151話 天冬 〜白鬼〜
午後の体育館に、少女の熱唱が響く。井土の組んだ照明が、ガールズバンドを華やかに演出している。
『地獄で会いましょう♪あなたも私も悪い人だ〜♪』
女子生徒のボーカルだけでなく、茉莉沙のドラムが激しく空気を揺らす。館内は熱に包まれた。
「地獄恋文好きなんだよねー」
「Tukiさん?」
優月は高津戸冬雅と話していた。想大は他の友達と話している。
「うん。俺らと同い年ですごいよな」
「そうだね…」
それをほぼ完成に歌う目の前の女子生徒もだな、と優月は思った。
それにしても茉莉沙のドラムは、本当に常人離れをしていた。
「…!」
呼吸を抑え、彼女はスティックで変幻自在に打ち込んでいる。ライドシンバルの音が心地よく耳に響く。
明作茉莉沙は元打楽器奏者だ。その実力は全国レベル。だが今はトロンボーン奏者だ。
すると彼女は鋭い連打から、指で握りの位置を変えシンバルをたたく。昨日の技を一晩で自分のものにしてしまったのだ。
(…茉莉沙先輩、凄いなぁ)
皆はボーカルを見ていたが、優月だけはパーカッション奏者として茉莉沙を尊敬の目で見ていた…。
ぱちぱちぱち…、拍手が鳴り止むと、ボーカルの女の子が話し出す。
『皆さーん、文化部発表会楽しんでますか〜?』
『はーーーぁい!』
女子生徒の声に、男女関係なく黄色い声が吹っ飛んできた。
『まりさせんぱぁーい!!』
美鈴も顔を赤くして叫んでいる。
『明作先輩、こっちに気づいてないぞ』
しかし孔愛が空気を壊すように言う。
『うるせぇ!お前はやく和太鼓行ってこいよ』
『ボクは出ないよ』
『はぁあ?』
1年生たちも楽しんでいるようだ。
『それでは、次の曲に行ってみましょうー!』
楽しそうに音とスポットライトが舞う。手拍子と歓声が飛び交った。
やがて、ベースの音に乗るように、スネアのロールが乱打される。
『だから最大級の愛を込めて♪絶望なんか共にあろうぜ!♪』
激しいリズムに美しい歌声。キーボードが滑るように響いた——。
だが、観客たちの視線の大半は茉莉沙に注がれている。彼女の強みは、真似した技術を自分の演奏に加える所だ。手首の脱力を利用して、スティックを変幻自在な方向に飛ばすことができる。これにより、複雑なリズムも対応が簡単だ。実にその様相は美しく、一流の奏者ならではの業である。
また狂気に満ちた目をした茉莉沙は、界隈でもトップレベルだ。その技術は優月にとっては、絶対に見ておくべきものなのだ。
(やっぱり…茉莉沙先輩すごいな)
ゆなでも苦戦しそうな曲を、茉莉沙は嬉々とした表情で演奏している。様々な技術を駆使して演奏するそれは他の団体を震え上がらせた。
一方…。
『流石、茉莉沙先輩。あれの次はハードル高くないかな…』
不安そうに、菅菜がバチを振りながら言う。
『大丈夫っしょ』
しかし、ゆなは凄く気楽そうだった。咲慧は声を出さずに苦笑気味だ。
菅菜にとって茉莉沙は憧れの的だ。茉莉沙のレベルが高いほど、こちらにハードルが襲いかかるのだった。
『大丈夫です』
その時、目の前に……鬼が現れた。
『えっと…誰です?』
白い鬼の面に、白い法被。これは白鬼そのものだ。
『私の又の名は白鬼。故に異装させてもらいました…』
『異装届けに書いた?大丈夫なん?』
ゆなが言うと菅菜は、
『予め書かれてたから大丈夫よ』
と笑い返した。
『…全く、だから最初ひとりで演奏させて欲しいって言ったのか』
筝馬も目を閉じて『お家芸だな』と小声で言った。
『高津戸日心こと、この白鬼。一肌脱ごうではないか…』
そう言った日心の声からは、絶対的な自信が裏付けされていた。
確かに、日心の実力は相当なものだ。
その時、幕が締まった。最大級の拍手を送られ、ガールズバンドは終わりを迎えた。
『…菅菜ちゃん、がんば』
すると茉莉沙が親指を立ててきた。その素直な仕草に菅菜は嬉しくなる。
『頑張る!』
途端に菅菜の目の色が変わった。
すると井土が、
『高津戸さん、太鼓持って来てください。30秒後に始めますよ』
小さな声で指示を飛ばす。
『御意!』
すると白鬼がたったひとり、ステージの中心へ立つ。井土は小さく頷くと、ステージ上の照明を暗くする。
(…問題はない。いつも通りに叩くのみ)
低い声を心の中で響かせながら、彼女は太いバチを正眼に構える。
がーーーーーーっ…
無機質な音を立てて段幕が開く。
円のスポットライトが、彼女と太鼓を照らす。黒い影がうっすらと壁に絵を作る。
『…よっ!』
空気を切り裂く発声と同時、鋭い音が響き渡る。反対側の壁を震わせるほどの音。
「あの鬼、日心じゃねぇか」
「あ、冬雅の妹さんか…」
太鼓の音がただ響く。
「…でもどうして白い鬼なの?」
優月が冬雅に尋ねる。
「あいつ、白鬼ってあだ名付けられてたんよ」
「白鬼…、ああそれで白鬼か」
確かに全身真っ白な鬼の面と服に、真っ黒なシャツを下に着ている。誰の目から見ても白鬼だろう。
「さぁっ!!」
日心が腕を振る速度を速める。音を鳴らす正確さは目を見張るものがある。間違いなく天賦の才だ、と優月は気付いた。無駄がなく音は澄んでいる。音に合わせて、後頭部にまとめられた黒髪が激しく左右する。
(…すげぇ)
たぶんゆな以上だな、と感じた。経験に加えて意志意欲が彼女をここまで高めたのだろう。
ひとり…たった1人でも充分なものだ。周りのオーディエンスは、静けさの権化のように黙って見ているが、下手くそなどではない。
そこでようやく、残りのメンバーが準備を進めていたことに気が付いた。
「おぉ、冬雅後ろ」
「後ろ?ステージか?人いるな」
「今、気づいたんだけど…」
そう、白鬼の演奏で気付かなかった。粛々とゆなたちは準備を進めていた。準備する時間を演奏と同時並行することによって、時間を無理なく節約しているのだ。
どどどどど…かかっん!どん!!
白鬼が叩き終わると、白鬼はマイクを井土から受け取った。
『みなさん、こんにちは…。白鬼です』
その声はかなり低かった。まるで男かのように。
『こんにちはぁ』
『にこちゃんでしょー!?』
しかし1年生からは黄色い声が飛ぶ。余程、白鬼は好かれているのだろう。
『ふふ、私の正体は——』
すると白鬼の面が取られる。そこから見えたのは、凛とした瞳を見せる顔立ちの良い美少女。
『1年1組の高津戸日心でーす!』
日心が手を振ると、きゃぁーっ!と黄色い声が最頂点に達した。
『今の曲は『白鬼』という曲でした。ちなみに私の母上から授かった曲目であります』
(なんで曲も白鬼!?)
(ママ、そんなことしてたのかよ!?)
思わず優月と冬雅が突っ込んだ。
しかし、日心が気付くはずもない。
『さて、今の間に準備はできましたでしょうか?』
すると残りのメンバー全員がコクリと頷いた。
『出来たようですね。では、私も本気を出したいので、お面を脱ぎますねー』
すると、どわっと笑いが起こる。ナレーション力は間違いなく優月より上だ。
『…では、次の曲では皆さん、恥ずかしがらないで手拍子をしてください』
そう言ってマイクを菅菜に渡した。
『はい、こんにちは!天冬の齋藤菅菜でーす!』
『わぁーかんなちゃーん!』
『かんなぁー!!』
次は3年生が沸いた。
『次の曲は『天まで届け不死の龍』です!』
『略して天龍!』
そこへゆなが躊躇なく入ってきた。
「俺の略ネタ使うなや」
「まぁまぁ」
心音が拳を震わせると、氷空が宥めようと肩をたたいた。ちなみに天龍は筝馬と日心が入っている和太鼓クラブで、此度の曲も天龍から頂いたものである。
『それではどうぞ!』
菅菜がマイクを井土に渡した時だった。
すると、ゆなと菅菜がバチを大きく振り下ろす。
どーん、どーん、どーん…
それに呼応するように、筝馬の締太鼓が霧雨のように響く。正確なリズムが体育館の空気をびりびりと震わせる。
「よっ!」
すると咲慧が、空気を食い破るかのようにバチを振り下ろす。だんっ!一瞬で空気が更に締め上げられる。日心は左手のバチを、スネアのリムのように皮へくっつける。次の瞬間、右手を無慈悲に皮へ振り下ろす。手拍子に乗っていると、殺意のような感情が湧いてきた。その感情をバチに乗せて心を込めて叩き続ける。
血も涙もなくただ正確な音。
(…やっぱり、感情が消えてきた)
日心はバチを振りながら、かつての感情が戻り掛けていた。
無機質な殺意。それは集中力の種類のひとつだ。集中力にも種類は色々ある。真面目、狂気、悦楽、殺意、必死…。日心の集中力は殺意のような感情から成り立っている。
どん!どん!どん!どん、どん、どん、どんッ!
正確な速度を右手ひとつで連打する。強い音の波状に、リムのように押さえつけた左のバチが僅かに揺れる。
(…日心さん)
優月は彼女の少女を見ていて、既視感があった。
日心の無慈悲な瞳。それを太鼓に突き刺している。そんな姿にどこか過去の自分を重ねたのだ。
その時、日心の音が更に強くなった。先程とは違う明らかな進化。無慈悲な鬼が暴れるかのような力強いリズム。
これが白鬼…と呼ばれるものなのか?
(…すげぇ)
和太鼓の技術とリズム力だけなら、過去類を見ない猛者だ。筝馬の心地よいリズムと、中太鼓の低い音が一斉に体育館へ放たれる。
それは天へ突き進む龍のようだった…。
曲は5分で終わった。どうやら短縮されていたらしい。
『あい!皆さーん、次で最後でーっす!』
その時、ゆなが無雑作にマイクを掴んで叫ぶ。
『ゆーなぁ!』
『鳳月ちゃーんっ!』
今度はゆなコールが鳴り響く。
『今日はありがとうございました!』
そこへ咲慧が入り込む。何だか可愛らしくて、優月はクスリと笑ってしまった。
するとスピーカーから、キーボードの原曲が鳴り響く。曲は『アイドル』だ。
筝馬の締太鼓がリズムを刻む。そこへスネアのように中太鼓の音が響き渡る。
(…すっげぇ、本格的だ)
キーボードを使った原曲と太鼓を合わせる。これは鳳月ゆなが考えたことだ。
自然と手拍子が鳴り響く。その演奏は、他の意味で素晴らしいものだった。
そうして文化部発表会の午後の部は、無事に終わりを迎えた。
「咲慧ちゃん、本当お疲れ様!」
優月が楽器を片付けながら、咲慧に話しかけた。
「いやー、ありがとう!でも、日心ちゃんが凄くうまかったからなぁ」
「…ああ、日心さんね」
確かに、とは思った。しかし咲慧も間違いなく上手い。
「…次は定期演奏会かな?」
「そうだね…」
優月は不安げに目を細めた。
定期演奏会は…本当に戦争だろう。自分との闘いがまだまだ残っている。
「…来年は優月くんも和太鼓やろうよ」
その時、咲慧にとんでもないことを言われた。
「え…、あんまり興味ないんだよね」
「やってみー!楽しいから!」
「…っええ?機会があったらね…」
そんな事を軽口で済ます優月だったが…。
——数日後——
『…瑠璃ちゃん。だ、大丈夫かな?』
『大丈夫だよ!私でもできたから』
何故か、優月は和太鼓を演奏することとなる…。
茂華中学校で。
【次回】 茂華中学校編! 瑠璃にとってのラスボス…




