打楽器奏者 最後の決断の章
今回は、美心の過去編です!
みんなは、家庭環境で部活動で悩んだことはないですか?
それではどうぞ!
会場の設営の日の夜は、体育館で吹奏楽部が、遅くまで練習していた。
『では、朝日奈さんのナレーションから!』
井土の声がスピーカーから飛び出す。それと同時に、田中美心が開演のシンバルを叩いた。管楽器の音も、体育館に響き出す。
『皆さん、楽しんでますかー!?』
すると、ゆなが向太郎から、マイクを受け取る。
『こんにちは!今日は我々、東藤高校吹奏楽部の演奏を聴きに来てくださり、ありがとうございます!』
そうして、向太郎が
『楽しんでいこうぜー!』
と叫ぶ。彼の乗りに乗ったトーンは、リハーサル中というのに、本番さながらの熱気が体育館を支配した。
このナレーションは、向太郎は自ら、ゆなは定期演奏会でナレーションをしたくないという理由で、渋々引き受けたものだった。
その割には、と優月はグロッケンを打った後、ゆなの方を一瞥する。
(めっちゃ、ノリノリだなぁ)
ゆなの声は、和太鼓部で培ったドスのきいた声が、体育館に響き渡っていた。才覚はあるのに勿体ないな、とさえ優月は思ってしまう。
想大もホルンに魂を吹き込む。本番は目の前。初めて、クラスメートにも見られるのだ。恥ずかしい演奏をしたくないと意気込んでいる。
曲が中盤まで差し掛かると、オーボエとトロンボーンの音が絡み合う。
むつみのオーボエ、茉莉沙のトロンボーンが続々と音を奏でる。
甘い音と朗らかな音。特に茉莉沙のトロンボーンの腕は一級品。メロディーの輪郭は、茉莉沙のトロンボーン、ゆなのドラム、颯佚のサックス、部長である雨久のトランペットが、大半を担っている。この4人の実力が、確かな巧さを演出しているのだ。
『はい!続いては』
その時、むつみがマイクを取り、ナレーションを再開する。
『皆大好き!YOASOBIさんの夜に駆けるです!』
すると、今度はゆながドラムを担当。リズム隊は、一斉に賑やかな音を吹き出す。
すると、井土が前に立ち、精魂込めて歌い出す。
『さよならだけだった♪』
彼の歌はどこまでも、伸び伸びとしていて、音域に限界などは見られないくらいだった。
そうして、数曲とナレーションを繰り返し、リハーサルは終了した。
『おっけーです!田中さんとメイさんは、ドラムの入れ替わりもスムーズになりましたね!』
井土がそう言って、2人を見る。
茉莉沙は、強豪の吹奏楽クラブで、プロレベルの打楽器奏者だった。その経験から、ゆな達の負担軽減の為に、時にドラマーとして助け出ている。その時のトロンボーンは、向太郎や澪が掛け持ちで吹いている。
すると井土が両手をパンパンと叩く。
「さて、私めは、7時30分からドラムとピアノの練習をしたいので、7時半までには、帰ってください!」
すると部長が前へ歩み出す。
『これで今日の部活を終わりにします。よく休んでください!お疲れ様でした!』
雨久の声に、部員は『お疲れ様でした!』と繰り返した。
こうして、リハーサルは終わった。
各々が帰宅し、体育館には茉莉沙と美心だけが残っていた。
茉莉沙がトロンボーンを片付けていると、美心もスティックを、小物台という打楽器を置く台に、横に置く。そして、
「ねぇ、一緒に帰らない?」
美心に話しかけられる。それを聞いて、茉莉沙は「はい」と頷いた。
そうして、2人は共に帰ることにした。
「先輩、部活辞めるのは、いつですか?」
校門を出た瞬間、茉莉沙が口を開いた。そうなのだ。優月とゆなの先輩である美心は、家庭のとある事情の為に、部活を辞めるつもりなのだ。
それを聞いた美心は少し黙り込む。だが、すぐに問いを返す。
「うーん…、文化祭が終わって、すぐの予定。退部届けは、まだ書いてないけど」
「そうですか…」
退部。それは茉莉沙も大概だった。自分も同じパーカッションを辞めたのだ。
その時浮かんだ光景は、薄暗い廊下でひとり泣いていた時のことだった。
『ひっ…!ひっ…!』
ホールの通路内に、不甲斐ない嗚咽が響く。
先輩、沢柳律たちの厳しい教育と、己の無力さに、何度も涙したものだ。
それが結果的に、楽団を辞める一因に、なってしまった。
「そうですか…」
退部届を書いていないことには、少し驚いた。恐らく、今、必死に止めれば、美心は少しは、考え直してくれるだろう。そう思ったその時だった。
「それでね、茉莉沙ちゃんにお願いがあるの」
その声は、いつにも増して真剣だった。茉莉沙は「はい」と闇に包まれた空を見上げる。
「茉莉沙ちゃんが、私の代わりに、打楽器をやってほしいの」
そんな彼女の声には、後戻りできぬ決意が宿っていた。
「…分かりました」
「それともう1つ…」
「はい」
そこで、美心は何かを言った。その一言は衝撃だったようで、いつもの茉莉沙では、絶対に見せられないほどに引きつっていた。
それと同時に、彼女の決意が手に取るように分かった。だから協力しよう、と茉莉沙は決意した。
「分かりました。先輩大変ですね」
「うん…」
茉莉沙の言葉に、美心が頷く。
美心も辞めたい気持ちばかりだけで、辞める訳では無い。だが、家庭がそれを許さないのだ。
その家庭の事情が大きく変わったのは、ある事故がきっかけだった。
彼女が4歳の頃、月峰美心の両親は車の衝突事故で、死別してしまった。
そんな彼女は、遠い親戚の『田中家』に養子縁組として引き取られた。その影響で『月峰』から『田中』に苗字を変えられてしまった。
そこでの日々は、
『美心、ご飯食べるよー。あっ!孔介!駄目じゃないか!』
賑やかで楽しいと思えた。
最初だけは…
しかし、それが大きく変わったのは、彼女が中学1年生の時だ。
入学したてのある夜。
『ねえ、どうして私は、テニス部に入っちゃいけないの?』
美心は、部活について義両親に抗議していた。
『それは、孔介の都合もあるからだ』
だが、義父はそれしか言わなかった。
『都合って、サッカー?』
『ああ』
彼等の実子の孔介は、サッカーに熱中している。その為、彼のサッカーが中心で、家の都合は回っているのだ。
『そんな、私は駄目なの?』
『駄目とは言わないが、大会があるとな…』
『駄目なの?』
義父は首を縦に振る。
『悪いが、孔介と時間を合わせられないなら、自分で全部やってもらうぞ』
その言葉に美心は、硬直した。義父の冷たい瞳。その瞳は非情にも、きつい現実を写していた。
『無理だ』美心はそう思って、『分かった』と言った。結局、彼女は数カ月テニス部をしたが、すぐに辞め帰宅部になった。
やりたいことも、弟の一存で全て否定される。そんな家族が美心は、大嫌いだった。
ぱんと手を打つ音が響く。
『お父さん、お母さん。私、無事高校入学したよ』
来ていたのは、両親の墓だった。ここには、定期的に来ている。
『あと、これ』
そう言って、バックから取り出したのは、饅頭。それを墓前に置く。
『でもね、その高校、部活は絶対みたいでね。何に入ればいいと思う?』
美心は、答えられることが、ないことを知っていて訊く。
その時、淡い桃色の花びらが、ひらひらと墓の前に落ちる。桜の花びらだ。
『…決まったら、報告しに行くからね』
そんな彼女が吹奏楽部に入部した理由は、打楽器奏者の先輩に憧れたからだ。その先輩は、よく家での悩みも聞いてくれて、優しかったので、美心は入部することにしたのだ。
宮野優里奈。彼女は、親切で教え上手だった。その上、技術力も当時の部内では飛び抜けて高かったので、美心は入部してから、ずっと彼女の元についていた。
だが、大きく事態が変わってしまった。
弟の孔介のサッカーチームが、強豪のチームになり、徐々に美心の部活のスケジュールも、限界まで切り詰められていた。
それでも、大会の無い期間は耐えた。だが、その後が、大問題だったのだ。
そして、数カ月前、義父が、美心を呼び出した。そして告げた言葉は残酷だった。
『あの、美心。孔介のサッカークラブの都合で、これからは自分で帰って来てほしい』
それを聞いて、美心の全身が硬直する。
『え…?どうして?』
『クラブとあの学校は、真反対の方向だからな。帰りが遅くなると、孔介の寝る時間が遅くなってしまう』
その言葉の意味は、美心を奈落の底へ突き落とすことと等しかった。
『えっ!!私、遅い時間になんて帰れないよ!それにバイトだって…』
『じゃあ、辞めれば?私らは部費も払わないし』
次の瞬間、義母が冷たく言い放った。
その言葉に、孔介は否定する訳でもなく、嘲笑いを返した。彼にとっては美心に情というものは、無いらしい。
美心の家は山奥で徒歩だ。徒歩が嫌な理由は、車で帰る間も猪等の獰猛な獣と遭遇することだ。美心にとっては、家まで徒歩というのは、恐怖でしか無かった。
だから美心は、嫌でも孔介の迎えの時間に合わせているのだ。
そんな彼女に残された手段は、早く抜けて日が沈む前に走って帰るか、孔介に合わせて早めに帰るかの、2つだった。結局は、部活を早退するということに変わりはなかった。
「そういうことでしたか、井土先生には事情を伝えたのですか?」
すると美心は首を縦に振った。
「うん。そうしたら、辞めるのも選択肢だ、って言われた」
恐らく井土は、彼女を見放した訳では無い。茉莉沙には分かっていた。このまま、家庭環境に耐え続けるにも限界がある。
残り4ヶ月。この先、何があるかも分からない。その上、金銭面にも余裕が無いのだ。恐らく、美心の今後を案じて、部活動よりも将来の選択を、優先しての言葉だろう。
「私、大学にも行けないから、就職するしかなくて…」
「そうですか」
茉莉沙には、何も言えなかった。そして言う資格もなかった。迷いなく打楽器を切り、トロンボーンを選んだのだから。
このあと、美心がどうするかは、分からない。
「だから、茉莉沙ちゃん、万が一の時は、お願いね」
美心がそう言うと、茉莉沙の口角が上がる。
「分かりました。万が一…ですね」
その時、茉莉沙が見せたのは、狂気じみた笑顔。
瞳には光無き紅。それはあの頃の、暴走していた時期の表情と、よく似ていた。
残れば安寧。
退部すれば暴走。
今後の茉莉沙の運命は、東藤高校吹奏楽部の運命は、美心に委ねられた…。
ありがとうございました!
本当に美心先輩、どうなってしまうのでしよう…?
次回、文化祭予定です!お楽しみに!
【次回】
優月『最悪だ…』




