13話
居酒屋から出るとそそくさと帰る人や、二次会でカラオケに行こうと相談してる人たちで大まかに分かれていた。
いつもなら二次会へ行くことの多い結希だったが、今日は誰からの誘いも断って、一緒に帰りたいと思う美菜の姿を探した。
「結希、どうした?」
「美菜を探してるの。あ、この後の二次会行かないから」
「まじかよ。まぁいいや、鈴原ならまだ下駄箱の所にいたぞ」
「そうなんだ。ありがとう!」
結希は礼を言って店内へ戻ろうとすると、晴樹に名前を呼ばれた。
「あまり深入りし過ぎるなよ」
「……分かってるわよ」
今の自分が酔っているのは自覚してる。だから言葉に気をつけておけば何も起こらないはずだ。
大丈夫と心の中で呟きながら店にもう一度入ると、晴樹が言っていたように下駄箱で同い年くらいの男性と話していた。
話しの内容までは聴こえて来なかったが、真面目に聞いている美菜の様子に、胸がドクンドクンと歪な音を鳴らしながら騒ぎ立てる。
(い、嫌だ……)
微笑む美菜に、まだ酔いが冷めきってなかった身体は衝動に負けて動いていた。
近づこうとすると美菜を背中で隠す形で男性が移動して、わざとらしいその行動に嫉妬で拳をつくる。
「良い場所知ってんだ。少し散歩してから帰ろうよ」
「えっと……」
「いいじゃん。五分で良いからさ」
会話が聞こえて、美菜が答える前に結希は声を張った。
「話しの途中に悪いけど、美菜ちゃんは私が送って行くから、話しはまた後でしてくれる?」
急に掛けられたことに驚いたのか慌てて振り返った男性が結希を見てぎょっとした。直ぐに目を反らして何かを誤魔化すように空笑いを浮かべる。
「えっとぉ……」
「その顔は確か、黒木さんと同じビジネス部門の芳田くんだっけ。先約あたしだし良いよね?」
「はいッ、伊波さんがいれば夜道も平気そうですね!」
「うんうん、平気よ」
「お、ぉ俺は失礼します!」
「気を付けて帰ってね」
「はい!」
名前を呼んだだけで言い返されることもなく譲ってくれるとは思わなかったが、素早く退散してくれる芳田に結希はニッコリと口角を上げて上機嫌で背中を見送っていた。
すると「あの……」と心細いほど小さな声が聞こえて美菜を見る。
「呼んだ?」
「あ、いえ! その……、ありがとうございました。またこんな所を見せてしまって、恥ずかしいです……」
「……あたし、ありがとうと言われて良いのかしら。強引に横から掻っ攫ったのあたしじゃない?」
そう聞くと美菜はきょとんとしていた。結希は下駄箱に寄りかかりながら髪を耳に掛ける。
さっきのは幼稚な嫉妬心で奪っただけだ。
そこに美菜が男性をどう思っていたかなんて考えてなかった。
しばらくして結希の言葉を理解したのか、口元に手を添えて、ふふと綻ばせる美菜。
「結希さんは掻っ攫ってませんよ。どう断れば良いのか悩んでいたので助かりました」
「なら良いけど。嫌だったのならキツめに言わないとダメよ。あの手の男は遊びで言ってるだけで、好みなら誰だっていいんだから」
「はい。気をつけます」
「帰りましょうか。あたしたちが最後みたい」
外に出ると大勢いた社員は既にいなくなっていて、数人の女性が少し離れた歩道で駄弁っているだけだった。
最寄り駅へ歩き始めると美菜の表情は朗らかで、点々と色鮮やかに光る周りのライトを瞳に映していた。
「何か面白いものあった?」
どこか楽しそうな美菜のことを知りたくて聞いてみる。
すると美菜は結希を見上げた。
「さっきの結希さん、ヒーローみたいだなって思って」
「それはどうかなぁ」
「凄くカッコ良かったです。他の男性の方よりもずっと──。それに結希さんって仕事が出来るじゃないですか、頼りになって、何度も困った所を助けてくれて。だから漫画に出てくる主人公みたいだなって思いました」
「そんなことないわ……」
尊敬の眼差しに結希は俯く。
さっきも、出会いの一件も、下心から来てる打算的な感情だ。仲良くなりたくて、自分だけのものにしたくて、近づく芳田くんに嫉妬した。
それはきっと格好良いものじゃない。
「憧れます」
ハッキリと隣りで囁く美菜の褒め言葉は嬉しく感じながらも、痛いくらいに胸を締め付けてきた。
先輩として敬われるれるのは悪い気はしない、けどそれは、“美菜”以外の人からだった時の話しだ──。
「……違うよ。そんなに大層な人じゃない」
(あぁ、どうしよう。止めらない……)
口が勝手に動く。
言いたくない、と頭の片隅で思いつつも、これ以上は先輩としていられないと気持ちが先走る。
「美菜ちゃんのことが好きだから助けたの。優しさじゃない。下心だよ」
「結希さん──?」
感情が抑えられなくなった結希は、美菜に近寄ると、頰を挟むように肌に触れる。
冷たい美菜の体温に怖がらせていると解ってはいたのに、引き下がれなかった。
「ごめん……」
そう唇を動かしてからしたつもりだった。
顔を近づけてゆっくりと瞼を閉じる、それから触れるだけのキスをした。
直ぐに顔を上げて一歩離れてみせた結希の目には、硬直して、瞳を大きく見開く美菜の姿があった。
怯えてはいないと思いたいけれど、今の自分の目は当てにならない。
結希は静寂に包まれた時間が耐え切れず、へらりと「ごめんね」と謝った。
汗ばむ手を胸に当ててずっと隠して来た想いをさらけ出した。
「もう無理たい、好きが溢れる」
「あの……」
「こんなんじゃなかったのにな……」
戸惑う美菜の様子を無視してすっと手を差し出す。
拒まれたらと差し出してから怖くなったけれど、何も言わずに美菜はその上にそっと手を乗せた。
それが泣きたいほどに嬉しくて、指を絡めて引っ張るように前を歩きだした。
(大丈夫。分かってる。反射的に手が伸びただけ。これが応えじゃない……)
「ゆ、結希さん……」
「送るわ。ホームまでだけど」
「あの、わたし……!」
「ごめん、待って。返事はもう少しだけ後にして。一週間だけ……、三日でも良いから夢を見させて」
向き合うこともせずに言った結希を、後ろにいる美菜がどう見ているのかは分からない。
情けない先輩だと思われたかもしれない。
気持ちがチグハグで、矛盾だらけで、結希はわけも無く泣きそうになっているのを必死で堪えた。
駅に着くとずっと黙っていた美菜を向いた。すっかり元気をなくして、キュッと口を結ぶ様子は言いたいことを飲み込んでいるようだった。
その姿をみて焼け焦げた痛みが身体中を走ったけれど、喉からは何も言葉が出せなかった。
逃げたい気持ちに駆られるけれど、無責任な行動はしたくなくて足を踏ん張る。
「今日は、ありがとう……。疲れたでしょ。帰ったらゆっくり休んでね」
「……はい」
手を解くと離れた結希の手をじっと見つめられる。その視線が何を語りたいのか、分からない結希は気まずくなる。
どう別れるべきかも分からなかった。「また、会社で」と口にするのがして良いことなのかも判断がつかない。
すると電車が到着するアナウンスが流れた。それに美菜も言うのを諦めたようで、「お疲れ様です」とお辞儀をしてから改札口をすり抜けて行く。
一度も目を合わせなかったそのことに、鮮明に見えていた目の前の景色が滲んだ。
後ろ姿が駅のホームへと消えるまで、結希は小さな嗚咽と一緒に涙を流した。




