東藤高校 文化祭の章 [午前の部]
文化部発表会の翌日。
この日は朝から、生徒たちは大忙しだった。今日は2年に1度の文化祭だ。
1年1組でも、慌ただしく動いていた。
「着替えてきましたよ」
そう言って、優月がメイド服姿で、教室へ入る。
彼の容姿を見た男子は「すげぇ」と口々に言う。
優月は、メイド服に、多少のメイク、白いウィッグ、爪には青いネイルチップを付けていた。
「本当、1日中、シフト任せたい」
学級委員長が言うと、優月は、
「吹奏楽部の発表があるから無理だって」
と笑う。
「んじゃあ、メイさんにお前のパートもやるように、頼んどく?」
その時、ゆながニヤニヤと笑いながらそう言った。
「そしたら、誰がトロンボーン、吹くんだよ」
優月は適当にあしらい、白いテーブルクロスの皺を伸ばす。
「おっ!優月くん、着替えたのか!?」
想大が言う。
「うん」
「ところで、瑠璃ちゃんは来るの?」
「朝聞いたら、行くって。今向かってるんじゃない?」
瑠璃や優愛は、わざわざ部活を休んで来るらしい。そこまでして来たかったのか?と思ったが、瑠璃と優愛は、最後の思い出作りらしい。
「っしゃあ!」
想大が喜ぶと、
「何が、っしゃあ!だ?」
友達が、想大を小突く。つう…、と想大は両手を押さえながら、友達を見る。
「別に、何でもない」
「ふうーん。じゃあ瑠璃ちゃんがどうこうって話は、気のせいか…」
想大は聞かれてたのか、と肩を落とした。
「想大君、どんまい」
優月はそう言って、想大を励ました。
その頃、最寄りの駅から東藤高校に向かって、瑠璃と優愛、そして希良凛が話していた。
「えっ?優愛先輩、私立行くんですか?」
「うん。そうだよ」
瑠璃は「どこの私立?」と尋ねる。
「私立凛良高校」
「えっ…」
その学校名に、希良凛が息を呑む。
「そこって、吹奏楽めちゃめちゃ強いですよね。もしかしてプロになるんですか?」
凛西良新高校は、県内でも名の知れた私立校だった。学力も普通科と比べて、かなり高い。高名な高校だ。
ちなみに、凛西良新を略して、『凛良高校』と呼ばれている。
「違うよ。私、吹奏楽やる気ないもん」
「そ、そうなんですか」
驚いたように目を丸める。
「そうだよね」
瑠璃が当たり前のように言う。確かに茂華町からだと遠い。それに優愛は吹奏楽を続けないと、決意していたのだから。
優月は、開店を今か今かと待っていた。吹奏楽部の発表は10時30分からなので、シフトが終われば少しの時間は、出し物を見ることができる。
「緊張するね」
「うん」
メイド姿の女の子に訊かれる。指先のネイルチップを凝視しながら頷いた。
「あっ…」
その時だった。廊下から、トコトコと人の歩く音が聴こえてくる。
「はい、開店です!」
若村がそう言うと、優月はピクピクと足を震わせた。優愛達は何時に来るのだろう?
そう考えていたその時だった。
『えっと、いちねんいちくみ?』
『うん。メイド喫茶らしいよ』
聞き覚えのある声が聴こえてくる。瑠璃と優愛だ。まさか朝から来るとは思わなくて、優月は早まった鼓動を永久に止めようとも思った。
しかし、2人は1年1組の教室に入ってきた。
「あっ!優月先輩、おはようございます!」
「お…おはよう」
優月は、自分がメイドだということも忘れて、頬を真っ赤に染める。
「えっ…?超かわいい」
その時、瑠璃が褒め言葉を放つ。
「ほんとう?」
「うん!優愛お姉ちゃんくらい!」
瑠璃がそう言うので、やはり好評なのだろう。優月は、願ってもいないのにニヤニヤと笑った。
「ご…ご注文は何にします?」
優月が尋ねると、優愛が、
「バナナのオリジナルアイス3つ、お願いします」
と言う。優月は「3つ?」と首を傾げる。目の前には優愛と瑠璃しかいない。
と思っていたが、次の瞬間。
「OG発見!」
ともうひとり、店内に入り込んでくる。
「あれ?さっちゃん?」
「そう。希良凛ちゃん」
優愛が頷いた。優月と希良凛は、夏祭りで一度、会っている。
「あの子も部活、休んだの?」
「うん。文化祭とかのお祭り事、好きなんだって」
そう言われると、向太郎の名前が思い浮かぶ。
「こんにちはぁ」
希良凛は、小さく会釈する。
「いらっしゃいませ」
優月も、その会釈を返すように、そう言った。
「瑠璃とさっしーの分もアイス頼んどいたから、一緒に食べよ」
「うん!」
「はい!」
ほのぼの3人組に、思わず笑みが溢れた。しかし、優愛は来週で引退だ。引退すれば受験。瑠璃とも遊びに行けなくなる。だから、今日は羽目を外しに来たのだろう。
「お待たせしました」
優月がカップアイスを差し出す。カップの側面には水滴が滴っていた。
瑠璃が「わぁ」と目を輝かせる。本当に子供ぽい。そう思っていると、
「優月さんの発表はいつですか?」
と希良凛が訊ねてくる。
「えっとね、10時30分からだよ」
「そうなんですね」
そう言って、プラスチックスプーンを口に運んだ。
「そうだ!想大くんだけど」
優月が瑠璃に言う。
「シフトは、次だよ」
それを聞いて、瑠璃が咳き込む。こほこほ…と可愛らしい声が店内に響いた。
「私、想大くんとふたりで回る約束してるんだ」
それを聞いて、優月が「そっかあ」と目を細めた。冷静な表情をしているが、いいなー、と心臓の奥底では、絶叫している。
「優愛ちゃんたちは、何時までいるの?」
「1時30分までかな」
そんなに長くいるのか、優月はついそう思った。
そうして、アイスを食べ終わった3人が、帰った後も優月はひたすら接客を続けた。
「いらっしゃいませ。ご注文は?」
ずっと言い続けているからだろうか、段々と呂律が回ってきた。
「はい、チョコレートアイスです」
「ありがとう」
こんなやり取りを続けること、40分。シフトが終わった。
「じゃ、想大くん、頑張って!」
想大は、メイドでは無く、仕入れ担当だ。彼に任せて、優月は着替えようと音楽室に向かったその時。
「小倉、可愛い。彼女になってほしい」
誰かが、肩へすり寄ってきた。
「わぁ!夏矢君!!」
そこにいたのは、サックスパートの夏矢颯佚だった。彼は神平高校の出身でサックスの腕で、右に並ぶ者はいないだろう。
「はいはい…」
優月は、仕方ないので颯佚と行動を共にすることにした。それにしても彼が自分から話しかけてくるなんて珍しいな、そう思っていると、
「俺は2年3組のメイド喫茶に行きたい」
「あぁ…」
優月は彼の言葉の意味を一瞬で理解した。おおかた、菅菜たちに会おうにも、恥ずかしいのだろう。
仕方ないので、メイド姿のまま、颯佚について行くことにした。
2年3組。到着したふたりは、メイド服の茉莉沙に挨拶した。
「明作先輩、おはようございます」
「おはようございます」
茉莉沙は、いつだって冷静で、先輩後輩関係なく、律儀だ。奥には、菅菜がメイド姿でたたずみ、友達と話をしていた。
「着替えないんですか?汚れますよ」
その時、茉莉沙が心配そうに優月へ覗き込む。
「あっ…!」
「でも、かわいい」
茉莉沙はそう言ってクスッと笑った。自然な彼女の笑みは、美しさを超えて最早可愛い。
「ありがとうございます」
「ウィッグは外したら?夏矢君は菅菜呼べばいいですか?」
「あ、はい」
茉莉沙には、颯佚の内情も全て筒抜けだったようだ。本当に茉莉沙は凄いな、と優月は痛感した。
彼が、白いウィッグを頭から外すと、今度は初芽が駆け寄ってきた。
「小倉君、おはよう」
「あ、おはようございます」
「なぁんだ。メイド姿見たかったなぁ。残念」
「そんな、面白いものじゃないと思いますけど…」
優月が苦笑する。
「結羽香は、何にする?」
その時、茉莉沙が初芽へ突っ込んでくる。
「えっ…?」
「いや、何か食べたいから来たんでしょ?」
「え…いや…」
優月と初芽は、茉莉沙にパンケーキを頼むなり、椅子に座る。
「優愛たちは今頃、想大くんと話してるのかな?」
優月は、そう言って、ざわめく廊下を一瞥した。その時、誰かがこちらへ手を振ってくる。
「えぇ…」
その人物こそ、先程会ったばかりの優愛だ。
「間に合って良かった…!」
優愛はそう言って、優月と相席に座る。
「どうしたの?古叢井さんと指原さんは?」
すると優愛は「別行動」と言う。
「あっ…!優愛ちゃん!!」
その時、初芽が駆け寄ってきた。
「お久しぶりです!初芽さん!」
どうやら2人は、すっかり馴染んでしまったようだ。
「もしかして、私の為に来てくれたの?」
初芽は冗談のつもりでそう言ったが、優愛は「はい!」と大きく頷いた。
「先輩のフルート、本当うまいですよね」
「そんな、茉莉沙のトロンボーンには敵わないよ」
そう言って、当の本人を見る。彼女は、今も淡々と接客を続けていた。
それにしてもいつもよりよく喋るな、優月が思う。
「優愛ちゃんも茂華中学校だっけ?文化祭は来週?」
「はい。来週で引退です」
「そっかぁ。てか練習行かなくていいの?」
どうやら初芽も、練習を休んだ優愛を心配しているようだ。
「大丈夫だと思います…いや、大丈夫!」
優愛が自信満々に言うので、優月は何故だか恥ずかしくなった。
「お待たせしましたー」
その時、茉莉沙がこちらへ歩み寄ってきた。
「茉莉沙!この子、覚えてる!?」
その時、初芽が優愛を手のひらで示す。それを見た茉莉沙が、
「夏祭りでいましたよね」
と言う。
「やばい!明作さん、めっちゃ可愛い…」
優愛は、茉莉沙のメイド姿に卒倒しかけているようだった。
「どうも」
茉莉沙は小さく笑い、パンケーキが乗った更を置く。
「もしかして、ここに入学予定だったりする?」
彼女が訊ねると、優愛が「すみません」と言う。その反応に、茉莉沙は小さく首を横に傾ける。
「私、志望校ここじゃないんです」
「そうなんだ。受験、ファイト」
茉莉沙が声援を送ると、優愛が、
「ありがとうございます!!」
と喚き出した。
茉莉沙と初芽の2人は、いつにも増して笑顔が多かった。
しばらくすると、吹奏楽部員は体育館に、招集された。優月や茉莉沙は、メイド服から部活のTシャツに着替える。
「明作先輩、寒いんですか?」
先に来ていたトランペットパートの氷空が、茉莉沙を訊ねる。茉莉沙は訳ありで、Tシャツの下に、真っ黒な上着を着用している。
「寒いです」
茉莉沙はそれだけ答えて、トコトコと打楽器の群へ歩み出した。
その時、周防奏音と来た美心も、茉莉沙たちの方へ小走りをする。時間がないのだ。
(今日が最後)
美心の表情は、少し固かった。
今日で最後なんだ、美心はそう思っているうちに寂しくなった。 〈続く〉
午後の部に続きます。次回も読んでくれたら幸いです。他の話も是非読んでいただけたら。
〈次回〉
むつみと優愛…の話
美心 最後の演奏…




