125話 小倉優月のテスト期間
「…あと1週間!」
打楽器を片づけながらも、優月は焦りに焦っていた。
吹奏楽部の継続の為、中間テストの勉強をしなければならなかった。しかし10月には本番が入っている。その為にテスト期間中でも部活は入っていた。何ともシビアな状況である。
「…あ、ゆゆー、まだ帰らないで〜」
そんな時の部活終わり、井土が話しかけて来た。
「あ、はい」
彼に引き留められるなどいつ振りか?
そんなことを考えていると、彼は大きな旗を持ってきた。カラーガード、優月は彼の持つ物に覚えがあった。
確か、保育園の運動会で振り回したことがある。
「…はい、ゆゆにはこの旗をぶん回していただきます」
「言い方…」
彼の言い方に、流石のゆなも引いている。
「…で、旗の演技を覚えてもらって、それを後輩に伝授してください」
えー、思わず叫んでしまった。ゆななら100%断るだろう。しかし優月にとって、井土の言う事は『はい』か『YES』か『オフコース』だけだ。
「…お、おふこーす」
「?」
結局、引き受けることにした。
はぁあー、溜息を吐き出す。
テストが始まった日から部活は休みだ。それでも続く本番の為に、テスト明けからすぐに練習だが。
あの後、旗の演技を何度か指導された。
『えー、たぶん海鹿さんと大橋さんに、旗をやってもらいます。コミュ症を直しましょう』
『略して、円安』
(心音、うぜー…)
結局、美羽愛と志靉に教えることが決定した。それでも、一応彼女たちは、仲の良い部類なのでまだマシなのだが。
散歩がてら、茂華高校の前を通った時だった。
『優月くーん』
どこからか、誰かの声が聴こえてきた。
(あ、この声…)
下手したら、全く話したことも無い友達より、声を多く聴いた。
「美玖音ちゃん…」
朱雀美玖音。茂華高校の打楽器奏者だ。しかし視力が良いのか、5階の音楽室から顔を出しているというのに、歩く優月に気付いている。
「…もしかして、暇〜?」
「…暇だよ」
そもそも声が届いているのか?しかし、そこは恐ろしい。
「…ちょっと待ってて」
遠くから、暇と聞いた彼女は、優月を引き止めたのだ。
「…は?」
何で、美玖音に引き留められるのか?
結局、彼女が来るのを待つことにした。
「…お待たせー」
結局、10分もしないうちに、彼女は下へ下りてきた。
「え、さっきまで…何をしてたの?」
「何って、楽器の調子を見てたんだよ」
「へ、へえ」
流石だなあ、と思いつつ、優月は美玖音と少し話すことにした。
「あなた、家はこの辺りなの?」
すると美玖音に、そんなことを尋ねられる。
「いや、ここから少し遠いよ。中学はバス通学だったし」
「そうなんだー」
美玖音の鞄についたキーホルダーが左右に揺れる。白いハイビスカスのキーホルダーだった。
「…美玖音ちゃんは、神平のどこに?」
「私はねー、」
美玖音はスマホでマップを開く。
「ここ」
「あわ、すご!」
彼女の家は、県内でも有名な蕎麦畑の近くだった。ちなみに田んぼアートも有名な場所らしい。
「…いいなー。毎年田んぼアート見られるんでしょ?」
「まぁね。私はそういうの興味ないけど」
「嘘だー」
ふたりが仲良く話していると、町の開けた場所に着く。
「…そういえば、どこに向かってるんだっけ?」
「え、適当だよ」
美玖音はてっきり、茂華駅に向かうのかと思ったが、そんなことは無いようだ。
「…あ!」
そこで、優月はとある場所を指差す。
「どうしたの?」
「僕が元いた保育園」
「え、保育園そこなの?」
美玖音は何か驚いていた。
「うん」
茂華保育園。優月と想大が元いた保育園だ。
「…私、この前行ったんだよね」
「この前?」
「うん。保育体験に。私、将来の夢が、学校の先生か保育士だからね」
「意外」
「え?そう?」
美玖音が首を傾げる。その仕草にわざとらしさは無い。
「プロになるのかと」
「何の?」
「打楽器の」
「私はそういうの興味無いかな…」
マジか、と思った。美玖音の技術力は、プロ奏者顔負けのレベルだ。少し勿体ないように思えた。
「優月くんは、将来の夢とかある?あと1年で進路決めなきゃでしょ?」
「えぇ~、特には…」
「大学は?」
「数学の成績悪過ぎて行けなさそう…」
「勉強教えましょうか?近くに図書館あるよね」
「…え、いいの?」
「いいよ。ま、後輩もセットだけど」
「あははは…」
「まぁ、今のは冗談で、本気で進路決めたほうが良いよ。部活ばっかり考えても進路は決まらないからね」
なんか言葉は説教なのに、本人の声は綿飴のように柔らかかったので、優月はただ頷いた。
進路。2年生になって半分が過ぎた。そろそろ決めなきゃなあ、と優月は思った。
その時、保育園の方から音楽が聴こえてきた。保育園から少し距離が離れていたが、曲は風に乗って耳を撫でるように響く。
「あ、夜に駆ける」
美玖音がふとそう言った。
「…ホントだ」
「運動会の練習かな?」
「多分ね」
結局、美玖音が近くで見たいと言うので、保育園の前で見ることになった。
「かわいい〜、ね?」
「そうだね」
彼女は、目を輝かせて子供のダンスを、見守っていた。
(…美玖音ちゃん)
面倒見が良さそうな人だな、と優月は思った。
しばらくすると、数人の園児がこちらへ駆け寄る。
「…あ、なんか来るね」
優月はここの卒園生なのでこのあと、どうなるかは予想がついた。
『こんにちは〜』
フェンス越しに手を振る子供。
あー、自分にもあんな時があったんだな、と優月は懐かしくなった。
「こんにちはあ」
美玖音はいつもとは違う猫撫声で、そう返していた。どうやら、保育士になりたいという思いは伊達では無いらしい。
あまりにも園児が寄ってくるので、
『あ、美玖音ちゃん、えっ!優月くん!?』
「…あ、バレちゃった」
先生にもバレてしまった。
「お、お久し振りです…」
優月は慌てて頭を下げる。美玖音はそれをキョトンとした目で見ている。
「久し振り〜!美玖音ちゃんも研修以来ね」
「はい。お久し振りです」
美玖音は、先程とは違う淡々とした声で返す。そのギャップが何だか怖い。
「中学生になってからも一度、来てくれたよね」
「はい」
岡本美百合。優月が保育園時代にお世話になった先生だった。
「え、今はどこ高?制服からして…東藤?」
「はい!そうです」
「あらら、今は?テスト期間?」
「はい。テスト期間なので早帰りで」
「そうなのー!勉強しなくちゃだね」
「は、はい…」
保育園時代、この先生には、噛み付いていた思い出があるが、今となっては頭が上がらない。
「…あ、旗」
その時、優月がふと言った。
「あ、旗ねー、懐かしいよね」
岡本が言うと、優月は「はい!」と頷いた。
「旗ですか?」
そこに何も知らない美玖音が、首を傾げる。
「そう。年長さんが旗を回しながら踊るの」
岡本の説明に、美玖音は「はあ」と目を見開いた。
「優月くん、結構うまかったよねー」
「え、そうですか?」
「そういえば、部活とかは?」
「あ、吹奏楽部です」
優月は質問に躊躇わずに答えた。
「…え、吹奏楽部!?楽器は?」
「打楽器です」
「えー!じゃあ、美玖音ちゃんと一緒?」
「はい」
学校は違えど、パートは一緒だから、そういう事になるだろう。
「それで…まぁ、丁度、旗を回す練習してるんですよね…」
こんなタイムリーな話題、たどり着く方が難しいはずなのに。
「そう、頑張って!」
結局、こう言われてしまった。
約10分話した末、優月たちは帰ることにした。
「そういえば、もう剣道はやってないんですか?」
保育園のマウンドを一瞥した優月が尋ねる。
「剣道?」
美玖音は再び首を傾げた。
「あー、剣道はねぇ、2年ほど前に無くなりました」
「えぇ…」
逆によく持ったな、とも思った。
剣道。
何度か繰り返したとき、何かが頭の中に飛び込む。
《や、やめて…》
《ありがとう。練習台》
目の前の女の子の首筋に、竹刀が突きつけられる。この映像が今、鮮明に蘇る。
「…あ!」
気付けば、保育園から離れていた。
「さーて、図書館に行って、勉強でもしようかな?」
「え、今、4時半過ぎだよ」
「…あー、確かに列車出ちゃうかな?」
悩む美玖音は、すぐに結論を出した。
「じゃあ、6時発の電車まで勉強するね」
「おぉ」
「優月くんも一緒にどう?」
時間はあるな、と優月はスマホのホーム画面を開いた。
「…じゃあ、いい?」
「…ええ、喜んで」
そんなこんなで、優月は彼女に数学を、教えてもらうことになった。
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