究極アンサンブルの章
※この物語はフィクションです。
※人物、学校、団体名は全て架空のものです。
「齋藤さん、もう少し音力を上げてみてー」
「はい」
東藤高校の音楽室。
狭い音楽室には、所狭しと楽器が詰め込まれていた。エアコンがついているものの、暑さを感じる。
「明作さん、そこの太鼓は、あんまり強くなくて大丈夫です」
「はい」
「所で、トロンボーンまでは、間に合いそうですか?」
「はい。大丈夫です」
この明作茉莉沙という少女は、トロンボーンパートの2年生だ。そんな彼女は元パーカッション奏者で、人手が足りない時には、度々打楽器へ派遣されるのだ。
「鳳月さん、ロールの速度を、もう少し速めてくれません?」
すると鳳月ゆなという女の子が、スティックをすとんと落とすように振る。
パラパラパラパラ…と細かい粒が絡み合うような繊細な音が響く。
「こう?」
「そうそう!そんな感じで」
ゆなは、それだけ言われると、すとんと椅子へ着地した。
鳳月ゆなは、基本相手に敬意を、払わないことで有名だ。また正直過ぎるところも、部内では、大きく目立っている。
「それでは、Gからもう一度!」
『はい』
各々が、振られた楽器を構える。
「懐かしいなぁ」
そんな中、1人、過去を思い出すように、顧問の指揮を、見る者がいた。
夏矢颯佚。凄腕のサクスフォン奏者だ。彼より上手いサックス奏者は、高校内では、いないだろう。
颯佚のサックス、茉莉沙のトロンボーン、雨久のトランペット、ゆなの太鼓が、この吹奏楽部の合奏を支えていると言っても、全く過言では無い。
練習は、本来5時30分までだが、本番を控えて、6時30分に延長された。
「あぁ…。疲れた」
ホルンを片付けながら、小林想大が、そう言った。
「そうだね。夏のコンクールでやる曲の練習ばっかりだもんね」
小倉優月も、それに同意した。
「さて、今日は休むかぁ」
優月は、そう言って背伸びする。関節に溜まった疲れが、無音でスルスルと抜けていく感じがした。
「ドラムやらないのか?」
「うん。たまにはね」
優月は練習後、1人、ドラムの裏稽古をしているのだが、今日はしないようだ。
「珍しいなぁ」
「それもそうだね」
優月は、そう言って、リュックを持ち上げた。
その時だった。
ポロンポロンと、ピアノの音が聴こえてくる。素朴な音が喧騒を響き抜ける。
「誰か、弾いてるのかな?」
「朝日奈先輩や初芽先輩でもないよね」
そう2人は、くるくると視界を回転させる。
黒板前のグランドピアノからでは、無かった。
「あっ!」
刹那、優月が、ドラムやビブラフォンが置かれている方へ歩き出す。そこでアップライトピアノをそっと弾く者がいた。
「明作先輩」
優月が、小さく声を発した。
すると、
「っ!」
と茉莉沙は、恥ずかしそうに、こちらを見た。
「わぁ!明作先輩、ピアノ弾けるんですか?」
遅れて、想大が踏み込む。
すると、茉莉沙の深紅の瞳が、少し煌めく。
「全然。ピアノやってたわけじゃないの」
彼女はそう答えた。
「でも、上手いですね」
黒鉄色のピアノに、楽譜は無かった。それでも、音楽を奏でられるのは、凄いことだ。
「ありがとうございます」
褒める優月に、茉莉沙は、そうあしらった。
「何の曲、弾いてたんですか?」
「内緒」
そう言って、茉莉沙は静かに、蓋を閉めた。まるで鍵盤の中に詰め込まれている真実を隠すかのように。
その日の帰り、優月は、茉莉沙のことについて、考えていた。
「やっぱ、鍵盤楽器が一定できると、ピアノができるものなのかな?」
優月がそう言うと、想大は、
「かもな」
と言う。
「てなると、古叢井さんも、ピアノ弾けるんじゃない?」
「ウッ!」
その名に、想大が気まずそうに、視線をそらす。
彼は、古叢井瑠璃という中学2年生と、両思いなのだ。
「瑠璃ちゃんが、ピアノかぁ」
想像してみると、なんだか可愛らしいな、と想大は赤面した。
「最近、古叢井さんと話したの?」
「うん。昨日。新しい後輩ができたって」
「へぇ。後輩かぁ」
まさか、瑠璃にもできるとは。
瑠璃は、素は大人しめな女の子だ。楽器と優愛が絡まなければ、の話だが。
「でも、どんな人なんだろう?」
ふと、そんな疑問が、脳裏によぎる。
「ああ、小学校でも吹奏楽やってた子だって」
「そうなんだ!じゃあ、その子のほうが上手いんだね」
そんなことを言う優月に、「どうだろうな」と想大は言った。
最近分かってきた。彼の成長は恐ろしいな、と。
顧問の井土からの、指導は多いものの、必ず数日内にはモノにする。というのも、彼は、努力を諦めない。最後まで自分を追い込んでまで練習することが多い。その賜物だろう。
彼のその姿を見ているからこそ、想大は、ホルンを頑張れている。
「控えめに言って、優愛ちゃんに遅れを取る程の実力では、無いと思うよ」
想大はそう言って、優月の肩をポンポンと叩く。
「そ、そう?」
「うん。それに、優月君は、遅くまで練習してることも多いじゃない」
「それは、楽しいからだよ」
優月は、頬を少し赤くする。
自分でも、驚いている。こんなに深く打ち込めるなんて。
翌日。
茉莉沙は、いつものように、見晴らしの良い裏庭でトロンボーンを吹いていた。
白いシャツを捲った腕には、消えかかった傷。
しかし、それをもう気にすることはない。
(絶対に銀賞!)
そんな茉莉沙は、今まさに、自らを限界まで追い込んでいる所だった。
銀賞獲得!
というのも、東藤高校は、ここ数年銅賞しか獲得できていないからだ。
吹奏楽コンクールでの銅賞は、1番下の賞だ。吹奏楽がそれ程、盛んではないことも原因のひとつだろう。
そんな時だった。
「明作先輩」
誰かが、話しかけてきた。その声はあまりにも落ち着いていた。相手の胸元を見ると、金色のサクスフォン。
「齋藤さん!」
茉莉沙は、そう言って、相手に足を向けた。
入部直後もこんなことが、あったな、と思いながら。
「菅菜先輩じゃないですよ」
「あっ。夏矢君か」
茉莉沙の瞳が少し、丸みを帯びた。
「先輩、どうやってトロンボーンを、練習してるんですか?」
彼も練習の途中だったらしい。
「私の場合、基礎練習が多いのかな」
「基礎練習ですか…」
「はい」
茉莉沙は落ち着いた声で頷いた。
「あとは、友達に教えてもらったり」
「友達?」
すると、茉莉沙が楽譜に隠したノートを、手に取る。
「そう。トロンボーンが上手くて、大切な友達」
彼女が、そこまで言うとは、と颯佚は思った。
その時、夏には珍しいひんやりとした風が、2人の間を吹き抜けた。
「その人って…楽団の?」
「私が組織にいた時の、友達」
彼女の言う『組織』は『御浦ジュニアブラスバンドクラブ』のことだ。世間では『御浦楽団』と言われているが、あまり馴染めなかったことから、組織と呼ぶことが多い。
彼女は、そこでは打楽器をやっていて、トップレベルだった。それをキッカケに、様々な伝手や友達ができたのだ。
「そうです」
茉莉沙は、それだけ言って、楽譜をめくり始めた。しかし、ノートを手に取った彼女の手が、止まる。
そして、
「ちょっと、遊ばない?」
こう言った。
「あぁ。いい…ですよ…」
あれ?こんなこと誰かが言っていたような…?
颯佚の中で、その言葉が強く引っかかる。
しかし、彼はいつも通りに、サクスフォンを構えた。それを見た茉莉沙は、ノートに描かれた譜面を見せる。
〚泡沫の鯨〛
譜面には、そう書いてあった。
譜読みがされた楽譜を、茉莉沙と颯佚は、吹き始める。2人の能力の高さか、速攻で音程が取れる。
(吹きやすいな)
颯佚は、音を感じながら、そう思う。
青空へ、2つの柔らかな音が、響いた。
その頃、音楽室。
「井上さん、なっつんとメイさん、呼んでー」
井土がそう言った。
すると、井上むつみが「はーい」と電話をかける。
しかし、何故か今日だけは早く出ない。
「どう?」
そこに、フルート担当の初芽結羽香が、顔を覗き込んでくる。
「初芽。出ない」
むつみの赤い瞳に、心配が宿る。
「直接、行ってくるね」
初芽は、そう言って、音楽室を飛び出した。
「夏矢君、今日も外なんだ…」
優月がふとそう言った。颯佚は、普段、菅菜と練習しているのだが、最近は、音程の確認をしたいと、ひとり空き部屋か外で、練習している。
初芽は、靴を履き、裏庭の方へと、走り出す。
「茉莉沙、携帯鳴ってるの気づかなかったのかな?」
その時だった。
滑らかなふたつの音。トロンボーンとサックスだ。
「えっ?茉莉沙、夏矢君と一緒?」
しかし、聴こえてきたのは、聴き馴染みのない曲。その音楽は、どこか寂しさを秘めていた。
しかし、その音楽で脳が揺さぶられるのを、感じた。
「茉莉沙!」
初芽が、彼女へ話しかける。
すると、茉莉沙と颯佚は、こちらを振り向いた。
「あっ、茉莉沙。ごめん、気付かなかった」
茉莉沙は、そう言って、ぺこりと頭を下げた。
「な、何、吹いてたの?」
「泡沫の鯨だよ」
「夏矢君も?」
すると、颯佚が「はい」と頷いた。
それにしても、上手い。
聞けば、吹いて十数分だったらしい。
元強豪出身は、ここまで凄いのか、と思う。
しかし、吹奏楽は何も、上手ければ、良いという訳では無い。
それをもうじき、分かることになるだろう。
読んでいただき、ありがとうございました!
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