118話 神平中打楽器パート [比嘉悠介編]
結果、それは非情なものだ。
茂華中学校同様、神平中学校の練習は、大詰めへと差し掛かっていた。
「…暗記するまでに出来るようにならんとなー」
そう言ったのは比嘉悠介。3年生の打楽器パートだ。実力は誰もが認めるほどで、茂華中学校の打楽器パートとも引けを取らないレベルだ。
「比嘉先輩」
そこへ男子が話し掛ける。後輩のようだ。
「天祢?」
「…ここ、もう1回見てくれませんか?」
「いいぜ、じゃあ見せてみんしゃい」
「はい」
音楽室では、最終確認のように真面目な会話をする声だけが響いていた。
「…天祢、完璧だ」
「あ、先輩に言ってもらえて良かったです」
「あとは…楽譜見なくても出来るくらいには、やっといた方が良いぞ」
「はい!」
悠介は小さく肩を撫で下ろした。
「…間に合いそうだ」
パーカッションの出来は、そこそこのものだった。
「比嘉」
「あ、相馬ちゃん、どうしたん?」
そこへ女の子が1人。同じ3年生の相馬冬深だ。
「私はクラの練習に行ってくるから、私の後輩の面倒を見といてくれる?」
「ああ、全然構わないよ」
「…あと、ティンパニの子の指導見といてね。この前、私に教えを請えてきたんだから…」
「あらぁ。でも女子って男子に、話し掛けるの苦手やん。女子は女子同士で教え合った方が良いんじゃね?」
「…さぁ」
彼女にはあまり分からなかった。ただ男女関係は複雑なものだから、悠介の言う通りかもしれない。
冬深が、木管の練習室へと足を踏み出したその時、彼から問いを投げかけられる。
「…あ、相馬ちゃん、少し聞きたいんだけどさー」
「?」
冬深の反応に、悠介の瞳が少しばかり鋭い光を宿す。その表情は、誰から見ても真剣なものだと分かる。
「…今、自分の中じゃ何%?」
「何の評価?」
「今の自分の演奏、どれだけ満足してるか?だよ」
「…低く見積もって60%」
「低っ!?」
「…でも、比嘉は悪くない」
意味深な言葉を残して、冬深は霞のように消えてしまった。
(不満しかない。この学校にも、今の自分にも。本当は大嫌い…)
冬深には思う所があった。
その日の帰り道。
悠介は酒蔵の前を歩いていた。和風建築が多い住宅地に住む彼は、小さい頃から少し不便な気持ちだった。
大きな声や大きな音を出せないから。
「…比嘉!」
「おん?久下田や」
久下田遥篤。神平中学校吹奏楽部の副部長だ。
「…あんだ、綾中巫琴とは帰らないの?」
「巫琴は通院だってさ」
「この時期にそれは不安だな…」
悠介の声は軽くも、心配する響きが含まれていた。
そして話しは必然的にコンクールの話題となる。
「…茂華中、更に上手くなってたって朱雀パイセンが言ってたぞ」
「…朱雀?ああ、裏神の」
遥篤も美玖音のことはよく知っている。
「裏神?ああー、んなあだ名もあったなぁ」
「本人は嫌がってたそうだが」
ぷはっと悠介は笑い返した。
すると遥篤は更に真剣な表情になる。
「…しかし、朱雀先輩が言うとは中々だな。元々、何でも褒める方だが…」
遥篤も内心はビビっているのかもしれない。
「…なに?もしかしてビビってる?」
悠介がなじるように訊ねる。
「お前こそ、ここで落とされたら、ヤバいんだろ?」
「え?」
「…この前も言ってただろ?」
そして遥篤はとんでもない事を言い出した。
「…全国大会に進めなくなったら、吹部を辞めるって」
「…」
それは彼が過去に何度も言っていた約束だった。
「…まぁ、親や姉とはそう約束してる」
ここで、突如として、悠介の声のトーンが落ちてしまった。初めて陽気な声色に雲が掛かった。
「でも、まさか俺等を超えるなんて無いっしょ…。人数的にも、技術的にも…」
悠介の声に震えが生じる。
「分からないな。ポプ吹の時も、評価は高めだったそうだから」
「ぐわぁー!俺、奏者としてめっちゃ駄目なこと言うけど、スランプ起こってくれぇー!」
「…スランプか」
風の噂で、オーボエの久城美心乃が、挫折したと聞いた。しかし茂華中学校は間違いなく、彼女を立ち直らせるだろう。
人間は挫折を乗り越えれば、更に強くなれる。
(…茂華中、まさかな)
ここで遥篤にも、始めて迷いが生じた。
遥篤と別れた悠介は、ひとり頭を抱えながら家へと到着した。
「…俺のティンパニの方がまだ大丈夫。鍵盤は相馬ちゃんが何とかしてくれる。まだ60%みてぇだから100%になれば…」
希望を乗せた早口での独り言が、真夏の空気に溶かされる。
そのまま玄関へと入った。
玄関を通り抜けた瞬間、
『全国大会に行けなかったら、それで終了だからね』
悠介の姉の言葉が脳裏で蘇った。
翌日。
『コンクールの順番が決まりました!』
神平中学校の審査順が決まった。
それを聞いて、全員が真剣な面持ちになる。
『…コンクールは14番です』
それを聞いて、肩から力の抜ける音がする。
『順番は例年より早いですが、それでも全く以て問題は無いと思います』
それでは練習を始めてください!その言葉で、今日も神平中学校吹奏楽部の部活が始まった。
「…元気ないっすね」
「…ああ?」
後輩、柊天祢は彼の心情を見抜く。
「…まぁ、コンクールが不安でな」
悠介は正直に内なる本音を口にした。
そしてスネアドラムをたたくスティックを手にした。
「…不安…ですか?」
「うん。少し不安」
全国大会に行けなかったら吹奏楽部を辞める。それは間違いなく、自分にとっては無いと思っていた事だった。
神平は必ず全国に行くことが、運命付けられていると思っていたからだ。
それは小学生の頃から何ら変わりはなかった。
悠介は小学3年生に、吹奏楽部という存在を知った。神平市の学校にある吹奏楽部は、全国に通用するほどの強豪だと有名だった。
練習は7時まで続いた。スパルタな指導で殆どの部員は疲れ果てていた。1年生や2年生は足早に帰っていく。
そんな中でも、3年生だけは違っていた。3年生は活動が終わっても尚、練習を続けていた。
打楽器パート、冬深はクラリネットを取ろうと、打楽器の群から離れる。しかし、それを見た悠介がたまらず声を掛けた。
「…あ、相馬ちゃん、もう帰るん?」
「いや、まだやっていくけど?」
それを聞いて、少しだけ安堵した彼は誘いの言葉をかける。
「んじゃー、Bあたりから、もっかい付き合ってくれる?」
「…」
しかし冬深は誰にも聴こえない音で…
チッ!
と舌打ちをした。仕草も動作も殆ど無かったので、悠介は気付く由もない。
「全然いいよ」
そして同意した。上っ面の笑顔だけで。
(どうしてだろう…?)
マレットを手にした冬深の表情が、苦々しく歪められる。
今の自分は本当の自分なのだろうか?
ただ指示された事だけをこなす、その日常から冬深は今の自分に疑問を持っていた。
そして少し合わせると、冬深は無意識に口を開く。
「…ねぇ、比嘉」
「どした?」
「…打楽器、楽しい?」
そしてある意味当たり前な質問を投げかける。しかし冬深の表情は笑っていなかった。
しかし、そんな彼女の真意にも気付かない鈍感な彼は、鼻で笑うように両手をパッと開く。
「何、その質問?俺は打楽器やる為に、吹部に入ったんだぜ?」
「…そう」
「それに、ここなら技術と結果が手に入る。強豪は最高だ!」
自慢げに言える彼が、少しだけ羨ましい。こうして自分の居る環境に、確固たる誇りを持っているのだから。
しかし次の言葉で、その考えはかき消された。
「…あの約束さえ、無けりゃ…の話しだがな」
「あの…約束?」
初めて聞いた言葉に、冬深の顔に少ししわが寄せられる。しかしその皺、ひとつひとつが綺麗な線を編み出していた。
「俺な、吹部続けんのに約束してんのよ」
「何の約束?」
本来なら気にならないはずだが、どういう訳か、冬深は練習を中断してでも、聞きたくなってしまった。
「俺なァ、全国に行けなかったら、吹部やめようと約束されてんの」
「は?」
どうして?と冬深の瞳が丸くなる。
「…まず、この吹部の部費だな。メタいけど」
「もしかして…高いから?」
「ああ。うち5人家族だからな。結構支出ヤバいらしいのよ」
「そう。富も財も流転する。私にも、どうする事もできないね」
現実的な悩みに彼女は何度も頷いた。
「あとなー、うちの親が厳しいことだ」
「そう」
どうやら悠介にも、冬深とは違う悩みがあるようだ。
「…それで、比嘉は辛くないの?」
冬深は気になった事を、そのまま言葉としてぶつける。
「…正直、姉たちとの約束はキツイなぁ。正直、俺の技術が良くても、他の人達のコンディションが悪けりゃ、本末転倒なんだから」
コンクールとは、そういうものなのだ。
「でも、それを覚悟して、俺は吹部を始めた。だから後悔はしていない…」
自身の過去。
昨日あったことかのように、脳裏へ蘇る。
最初は、ひょんな事から始まった。
『大きい声も、大きい音も出せないなんて…』
悠介の住む場所は、家と家が近くで、大きな声や音が出せなかった。それが落ち着きの無い悠介には少し息苦しかった。
それから小学校に上がって、3年後。悠介は"とあるモノ"に出会った。
それが…
『じゃあーん!』
姉のやっていた吹奏楽部だった。
姉はクラリネットをやっていて、相当な実力を持った少女だった。
『…俺もなんか楽器やりたいな』
そんな言葉をキッカケに彼は、吹部への入部を決意した。
大きな音を出したい。彼はそれだけが理由でパーカッションを選んだ。
もう忘れてると思ったのに、意外とその記憶は鮮明だった。
「…で、今だから聞くけどさ、どうして比嘉は、全国大会行けなかったら吹部を辞めるの?」
「…どうしてって。それは…」
当然、姉が有能なだけに、悠介にも重責はのしかかった。
当時、姉との仲は最悪だった。
『…おめー、ちゃんとやってんの?』
『やってる!』
姉は自身の実力に慢心してなのか、悠介を見下し続けていた。
『ま、結果…だもんね』
『結果って言われてもな。俺以外の誰かが下手クソだったらなー』
『それを言っていいの、本当に上手い人だけだよ。私よりどーせ下手なんだから』
姉は確かに、吹奏楽で強豪校に推薦されるほどの実力だ。だからこそ、何も言えなかった。
『じゃあ!俺、必ず全国大会行ってみせる!行けなかったら、吹部やめるからな』
その言葉が自身への決意だった。
「…姉が優秀ね」
冬深は小さく頷く。
何だか分からなくもないが、悠介は少し走り過ぎだな、と改めて思った。
「…だから、絶対に落とされない。姉に誇示する為にも俺は全力で演奏する」
「そう」
冬深は彼が少し羨ましかった。
だって…自分とは根本から違うから。
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【次回】 冬深 瑠璃に嫉妬する… そのワケとは?




