145話 吹奏楽部 vs 生徒指導部長
週明け。
井土は疲れた様子で、
「鳳月さん、今日は生徒指導受けてませんか?」
とゆなに心配をする。
「この従順な私が受けるわけないでしょ?」
その言葉に、むつみと咲慧が笑う。
「従順な人は生徒指導受けないんだよ?」
井土が突っ込みを入れると、ゆなは身体を少し反らせる。
「あれはしゃあないでしょー!?冬中では皆がやってたのにー」
「東藤と冬馬を一緒にしていい訳ないでしょ」
井土がやんわり言う。
「…てか、今日も2人くらい怒られてた」
「多っ」
優月も呆れたように言う。
「仕方ないよ。職業病だから」
こう言う井土はもう諦めているのだろう。
「…確かにヤンキーの巣窟…だもんな」
その時、そう言って誰かが入ってきた。
「えッ!お前…」
心音が思わず声を上げる。
「筝馬くん!大丈夫!?」
久遠筝馬は、左足を負傷したのか松葉杖をついている。浮かせた左足が少し震えているので、ケガをしてから間もないのだと分かる。
「は、はい…。少しやられました」
「誰に!?」
それを見たゆなは、すう…と肩をすくめた。
「ゆゆ!面倒見係なんだから、手伝ってやれ」
「そうじゃなくても、手伝わないと…」
心配そうに、優月が駆け寄った。
「…リュック持つよ?」
「あ、ありがとうございます」
「足に負担がかかるなら、無理しないでね」
「す、すみません…」
その時、筝馬の澄んだ瞳が、小さく揺れたような…気がした。
『先輩、話少し聞いてくれませんか?』
「んっ?」
ドラムの練習を終えた優月は、スティックをしまう。その時、筝馬に話し掛けられた。
「この足のケガについてなんですけれど…」
「あぁ、うん。大丈夫よ」
誰にも見られない打楽器の前。筝馬は椅子に座って話し出す。
「…実はこの怪我、弟を守って付けられました」
「…えっ?」
途端、筝馬の声が低くなる。
「実は…、町江先生に言われたんです。もうこれからは、何があっても手は出すな。我慢して受けろ、と」
「…なにそれ」
事情を知っておきながら、正当防衛も許さないのか?
「…本当は、冬馬に入ろうとしたんですが、母の押し付けで東藤に入りました。でも、その高校のルールは守らなきゃいけない」
「…」
「…それは分かってるんです」
「…どうして、冬馬のヤンキーは、筝馬くんの弟くんを狙ってるの?」
「それは…まだ言えません」
「…そっか」
優月は沈んだ表情をする者たちを見る。
皆、町江の厳しい規則に縛られているのだな、と今間近で実感した。
翌日。意外な後輩に、優月は話し掛けられた。
「あの生徒指導部の長、学校から追放できないんですか?」
「えっ?」
高津戸日心だった。彼女はホルンだが、どちらかといえば、和太鼓の方が得意だという。
「…昨日、私の口調も高校生っぽくしろ!とか言ってきたんです。ふざけた事よ」
「…あははは」
日心は狙ってこの口調だ。確かに一部の先生からは、よく思われないでいる。それの代表が町江ということか。
「そんなに統一して、生徒の自由と個性は無視ですよ。一度の青春を放棄したくないっす」
そう言って日心は、買った購買のパンを指で支える。階段を登りながら、優月は「そうだね」と返した。
放課後。
「…そんな事を僕に言われてもなぁあ〜」
優月は、筝馬と日心に相談されたことに、頭を抱えて困っていた。
「あはははぁ。優月くん、この前に怒られなかったから、すごく期待してるんだよ」
「それは、茉莉沙先輩や夏矢くんたちも一緒だよ」
「…そうかもね」
咲慧は小さく肩をすくめた。
「でも、明作さんはそんな事を言える程、度胸はないだろうし、夏矢くんも物申すとか苦手そうじゃない?」
「……たしかに」
だから2人は、強豪を見放して、緩い活動をする吹部へ来たのだろう。
その時、井土が硬い表情をしながら、重そうな楽譜の束を持ってきた。
「へぃーす!はじめるよ」
彼が椅子へ座り、束になった楽譜を覗き込む。
「はーい!」
部員が返事をすると、各々楽器を構え出した。
その時、井土が決意したように、椅子から立ち上がった。
「皆さん、私はもう生徒指導部の言うことに逆らいます!」
「えっつ!?」
最初に驚いたのは、井上むつみだった。あれからは、白い髪に関して言い訳をして凌いでいる。
「皆もあんまり気にしなくていいよ」
井土はいきなり無責任なことを言い始めた。
「…そんな」
「っしゃい!」
優月が狼狽するのと対照に、ゆなは喜んでいた。
「だって、去年の規則より、明らかに厳しいんだもん。これは、あの先生がどんな過去を持っていたとしても、救えない」
「……」
いつもは優しいあの井土がこう言うだなんて。
余程、彼に疲れたのだろう。
「…だって、終いに文発と定演を出さない言ってんだもん。決めるのは生徒指導部じゃなく、校長と私です。何としても出ます!」
「…」
どうやら、彼には彼なりの信念があるようだ。
「ただし、問題は起こさず、ちゃんと今まで通りに過ごしてください」
「略してダンス腰」
心音が言う。まじめな話にひとつのボケが入る。
「どゆこと?」
優月が頭を疑問符だらけにする。
「…体の一部だけを独立して、動かすダンスの基礎知識らしいよ」
「…は、はぁ」
そこへ、ユーフォニアムを持った悠良之介が言う。聞いていた彼は、小さく頷き返した。
「ゆゆ、俺は許さない」
その時、彼はそう言って真っ直ぐに前を見る。
「はい?」
「むつみを馬鹿にしたあの町江は許さない。俺は、完全に怒った」
「だからって、問題起こさないでくださいね」
やんわり優月が突っ込みを入れると、彼は小さく頷き返した。果たして聞いていたのか?
これより少し前。
『こんなに厳しい規則で、すぐに生徒指導です。だからって、文化部発表会や定期演奏会に出さないって、いかがですか?』
『…確かに厳しすぎるなァ』
井土が掛け合った先は…なんと校長だった。
『あの、去年までの規則でも、問題はありませんか?井上さんはアルビノ体質なんです』
『井上…むつみ…さん?普段から粗暴な性格だから、勘違いされるのかなぁ』
『…ですが、それも彼女の個性です。個性が誰かに影響を及ぼした所、私は3年間見てきて、一度もありませんでした。井上さんは優しい人です』
井土には分かる。むつみの人間らしい人柄を。
『…井上さん?の人柄が分かる井土先生なら、信用に足るね。だが、これは生徒指導部に掛け合うべきじゃないかな?』
『…万が一のためです』
『…井土先生、町江先生が何と言おうと、あなたの言う定期演奏会は、楽しみにしています』
『ありがとうございます』
井土は、念の為に校長にコンタクトを取っていたのだ…。
部活終わり。
「…ということで、文化部発表会まで、ひとまず頑張りましょう!」
井土はそう言って、立ち上がった。その目に昨日までの迷いは一切ない。
(本気だな…)
優月は悟った。
不条理なルールは絶対に従っちゃいけない、ということを。
こうして、町江との決戦は迫るのだった…。




