16話 恋事情
どん!と皮を打つ音が空気をびりびりと震わせる。天龍の和太鼓の音だ。
「…やっ!」
掛け声を放った刹那、額から汗を流す少女。
「私を待つのは執念に囲まれし日々…」
その口調はどこか箏馬にも似ていた。
名前は高津戸日心。東藤高校吹奏楽部でホルンを吹く1年生だ。
彼女が、あの事件を大きく変えることになる…。
音楽室。優月の制服からは、眠りを優しく誘えるくらいの匂いが、ほんのりと纏われていた。
「わぁ!優月先輩、いい匂い!」
1年生の海鹿美羽愛が、そう言って優月に近づく。
「これ、落とした楽譜だよ」
盛大に落ちていたはずの楽譜を、優月が渡すと美羽愛は優月の胸元を見る。
「ありがとうございます。先輩の服からラベンダーの香りがするんですけれど、何か付けました?」
彼女が言うと、優月は彼女の柔らかな目から視線を逸らす。
「妹に朝、吹きかけられちゃって…。消臭剤で落としたつもりなんだけど気づいちゃったかぁ」
カミングアウトすると、美羽愛は信じられなさそうに目を大きくする。
「ラベンダーの香り、凄く良いですよ!」
彼女が褒めるので、優月は嬉しくなり、
「ありがとぉ」
と可愛らしく笑った。その表情は男の子のニヤケ顔とは遠くかけ離れていた。
「美羽愛ちゃん…」
その様子を見て、大橋志靉はふふっと笑う。
「じゃあ、またね」
優月が手を振ると、美羽愛も「はい!」と両手で振り返し、彼を見送った。
優月がドラムを覆う毛布を剥いでいる所を見て、志靉が美羽愛の肩を叩く。
「美羽愛ちゃん、優月先輩のこと好きなの?」
その問いに美羽愛は迷わず頷いた。
「でも先輩って、加藤先輩と仲良いんだよねぇ」
「えっ!?知らなかった!」
ふたりは余りにも小声。かつ優月はエイトビートの基礎打ちを始めたので、気にしている余地もない。
「てか、國井君が美鈴ちゃんのこと好きらしいよ」
それを聞いて、美羽愛は顔を渋める。
「えぇっ。あの人、久遠君といる子でしょ?」
「まぁ、そうだね」
「そんなことより、加藤先輩と仲いいって…」
次の瞬間。
「こんにちは」
容姿端麗。その言葉が似合う少女は加藤咲慧。彼女が音楽室に入って来たのだ。
「あ、お疲れー」
その時、優月がドラムスティックを振る手を止め、咲慧に手を振る。
「お疲れー」
咲慧は手を振り返すと、楽器室に直進した。
「ね♡」
志靉がそう言うと、美羽愛は「うーっ」と悔しそうに顔を歪めた。と、その時、コン!と痛々しい音がする。
「きゃっ!」
美羽愛は自身の水筒と同時に悲鳴を上げる。
「わぁ!びっくりしたぁ」
優月が目を大きくして、こちらを見てくる。
「あ、す、すみません!」
「いや、それよりも怪我はない?」
優月が心配の声をかけると、美羽愛は「はい!」と頷いた。よかった、それだけ言って、彼は楽譜をパラパラと捲り始めた。
「今のわざと?」
志靉が呆れ気味に訊くと、
「そんなわけないじゃん」
と美羽愛は恥ずかしそうに返した。
そうして練習が終わると、優月と咲慧は一緒に帰ることにしていた。
「えっ?美羽愛さんが?」
優月が、昇降口にて靴を放り投げる。
「そう。気付いてないの?」
咲慧はそう言って靴を履き、パンパンと踵を地面に付ける。
「…僕のこと、よく見てるって、全然気づかないよ。箏馬君の面倒だってあるしー」
優月はドアを開け、咲慧を通す。
「…そっかぁー。優月くん、面倒見係だもんね」
「うん」
すると、咲慧がくすりと笑う。
「私も和太鼓部だった時、1年生の面倒見係だったんだよ」
「へぇ」
優月がこくこくと頷く。
「ただ、その1年生、学校来なくなっちゃったけど…」
「ああ、去年、鳳月さんから聞いたよ」
「ゆなっ子、意外と優月くんに話してたんだね」
「いや…結構最初の方だよ。印象的だから覚えていただけで」
実際聞いたのは、去年の春isポップン祭りの合同練習の日の朝だった。
「それで、美羽愛ちゃんとはどうするの?」
咲慧が興味津々に尋ねる。
「えっ?どうするって…、どうすれば良いんだろう?僕、今のところは彼女どころか好きな人もいないし…」
優月はそう言って、咲慧を見つめる。
(…かと言って、咲慧ちゃんと付き合うか?って言われるのも違う…。あ、やべ!別のこと考えてた!)
彼の長考に呆れたのか、咲慧が、
「一度、話してみたら?」
と尋ねる。
「…でもねぇ、帰り道逆だし。大内町なんて御浦の方でしょ?」
「あぁ」
一度、一緒に帰ってみる、という案は敢え無く潰れた。
「まぁ、しばらく様子見で」
優月がそう言って、話題を変えようとした瞬間。
『何を話してらっしゃるのですか?』
と誰かが聞いてくる。
「うわぁっ!」
それに驚いたのは咲慧だった。
(後ろに後輩いるなって思ったら…)
優月は、突然横入りされたことに、少々閉口したが、その誰かは容赦なく口を開く。
「えっと、アルトサックスの先輩とパーカッションの先輩…でしたな?」
「うん」とふたりは頷く。すると後輩はキリッとした瞳を見せる。
「改めて、私は高津戸日心なる者。ホルンやっています」
礼儀正しいかつ個性的な彼女だが、ふたりは「ありがとう」と返した。
まるで武将のような喋り方だな、とふたりは思った。
「先輩たち、恋バナしてるのですか?」
日心が訊くと、咲慧はこくりと頷いた。
「そう。日心ちゃんは好きな人とかいるの?」
咲慧が疑問符で返すと、日心は首を横に振る。
「いえ。今はいませぬ…」
「まぁ、入学してまだ1ヶ月だもんねー」
咲慧が笑って返す。
「…それよりさ、日心ちゃん、お兄ちゃんがいるでしょう?」
「はい。冬雅さんですね?」
「そうそう。やっぱり兄妹だったんだー」
合点が行き喜ぶ咲慧に、優月は首を横に傾ける。
(高津戸冬雅?ああ、いるなぁ)
優月は彼のことを知っている。何故なら、同じクラスだからだ。
「いつも遅くまでいるよね?今日は早いんだ?」
咲慧が尋ねると、日心は大きく頷いた。
「今日、和太鼓なので。天龍」
「!?」
優月はそれを聞いて、少し面食らった。
「…天龍かぁ」
咲慧がそう言って、夕日に染まる空を見る。
「ホント、吹部には天龍の子、多いね」
「ふふ、そうですね。とても良い」
それにしても今から和太鼓か、と優月は思う。今の時間から全身運動はキツイだろうなぁ、と場違いなことを考えていた。
その時だった。
スマホからメールの通知音が鳴る。
「…あ、瑠璃ちゃん!」
優月は驚きの余りに、叫んでしまった。
「ん?瑠璃ちゃん?」
咲慧が気になったようで、優月に尋ねる。
「そう。古叢井瑠璃ちゃん。僕の元いた中学校での友達」
その時、日心が信じられなさそうに言う。
「えっ!あの子と知り合いなんですか?」
「う、うん」
聞いてみると、瑠璃と日心は転校する前、同じ小学校だったという。
「まさか、あなたと知人だったとは…因果とは不思議なものですねぇ」
「そ、そうだね」
何だか箏馬を相手にしてるみたいだ、と優月は思った。
「どうやら、彼氏とうまくいってないみたい」
すると、日心が残念そうに顔をしかめる。
「色は匂えど散りぬるを…」
「えっ?」
「彼女を待つは、桜の如く散る運命か…」
そう言う日心の表情は至って真剣だった。
その話し方…と優月と咲慧は笑うしか無かった。
「今年の1年生、個性的な人が多いなぁ」
優月と咲慧は、日心と別れそんなことを話していた。
「でも、その分、部が明るくなるじゃん」
嬉しそうに咲慧が言う。
「ちょっと、仏教語使う人とは話すの大変だけど」
優月はそう言って、げんなりとした表情を見せる。箏馬はともかく、日心までその話し方は、反応に困ってしまう。
「でも、久遠君と話す優月くん、すごく楽しそうに見えるよ」
「まぁ、つまんなくは無いからね」
優月はそう言って、箏馬を想像した。
しかし、それから数日後、大事件が起こるのだ。
東藤高校吹奏楽部に激震が走るほどの…。
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【次回】
箏馬が…部活に来なくなった…




