立夏青春の章[茂華中編]
今回は、茂華中学校の物語です。
※この物語はフィクションです。
※人物、学校名、団体名は全て架空のものです。
7月に入り、制服も涼し気な白いシャツになる頃には、吹奏楽部は休日練習に、入っていた。
「田中ー、おはよ」
「おはようー。朝日奈」
今は朝の8時30分。開始は9時からだから、少し早い。
「田中は、早いな。来るのが」
「毎朝、早起きして自転車で来てるからね」
と美心は悲しそうな目をした。
「どうした?」
それに気付いた向太郎は、端麗な瞳を彼女へ向ける。
「別に」
しかし、美心はそれだけ言って去っていった。
(田中って…)
そんな彼女を、向太郎は密かに、気にかけているらしい。
その頃、最寄りの駅を降りた優月と想大は、学校へ向かって歩いていた。
「1日練習とか、マジかよぉ」
想大が、げんなりとした表情で言う。要するに面倒くさいのだ。
「まぁまぁ。周防先輩や井土先生が、優しいんだし良いじゃん」
優月が、なだめるように事実を、述べる。
「それに、最近、ホルン吹けるようになってきてるよ」
小林想大。彼の楽器はホルンという金管楽器だ。吹くのが難しいと、ギネス世界記録に載ったまである有名な楽器だ。
「優月君だって、ドラム安定してきてるじゃん。元からだけど」
「元から?それって、褒めてるの?」
「褒めてる褒めてる。だって筋良いって、この前、井土先生に、言われていたじゃん」
「まぁ、言われたけど」
優月は、『上手い』と言われても、あまり何とも思えない。上には上がいると、これでは満足する演奏はできないと、分かっているからだ。
何より、これでは、優愛の足元にも及ばないだろう。
「うまくなりたい」
優月が、真夏を伝える青い空を、見て、言葉を零した。
「あ…!そういえば、古叢井さんとは、どうなの?」
その時、彼が想大に、視線を移す。
「瑠璃ちゃんも、今日も練習だって」
「半日?」
「いや、1日」
それを聞いた優月から、思わずフッと笑みが浮かぶ。
「負けてられないな!!」
そう鼓舞するように、想大の肩を叩いた。
「痛いっ!」
2人の笑い声は、青い空を彩るように、響いた。
その時。茂華中学校吹奏楽部。
多目的室へ楽器を運ぶ最中だった。
「毛布を敷いたので、楽器を運んでください!」
部長の香坂の指示に、部員全員が慌ただしく動く。
「瑠璃」
「凪咲ちゃん、どうしたの?」
譜面を持った少女同士が、見つめ合う。
「瑠璃は、今日誰かと、お昼食べる予定ある?」
「ないよ」
「じゃあ、一緒に、中庭で食べない?」
「いいよ」
凪咲の「ありがとう」の言葉で、2人は別れた。
「あっ、瑠璃さん!」
その時、1年生が駆け寄ってくる。
「さっちゃん。どうしたの?」
その1年生の名前は、指原希良凛。瑠璃の後輩で彼女と同じ打楽器の子だ。
「あの…」
希良凛が何かを、言おうとしている。しかし、よく聴こえない。
瑠璃は「どうしたの?」と首を傾ける。
その時だった。
「瑠璃ちゃん、さっちゃん、大丈夫?」
優愛という女の子が、話しかけてきた。彼女は2人の直系の先輩だ。
「あの!グロッケン運ぶの手伝ってくれないでしょうか?」
その時、指原が大きな声でそう言った。
「ああ。大丈夫だよ」
そう言って、優愛と指原は、とことこと廊下へ踵を返していった。
こうして、ひとり残された瑠璃は、小さくため息をついた。
何だか毎日そんなやり取りが続いている気がする、と瑠璃は楽器を準備しながら、心のどこかでそう思っていた。
その時だった。
1人の男性が、多目的室へと入ってくる。それと同時、辺りが静かになる。
「誰?」
彼を知らない希良凛は、首を横に傾けるばかりだった。
その男性は、漆黒の髪に、端麗な瞳、少し焼けた肌に似合う黒いメガネと、真面目そうな印象を、与えた。
「はい!皆さん、ちゅうーもーく!」
その時、顧問の笠松が、パンパンと手を叩く。
その声と拍手に、部員から一斉に、注目を浴びる。
しかし、笠松は一切動じること無く、口だけを開いた。
「今回の講師を紹介します」
そう言って、あの男性を手のひらで示した。
「尾瀬川慎太郎です。よろしくお願いします」
彼は、尾瀬川慎太郎と名乗った。
「尾瀬川先生は、木管と打楽器の担当講師です」
すると、申し合わせたかのように、
「起立!」
と部長の香坂が、声を張り上げる。
『はい!』
「よろしくお願いします!!」
すると、香坂に負けぬ声で、
『お願いします!!』
と部員一同が、挨拶をした。
「…あのひと」
その時、希良凛の瞳が、少し揺れた…気がした。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
そう言って、尾瀬川は、にこりと微笑んだ。
彼の端麗な瞳からは、自信が溢れていた。
時は進み、合奏が始まった。曲名は『メトセラⅱ』という曲だ。オーボエや和太鼓が印象的で、難しいと言われる曲だ。
だからこそ、彼を呼んだのだろう、と合奏を進めていく内に、部員は分かっていった。
「指原さん、そこのスネアのロールが、少し緩いですよ」
「は、はい」
「榊澤さん、ティンパニの跳ね方が、大きいです。それほど大きくしなくても、音は作用します」
「はい!」
「古叢井さん、ビブラフォンの速度が、速くなってます。よく聴いてください」
「はい」
ソロの部分でもまたしても、指導が始まった。
「新村さん、音は良いのですが、もう少し大きくして下さい!ソロは、音量も肝心です」
「はい」
オーボエ担当の3年生、新村久奈も、徹底的に指導を受けられた。
瑠璃が、ソロの指導を見ながら、結われた髪を、いじっていると、
「相変わらずだなぁ」
と誰かが言った。
その人物は、またしても希良凛だった。
気になった瑠璃は、希良凛へ少し近づく。
「知り合…」
しかし、質問の声は、厳かなオーボエの音波に掻き消された。
正午。一旦、昼休憩の時間になった。
「瑠璃、一緒にご飯食べよう」
クラリネットパートの友達の伊崎凪咲が、トートバッグを手に、話しかけてくる。
「うん。いいよ」
優愛は、希良凛とわいわいと話していた。あの様子なら、2人きりで食事は無理だろう。
教室棟と実習棟を繋ぐ連絡通路に、腰掛け、2人は弁当を食べていた。
「尾瀬川先生、厳しいね」
ふと凪咲がそう言った。
「そうだね」
「で、夏祭り、誰と行くの?」
凪咲が、話題を変える。
「えっ?うーん。想大先輩は、小倉先輩と一緒に行くだろうし」
「榊澤先輩は?」
「優愛ちゃん…か。最近、相手してくれないんだよね」
「うそぉ。この前、榊澤先輩言ってたよ。瑠璃ちゃんにドラムやらせたいから、練習させてるって」
「うん。塾じゃない日も、遅くまで教わってるよ」
「でしょう?」
その時、瑠璃が空の弁当箱を、膝の上へ落とす。痛い。
「そういうことじゃないの」
「えっ?」
「それは前まででしょ?最近は違うもん。さっちゃんが入部してから、相手してくれなくなったもん」
「それは、希良凛ちゃんに、色々教えなきゃいけないからでしょ?」
「それなら、私にだってできるもん」
なのに…と瑠璃は、小さな肩を震わせる。
そんな彼女に、凪咲は肩をすくめ、
「不満なの?先輩も、後輩も、相手してくれなくて」
と言い放った。
「うん」
しかし、瑠璃は黙るように頷くばかりだった。
その頃、空き教室のテラスに、座りながら、榊澤優愛が指原希良凛と話していた。
「えっ?希良凛ちゃん、弟君いるの?」
「はい。指原莉翔って言うんですけど…。私、結構、親から弟と、楽器で比べられちゃうんですよ」
「ひどいね」
優愛はそう言って、白い箸をそっと置く。
「彼も、同じパーカッションなんですけど、莉翔は御浦の楽団で活躍していて」
「すごいんだね」
「はい。御浦の中学校は、吹奏楽がそんなに強くないので、強くて近い茂華に」
「上手くなりたくて入ったんだ」
すると、希良凛の瞳に、光が宿る。
「私、自分が楽しいことは本気で楽しみたいんです!だから、もっと上手くなりたいんです!」
「そっか。ねぇ、どうして瑠璃ちゃんを、避けてるの?」
そう言った優愛の瞳が、少しだけ鋭くなる。
「いや、ティンパニ破壊したって噂を聴いて、本当は怖い先輩なのかと…」
「それはもう大丈夫だよー!」
瑠璃は、去年にティンパニを破壊する『ティンパニ破壊事件』を引き起こした。あれ以降、皮楽器を任せられる機会が、めっきり減ったが。
「あれから瑠璃ちゃん、反省してるんだよ。別に怖がること無いよ」
優愛の瞳が、再び柔らかくなると、希良凛は、良かった、と言った。
「練習終わったら、準備室に来てみて。瑠璃ちゃんいるから」
「はい!」
希良凛は、そう言って、青い空を見つめた。
雲ひとつない、うるさいくらいに真っ青な空。
それから、3時間の猛練習を、終え、優愛と希良凛は、廊下を歩きながら話していた。
「瑠璃ちゃんも、そこそこドラムできるから、教えてもらいな」
「そこそこ、ですか?」
「うん。私が教えたの。瑠璃ちゃん、本当は優しい子だから、大丈夫だよ」
希良凛は瑠璃と話したことが、あまりない。
だからこそ、いつもより緊張した。
希良凛は、小部屋に入る。そこには、ぽつんと佇む真っ黒なドラムセット。
その前に座っていたのは、瑠璃だった。
「あっ…」
「あっ…」
2人は気まずそうに、目を合わせる。しかし、それを崩したのは、瑠璃本人だった。
「ドラム、やる?」
瑠璃がそう言った。その言葉を皮切りに、希良凛の目が光る。
「は、はい!」
希良凛がそう答えると、「おいで」と瑠璃は笑った。
すると、希良凛はドラムセットの椅子に座る。そして、マイスティックを、手渡した。
「適当に叩いてみて」
瑠璃の言葉を受け、希良凛はスティックを振る。
ツッツッパンツッツッパン!
高らかにドラムを響かせる。
「うまい…」
だが、古いドラムセットだからか、少し迫力がない。
少し経つと、スネアで、パラパラパラ…とロールを刻み始めた。
「上手だね」
「ありがとうございます」
瑠璃の目は、いつも以上に和やかで、優しかった。
希良凛がタイミング良くバスドラを踏む。するとメーカーの描かれた漆黒の打面の移す光景が、小さく揺れる。
すると、ドゴ!と掠れた太鼓の音がする。ロータムという太鼓を叩いた音だった。
「ごめんね。それ、音が変でしょ?」
瑠璃が、ばつが悪そうに笑った。
「大丈夫です」
すると、希良凛がスティックで、ロータムを連打する。
音がまばらで未熟さを感じるが、瑠璃は、可愛いな、と思うだけだった。
「そういえば、聞こうと思ってたんだけど、尾瀬川先生のこと知ってるの?」
すると、希良凛は手を止め、ニコッと笑う。
「はい。私の小学校にも、度々来てた人なので」
「そうだったんだ」
そういえば彼女は、元々小学校でも吹奏楽をやっていたな、と思い出す。
しばらく話していると、あっという間に30分程が経っていた。
「私ね。本気で金賞獲りたい!だから、頑張ろうね」
瑠璃がそう言った。
「私もです」
希良凛も同意する。その目は信頼に満ちていた。
「よろしくね」
「はい」
そう言って、瑠璃と希良凛は、笑い合った。
それをドア越しに見ていた優愛は
「よかったね」
と笑った。
そして、この2人が奇跡を、起こすのだ。
いよいよ、夏のコンクールが始まるのです…。
瑠璃と希良凛が、仲良くなれてよかったですね。
因みに、優月の実力は、いずれ希良凛を超えます。
ありがとうございました!
良かったら、
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