10話
美菜と遊んだ日から数カ月が経ち食事を何度か重ねると、プライベートでは友人関係としての距離を確立出来ていた。
「結希、調子はどうだぁ?」
「あと少しなので急かさないで下さいよ」
仕事となると、現在進行形で毎日のように長い夜を過ごしている。
他部門と合同制作の特集については月に二度の会議が行われ、夏の号は既に企画進行(──と言うか、全部門で今日までが最終締切りとされていて、急ピッチで担当編集者と共に作業を行っている)まで漕ぎ着けていた。
なので、明日の会議では専ら冬の号について話す予定だが、外の気候は既に夏に入り掛かろうとしているので、季節はずれもいいところだ。まぁそれが仕事なのだけど……。
オフィス内は冷房が効いているため凉しいが、一度外に出れば炎天下の陽炎で景色がぼやけるほどコンクリートに囲まれた世界は蒸し暑く、毎日温度差に体力が奪われていた。
「ふぅ……」
カタカタと手元でキーボードを叩き込むなか、周囲からは写真の載せ方を相談する会話や、訂正を求められて紙を引き返される会話が聞こえていた。
皆が疲労を滲ませながら何度目かの夜を過ごして来ているのだ。結希も早く終わらせるために一日記事製作でパソコンと向き合っている。
しばらくしてやっと特集の記事を書き終えた結希は、脱力して片腕に顔を埋めた。
「お、オワッタ……」
「お疲れ様です」
文書の製作で腕に力が入らない。それでも、誤字脱字やレイアウト確認をしながら印刷し、編集長にそれを渡す。
「うぅん、オッケ。みんな、お疲れさま」
流石の編集長もこの時期の暑さの長時間労働に疲れを感じているらしい。語尾が若干濁っていた。
(締切りギリギリだけど間に合って良かった……。化粧直しする気力はもうないけど……)
ぐったり机に肘を突いて項垂れていると、鞄の中に入れていたミルクキャンディーの存在を思い出す。
(……早めに買って置いて正解だった)
袋ごと飴を取り出すと、その存在を目敏く見つけたのは奏恵だった。
「あ、先輩。それいつものですか?」
「えぇ、奏恵も飴舐める? 今回は結構余ってるし皆もどうぞぉ〜」
班の皆に(もとい、オフィス内の皆に)声を掛けると、女性社員のみんなが一斉に声を上げた。
足を引きずって貰いにやって来る姿は、隣席の男性社員が引き攣った笑みを浮かべるほどだ。
雑誌編集業の締切り間際と云うのは、生きた亡霊の集まりみたいだと常々思う。
封を切り飴を口に含むと、優しい甘さのミルクが舌の上に転がった。
その味わいは全身を固めた凝りが解けていくようだった。
「あ゛まぁい」
何処からか、男性社員の震えた声が聞こえた。
これが女の子の声だったら癒されたのにと、文句を零したくなるほど涙ぐんでいる口調に、はぁと溜め息が出たのは致し方ないと思う。
しばしの休息を取っていると、カーソルを動かして今日の送られて来たメールの中に、急ぎ返事をするものがないかを確認する。
特集が終わったこで上半期の仕事は区切りが付けられ、来週から通常通りの周期に戻るだろう。
会議はまだあるが、やっとこの多忙な毎日から開放されると思うと心が浮かぶ気分になる。
それに今週の金曜日には社長交えての飲み会が開かれることが決まっているので尚更だった。
自由参加ではありつつも、経費で支払われ、ご飯もちゃんと出る飲み会なので、毎年大勢の社員がその日を心待ちにして業務に追われる日々を頑張って過ごして来ているのだ。
くぁと欠伸が零れて、結希は慌てて口元を手で覆った。
「そろそろ帰るかな……」
先陣を切るように伸びをしてから、画面に映っている全てのファイルの保存ボタンを押すとパソコンを閉じた。
既に何人かの男性は忙しなく帰っていた。その中には晴樹の姿もある。
きっとこれから、恋人(仮)である社のもとにでも行くのだろう。
あれからどうなったのかは聞いてないが、そそくさと帰る様子からして順調に関係が上手くいっているのは安易に想像付く。
(──そう言えば、来月には夏休みとして三日間の連休が与えられるけど、晴樹は社とお出掛けでもするのかしら)
結希は特に遠出をする予定はないのだが、何処かのタイミングで美菜と遊びに行きたいなとは思ってる。
そのための場所の候補もいくつか浮かんでいるし、飲み会で会ったら聞いてみよう。
「お先に失礼します」
「私も失礼します」
「二人ともお疲れさま。ゆっくり休んで」
班長に挨拶をして帰りの方向が一緒の奏恵とオフィスを後にすると、他愛もない話しをしながらビルを出てた。
夜十時間際の夜空は星が小さく点々と輝いていて、涼しい隙間風が吹き抜けていた。
♢♢♢
寝不足が解消された数日後の金曜日。
居酒屋の二階を貸し切り状態にした飲み会が始まっていた。
社長の挨拶が終わり、注文したドリンクをそれぞれ片手に取ってジョッキを掲げる。
「──それでは、乾杯!」
『カンパーイ!!』
結希は薄橙色に染まったピーチサワーを半分まで一気飲みすると、挟むように座っている奏恵と莉乃が既に箸先を注視していることに気付いた。
「……何から食べようかなぁ」
「先輩、どれから食べます? どれもおいしそうですよね」
「迷いますよね!」
二人がずいずいと身体を寄せて来ることに、結希は出来るだけ何とも思ってないような表情を努めつつ、その実、猫の獲物を狙うような姿勢をする後輩二人に、ニヤけてしまうのをどうにか最小限に抑えて「そうねぇ」と呟いていた。
「あたしはチーズ揚げを食べてみようかしら」
ひょいっと掴んで口に運ぶと、熱々のチーズ揚げはパリッとした餃子の皮と、蕩けるチーズがなんとも相性抜群でとても美味しいかった。
奏恵と莉乃も後に続いてひょいと一つ食べると幸せそうにしている。
クスクスと笑うと、奏恵が割り箸を置いて未使用の箸に持ち替えた。
「私、サラダ盛り付けますね。莉乃はトマト以外に苦手なものある?」
「大丈夫。ありがとう、奏恵」
飲み会の場は奏恵がどれほど気の利く子なのか毎回思い知るイベントだ。
莉乃ももちろん良く回りを見て、何か足りないものはあるか良く観察している子だ。飲み会が始まる準備だって、進んで座布団の用意をしていた様子を結希は見ていた。
気遣いと言うのは人それぞれ着眼点が違うのだと、先輩の立ち場になって知ったことの一つだ。




