第17楽章 春に輝くピアノの音
「…鬼女って、嫉妬や怨念によって人間(女性)が鬼へと変貌した姿を言うらしいよ。あと鬼のように冷酷で、恐ろしい行いをする女性を指す比喩表現にも使われてるみたい」
「…へぇえ」
自己紹介の日の帰り。優月は瑠璃とふたりで帰っていた。
「…確かに鬼女って、鳳月さんっぽいや」
「そうなの?」
「…うん。鳳月さん、冷酷なところあるし」
優月がそう言って、スマホをポケットへ隠す瑠璃に言った。
「瑠璃ちゃん、友達と帰らないの?」
その問いに、彼女は首を横にふった。
「私も最初はね、そのつもりだったんだよね」
「最初は?」
優月が首を傾げる。すると彼女の小さな指が指に絡まる。そして不安そうな顔をした。
「…私、吹部に入るんだったら、家のことはちゃんとやって、中学みたいにほったらかしにしないで、って言われちゃったんだよね」
「あー、そういうことね。手伝いしなきゃだから、早く帰るってことね…」
納得した優月はそう言って、夕日の混じる青空を見つめる。これから、まだまだ日照時間は伸びる。
「…うん。それにね、」
「?」
「私の妹が吹奏楽を始めちゃったから」
「えっ?中学生の妹さん?」
「違うよ、樂良」
「樂良…小学生の方か…。いいなぁ、小学生から吹奏楽はじめてて」
すると瑠璃は小さく笑う。
「小学生のときから基礎ができてたら、たぶんですけど、ゆな先輩よりうまくなってたと思うよ」
「そ、そう?自分でもそう思うんだけど…」
「でも、茂華中に入れば必ずうまくなる、って訳じゃないんだよね」
しかし瑠璃は肩をすくめてそう言った。
「…希良凛ちゃん、覚えてる?」
「うん、話したことあるから、覚えてる」
希良凛とは指原希良凛だ。瑠璃の1個下の後輩なので、今は中学3年生だろうか。
「…あの子ははっきり言って、基礎で止まってる。難しい応用は必ず引っ掛かってる。それはね、向上心が少ないからだと、瑠璃は思うんだ」
「へ、へぇ…」
(確かに…)
瑠璃の言うとおりだ。向上心がなければうまくなれない。それは広一朗も言いそうなことだ。
「…でもね、優月先輩には向上心がある。だから、何回引っかかっても、優月先輩ならやり直せると思うよ」
その言葉は、優月の背中を押した。
「…向上心、ありがと」
「明日から頑張ろ」
そう言う瑠璃は、ただの後輩には見えなかった。
強豪かつ仲のよい後輩を持った優月。そんなふたりの関係性は、思わぬ方向へと向かう…。
その頃、音楽室でも各々の行動が取られていた。
「…ピアノうまっ!」
「ありがとうございます」
心音が、グランドピアノを弾く紅愛に、話し掛けていた。 『旅立ちの日に』のメロディーが、話し声にふさがれる。
「てか、帰らないん?」
「はい。まだ迎えが来ないもので」
「あー、そゆこと」
東藤高校は少し田舎だ。親から車の送迎で成り立つ部員も多い。だからこうして待つ部員も少なくない。
「…てか、俺よりうまいな。習ってたの?」
心音は紅愛に興味を示したようで、更に深く問いを迫る。
「ええ。保育園のときから弾いてました。私が生まれた時点で、家に電子ピアノがあったので」
「ほぇぇえー…。羨ましいわ。俺なんか、ずっとキーボードで練習してたわ」
心音の苦笑に、紅愛は柔らかく笑う。
「それでも、去年の定期演奏会、ピアノとても素敵でしたよ」
そして褒めるように言った。
「まじか!去年の定演来てたのか!?」
「ええ。私、とても自由なこの高校の吹奏楽に、本当に憧れてました」
「ほぇえ…」
「岩坂副長は?なぜ吹部に?」
すると紅愛が今度は尋ねてきた。
「俺が吹部に入った理由か?」
「ええ。何か理由があるのでしょう?」
紅愛は人の本質を見抜くことに長けている。何より柔らかな眼差しに嘘はつけない。
「…実はな、トロンボーンの先輩に誘われたんがはじまりなんだ」
「トロンボーンの先輩…。少しお待ちを」
すると彼女はピアノの下にあった学生カバンに、細い腕につながる手を突っ込む。
「あった。演奏会のパンフ」
そう言って彼女はパンフレットをめくった。
「…明作茉莉沙さん。去年の部長さんでしたか」
「…す、すご」
紅愛は本当に何者なんだ?と心音は思う。
パンフレットには大きな皺がない。絶対に貴重品として管理したということだろう。しかも、すぐにパンフレットを探す行動力。この部を変える存在だとすぐに分かる。
「確かに、優しそうな先輩ですね」
「優しかったよ。明作さんは…」
そう言って心音は笑った。
今、茉莉沙は医療大学で医者になる勉強をしているのだろう。そして1年後には、学び舎という巣を発ち、社会という大きな世界へ飛び立つ―――。
今、吹奏楽をやっているこの時間は宝石のようだ。今、この瞬間は宝石のように煌めいている。その煌めきは衰えることを知らない。しかし、時間が経ち、ここを離れれば"煌めきという名の思い出"はいつか色褪せる。この瞬間、これからの残された時間、どう輝くかは自分次第なのだ。
「じゃ、ピアノ頑張れな」
「ありがとうございます。お気をつけて」
心音は紅愛に背を向け、音楽室を出て行った。
「俺もあそこまで弾ければな…」
心音はふと思ったことを口にした。
紅愛ははっきり言ってうまい。伴奏力は間違いなく、今の部内でもトップクラスだろう。そのうえ、バイオリンだって弾ける。
心音も最初はたくさんピアノを練習した。
徹底的に基礎を学んだ。その結果、合唱祭で伴奏を任された―――。
『…伴奏、ミスれねぇな』
中学3年という最後の年、父が合唱祭の審査員だった。心音は緊張しながらも張り切っていた。絶対にミスれない、そんなプレッシャーを胸にしながら、心音は父へ見せつけたかった。
……自分には音楽の才能があることへの証明を。
しかし最後の最後、指と指が喧嘩するような感触に襲われた。鍵盤を動かす指の走りがぎこちない。
『…あっ』
そして……最後の数音。音を外してしまった。
(…やっちゃった)
心音はその瞬間、絶望した。絶対にミスできない所を、本番というこの空間で、間違った音を奏でてしまった。
その年の合唱祭は評価が拮抗していた。そして結果は…心音のクラスは優勝できなかった。
『絶対、最後のピアノが原因だよな?』
『それな〜』
『心音がミスらなければ…』
当然、最後の思い出をたったひとりに打ち壊された生徒たちは、憎しみの刃を容赦なく心音に刺した。
『ちっ、うるせぇな…』
あまりにも耐えられなくて、彼女は涙を怒声に変えた。
『こっちだって…頑張ったんだよ…』
誰ひとり、擁護もしない。そんな最悪の合唱祭で心音の中学生活は終わった。
「…俺はあの1件がなければ、もっとお父さんに認めてもらえたかもしれない」
ショックだった。
まがりなりにも必死にやってきたのに…、他にうまい人なんて沢山いた。
茉莉沙、結羽香、むつみ、颯佚、咲慧、ゆな…。数えればそれだけの優秀な奏者がいた。
悔しい。負けて悔しい。
「…俺は副部長として、もう負けたくねぇ」
心音はひとり新たに決意を決めた。
この苛烈な決意は、誰かを傷つける刃になろうこと。それは誰の想定にもなかった―――。
最後まで読んで頂きありがとうございました!
作中で使用する曲のリクエストだけでなく、アドバイスや感想は大きなモチベーションになります!総合ポイント100point 目指しております!
良ければ、リアクション、ブックマーク、感想、評価をお願いしたいです!
また吹奏万華鏡では、個性的な奏者たちの物語や、他では絶対に見られない日常、様々な目標に向かう物語を日々更新しております。
多面的に見られる物語を、これからも楽しんで頂ければ嬉しいです。
次回もお楽しみに!




