147話 リハーサル
文化部発表会前日。
「7時まで合奏なので、慌てず準備してください」
井土がそう言って、機材の接続を始めた。
「…7時か」
遅いな、と思いつつも優月は、パーカッションセットの組み立てを始めた。ちなみにドラムの組み立てはゆな担当である。筝馬は機材を手伝っている。
「ドラム終わりー!もう良いよね」
ゆなはそう言って、ドラムの椅子に座った。どうやら今からスマホゲームをするらしい。
「おぉーまえ!手伝えよ!俺もゲームやりてぇ」
すると悠良之介が叫んできた。
「マジで似た者同士だな…」
むつみはただ呆れるばかりだった。
結局、ゆなはサボってゲームをしながら、ダンス部の先輩たちと談笑していた。
「くっそォー、もう練習の時間かぁー」
「どうして悠良之介は、そんなサボりたがるのよ」
むつみが呆れ口調で訊ねる。
「そりゃ、サボりてーから」
「そんな事言ってたら、朝日奈先輩と同じ職場に就職できないぞ」
「うるせー!」
「ほら、海ちゃんを待たせるな!」
「はーい…」
足早に去っていく悠良之介を見て、むつみは小さく溜息を吐き出した。
(ちゃんとしろよ、馬鹿)
その声には、少しだけ恋の色が含まれていた…。
てーんててんてててんてー…
月に叢雲華に風のアウトロ。優月はドラムを離れて、少し大きなマイクを手にする。
ピアノの電子音が止まると同時、丸いスポットライトが照らされる。
『皆さーん!』
優月は声を張り上げる。調整中特有のハウリング音が鳴り響くも気にしない。唐突に大振りな自信が湧いてくる。
『楽しんでますかぁ〜!?』
突然、信じられないくらいの元気な声が、体育館の壁を唐突にたたいた。
「はーい」
その場にいたダンス部と箏曲部が返事する。しかし、優月は手の内に隠したカンペを読む。
『聞こえませんー!楽しんでますか〜!?』
「はーーーいっっ!!」
(ごめんね、みんな)
優月は心の中で謝罪しながら、精一杯台詞を紡いだ。
「はい!ゆゆ、身長低いから心配だけど、当たってる?」
その時、井土が不安そうに尋ねてきた。すると箏曲部の多々羅洋子が「大丈夫です!」と返事した。
「…部長、小倉って人、なんか凄いですよね」
「八重斗くんも分かる?」
そう言ったのは、部長の名村琴乃歌。箏曲部唯一の3年生で部長だ。対して隣にいる男の子は、青貫八重斗。高校1年生で気鋭の部員だ。
「はい、では2曲目から!鳳月さん、ドラムの準備は?」
「椅子の調整まだ之助〜」
「はぁ、少し待ちます」
ゆなは愚痴を溢しながら、座面を乱雑に回す。
「…ゆゆ、ハイハットをあんまり近くに置かないでよ…。やりづらいでしょうが。あとハイハット閉じんなよ」
「あ、ごめん」
ハイハットとはハイハットシンバルのことだ。足で2枚の円盤を動かすことができる。東藤高校吹奏楽部では必須の楽器だ。
「…出来た之助!やるよー」
「は、はい」
井土が苦笑気味に押されてしまう。
「お前が指示すんなよー」
むつみはクスクスと笑いながら、ツッコミを入れた。すると辺りが楽器を構える音で満ちる。悠良之介もユーフォニアムを構えた。
「……」
すると、再び音楽が鳴り響く。それと同時に、幾つもの光が、天井や壁を縦横無尽に走り抜ける。
(…やっぱ入ってよかったな)
そう実感したのは…いつからだろうか?
最後の曲を終え、何とか休憩までありつけた。
「町江、来ないなぁ」
「良いじゃん。いても煩いだけだし」
井土は町江をとことん嫌っている。
「それはそだな」
むつみがオーボエを磨きながら同意した。
「…はぁ、どうしてこの白髪が認められないんだろ」
むつみが不満そうに言う。
小学校のときから、好奇な目に晒されてはきた。
だが、いつも悠良之介が守ってくれていた。
『アルビノってのは、大変なんだよ!』
『はぁ?なんだよそれ』
『アルビノだってな、むつみの個性なんだよ!』
『ちっ、つまんねー。行こうぜえ』
近所の違う小学校に通う餓鬼に襲われた時も、悠良之介は必ず助けてくれた。家に出られず、弓道場に閉じこもった日だって、ずっと一緒にいてくれた。
この白い髪を、悠良之介は認めてくれた…。
「…個性なのに」
「あ、そう言えばビデオを切り忘れてた!」
「は?リハなのに?」
「まぁ、ステージ側の音響とか聴きたいし」
井土は少しズボラだな、むつみは思った。
「だれか…!」
しかしその時、ドアの重々しい開閉音と同時、忌々しい空気がその場の全員を締め上げた。
現れたのは町江雪道だ。月に叢雲花に風、やはり来ない訳なかったのだ。
『こんな時間まで何してるんです?』
言うて6時半だけど、ゆなが小さい声で言うも町江には通じない。
「…教頭に報告しますよ?」
「え、っと…、今からもう一回合奏を…」
「何言ってるんですか!?明日が本番なんですよ!それに、ここの吹奏楽なんて碌なことがない」
それを聞いた瞬間、優月の中で何かが切れた。
(こいつ…、言い過ぎだ)
幼少期の黒い感情が湧き出る。筝馬から少し離れ獣のように彼を見る。
「あ、あの…まだ確認したいことが幾つか…」
「良いですが、後でお呼び出ししますからね。あと井上は、まだヴィッグを付けないんですか?」
「…どうしても?ですか?」
むつみが赤い瞳に、黒い感情を混ぜる。
(この男、どれだけ言ってもアルビノを認めない)
「あなたのその姿で、生徒指導数が増えるんですよ!こちらの手間を掛けさせないでいただきたい」
無論、これに怒るのはむつみだけじゃない。
「先生、それは暴言だよ。私を生徒指導しておいて、自分は良いの?」
ゆなが顔を真っ赤にして言う。その顔は真剣だ。
「…暴言?こちらの警告を無視して…」
次の瞬間、悠良之介がのそりと前へ出る。
「ゆゆ、アイツ許さん」
「…あ、河又先輩」
悠良之介が本気で激怒した。美羽愛がやんわりと止めるも、静止の気配は一切ない。
「まち…!」
だが、彼の暴走を優月は止める。
「!?」
優月が悠良之介の足を蹴り上げたからだ。
「先輩、少し待ってください…」
その黒い感情を乗せた瞳を彼へぶつける。カラスの目のような底なしの黒。驚いた悠良之介は思わず止まった。
「今出ても、絶対あいつは引かねぇ。てか、出たって明日に影響するだけだ…」
そして優月が出した声は、今までにない容赦のない声だった。底なしの狂気。
「…おう」
確かに、と悠良之介は矛を収める。確かに暴力は間違っている。
「あなたが、こんな堅物に人生を振る必要はないです。あいつの暴挙は校長に言いましょう。そちらの方が遥かに効果的です」
「…ふぅ、あとはむつみが切れなければ…」
次の瞬間、むつみの叫び声がする。
「先生は!私が友達に髪を染めろ!と言ったのを聞いたんですか!?」
その声はやけに静かに響いた。
「…ああ、お前とお揃いになりたいと言ってたぞ」
しかし彼は、生徒指導としての顔を崩さない。
「…だからと言って、私の個性を否定するんですか?」
「ここは学校だ。個性など要らない」
やはり対処不能だ。
このままでは、むつみの方が先に手が出るだろう。
「結羽香、これはもう…」
「茉莉沙?」
茉莉沙は初芽の手を引く。茉莉沙の顔も赤に染まっていた。そのまま黙って体育館を出ると、茉莉沙は口を開く。
「…中学生の時、私に言ったよね?作った味方は絶対に手放さないで、って」
「あ、うん」
明作茉莉沙と初芽結羽香。ふたりは中学校からの親友だ。ふたりは既に暗くなった職員室を通り抜ける。
「…あの、すみません」
茉莉沙が首を下ろして誰かに話しかける。
その誰か…とは?
いよいよ…次回決着!
茉莉沙の呼んだ相手…とは…?




