130話 音楽準備室整理
テスト明けから部活が行われた。無論、土曜日も部活が入っていた。
「…部活、多すぎなー」
心音は流石に呆れていた。
「多いよね」
優月も同意する。
「はぁ、ゆゆは部活楽しいの?」
「えっ?楽しいよ」
「そう」
「…」
何だか、心音は悩んでいるように見える。
「心音は?」
「えっ?俺?」
逆に聞き返してやると、心音は顔をしかめた。
「…んー、微妙」
「え、楽しくないの?」
「そゆわけじゃない。ソロやりたいなって」
「え、ソロ?」
「うん」
ソロか、と優月は口の中で言葉を噛む。他人事ながら嫌な思い出。
「なのに、氷空はソロばっかり」
「あははは、黒嶋さん上手いもんね」
「あいつ、まじでズリー」
その時、トランペットの音が耳を駆け抜ける。
「この音、國井だな」
「孔愛君?」
心音は、トランペット奏者の正体を確かめるかのように、音楽室へ飛び込んだ。
「…あ!」
すると、心音は驚いたように目を丸める。
「あ、心音〜」
「朋奈先輩!?」
そこには、孔愛と元部長の雨久がいた。
雨久朋奈。元トランペット奏者で部長だった。そんな彼女だが、たまにOBとしてここへ顔を出す。
「…先輩、おはようございます」
孔愛の挨拶に、優月は「おはよう」と返す。隣の心音を見ると、スタスタと歩きながら「はよ」とだけ返していた。
「さ、ここだけど…ここはパッセージが複雑だから…」
「あ、はい!」
どうやら、雨久に孔愛はトランペットを教わっているらしい。
「あ、おはようございます」
すると優月が、休憩室から出てきた井土に挨拶する。
すると「あ、うー」と返された。
「うー?」
優月が訝しげに彼を見ると、
「おはようの略だろ?」
と心音が言う。
「よく分かったね、岩坂さん」
「何となくで分かったわ」
「すげぇ…」
少し時間を開けて、優月がリュックを下ろそうとすると、心音がぽん!と手を叩く。
「そういえば!ゆゆの学校って全国行くんでしょ?」
「…えっ?」
「ほら!俺、ビックリしたわー!」
「まぁ、僕もちょっと…」
元々、颯佚も『全国に行ける可能性は大いにある』と称しているので、当然なのかもしれないが。
「いいなー。俺も取材受けたい…」
「え、取材なら受けてもらいますよ?」
そこへ井土が入り込んできた。ギターのチューニングを終えたようだった。
「はっ?」
「2つの意味でね」
「2つの意味ですか?」
優月が気になって訊ねると、井土は大きく頷いた。
「この度、この吹部内でインスタを始めるので」
「…へ?いんすた?」
「旧Xのことだろ…」
「あー、え!?」
どうして?優月が言おうとすると、井土は苦笑いをする。
「昨年度の定期演奏会の人数が、少なかったからです」
(優愛と瑠璃ちゃんが来てくれたのに。あれでも…)
その言葉に、孔愛が反応する。
「あー、昨年度の定期演奏会なら行きましたよ。確か、ホルンの先輩に誘われて」
「それ、想大くんだ」
優月は、孔愛の言葉を打ち返す。
確か、去年、瑠璃と一緒に『和太鼓クラブ 天龍』の定期演奏会に行った、と聞いたが、そこで彼を誘ったということか。
「それ、コバだな」
すると、心音が孔愛にそう言った。
「あ、瑠璃ちゃんの彼氏って、言ってました」
「じゃあ、想大くんだ」
(もう別れたんだけど…)
優月は、瑠璃のことを思い返した。想大と別れたことで、全国大会へ進む意思が固まったことなら、その別れに悔いは無さそうだ。
「…先輩は好きな人いるんですか?」
「えっ?」
昼食のおにぎりを、落としかけるくらいには驚いた。珍しく筝馬が、頰を赤らめ話しかけてきたからだ。
「どうして?」
「少し気になりまして…。最近、加藤先輩と話してないですよね?別れたんですか?」
「え、咲慧ちゃんとは付き合ってないよ」
そういえば最近、あまり咲慧と話していない。ようやく学校に馴染めたのか、他の友達と話すのをよく見掛ける。
「あ、そうなんですか」
「そもそも…僕には好きな人いないんだよね」
優月は小さく溜息を吐き出した。
榊澤優愛以降、好きになった人はまだいない。…そもそも、部活のことしか考えていない彼に、恋愛は無縁そのものだった。
想大の瑠璃との思い出話を聞いても、それほど頭に来ることはない辺り、自分は部活を愛してるのだろう、と思ってしまう。
それよりも、午後は何をするのだろう?
また練習かな?と予想した優月だが、その予測は大きく外れた。
「あい、音楽室と準備室の掃除やるよ」
なんと、音楽室と準備室の掃除をするようだ。…というのも、掃除当番の生徒は滅多にやらないらしく、おまけに打楽器を弄る始末らしい。
「…ふー」
窓枠に住み着く埃を払った優月は、ゆなの方を見る。彼女はむつみと話しながらイスを重ねていた。
「…珍しい」
珍しくちゃんとやってるな、と優月は思った。
その時、雨久が「ゆゆー」と名を呼ぶ。手招きされた彼は、トコトコと休憩室に向かった。
中には、悠良之介と颯佚がいた。
「なんか、この楽器を始末するらしい」
「へ、へぇ」
優月は空いていた空間に並べられた打楽器たちに、小さく胸を高鳴らせる。
「えっと…どうするんですか?」
張り切った口調で訊ねると、悠良之介は、
「ボルトを緩めるらしい」
その時、ひょっこりと小さな体が現れる。
「やっ!先輩!!」
「あ、しーちゃん」
志靉だった。志靉も元は打楽器奏者だったので、打楽器の知識は相当にあるらしい。
「そうだ!ゆゆ、そこら辺の太鼓全部持ってく?」
その時、雨久がとんでもないことを言った。
(雨久先輩まで…)
「…んー、正直、ドラムほしいんですよね」
もっと練習したい気持ちから、優月はこう言った。たぶん、ゆなが可笑しいだけだが、自分は下手だと思ってしまう。それでも、たまに井土が褒めてくれるので、挫折せずに済んでいるが。
「ふふ、車で持って帰れよ」
雨久はそう笑って段ボール箱を持って、休憩室を出て行った。
「あ、髭田高校?」
その時、颯佚が驚いたような声でそう言った。低い声が優月の耳を突き抜ける。
「えっ?」
「髭田高校って、めっちゃ強豪校だよな。どうしてこんな所に…髭高のドラムが?」
「…!?」
優月より先に表情を変えたのは、井土だった。
「あー、それも脚を畳んでおいてください!」
井土が必死に誤魔化す。
《ゆゆ、誤魔化して!》
そして、今度は優月へ目配せをする。有耶無耶にしろ、ということか。
「夏矢君、そのドラムも畳むって」
「え?」
「脚、地面に付いてる棒」
「あー、おう」
どうやら、ひとまずは誤魔化せたようだ。
(…いずれ、皆に話さなきゃいけないかな)
井土は1人そう思っていた。
2日後、2年3組教室。
『テストを返却します!』
数学教師の鎌崎がそう言うと、生徒たちは乱れるように列をつくる。
「…うぅ、緊張するー!」
「優月くん、数学いい感じじゃなかったの?」
「いい感じだったのに…赤点だったら…」
理解力が足りない優月は、数学が大の苦手だった。美玖音に教わった問題も、まるで怪物と戦うかのように苦戦したものだ。
「まー!駄目でも期末で頑張ろうね!!ゆぅゆ!」
「はぁ…」
そして、いよいよ自分の番だ。優月は痙攣しそうな足を必死に前へ前へと動かす。正直、この瞬間ほどの緊張を、吹奏楽の本番で感じたことが無い。もしかしたら、緊張の種類が違うからかもしれない。
ついに答案用紙が渡された。
「小倉くん、頑張りましたね」
「…えっ?」
「はい」
優月は受け取った答案用紙を開いた。合計点数のマスに書かれた数字。
「ごいごいすー!」
「…おっ!やったか?」
「あ…」
優月は答案用紙を見せる。美玖音の教えが良かったのだろう。38点だった。何とか赤点は回避できた。
「うぇえー!やったじゃんっ!」
想大とハイタッチした優月は「うん!」と笑う。
「おー!優秀!」
すると答案用紙をもらった咲慧も褒めてきた。
「…へへ!」
優月は、たった2日血眼になって勉強しただけで、この点数を取れたことに満足らしい。(少し頭が悪すぎるが…)
「そのテスト、私56点」
しかし休み時間、ゆなの言葉で優月は凍りついた。
「え、なんで?」
「…今回は簡単だったよー。勉強したからかもだけど」
その言葉に、夏矢颯佚は、
「やればできるじゃん」
と言った。
「まぁ、むっつんとメイさんに教わったからね」
先輩に教わったのか、と想大は笑う。
「…だが、優月君も凄いじゃん」
「へへ、美玖音ちゃんのお陰だよ」
すると近くにいた心音が、こちらをギロリと見る。
「いいなー。俺も美玖音ちゃんに教わりたい」
「茂華の図書館に行けば?」
優月が言うと、心音は「無理だろ」と返す。
「でも、なっつんが1番高いね」
ゆなが言うと、颯佚は「まぁね」と何故か頰を赤らめる。彼の点数は85点だ。
「…まさか!彼女と勉強した?」
そこへ、優月がそれとなく訊ねてきた。
「…う!」
「まじか。お前、彼女ちゃんと勉強してたのか…」
心音がゾンビのような目つきで睨見つける。
「えっぐぅー!そして羨ましい!」
そのあとは、颯佚よりゆなが騒いでいた。一悶着着くと、心音が訊ねる。
「てか、夏矢の彼女って誰なん?美玖音ちゃん?」
「まさか!」
(音羽妹夕って子だよな。夏矢君の彼女って…)
優月は、美玖音から全て聞いていたが、これ以上口を滑らせると、彼が可哀想なので辞めてあげた。
「…そういえば」
美玖音とテスト勉強をした時の帰り道…
『また次の本番で会おうね。私の友だち』
その言葉がどこか引っ掛かっていた。
「…あっ!」
その時、回想にふける優月の目に留ったもの。それは、『東藤町演奏会』のチラシだった。
また間もなく、次の本番が迫っていた。




