15話 小倉優月の過去
小倉優月。彼は幼少期はひとりぼっちだった。
優愛に出会うまでは…
部活終わり、優月と井土は楽器を片付けしながら話していた。
「ゆゆ、本当にありがとうね。久遠くんの面倒」
「あ、いえ…。そもそもそこまで役に立ってませんよ」
「いや、久遠君の面倒、見れてる時点ですごいから」
井土が苦笑混じりにそう言った。そんな箏馬はもう帰った。どうやら今日は天龍の練習日らしい。
「…あの子、一癖も二癖もあるでしょ」
「えっ、はい」
その時、箏馬の低い声が、脳裏を突き抜ける。
『この打音が救いの音とあらんことを…』
仏教語と四字熟語をよく使う少年。そんなイメージが優月の中では定着している。
「そんな子に尊敬されるなんて、優しいからだね」
井土が言うと優月は苦笑した。
ギイ…とドアが軋む音。ドアを閉めた彼は、少しため息をついた。
(優しい…か)
『優しい』その言葉は優月にとって聞き慣れた褒め言葉だ。中学でも『優しい』と何度も言われてきた。
でも違う。
本当は優しくなんかない…。
『あの過去』が纏わりつく限り…。
《数年前》
小倉優月。彼は3月7日の夜に産まれた。
『ううっ、くっ…』
出生時の体重は900グラム。いわゆる低体重児だ。そのうえ、呼吸がうまくできず、何度も死の淵を彷徨った。それでも医者と母の頑張りが功を奏し、無事に退院した奇跡の子供だった。
『雅永、名前は何にする?』
『えぇ。考えていないなぁ』
赤子がすぅすぅ…と寝息を立てていると、父の雅永が彼を持ち上げる。
『でもこの子は奇跡の子だよ』
『…そうね』
『寛美は何か考えているの?』
『優月』
すると、小倉寛美が少年の背中を優しくさする。
『…この子は低体重児。そのせいで例え、身体は小さくても、心は成長してほしい。優しくなってほしい。だから優月よ』
『優月か』
『優は優しく、月は成長の象徴。いいでしょ?』
そこまでの意味が込められているのなら、と父の雅永も大いに納得を示した。
その後は何の問題もなく、育った小倉優月だが、毎日仏頂面で帰ってきた。
『ただいまー』
寛美が慌てて優月に駆け寄る。
『ええ!?また虐めたのっ!?』
『ふん。想大くん以外、みんな僕のことチビって言うんだもん。保育園にいる奴らは皆バカだ』
こら!と優月の頭を寛美が軽く小突く。
保育園時代、苛めっ子でもあった優月の性格は、誰にも手を付けられない存在だった。
そんな彼の転機は年長になった年だった。
「くそ、稲葉のやつ、俺を馬鹿にしてきやがって…」
優月がそう言っていると、誰かが話しかけてきた。
「ねぇ、ねぇ、ねぇ、ねぇ、ねぇ」
「ん?どうしたの?」
優月は極力優しい声で、声の主を見る。しかし目の前には誰もいなかった。
「ねぇ!」
その時、その声の主は自分よりも、小さい少女だと気付く。
「へへっ」
見つかっちゃった、と照れる少女を見て、優月は心臓がドクンと高鳴る。
「…えっと、誰?」
「私ね、榊澤優愛。さ・か・き・さ・わ・ゆ・あ!友達なってぇ!」
そう言って、優月の細い腕を掴んでくる。
「は?名前ださ」
しかし優月はそう冷たい声で言う。
その時、彼女が嗚咽混じりの声を出した。
「う…ううっ…」
「えっ?」
優月は、彼女が泣き出したことに驚いた。
「…はぁ」
その時、彼から棘の刺さった言葉が消える。優月は小さな手で女の子の頭を撫でる。
「…ごめんね。名前は?」
「優愛だよ」
「じゃあ、優愛ちゃん…」
榊澤優愛が涙に濡れた目をこする。その度に肩に垂れる真っ黒な髪が左右に揺れた。
「君は?」
優愛が首をちょこんと傾けると、優月は、
「小倉優月だよ」
と答えた。その時、優愛の表情が花の如く煌めく。
「へぇ。宜しくね」
「う、うん…」
その表情があまりにも可愛らしく、優月は無意識に首を横に振った。
友達なんて、ましてや異性の子なんて、優月にとっては信頼できなかったはずなのに。
それから優月は、毎日優愛と遊ぶようになった。
お互い家は少し離れているものの、ふたりの家の中間にある公園で。
『わっ!優月くんっ、強いっ!』
優月が思い切り蹴ったサッカーボールは優愛を通過した。そしてボールは地面を転がる。
『あ、ごめん』
優月は恥ずかしそうに、ボールを追いかける優愛を見る。
『…保育園ではこれくらい、皆、止められるのに』
誰にも聞こえない声でそう言った。
サッカーをした優月と優愛は、帰りながら話していた。
「…優月くん、ボール蹴るの強いね」
「そう?かな?」
「うん。私の幼稚園でもそんなにボール強く蹴れる子はいないよ」
「へぇ」
「まぁ、私、年中なんだけど」
「っえ?」
それを聞いた優月は少し驚いた。
「優愛ちゃんって、僕の1個下なの?」
「うん!」
幼いその声は今でも覚えている…。
それから、優月を変える出来事は、1カ月後の話だった―。
優月はブランコに腰掛けようかと、歩いていたその時だった。
『うわっ!』
体が宙を浮く。
それからは容赦なく地面に叩き落された。体中が痛い、そう思っていると、
「あ、」
と聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「いて…!えっ?」
そこにいたのは優愛だった。
「だ、大丈夫?」
「う、うー…」
優月はイライラという感情を隠すことなく頷いた。
その時、小学生数人が優月に歩み寄る。これが苛めの報復だということは、優月にでもすぐに分かった。
「お前、また光星を苛めたんだって?」
男子のひとりが口を開く。
「えっ?苛め?」
優愛は訳が分からず、彼らから後退りする。
「ちっ…!それは俺のことを馬鹿にしたからだろ?」
優月は怒り混じりの声で、男子を威嚇する。
「だからって苛めんのか!?」
「…!」
優月は大声を出されたことに、怒りの表情を隠そうとはしなかった。
『チビのくせに』
もう1人の男子がそう吐き捨てると、近くにいた優愛の頭を叩いた。
その時、優月の頭の中で理性の線がぷつりと切れる。その音は耳元を劈くほどに響いた。
『おい…』
優月は怒りのあまり、男の子に蹴りかかる。しかし、そんなものが当たるわけもなく、敢え無く空中を舞うだけだった。
「オラ」
そして優月は残酷に地面を転がる。それと同時に、2本の太い木の棒を咄嗟に構えた。
『優しくしてたら、最近舐めたやつ多いわぁ…』
理性を失った優月は、2本の棒を容赦なく、男子共に叩きつける。
「きゃっ…!」
理性を失った彼は、目の前の人間を叩きのめすことしか頭になかった。それが悲劇を起こす。
「ふぅ…。えっ?」
棒を地面へ投げた優月は、我が目を疑う。目の前には優愛が傷を負って、倒れていたからだ。
「…優愛ちゃん!」
優月はそう言って優愛に駆け寄る。まさか、優愛までも殴るとは思いもよらなかった優月は悲しい気持ちに満たされた。
その日の夜は、親から優月は怒られた。優愛が苛めっ子から襲ってきたからと言うことで、大事には至らなかった。
数日後。
優月はひとり、公園のブランコを漕いでいた。
「はぁ。僕のせいで…優愛ちゃんまで」
暁の斜陽に黒みが混じる。まるで心の中みたいだな、と子供ながらに思った。
その時、信じられないことが起こる。
「優月くん…」
優愛が眼前に立っていたのだ。
「寂しかったよ。あれから全然会ってくれないんだもん」
「…優愛ちゃん、怖くないの?俺のこと」
優月が尋ねると、優愛はくすりと可愛らしく笑う。
「ううん。だって優月くんは何も悪いことしてないじゃん」
「えっ?」
その言葉に驚いた彼は、ブランコを下り、彼女に歩み寄る。
「私が優月くんに叩かれたのも事実だし、あの男の子が私が投げられたことも事実だよ」
随分と難しい言葉を使うなぁ、優月は感心する。
「でもね、1個だけ違うことがあると思うの」
優愛が優月の頭を撫でる。まるで何かを褒める大人のように。
「私を守ってくれた。違う?」
その時、優月の中で大きな何かがはち切れる。それが感情だということに気がついた。
「違わないよ」
優月はそう言って、にこりと笑う。
「それにね、私、叩かれたって言っても…」
そう言って、優愛は額を見せる。そこに傷はなく瘡蓋すらも無かった。
「自分から止めに行ったんだもん」
あの時…
『優月くん、どうしたの?』
優月は、優愛を投げた男子めがけて棒を振るう。その棒は正確無比といえるほど、男子の体中を滅多打ちにする。もう1人の男子が、慌てて石を投げる。
『なんだ?そりゃ』
しかし、暴走した優月にとって、石を棒で弾くことは、虫を払い除けるのと同じ感覚だ。
優月が強すぎる、と不安になった優愛は、優月を抑えようとした。だが、棒が頭を掠る。
『きゃっ…!』
優愛は驚きのあまり、地面へ倒れてしまったのだ。
「優月くんったら、強くて強くて…」
「ごめんね。優愛ちゃん」
優月は改めて、優愛に謝罪する。しかし優愛は首を横に振った。
「私ね、いっこだけ怖いことがあるの」
「えっ?」
優愛がブランコに乗り、深刻そうな表情をする。
「ひとり」
その顔の割には、全く予想できなかったもの過ぎて、優月は苦笑した。
「…本当なの!だから私ね、妹か弟が欲しいの!ずっと一緒にいてくれるような優しい子」
その顔が本気だと知った優月は、優しそうに言う。
「じゃあ、優愛ちゃん、僕とこれからも遊んでくれない?」
そう言うと、優愛は嬉しそうに頷いた。
「ふたりめの友達だ」
優月も嬉しそうに言う。
こうして、2人は小学校に上がってからも、ずっと一緒に居続けたのだ。そして、そんな出来事、苛めっ子だった頃の人格は、温厚な優愛と一緒にいることによって影すら無くなった。
そして中学生の時。
『ごめんね。私、吹奏楽部入っちゃった』
優愛がこう言ったのだ。
「吹奏楽部?あぁ、去年、僕も体験行ったよ。まぁ、自分から行ったってよりは、捕まったんだけど。確かフルートをやったかなぁ」
優月が言うと、優愛は申し訳なさそうに言う。
「本当にごめんね。美術部入るって言ったのに」
「いいのいいの。やりたいことが見つかって良かったね」
優月が笑って言うと、優愛は「うん!」と頷いた。そして、優愛の伸び伸びとした演奏を見る度、打楽器という楽器と優愛に更に興味を示したのだ。
今ここにいるのは、元想い人だった優愛と、親友として深く付き添ってくれた想大のお陰なのだ。
だからこそ、何があろうと吹奏楽部は絶対に辞めない。
こうして優月は帰路につきながら、再び部への忠誠心を誓った。
その頃、凜西良新高校。
「ふぁぁ〜、今から電車かぁ」
優愛は電車を乗るべく、駅へと歩を進めていた。優月が乗る市営列車とは違う、国営の電車だ。
その時、脳裏にふと何かがよぎる。
「そういえば、優月くんと出会ってもう10年かぁ」
優月の顔だ。
「…優月くんって最初は苛めっ子だったんだっけ。今はもう影すら無くなっちゃったけど」
優愛はそう言って、遠い思い出を眺めるように、夕焼けの空を見上げた。
ありがとうございました!
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【次回】
優月が好きな美羽愛。志靉にバレるw
もうひとりの『鍵』 高津戸日心




