演奏と入部の章 [前編]
「…へぇ。お父さんがフルート奏者だったんだ…」
明作茉莉沙が、鉄骨の階段に座り込み、そう言った。
彼女は,部内で唯一のトロンボーンの担当で、学校の裏の庭でトロンボーンを練習していた。
「はい。だから,もし吹部に入ったらフルートやりたいなぁ…って思ってまして」
1年生の岩坂心音はそう言うと、短い髪をバサバサと掻いた。
「…良いんじゃない。初芽に話しを通しておこうか?」
茉莉沙がそう提案した。
「あの…初芽と言うのは?」
「初芽結羽香。私の友達でフルート担当してる」
彼女がそう言うと、心音が小さく頭を下げる。
「えっと…お願いします」
すると、茉莉沙は「分かりました」と首を縦に振った。
茉莉沙の綺麗で美しい顔立ちは彼女へ安心感を与えていた。
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ー音楽室ー
「…す、すごいね」
ホルン担当の周防奏音が目を輝かせそう言うと、女の子は
「ここの人間が下手なだけ」
と冷たく振りほどいた。
この女の子は,先程までドラムを叩いていた。
「…なんてね。」
女の子は,小さくお辞儀をする。
「私は,鳳月ゆな。宜しく」
その女の子は鳳月ゆなと名乗った。
「鳳月…さん、凄いですね」
奏音がそう言った。
まるで,バンドマンかのようなパフォーマンスにその場にいた全員が圧倒されていた。
ゆなは「ありがと」と頭をぺこりと下げる。
「…経験者か?」
夏矢颯佚が訊ねる。
「…別に」
ゆなはドラムスティックを指でクルクルと回しながら,そう答えた。
「…私,中学では、吹部に入ってなかった。ドラムは習ってただけよ」
「…へぇ」
美心が,そういうことか、と言わんばかりに言った。
彼女も入部するのだろうか?と優月は気になった。
鳳月ゆな…。もしも彼女が入部すれば…。
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「そろそろ、合奏だ」
茉莉沙がそう言って、腰を上げる。
「…あの,ありがとうございました」
ぺこりと、心音が頭を下げた。
「…どうも。入部待ってますね」
その言葉を残して、茉莉沙は昇降口へと姿を消して行った。
茉莉沙、初芽…。いずれも初めて聞く名前だった。
「…端から入る気なかったけど…ちょっと興味出てきたな…」
明作茉莉沙ー。魅力的だな、とさえ思った。
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「氷空ちゃん、上手いねー」
雨久がそう言って、彼女の頭を撫でる。
「ありがとうございます!」
黒嶋氷空という女の子がてへへ…と笑う。
「…私、中学でもペットやってたんですよ」
「へぇ~」
雨久がそれを聞いて、口元に笑みを浮かべる。
「氷空ちゃん、他に候補ない?」
「え?なんのです?」
「部活」
すると氷空は紺青の瞳を、雨久へぶつける。
「無いです。吹部一択です」
「…嬉しい!!」
雨久はそう言って、目をキラキラと光らせた。
こうして…勧誘して初の彼女の入部が決定した。
―翌日―
「入ったんだねぇ…」
川又悠良ノ介が銀色に光るユーフォニアムを抱えて意外そうに言った。
「よかったじゃん」
そこに、1人の女の子が入り込んでくる。
「…うぉぉ…むつみ…」
彼の後ろに立っていた女の子は、特殊な容姿をしていた。
「…その恰好、やっぱかっこいいな…」
すると、その女の子は不機嫌そうに,フンと鼻を鳴らす。
「これが元の容姿なんだから」
彼女の容姿は、雪のような真っ白な髪、髪の毛先も整っていて、細い前髪はサーベルを想起させてくる。瞳も赤く光り輝いていた。
まるで、アニメの中から出てきたようだ。
この女の子の名は、井上むつみ。
「…通る通る」
そう言って、むつみは椅子と椅子の狭い空間を通り抜けていった。
「…そうだな」
むつみの事を知っているのだろう。悠良ノ介は口元に柔らかい笑みを浮かべた。
だが悠良ノ介は何かに気付いたように、目の色と声色を変える。
「てか、ユーフォ誘えよ!ユーフォ!」
ユーフォとは,ユーフォニアムの略称である。
「嫌よ。オーボエ誘うんだから」
「…頼む―!むつみ、上手いんだから、オーボエは1人で良いだろ!」
「それならアンタは3人分、練習して何とかしなさい。私は頑張って誘うから。嫌なら頑張って誘いなさい!」
そう吐き捨ててむつみは楽器庫の扉をバタンッ!と勢いよく閉めた。
「…はぁ」
辛辣な彼女の言葉に、悠良ノ介はハハハ…と打ちひしがれた。
「失礼します」
すると、1人の男の子が音楽の扉をゆっくりと開ける。
「…来た来た」
そう周防奏音がボヤいた。
「夏矢君、こんにちは」
「こんにちは。周防先輩。少し気になったんですが,トロンボーンの部員はいないんですか?」
「…えっ?め、明作さん…」
奏音がたじろつく。すると颯佚が肩をすくめる。
「いるにはいるんですね」
「…い、いるよ。ど、どうしたの?トロンボーンをやりたいの?」
「…いえ」
颯佚は、そう言って、1枚の書類をファイルから抜き出す。
「…言っておきますが、俺はサックスをやります。前の神平中でも、やっていたので…」
「…へ、へぇー…」
奏音は落胆したように肩を落とした。
それと同時、何故,出身中学校を?と気になる。
「…神平!マジ!?」
その時、鋭い声が響く。
その声の主はむつみだ。
「神平中って吹部の超強豪校でしょ!」
むつみが叫ぶように言うと、奏音はそうなんだ、と目を丸くした。
「はい…」
その反応を待っていたかのように、颯佚は口元にうっすらと笑みを浮かべた。
「…は、入るの?」
むつみがそう言うと「入部届けを先生に渡しに来たんです」と入部届けを突き出した。
「…今年は奇跡だ」
むつみが嬉しそうにこう言うと、颯佚が「先生は?」と訊ねる。
「…まだ一度もここの顧問に会っていないんですよ…」
困ったように颯佚が言うと、奏音が、
「…職員室かな」
と返した。それを聞いた彼は、音楽室から出ていった。
そんな彼と入れ替わりに、今度は優月が音楽室に入ってきた。
「…あれ、鳳月さんは?」
田中美心が彼へそう尋ねる。
「…今日は見てないです」
優月はそんな彼女に首を左右に振って返した。
「こんにちは」
すると、もう1人の女の子が彼へ話しかける。
「…!」
後ろを振り向くと、真っ黒な髪を肩まで垂らし目をキリッとさせた女の子がいた。
「…初芽」
むつみがそう言うと、初芽結羽香は手を上下に振る。
「そこの子、フルート興味ない?」
「…っぇ」
優月は困ったように眉をひそめた。
「…すみません。ないです」
そう断ると、初芽がそっか…と残念そうに頭を押さえた。
強引に勧誘しない辺り、良識ある人なのだろう。
「…小倉君が入れば、フルート3人になってたんだけど…」
「…3人ですか?」
少し引っ掛かった優月が首を傾げる。フルートは初芽結羽香だけでは無いのだろうか?
「…うん。1人、入ったの」
それを聞いて「へぇ…」と感心した。
「…部活はここ?」
初芽が『吹奏楽部には入るのか?』と訊ねた。
「…まだ考え中です」
「そうなんだ。入部、待ってるからね」
そう言って彼女は去っていった。
「…」
優月は少し沈黙してしまった。なんか申し訳ない。
「何やってるの?」
その時、誰かが彼の沈黙を打ち破るように、話しかけてきた。
「…あ!」
その人物は鳳月ゆなだった。
「…鳳月さん。ちょっと考え事してた」
そう言って少し青みがかった地毛の髪を掻いた。
するとゆなが、へぇ…と目を丸くする。
「考え事するんだ。お前、頭悪そうだから考え事できないと思ってた」
「…っえ」
突然、貶されたことに彼は、戸惑いを隠せない。
「…あ、頭悪そうに、見えたんか…」
しょぼんと優月は落ち込んだ。
しかし、ゆなは何も言わず,ドラムを打ち始めた。
何度見ても、凄い。それは、自分が凡人だからだろうか?
「…あっ」
それを見て誰かが言った。
しかし、その人物はトロンボーンケースを手に音楽室を去って行った。
(…はぁ)
茉莉沙の脳内で何かがフラッシュバックする。
「…今も続けていればあんな風に叩けていたのかな…?」
茉莉沙はそう言って、過去を憂うように小さな手で顔を仰いだ。
この時、明作茉莉沙が恐ろしい存在に進化するということを,今はまだ誰も知らない。