128話 志靉の暴走
大橋志靉。普段はおっとりした女の子だが、時に理性を失い暴走する。その暴走は誰にも、友達でさえも止められない。
ぽつりと立ちすくんだ彼女が、優月と美羽愛を見つめる。先程まで美羽愛と乱闘していた。と言っても、美羽愛が志靉の攻撃を一方的に受け流していただけだが。
「…どうして!?私が黙って部活を辞めようとするのを止めるの!!」
志靉の言葉に美羽愛が眉をひそめる。
「だから…、辞めるんなら皆に言った方が良いでしょ?」
その言葉に、優月は状況を理解した。
美羽愛は、志靉が黙って退部するのを止めたいんだ、ということに。
「…どういうこと?」
それでも、優月は知らないフリをして2人に接近する。
「志靉ちゃん、部活辞めたいそうで…」
「そうなんだ」
ここでも知らなかったフリをかます。前々から聞いていたが。
「それで、どうして乱闘騒ぎに?」
多少大袈裟だが、聞かずにはいられない。
「…黙って辞めてくのは駄目、って言ったら、志靉ちゃんが怒っちゃって」
なるほど、優月は美心を思い返す。
確か、田中美心。彼女も黙って辞めていった。それは誰にも止められたくなかったのが理由だ。しかし、彼女だって3年間頑張ってきたから、定期演奏会に微力ながら参加できていた。
「…しーちゃん、誰かに辞めるって言って、辞めるのがマズイの?」
優月がそれとなく、志靉に問いを投げかける。
「…マズイというか、それが嫌なんです」
「それ?」
「辞めること自体を、ここの皆には言いたくないんです」
「それは…どうして?」
優月は、なぜ彼女が黙って辞めることに拘るのか、全く分からなかった。
「皆に…嫌われるから」
「え?わ、嫌われる?」
優月はどういう事?と思った。
「美羽愛ちゃん、覚えてるでしょ?中学生のとき…」
「…あの事件?」
あの事件…とは何のことだろうか?
それは、勝手に2人が話してくれた。
大橋志靉と海鹿美羽愛のふたりは、小学生時代から楽器を始めていた。
『…これがちゅーば』
志靉は仲の良い上級生と同じチューバに、美羽愛は試聴して1番気に入ったユーフォニアムを、担当することになった。
普段はおっとりしている彼女にとって、チューバは天職といえるものだった。
最初の1年は、ただ穏やかな日々で技術を磨いた。
しかし、人と接することが多くなった分、誰かと揉めることも多くなった。小さい頃から彼女は、ストレスに弱い性質だったからだ。友達の話しに、自身を揺さぶるものがあれば、話しを諌めようと暴走することが多々あった。
例えば、練習終わり。
『…志靉ちゃん、ひとりだけミスってたね』
『!?』
失敗を友達に指摘された際、志靉はミスした時の恥ずかしさが蘇り…
『私を馬鹿にしないで!!』
『…わっ!』
その友達へ襲いかかることもあった。
だが、その度…
『志靉ちゃんっ!!すとーっぷ!』
『うっ!』
美羽愛が止めに入ったのだ。それでも、理性をなくした少女は暴れ回った。
『しーあっ!』
そんな時は、彼女を合気で押し倒し、落ち着くまで取り押さえ続けた。
『はっ…!?』
『志靉ちゃん、気にし過ぎだよ。大丈夫だから』
『…』
正気に戻った志靉は驚いたような顔をしていた。それからは、彼女は心の中で小さな魔物を飼っている、とクラスでも話題になった。
そんな彼女の暴走生活が終わったのは、中学2年生の時だ。ある後輩との出会いで、少しずつ変わっていったのだ。
その少女の名前は、月館紅愛。
『私のことをお姉様と呼びなさい』
と異質な命令をする彼女だが、いい性格をしていた。そして、中学から出来た親友、羽石美和も。
『志靉!すごい可愛いっ!』
『うわぁ…!』
美和は、いつも志靉に抱きついては、心を癒してくれた。
だが、中学2年生のある日。
『美和、…吹部を辞めるんだって』
『え?ここ、部活必須だよね。おかしくない?』
『なんか、塾の日が多いかららしい』
『は?そういうの嫌い。部活と勉強くらい両立させろよなー』
『ね、志靉?そういう中途半端なことする人、嫌いだよね?』
『え、あ、うん…』
志靉は何と言えば良いか、分からなかった。だから頷くふりをした。
そして…
『ごめんなさい。今日限りで退部します…』
そう言われた時の雰囲気は、まるでお通夜のようだった。殆どの人は冷たい視線を美和にぶつけた。美和には友達が少なかったこともあり、誰も止めなかったのだと分かる。
美和は、可哀想な視線を浴びて部を去った。
それからも…
『羽石さんみたいに、ならないで下さいねー』
前の顧問さえも、彼女を引き合いに出していた。まるで自身の親友が"晒し首"にされたかのようで悔しかった。
『…志靉ちゃん、大丈夫?』
『志靉先輩…』
『くうっ…!』
ぱん!目の前のスネアドラムが弾けた。暴れたい気持ちを必死に押さえた。目の前の志靉と紅愛を裏切りたくない一心で。
そんな過去を背負った志靉。
「…久遠くんの時、誰も…誰も…止めようとしなかった。あの時、優月先輩がいなかったら…、どうせ辞めてた」
彼女の重い言葉に間違いはない。
「…」
優月は険しい顔をして彼女を見ゆる。
「私もきっとそう。私には仲のいい先輩なんていない。だから…辞めたらどうせ、後ろ指を差されるんだ」
「…しーちゃん」
優月は肩をすくめる。
「人への優しさは自分への優しさだよ」
「えっ?」
「…僕が筝馬君を助けた理由。それはね、ただ優しさや親しさじゃないよ」
「…何を」
「筝馬君には助ける価値があった。でも理由は特に上手いという訳でも、親しいという訳でも無い」
彼は小さく溜息を吐いた。
「なぜならね…彼が優しかったからだよ」
「やさ…しい?」
「うん。筝馬君の暴力は、誰かを守る為、自分じゃなくてそれ以外の何かを守る為に使ったから、助けられたんだよ」
「…それが、どういう」
志靉は明らかに動揺していた。
「それが彼の優しさ。だから、僕も筝馬君に優しくしてるんだよ。ただ親しいってだけで止める考えは、僕なら嫌いかもしれない」
脳裏に小林想大が浮かんだ。1年時代、部内で彼は1番の親友だった。彼も優しかった。戻彼女の瑠璃のことを考えて動いていた彼。アルバイトを理由に退部してしまったが。
優月は美羽愛に視線をよこす。
「大丈夫。ここの部活の子は、しーちゃんが辞めたからって、馬鹿にする人間も、嫌いになる人間も絶対にいない…」
「本当ですか?」
「…うん。だから、安心して」
それ以上は、奏者として何も言わなかった。すると志靉は拳を震わせながらも頷く。
その震える拳から、力が徐々に抜けていく。どうやら、納得してくれたみたいだ。
優月が安心したその時…。
『海鹿さん、どうかしました?』
「…あ」
現れた。
顧問、井土広一朗が。
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