茂華ソロオーディションの章【後編】
オーディション編最終回です!
果たしてドラムソロはどちらの手に?
いつからだっただろうか…?
小学生の頃だっただろうか?孤立していたのは。
望んでもいない闇から引き上げてくれたのが、優愛、そして吹奏楽部の打楽器だった。
それからが大変だった。自分の思い通りに行かず大いにくじけてしまった。そんな時でも、先輩の優愛は見放さず、未来を変えようと言ってくれた。
数々の舞台を超え、最後のコンクールを目前にしたある日、その関係に、風が吹きつけ雲がかった。
指原希良凛。
彼女が来てからは、想像以上に大変だった。頑なに自分を先輩扱いしないことに加え、優愛との時間を奪われ、正直辛かった。
そんな彼女と、ソロのオーディションを巡って、喧嘩してしまった。だが、それも解決。
こうして、この日を迎えた。
『それでは、音楽室でオーディションを始めます。音量、表現力、技術の3点を監査します』
笠松がそう言って、両手をパン!と叩いた。
「それでは、トランペットから始めます!他のパートは、各パート練習の教室で待機してて下さい」
すると部員から『はい!』と一斉に声が飛んだ。
「それでは解散」
『失礼します』
そうして、オーディションの隊形に、音楽室は変えられた。
トランペット、ホルン、トロンボーンが終わり、木管の監査に入った。
「2年3組、クラリネットパート、伊崎凪咲です!」
瑠璃の親友の凪咲が、椅子に腰掛ける。
「はい、それでは、ソロの方をお願いします。好きなタイミングで初めて下さい」
「はい」
凪咲は、リードを加える。そして、キイを押す。
刹那、温かな音が音楽室に響く。音は大きいが、全く汚れのない可憐な音。クレッシェンド、アクセント、全てが研ぎ澄まされている。
「はい!ありがとうございました」
「ありがとうございました」
凪咲は頭を下げると、音楽室を出ていった。
そして、時は過ぎ、いよいよ打楽器になる。
「優愛先輩驚いてましたね」
廊下を歩きながら、希良凛が言う。その言葉に瑠璃も頷く。
「お姉ちゃん、心配してくれてたからね」
「そういえば、どうして、この学校は、ソロの為だけに、オーディションあるんですか?」
希良凛が訊く。すると瑠璃は「それはね」と言う。1年前、瑠璃も副顧問の中北に、同じ事を聞いたものだ。
「この学校の吹奏楽部って、人数少ないよね?」
「はい」
「だから個人の実力を伸ばさなきゃ駄目なんだって」
「それとこれの何の関係があるんですか?」
「ソロのオーディションがあれば、皆、頑張れるでしょ?」
なるほど、と希良凛は納得した。
オーディションに向けて演奏の質と集中力が上がる、そういうことか。
「例え、ソロに選ばれなくても、その本人の実力はつくでしょ?って話」
「なるほど」
希良凛は、納得したように彼女を見た。彼女を先輩として見るのは、出会った時以来だった。
そうして、音楽室の前に立つ。瑠璃の手は、微妙に震えていた。
毎晩、スティックを持ち帰って練習したのだ。自分は下手だから努力しなければ、結果は芳しくない。それを自覚して。
『では、古叢井さん、どうぞ』
3年の優愛は、辞退している為、最初は瑠璃だ。
「失礼します」
瑠璃は、そう言って自ら準備したドラムセットの前に立つ。目の前には、笠松と中北の2人。ふたりは、彼女を一点に見つめていた。
「2年3組、打楽器パート、古叢井瑠璃です!」
「古叢井さん、どうぞ」
瑠璃は、自前のスティックを構える。このスティックも優愛と遊びに行った時に買ったものだ。
そこで約束した。
ふたりでドラムを演奏したい、優愛に良いところを見せたい、と。
だが今年は、希良凛と共にオーディションという形になってしまった。
「では、イントロ前のドラムソロから…」
「はい」
瑠璃は、スティックを正眼に構えて、唇に付いた何かを舌で舐め取る。その時、瑠璃の中で何かが切れた。
クラッシュシンバルを叩いた。それが審査開始の合図になった。
タムを乱れ打った彼女は、シンバルからのアクセント、そしてスネアのロールを続けた。その音はどこか信念の奥に狂気を秘めていた。
しばらくして、瑠璃の審査が終わった。
「ふぅ…」
「先輩、お疲れ様です」
希良凛が、そう労いの言葉と共に会釈した。
「次はさっちゃんだよ。頑張って」
瑠璃がゆるりと口元に笑みを浮かべる。その柔らかい瞳は、優愛と何処か似ていた。
「ありがとうございます」
そう言って、希良凛は、自信を胸に音楽室に、入っていった。可愛らしい結ばれた深茶の髪が、踊るように揺らめく。
できることはやった、と瑠璃は壁に寄り添った。
刹那、シンバルの音が、廊下まで響いた。その音が彼女の審査の始まりを、示していた。
希良凛は、スティックを振りながら、自らの弟を想像していた。
髪を短く縛った女の子のような男の子。ひとつ下なのに、自分より優秀。そんな彼が、どこか憎かった。だからこそ、愚直に努力を重ねた。少ない時間で。
そうしてオーディションは、全て完了した。
翌日。
笠松が、音楽室に入るなり、部員のリストを前に出す。すると、部員たちは一斉にこちらを見てきた。
「はい、ソロオーディションの結果を発表します」
その時、室内に沈黙が走る。
「呼ばれた人は、確認の為に、返事するようにして下さい。いきます」
その言葉に、瑠璃は生唾をゴクリと飲み込んだ。
「まず、トランペット、横堀未玖さん」
「はい!」
「サックス、桐嶋篤哉君」
「はい!」
「トロンボーン、大越隆盛君」
「はい!」
「ホルン、花村理那さん」
「はい!」
「続いて木管です、フルート、香坂白夜さん」
「はい!!」
こうして呼ばれているのは、全員3年生だ。
「クラリネット、伊崎凪咲さん」
「は、はい…!」
その時、凪咲が大きな声で返事した。その声には、僅かに焦燥が秘められていた。突然、下級生が呼ばれたことに、ざわめきが起こる。
そうだ、と瑠璃は再確認する。このオーディションに、年齢は関係ないのだった。上手い者が選ばれ、技術が及ばぬ者は落選する。
年齢だけで驕っていた瑠璃は、少し恥ずかしくなった、と同時に怖くもなった。
「オーボエ、新村久奈さん」
「はい!」
「続いて、低音楽器です。ユーフォニアム、九石瞳美さん」
「はい!」
「チューバ、高柳実礼さん」
「はい!」
そうして、ついにドラムソロの発表に入った。
瑠璃は祈るように、両手を握る。その一方で希良凛は、合格を諦めたのか、瑠璃の方をちらりと見ていた。
「打楽器パート、ドラムソロ…」
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「指原希良凛さん」
笠松の声に、彼女の目が大きく見開かれる。今までに見たことのないほど、彼女の瞳孔は開いていた。
「……はい」
希良凛は、やっとの思いで返事をした。
えっ?嘘だろ、と瑠璃は心の中で、言う。その声は、驚くほどに冷たかった。心臓に強い衝撃が走る。その衝撃で二足よろめいた。
「そんな…」
落ちたと分かった瑠璃の第一声は、これだった。
「最後に、ビブラフォン、古叢井瑠璃さん、チェロパート、榊澤優愛さん」
そうして、手に握られた紙を、笠松はピアノの上に置いた。
「以上です」
その言葉は、瑠璃にとっては残酷そのものだった。
落ちた。ソロに選ばれなかった。ニブンノイチの戦いに敗れたのだ。
その意味を喉の奥で転がす。すると自然と嗚咽が出てきた。
泣きたくない、瑠璃はそう決意して耐えた。これは、今年度2度目のことだった。
瑠璃は練習終わり、人気のない所を歩いていた。そこは川沿いだった。黒鉄の波は、底なしの闇のようだった。しかし、突然、川に青い光が走る。
橋に止まった車のライトが当たったのだろう。
その時だった。
「瑠璃ちゃん」
聞き覚えのある声が、聴こえてきた。
瑠璃は力なく振り返る。
いたのは、息を切らした優愛だった。何故彼女がここに?
「優愛お姉ちゃん、どうしたの?」
「私、塾のコマを遅らせたからさ、少し話さない?」
どうやら、優愛は彼女の精神状態を心配しての事らしい。
2人は、その場に座り込んだ。優愛が、真っ黒なウインドブレーカーを瑠璃に着せる。
「寒くない?」
「うん。大丈夫だよ」
こうして優愛と、目的を持って話すのは、いつぶりだろうか?
「私、オーディション、落ちちゃった。努力が足りなかったのかな?」
瑠璃は堰を切ったように言う。だが、優愛の反応は意外なものだった。
「やめて」
「えっ?」
優愛が拒絶した。これは初めてのことだった。
「それは私のせいだね」
自傷するように言う優愛に、瑠璃は息を呑む。
「私のせい?」
「うん。私、ずっと前から瑠璃ちゃんが苦しそうなのに気付いてたのに、相談だって打ち明けられなかった」
「…」
瑠璃はつい黙り込んでしまった。まだ続きがある、そう分かっていたから。
「ティンパニの皮を破壊しちゃった時から、ずっと皮楽器を避けられてきて、思い通りにすらいかなくて辛かったことを、もっと早く聞いていれば…」
そうだ。優愛は予感は感じていたが、瑠璃の精神が崩壊するまで、放っていたことも事実だった。
「そうすれば、もっとドラムとか、早く教えられたのにね」
優愛の声が徐々に小さくなっていく。この言葉に瑠璃は異論は無かった。優愛の言う事は全て、自分が心のどこかで思っていることだと、分かっていたから。
実際そうだろう。万が一、ティンパニやドラムを教えるのが、数カ月早ければ、瑠璃の技術は、相当な技術を有していただろう。そうすれば、希良凛を超越した奏者になれていたかもしれない。優愛は先輩として、この事を重く見ていた。
自分がもう少し、早く瑠璃の思いを汲んでいれば…。
「瑠璃ちゃんは…、瑠璃は頑張ったよぉ」
そう言って真っ黒な瞳から、透明な雫を頬に流す。
「瑠璃のお陰で、私も楽しかったもん…。だから…」
優愛が泣いた。それを見て心臓がぎゅうと締め付けられる。
また辛い思いをさせてしまったのか。
「お姉ちゃんは、何も悪くないよ。私が演奏中、調子に乗ったから…」
瑠璃は、宥めるようにそう言って、必死に言い訳を探す。
その時だった。
「瑠璃に、何が分かるの!?」
優愛が声を荒げた。彼女が感情的になると、ここまで怖いのか。瑠璃は堪えられなくなり、大粒の涙を零した。優愛を怒らせてしまったことに、悔しくなったのだ。
「私がどれだけ瑠璃のことが好きで、約束だって死んでも守りたかった。約束が守れなくてどれだけ悔しかったか…!」
優愛はそう言って、崩れてしまった。
そうだ。文化祭以降、二度と2人は、同じ舞台で演奏ができないのだ。
「ごめんなさい…」
我儘で縛り付けた自分が一気に憎くなる。その時だった。優愛が瑠璃にしがみついた。そして、美しい表情をこちらに向ける。
「謝らないで」
しかし、瑠璃は大きく首を振った。
「お姉ちゃんを悲しませちゃった。私がバカな後輩だったせいで…」
「違うよ、瑠璃は本当にいい妹だよ」
「妹…」
そう言って、瑠璃は大きく抱きついた。
「悔しいよ」
「悔しいよ」
「悔しいよ」
「悔しいよ」
「悔しいよ」
「悔しいよ」
2人は続け様にそう言った。河川敷にふたりの少女の泣き声が響き渡る。だが、誰もそんなことに気付けなかった。
2人は、それぞれの後悔と痛みを吐き出すように泣いた。
守れなくて…、勝てなくて…、叶わなくて…、辛い感情が、とめどなく溢れた。
しばらくして、2人は泣きやんだ。
「…大丈夫?」
優愛が、ハンカチで瑠璃の目元を拭く。
「うん…。でもお姉ちゃん、それで塾行けるの?」
「うーん、多分、無理♪」
優愛は、敢えてなのか、元気そうに言った。
「あと2週間だね。茂華祭」
「うん」
ふたりは、立ち上がりお互いに笑い合う。
「あ、お姉ちゃん、いっこ言いたい」
「ん?」
すると、瑠璃の目にはまだ涙が、溜まっていた。
「お姉ちゃんと…」
ツインテールの髪が風で靡く。
「最後に、お姉ちゃんと…泣けて良かった。ありがとう、お姉ちゃん」
その言葉に、優愛は「いいえ」と笑う。優愛にはもう泣く気力が無いのだろう。
そうして、2人は、中学校近くの交差点で、別れた。
「はぁ、久し振りに泣いたなぁ」
優愛は、そう言ってスマホを取り出す。
時間は7時過ぎ。次のコマまでは30分ほどある。
優月と電話して、時間を潰そうか、と思った。
その時、脳裏に瑠璃の声が、響いてきた。
その場には居ないはずなのに。声は色濃く、残っている。ある言葉を聞いた優愛は、ふふっと笑った。
「私も幸せだったよ。瑠璃ちゃん」
幻聴か?テレパシーか?聴こえてきた言葉はこれだった。
お姉ちゃん、ありがとう
今までありがとう
しあわせだったよ
たのしかった
ありがとう。ほんとうにありがとう
その頃、瑠璃は家に着いていた。
「ただいま。お母さん、遅くなってごめんなさい」
「全く、どうしたのよ?」
「色々あって…」
こうしてオーディションは終わった。
現実は非情だ。無慈悲に本番の日が迫っていく。
それは、優愛との別れを意味していた…。
読んで頂きありがとうございました!
最終的に悲劇とは、オーディションに落ちてしまったことです。
作者の独断ですが、2人の技術は互角です。では、何が勝敗を分けたのでしょうか?
それは『音量』です。途中、瑠璃には音量に関する描写が多々ありました。音が大き過ぎて、音が汚いと、判断されたようです。
次回から瑠璃は、ビブラフォンの演奏に専念することでしょう。
優愛との物語もこれにて、お終いです。(いや要望があったら続き書こうかな?)
ありがとうございました!
良ければ、
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【次回】
『朝日奈先輩、殴り合いしたことあるんですか?』
向太郎、衝撃の過去




