりゲームに入れ込んでるわね」
「あっ……!」
パッと口元を抑えて俯いた鈴原の反応に結希は首を傾げた。
まるで言ってはいけないことを口にしたかのような驚きようだ。
「どうかした?」
ごにょごにょと口を開閉しているものの話そうとしない様子に、話しだすまで何も言わずに待っていようとフラペチーノに口付ける。
しばらくして結希なら大丈夫だと思ったのか鈴原は上目使いで見つめて来た。
伏し目がちの瞳に、ドキッと体内で軋む音がする。
「ゲームにハマっていること、内緒にしてもらっても良いですか?」
「え。まぁ別に良いけど……」
「ゲームをやっているがバレると距離を置かれることが多くて、会社の人には知られたくなかったんです」
どうやら鈴原は周りの目を気にしているらしい。
口ぶりからして過去に邪険にしていた人がいたのだろう。
その時の事を思いだしているのか、目の前の彼女からは元気がなくなっていた。
(こんなに可愛い子を傷つけるなんて、一体どこの誰なのかしら)
一発平手打ちをかましてやりたいと結希は内心苛立ちを覚える。
「やっているゲームがあまり女性向けのゲームじゃなくて。男性が多いんですよね」
「男性向けのゲームってどんなのがあるの?」
「……ホラーとか、格闘とか。……ドラゴンやモンスターを狩るものとか。友達に見られると引かれるものばかりみたいで……」
ホラーに格闘技。出てくる単語は確かに、どれも女性向けとは言えないものだ。容姿からの印象ともまるで違う。
きっと清楚で可愛いと狙っていた男性にとっては、趣味が残念に思えてならないのだろう。
だからと言って相手をなじるのは間違っていると思うけど、勝手に裏切られた気持ちになって、憂さ晴らしをしたくなる男性は少なからずいるものだ。
「だからお願いします! 他の人には言わずに、黙っていてくれませんか!?」
切羽詰まったような蒼白な顔で頼み込んでくる鈴原に結希は苦笑した。
女性が男性向けのゲームをしていようと別に誰にも言わないのになと内心呟く。
けれど必須にお願いするほど、鈴原が周りに傷付けられて来たと思うと胸が締め付けられた。
「その代わりに何か出来ることがあればするので!」
「──ブフッ!」
手を合わせる鈴原に、結希は良くある台詞を聞いて吹き出していた。
お腹を抱えて声をだして笑う結希に、何が起きたのか分からないと、呆然した表情で鈴原は首を傾げる。
「あの……?」
「ごめんね。漫画で良くあるセリフだなって思って」
「あ。確かにそうですね」
それは初めて見せた笑顔で、花が咲いたような変化に自身の頬が緩んだことを自覚した結希は、片手で口元を覆って隠して視線を反らした。
(あぁもう、可愛いなぁ。ゲームヲタクって云うギャップもすごく良い)
緩んでしまった口元をどうにかきゅっと戻してからやっと鈴原に目を向けた。
「ねぇ、鈴原さん」
会話の流れも雰囲気もあって、いたずら心が湧いてくる。
テーブルに乗せていた手を伸ばして鈴原の髪にそっと触れる。
梳くように撫でると柔らかい髪の質感に指先はするりと通った。
「さっそくだけど、お願い聞いてもらってもいいかしら?」
「は……、はい!」
妙な雰囲気を感じたのか、姿勢を正して強張る鈴原に、緊張してることが伝わって来た。
髪に触れたのは出来心で、お願いを聞いてくれる言葉にイタズラ心が湧いたからだ。
「──連絡先交換しない?」
そう言うと鈴原さんは目をパチパチさて固まった。
途端に耳まで顔を真っ赤に染めて俯く鈴原に、どうやら《《期待》》していたらしいことに気づいた。
顔に触れていた手を、もっとと欲に駆られて頬を擦る。
「どうしたの?」
「いえ! 何でもないです。れ、連絡先でしたよね」
結希の手から顔を離して両手で隠そうとするり鈴原に、これ以上はダメだと欲望を何とか抑えながら結希は頷いた。
「そうそう、連絡先ほしいの。どうやらこれから仲良くしてくれるみたいだし」
「は、はい! わたしからもお願いします」
平常心を取り戻したらしい鈴原が微笑む。身体も解れているようでペコリと頭を下げていた。
反応が一々可愛いと思うのは惚れてしまった欲目なのか、ずっと見ていたいと思ってしまう。
「何言われるかドキドキした?」
揶揄うように結希が聞くと、鈴原は気まずそうに、でもすんなりと素直な言葉を口にした。
「ドキドキしました」
薄っすらと頬を赤らめて言う鈴原に、どこか満たされた気持ちを得ていた。
「いったい何を考えてたのかなー?」
「え……!? 何にもないですよ!」
「本当にそうかなー?」
「本当です!」
ムキになる方が余計怪しいんだけど、とボソリと呟きながら、携帯をかざして見せた。
「じゃぁ、連絡先交換しよっか!」
「はい」
携帯番号やチャットメールアドレスを交換すると、鈴原美菜と言う名前なことが分かった。
「下の名前、美菜ちゃんって言うんだね」
「はい」
「可愛い」
「ありがとうございます」
照れているのか、声が小さくなった美菜に結希は他愛ない質問をした。どこの大学を卒業したのかや、携帯のゲームもするのかとか。
そんな質問に美菜はちゃんと答えてくれて、しばらくするといつも乗る電車の時刻に迫ったようだ。
そろそろ帰らないとと言う美菜の言葉に、結希は一緒に店から出てその場で別れた。
残ったフラペチーノはクリームが溶けてしまったけれど、混ざった味も良いと感じる。
家までの帰り道を歩きながら結希は囁いた。
「鈴原美菜ちゃん……」
やっぱり可愛い名前だなと溜め息混じりに呟いた。
家に帰って来るとまた連絡が来たようで、誰からだろうと確認すると、別れたばかりの美菜からだった。
話せて良かったですと来ていたチャットメールに返事をして、おやすみスタンプを送る。
「……困ったな」
美菜がどんな気持ちで仲良くしてくれるのか、結希には分からない。
今日のお願いで見せた反応が期待しても良いじゃないかと、頭のどこかでもう一人の自分がささやいて、楽観視しようとさせる。
学習しろと訴えるが、反面、彼女の仕草や言動に既に心を惹かれて手遅れなことも自覚していた。
「ノンケの人とはもう付き合わないって決めてたのにな……」
そう呟いてから携帯をテーブルに置いて、今日の夕食を作るためにキッチンへと立った。