129話 新たなドラムセット
「海鹿さん、どうしました?」
現れた。井土広一朗が。
「…大橋さん、退部届けの受理ですが、今月分の部費を払ってくれてるから、10月いっぱいで辞めるのはどう?」
「…わ、分かりました」
どうやら、井土には事前に話しを付けていたらしい。
「それでも、少し淋しいですね」
美羽愛と志靉が帰ると、井土はひとり口を開いた。優月は旗を回す練習をしている。中々うまく回せない。
「…え、どうしました?」
優月が首を傾ける。
「あー、退部者が出ちゃうことでね。前の学校では何とも思わなかったのに」
彼は正直に答えた。
「先生、前の学校でも…吹部の顧問だったんですよね?」
「うん。そうだったよ。ただ前の学校は、ね…」
「?」
「前の学校では、私かなり厳しかったから」
「え?それって、夏休みにも…」
「言ったっけ?元々、全国大会に行く学校にいたってこと…」
「あ、そこまでは。でも、少し気になります!」
「気になる?まぁ、話してあげよう」
井土はそう言ってくれた。最近になって優月と井土は仲良くなってきた。
「栃木県立髭田高校」
「栃木…」
優月は思わず息を呑んだ。
栃木県立髭田高校。
この学校は全国的にも有名な高校だ。ちなみに髭田中学校は弱小で、高校の正顧問の鬼指導で全国への切符を掴んでいるらしい。
そこの顧問が、7年前までは井土が顧問だったと言う。しかし、今では考えられないくらいの厳しい指導で、生徒から反感を多く買っていた。
『…上間さん、そこのフェルマータ、気を付けて!』
『はい』
『次、同じところ指導されたら、次の土曜日に練習に来てもらうから』
『…』
『返事?』
『…はい!』
(その日は模試が…)
1年生の初心者や、受験真っ盛りの3年生にも、彼は容赦がなかった。
『いい?ちゃんと練習してね。居残りしてでも練習してもらうから』
『はい!』
『全国大会に行くんだから、厳しいのは当たり前だ。辛いならコンクールのメンバーから外れようが、この部を辞めて逃げるも構わないから』
『…はいっ!』
当時の彼は結果ひとつに駆られ、生徒を雑に扱っていたのだった。
「…なんというか、少し怖いですね」
優月は手に汗を握っていた。とても初対面からはそんな過去を持っているとは想像できない。きっと過去を必死に隠していたことだろう。
「まぁ、そんな風に雑に扱うもんだから、3年ほどでクビになったけどね」
彼の目は笑っていた。きっと…未練は無いのだろう。
「髭田高校は、私が来る前も強かったから、そうやって伝統を受け継ぐのが基本だと思ってた」
「それは、わかります。茂華中もそうでしたから」
優月が真剣に言うと、井土はふっ!と吹き出した。
「ゆゆは、吹部じゃなかったでしょ?」
「あ、」
そう。優月は中学時代は美術部だった。
「でも、吹部に後輩は何人かいたんで…!」
「古叢井さん?」
「まぁ、それもあります…」
本命は優愛だが、井土は優愛のことをあまり知らない。
「確かに、茂華は強い。ま、3年ほど前に、ここの楽器を譲ったんですがね」
「え?」
そうなの?優月は気になった。ここの楽器を古巣へ寄贈したのか?
「な、何の楽器ですか?」
「ドラム。バスドラムだけね。アンコン?で使ったみたい」
え、中途半端過ぎない?優月は少しあきれた。
「そ、そうなんですね」
すると井土がクスリと笑った。
「実は髭田高校から、要らないドラムを大量に押し付けられてて…。よかったら持って帰る?」
「も、持って帰る?」
井土が意味不明なことを言った、その時だった。
「広一朗ー!」
誰かが音楽室へ乱入する。
「あ、むっつん、ゆなっ子、河又先輩…」
井土が反応する。いたのは、鳳月ゆなと井上むつみ、河又悠良之介だ。
「え、ゆゆは何しにきてんの?」
するとゆなが奇妙な視線を向ける。優月は慌てて旗の練習、と答えた。
「井土さん、日が沈むまで音楽室にいていい?」
「あー、日差し強いからね。良いですよ」
するとむつみがゆなに向く。
「よし。ゆなっ子、勉強教えてやる!」
「俺に教えてくれ!」
「お前は大丈夫」
するとゆなが喚いた。
「えー、私勉強嫌い。教えてもらったら阿呆になる」
「うっわ!ひっどぉー!」
「だって、私はバカだもん」
「勉強しないからでしょ?」
「るせー!わたしゃソシャゲーやるんだよ!」
いつもの会話。さっきまで無音だった音楽室は、言葉の花が爛漫に咲く。
「あ、ゆなー、日傘差すのよろぴくねー」
「よろぴくはキモ…」
「何でだよー!」
怒ったむつみの手は、ゆなの首筋を思い切り握る。
「ぎゃびぃ!?だって、真面目がよろぴくは無いでしょ?」
「そんな事言ってるから赤点なんだよ。ばぁ〜か!ね、ゆゆ?」
すると、こちらにまで飛び火してきた。
「え、まぁ、はい!」
優月は普段の恨みも込めて、思い切り肯定してやった。
「ゆゆ、オメー、テスト大丈夫なのかよー?」
すると、ゆなは餌へ飛び付くライオンのように、優月の言葉へかじりつく。
「…歴史がやばい」
「あ?数学はどうしたのよ?」
「…美玖音ちゃんに教えてもらったから」
「そう…」
すると、ゆなはプイと黙りスマホを取り出した。
(…)
優月はゆなを少し睨みつけた。
「ゆーゆ」
その時、井土が優月へ話しかけて来た。
「は、はい!」
「そのドラム。ゆゆのにして良いよ」
「え、良いんですか?」
「うん。前のドラムボロボロだし、太鼓が大きいから大きな音出るでしょう」
「あー、なるほどです」
太鼓…とはバスドラムのことだろう。
「ありがとうございます!」
優月は目を光らせて礼を言う。
「…いえ」
それだけ言って、彼はどこかにいなくなった。
(……)
一方、ゆなは優月を凝視していた。
(…やっぱあいつ、どっかで顔を見たような)
何か、記憶が蘇りそうな気がした。
悠良之介は、そんな彼女と優月を一瞥する。
『ゆらのすけ…、いい名前だね』
『ありがと』
『モノホンのがっきやったら?』
『えー、それは恥ずかしいよ…』
可愛らしい笑顔の中に見える、小さな殺気のような色。それが瞳を美しく照らしていた。
あの少年は何者か?
『な名前は?』
『おぐら、おぐらゆづき!』
「…ゆゆ!」
「ん?河又先輩?」
「ゆゆ、バケツドラムやってなかった?」
「…!?」
優月は少し嫌そうな顔をした。黒歴史なのに。
「やってましたけど?どうしたんですか?」
「俺のママと会った…あ!」
「ママ?」
「うるせ!」
むつみは一旦仕切ると、問いを投げかける。
「俺の母さんと会ったこと…なかったか?」
「ごめん。覚えてないです」
タムタムを調整するべく、ボルトネジを緩める。中々うまくいかない。
「…あ!でも何人か、子供連れの女性には、話しかけられました」
その言葉に嘘はなかった。ちなみに中には、新楽ほのかも含まれている。
「俺、ゆゆと会ってる」
「人違い…じゃないですか…?」
その声はとても冷たかった。
(あの…ゆらのすけって子、まさかね)
優月は、そうやって自分を誤魔化した。まさか、年上に無礼な口調を聞いたとは認めたくない。
「…かもな」
すると、彼は意外にも、あっさりと引き下がった。
(…ま、本人が嫌がってるなら、別にいいか)
新しいドラムを試奏する優月を見て、今はそう思った。
…しかし
『みなさん、吹奏楽部です!楽しんでいきましょう!』
その声にはらんだ狂気。
優月の本性を、悠良之介は目の当たりにするのだった。
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