白き少女の章
音楽室で、女装から着替えた優月は、げんなりとした表情で、教室に向かっていた。
人生初のメイド服と女装。クラスメートからは、意外にも大絶賛だった。
変な目で見られる訳では、無いから良いものの、少し恥ずかしいな、と思った。
「やっべ!」
その時、授業のチャイムが鳴り響く。次の授業の準備は済ましたものの、教室に入れなければ元も子もない。
そうして、教室に滑り込む。
「あっ」
しかし優月の心配は杞憂に過ぎなかったようだ。まだ担当の先生が来ていない。
その時だった。
「なぁんだ、着替えちゃったのか」
クラスメートの1人が残念そうに言う。
「逆に何で着替えないと思ったの?」
教科書を開きながら優月は、冷静に突っ込む。どうやら女装の反響は奇しくも高いようだ。
その時、鳳月ゆなに肩を叩かれる。痛い。
「お前、その女装で吹奏楽発表出ろよ」
「やだよ」
「広一朗に頼もっか?」
それは余計なお世話だ、と優月は顔を歪めた。そんなことをすれば、部員に何と思われるか?もしかしたら、定期演奏会にも支障を来すかもしれない。それだけは絶対に嫌だ。
だから優月は、必死に断った。
その日の放課後。
「ねぇ、ゆゆー!」
音楽室で、部員が来るまで、本を読んでいる優月に、珍しく話しかける人がいた。
「あ、朝日奈先輩!!」
そこにいたのは、チューバ担当の3年生、朝日奈向太郎だった。彼は、筋骨隆々、イケメンの男子の憧れを詰め込んだような男だ。
「ゆゆが、メイドやるって本当?」
開口一番、彼がそう言った。
「えっ…?は、はい」
優月は、小さく頷いた。誰が言った?先輩でなければ八つ裂きにしてやりたい、と意味の分からないことを心の中で、叫びながら、恥ずかしさを紛らわせた。
「可愛かったって、むっつんが言ってたぞ」
それを聞いて、優月は妄想をする。
ひとり暗闇の中、『ですよね~』と頭を抱えて絶叫する男の図。
5時限目の休み時間で、優月は女装の着替えをしようとした所で、むつみに見られてしまったのだ。
「は、はぁ…」
「なんか、お母さんみたいって」
「えっ?井上先輩のお母さんですか?」
「ああ。あ、お母さんっていえば、ゆゆに言っておかなきゃいけないことがあるなー」
「なんですか?」
優月は首を傾ける。
「田中が部活、辞めるかもしれない」
それを聞いて、優月は「ユーフォ」と反射的に言ってしまった。
「えっ…?てか何でですか?」
「ゆゆは、口堅いって、メイさんの件で分かったから言うけど、あいつの両親、亡くなってるんだ」
それを聞いた優月の眼球は、閉じられなくなった。衝撃に開いた口も塞がらない。
「で、引き取り先の親が、実子贔屓らしくて、吹奏楽も反対なんだと」
理由は分かった。胸糞悪い。
「あいつ、1人で全部やってきたんだ。学校からの往復。部費もアルバイトで稼いでいたんだが、そのお金も限界らしくてな。11月いっぱいで、辞めちまう」
「そんな…」
茉莉沙の時とは、訳が違う。これは止められないな、そう直感した。
「まぁあと4ヶ月で、俺も引退だがなぁ」
そう言って、向太郎はチューバを持ち上げる。優月は数歩、後ろへ下がった。
「そういや、ゆゆはどこ中だ?あのホルンの子と同じ中学校なんだろ?」
「えっと、茂華中学校です」
それを聞いて、向太郎はハッと顔を上げる。
「あぁ!むっつん達が、そのことで騒いでたな!」
そういえば、優月は思い出す。彼女は、やたら学校の吹奏楽事情に詳しかった。
「詳しいですよね。井上先輩は、中学の時から吹部だったんですか?」
優月は質問する。彼は何だか部員に、詳しそうだ。
「ああ、うん!ただ家では弓道やってたみたいだけどな」
しかし、優月はそれ程驚きはしなかった。想大から聞いている。
「弓道ですか…」
だが優月は、つい珍しい言葉を外に漏らす。
「おう。俺も結構通ってた。友達だと、結構入れてくれるんだよ。小学生の時から射ってたから、こんなに筋肉ついたー!」
そう言って、向太郎は嬉しそうに、筋肉が締まった腕を見せる。
その腕は、弓道で得たものか。と今更になって納得する。
「まぁ、中学では野球部にいたからってのも、あるがな」
彼は嬉しそうに目を細める。彼の真っ直ぐな笑顔は、人を気持ち良くさせる。
「えっと、吹部に入った理由とかは?」
「ああ、俺、高校卒業したら就職するんだ。だから、体力付けたほうが良いって理由で、吹部を始めたんだ。まぁ今となっちゃ、チューバも友達作るのも楽しいんだけどな!!」
その時だった。
ギイ…と扉が開く。
入ってきたのは、むつみと悠良之介だった。
「あれ?他の皆は?」
「文化祭の準備」
それを聞いて、優月は顔を真っ青にした。
「やっべ!!女装用の服取りに来いって、石田さんから言われてたんだった!!」
優月は、先程音楽室に、置いてきた紙袋を掴み、音楽室を飛び出した。
彼がいなくなると、むつみが向太郎に言う。
「彼と何話してたんですか?」
すると向太郎は、白い歯を煌めかせ「ちょっとな」と笑った。
「まさか…私のこと話したりしました?」
「別に。むっつんが、アルビノだってことは」
「良かった」
そう言って、白い髪をさすった。恐らく、部員には詳しい事情を知る者はいないだろう。
むつみは、生まれつき白い体をしていた。髪も白く、瞳は親の遺伝子なのか、紅い。個性が強い子供として、育った。
だが、小学4年生のある日。
『ねぇ、お母さん。どうして私、外に出ちゃいけないの?』
その日が休日で友達と遊びたかったむつみは、つい母に訊いた。
『言ったでしょう?あなたは太陽に弱いの』
『えぇ…』
『それに、紫外線を浴びたら、皮膚がんにかかる可能性があるんだから、駄目よ』
そんなこともあって、学校への往復も親の送迎だ。
『じゃあ、私はどうすればいいの?』
『弓道でもしてなさい』
『またぁ……』
このようなやり取りが連日続いたが、徐々に自分の体質に気づいてきたむつみは、何も言わなくなった。
そして中学1年生の春。
『運動部は、嫌だなぁ』
並の子供ほど遊ばなかった彼女は体育嫌いになり、部活も文化部を選んでいた。
その時。
『むつみちゃん』
小学校の1つ上の親友のが、話しかけてきた。その手には、真っ黒なオーボエが握られていた。
音楽室の近くのベンチで、ふたりは話すことにした。
『部活は決まったの?』
『ううん。ぜーんぜん!』
『運動部は見た?』
『私、走りたくない』
それを聞いて『そうだったね』とその友達は苦笑した。
『じゃあさ…』
その時だった。
女の子の顔色が、真っ青なものに変わる。
『ごめんっ!』
その時、手で抱えていたオーボエを、むつみに突き出す。
『ちょっと、吹いてみて』
そう言われ、むつみは渋々オーボエを受け取った。
『すーっ…』
むつみは、リードを震わせる。その時、温かい音が鳴った。
『えっ?すご!』
それと同時に、誰かがそこを通り抜けた。その足音は、音楽室の前で消える。
『ふぅ…良かった…』
『今の誰?』
すると彼女は『顧問』と答えた。
『うちの顧問、ちょー怖いから』
と苦笑するので、むつみもつられて苦笑した。
『…ってか、今、音鳴らなかった!?』
『えっ…?そう?』
『なんでオーボエが吹けるの!?』
『えぇ…』
むつみは再びリードを口に加える。そしてゆっくりと息を吹き込んだ。すると微かにも音が出た。
『やっぱり出るじゃん!』
『えぇ…。私、凄い』
『むつみ、吹部入ってよ』
その勧誘にむつみは、うんと頷いた。
『別にいいよ。どうせ家にいても、弓道しかしないしね。先輩』
と言って、再び白い歯を見せて笑った。
これが、オーボエを始めたキッカケというものだ。
「…てか、今は傘無しで歩いてるよな?」
向太郎が言うと、
「そう?」
とむつみが誤魔化すように言った。
「それより、向太郎先輩無しで、文化祭の準備、終わるんですか?」
「まぁ、大丈夫だろう。うちのクラスは優秀だからな」
そう言って彼が笑うと、むつみもつられて笑みが溢れた。
間もなくして、残った3人は、先に各々練習を始めた。
その頃。1年1組。
「やっぱ、可愛い!!」
「想大!しつこいぃ!」
メイド姿にさせられた優月は、相変わらずの人気を得ていた。
「…ちょっと、優月君が困ってる」
学級委員長の言葉で、やっと彼の暴走が収まった。
「で、看板書けばいい?」
優月は逃げるように、彼女に歩み寄る。
「うん。いいと思う。で、着替えてもいい?」
「いいよー」
そうして着替えた優月に、一本の電話が掛かってきた。
これが、あの悲劇に繋がる扉を開くことに、なるなんて…。
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【次回】
瑠璃が…




