名前と経験者の章
この物語はフィクションです。
人物、学校名は全て架空のものです。
「…上手いなぁ!小林君」
ここは、美術部の部室である美術室。
先輩の女の子がそう褒めると、小林想大が
「ありがとうございます」
と会釈した。
「…何描いてるの?」
すると、大人しげな女の子がそう訪ねてきた。
「あぁ…学校の校門に咲いてる桜の花」
「…ふーん」
橙色で細々と描かれた木の枝に、桃色の可愛らしい点が無数に打たれていた。
「陰陽のつけ方、いいね。ファンになる」
大人しげな女の子がそう言うと、一冊の本を持って、自席へ戻って行った。
「…先輩、ひとつ、相談があります」
すると想大が真面目な声で、先輩の女の子に話しかける。その硬質な瞳に、女の子は「どうしたの?」と訊ねる。
「この部活って…『兼部』、できますか?」
兼部…この言葉を言う度、優月の男の子としての可愛らしい笑顔が浮かんだ。
「はい、皆さん、注〜目〜」
練習中の吹奏楽部員へ、部長の雨久朋奈が呼びかける。
すると、普段は騒いでいる人さえも、真っすぐに彼女のいる黒板の方を見る。
「…毎年、合同で、春isポップン祭に出てるわけですが、今年も例年通りの予定です」
そう言って、雨久は、ホルンの周防奏音、パーカッションパートの田中美心に数枚のプリントされた紙を配る。
「あれ?小倉君は?」
パーカッションパートまで配りに来た美心だが、いたはずの優月がいない。
「ゆな、知ってる?」
美心が、同じパーカッションパートで1年生の鳳月ゆなへそう訊ねる。
「小倉なら、担任との面談に行ったよ」
ああ、面談か…と美心は納得すると、彼のグリーンのファイルにプリント2枚を載せた。
「1年生の子は、知らないでしょうから、毎年の流れについて、説明します」
その頃、1年1組の教室…
「優月は、困ってることはないですか?」
女性の若い先生がそう訊ねる。名は若村と言った。
「…特には、ないですね」
「部活は、何にしたんですか?」
「えっと…吹奏楽部…です」
『吹奏楽部』という単語にまだ慣れない彼は、拙い喋り口調になってしまった。
「…吹奏楽部かぁ。近々本番があるそうだな…」
「はい。来週に」
彼がそう言うと、若村は「うん」と頷いた。
「他の中学校と合同合奏…するみたいだが、頑張れな!」
励ますような彼女の口調に気圧されながらも
「はい!」
と返事した。
「…友達はできましたか?」
と若村が問うと、優月は
「…い、いえ」
と視線を逸らす。
「想大とは、仲がいいの?」
「はい。小学校から一緒で、よく遊んでて…。部活も中学は同じでした」
「中学では、何部…だったんだっけ?」
え、知らないんですか?、と言葉が出かかったが、間一髪、その声を呑み込んだ。
「び…美術部です」
「あぁ。そうだったなー…。因みに、吹部に入ったキッカケとかは、あるのか?大体は、井土先生の人柄に憧れて入部する、っていう人も多いんだけれど…」
やはり、井土は人気のようだ、と優月は思う。面白くて優しく人当たりが良いからだろう。
「す、少し、お恥ずかしいのですが…」
と、優月は、答えることにした。
「…実は中学の時まで好きな人がいまして…」
すると若村はえっ…!と両手で口元を押さえて、目を大きくする。
相当驚いているようだ。
「…その、好きな人に憧れて…始めました…」
「へぇ…!高校は同じ?」
「いえ。1つ下の幼馴染みです」
「青春だね。告白できたの?」
部活の話とは180°目の色が違う。恋バナに弱いのだろうな。
「卒業式2日前に告白しました」
「そっかぁ…」
それで、全て察したのか、それ以上は何も触れなくなった。
「…まぁ、理由としては素敵じゃない」
励ますように、そう言った。
「…頑張れ!!」
若村が親指を立て、そう言うと、優月は
「はい…」
と俯いた。
何だか恥ずかしかった…。
「ただいま帰りました」
優月が音楽室へ帰ってくる。
すると、ゆなが彼へズカズカと駆け寄る。
「…はい」
「はい」
渡された優月は紙を見る。渡された紙はプリントだ。
しかし、その内容を見た優月は「えっ?」と目を疑った。
ーその頃、茂華中学校
「…はい。瑠璃ちゃん!」
パーカッションパートの優愛が瑠璃に楽譜を渡していた。
「…えっ?」
すると、瑠璃は驚いたように目を丸くした。
「…なんと今回、一曲だけだけど、先生に頼んで、ドラムやってもらえるようにしておきましたー!」
「わぁぁぁ…」
ドラムは、瑠璃がずっとやりたくて仕方がなかった楽器だ。瑠璃の目はまるで、子供がプレゼントを渡されたかのように、キラキラと輝いていた。
「…いいの?」
「うん。私は、久し振りに鍵盤、挑戦してみる」
すると、瑠璃は、「ありがとう」と笑った。
「…ただし、合同での曲は、グロッケン、頑張るんだよ!」
「うん!」
その様子を見た部長の香坂が副顧問の中北楓に話しかける。
「優愛ちゃん、なんやかんや言って優しいんですよねぇ…」
それを聞いた中北はこくりと頷いた。
「そうだね。まぁ、ずっと、可哀想って悩んでたから…」
この半年間、瑠璃は自分のやりたい楽器をやることが出来なかった。彼女の鬱憤も溜まっていたのだろう。
すると、"Flute"と書かれた楽譜を見ながら、
「それで、本番って、春isポップン祭、でしたっけ?」
「…そうだよ。白夜さんは、何回か、出てるから分かるでしょう」
すると香坂は「はい」と頷いた。
翌日のことだった。
「…んあぁ…」
欠伸をしながらの優月が想大と話していた。
「部活、どう?」
想大が訊くと「楽しいよ!」と優月は答える。
「井土先生も優しいし、色んな発見があるし…」
「そうなんだ…」
「想大君こそ、どうなの?美術部」
すると、想大は、はぁ…とため息をつく。
「ずっと褒められてばっかり。だから全然面白くない」
あはは…と優月が苦笑する。
「中学校では、先生、厳しかったもんねー…。半年は続けられそう?」
東藤高校では、部活で最低半年間は活動しなければならないのだ。
だからか、2、3年生は、退部者が続出することもあると、優月は井土から聞いていた。
その問いに想大は、
「分かんない」
と答えた。
楽しくないのか…と優月は口の中で独りごちる。
放課後の音楽室では、賑やかな話し声が飛び交っていた。
「朝日奈先輩、楽器に名前、付けてるんですか?」
1年生のフルート担当の岩坂心音がそう言うと、
「ああ」
と3年生の男子は言った
彼は3年生でチューバ担当の朝日奈向太郎だ。筋肉がガッチリと付くわ、顔はイケメンだわと、男子の憧れを詰め込んだような男の子である。
「…オリオンちゃん、こんにちはー」
そう言って、彼は、大きな白銀色のチューバを両手に取る。
「…オリオン…ちゃん?」
「ああ、この…チューバのことだよ」
向太郎が、軽々とチューバを持ち上げる。重いはずなのに彼が持つと軽く見える。
向太郎は軽妙洒脱だ。
「…私も、名前を付けようかなー…」
心音がフルートを見て首を、うーんと、傾げる。
「…何がいいかなぁ…」
すると、ゆなが2人の会話に潜り込む。
「シンデレラ…とか?」
「シ、シンデレラ?」
心音がそう言うと、ゆなが「そうだよ」と言う。
「な、なんで、シンデレラ?」
「だって、そのフルート…」
ゆなが、彼女の握る学校のフルートを指差す。
「古いし、埃っぽいじゃん」
「ええ?何が言いたいの?」
心音が詰め寄ると、ゆなは口角を上げ、
「だって…シンデレラって日本語で『灰かぶり』って言うんだもん」
「…ゆなちゃん、ひどーい」
そう言って心音は、彼女を睨みつけた。
「事実じゃん。別に、心音ちゃんを悪ーく…言ってるわけじゃないからね」
「まぁまぁ…、シンデレラでも良いじゃないか…」
向太郎がそう言うと、心音は、
「そうだね…。他にいい名前ないし…」
とガックリと肩を落とした。
「あははは」
優月は、一連の会話を聞きながら音楽室を出た。
「全く…鳳月は正直だな。透明な人間とも言うー」
その時だった。
『もう…あの男に付きまとわれてない?』
『…半年は来てない…。大丈夫そう』
耳の奥を凍りつかせるような会話が聞こえる。
(付きまとい?)
優月は、その会話に足を止めた。と同時、声の主、2人の姿が奥の空間に見える。
(…な!)
その人物は、心音の先輩、初芽結羽香と明作茉莉沙だった。
『…!!』
次の瞬間、2人が後ろを振り返る。
しかし、誰もいなかった。
優月は、トイレの中へ隠れていた。
「…あ、あの…2人…。誰かに付きまとわれてるのか…?」
茉莉沙と初芽は、誰もいないことを確認して、再び話し出した。
「…まぁ、茉莉沙、モテるもんね。そりゃ、みんなも、ヨリを戻したくなるかぁ」
「勘弁してよ…」
そう言って、茉莉沙は顔を渋らせた。美しい瞳が影に歪む。
しばらくして、優月が2人のいた通路を見る。
「…もう、居ないか…」
茉莉沙はストーカーされているのか…?
しかし彼は、近い未来、その真相を知ることになるだろう…。
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