113話 退部者の再来!?
東藤高校。
「はぁー、それくらいちゃんとしなさいよ」
「ごめん」
とある練習中、楽器の脚の締め付けが悪かった為に、ゆなと修復していた優月は謝罪の言葉を掛けた。
「てか、久遠は?」
「えっ、箏馬君なら帰ったけど…」
ついさっき、と言うとゆなは「羨ましー」と言う。ポプ吹が終わってから彼女は元通りに戻ってしまった。面倒くさがりの気の触れた少女。
「…何かあったみたいだけど」
優月がそう言うが、もうゆなには届いていなかった。
(無視された…)
少し苛立ったが、今に始まったわけではなかった。
その時だった。
『こんにちはー』
「あ、」
ようやく来た、と言うべき人物が来て、優月は目を丸めた。
「しーちゃん」
それは大橋志靉だった。彼女は1年生で部内唯一のチューバ奏者だ。抜けられたらマズイという重要な立場にいる彼女は最近、遅刻をしている。
理由は兼部している部活が忙しいから、らしい。ここ最近は特に本番などは無いから、別に大きな問題があるわけでは無いが。
「今日もパート練習ですか?」
「あ、うん。そうだよ」
「分かりました!」
すると小さなチューバケースを手にした彼女は、一目散に音楽室から出て行った。
この日の帰り道。
「うぁー!」
優月は苦悶の叫びを上げていた。
「どうしよう…、鍵盤ができない」
そんな彼に咲慧が呆れたように言う。
「楽譜見たけど、そんなに難しくないでしょ?まぁ、早打ちはキツイだろうけど」
「…最近、先生からめっちゃ注意されてんだよね。何でだろう?」
「そりゃー、期待されてるからじゃない?」
咲慧はポジティブなことを口にし続けていた。
「…箏馬君には、あんまり指導してないみたいなんだよね」
「そりゃ、あの人は最近合奏にいないからね」
「…!?」
確かにそうだ!と優月は思う。それと同時に去年の退部した先輩を思い出す。
「…え!?まさか退部しないよね…」
「私には分からない」
箏馬は孔愛と仲のいい男子だが、最近は話している所を見ていない。途端に彼が心配になる。
「…そしたら、鳳月さんと2人じゃーん」
「ゆなっ子のどこが嫌なの?」
「…今日も無視されたし」
「それはキツイね。でもそういう子だから」
「はぁ…」
優月は落ち込んだように溜息を吐いた。
確かに彼女の過去を聞くと、一概に責める気にはなれない。だが、心を開いてくれないことも又、問題なのだ。
「そういえば、もう1人いるよね。退部しそうな子」
「えー、勘弁してー」
優月は正直退部者が出ることに不満だった。演奏が偏ることはもちろん、その後の人間関係や精神面にも関わるからだ。
それに、自分に『退部』を近付けさせているようで…。
考えている途中、咲慧はその名前を出す。
「志靉ちゃん、いるでしょ?」
「え、うん」
「あの子、2学期になってから新しい部活に入ったじゃん?」
「…まぁ、そうだね」
つい数日前に、美鈴たちから聞いたことがある。
「そっちの部活に優先したいから、悩んでるだって」
「…そうなんだ」
「まー、美羽愛ちゃんが引き止めてるらしいけど」
女子しか知らないであろう裏の情報に、優月は深刻に考えることにした。
翌日。
「今日は大丈夫そう?」
優月が部活に来た箏馬に訊ねる。
「あ、はい。大丈夫です」
彼の見せる表情も段々と増えた気がする。本当に良かった、と思う。
「それで分かんない所があるんですが…」
「ん?何?」
こうして、いつも通りの部活が始まった。
「…右、左、って形で叩くんだよ」
「ありがとうございます!」
箏馬の呑み込みは遅いものの、それでも素直なので優月は教えやすかったのだった。
「…そういえば先輩も演奏、大丈夫ですか?」
「えっ?」
まさか後輩にそんなことを聞かれるとは。
優月は延髄の辺りに手を回して、困ったように笑う。
「…正直、少しキツイかな」
優月の演奏はまだまだ課題だらけだった。たまに井土に指導されている。
最近は触れていないからか、鍵盤の腕前も少しずつ落ちてきている。最近はようやく早打ちができるようになったものの、まだまだ練習あるのみだ。
「そうですか。でも後輩は褒めてましたよ。上手いと」
「…えっ?」
「俺もそう思います」
後輩が褒めるので、優月は嬉しそうに顔を和ませる。
「まぁー、もっと上手くなりたいんだけどねー」
優月はそう言って、ビブラフォンのマレットを手にする。
基礎練習が足りないことが、優月への課題らしい。もしも彼に基礎が叩き込まれたら…、とんでもなく才気あふれる奏者となるだろう。
その時、顧問の井土がこちらへ顔を出す。
「ゆゆー、少しいい?」
「はい!」
優月は、井土のいる休憩室に入る。
「…えぇ」
結局、井土から説教に近い言葉を頂戴した。
「…やっぱり、スカート履いてる状態で、大きく股を開くのは少しマズかったと…」
優月が彼の言ったことを確認すると、こくりと頷かれた。
「それと、少しテンポがズレてたそうです。恋。リズムキープが課題ですね」
「は、はい…」
基礎練習は、全くしていない訳では無いが、確かに他の学校に比べたら、量は少ないだろう。
土台を何とかできるまでの才能を、優月は持ち合わせていない。最近、彼も気づいてきた。
「このままじゃ、技術は上がっても、基礎が出来ないのでは、成長しませんよ」
珍しく厳しい言葉。井土の硬い眼光が、優月の胸を突き刺す。
「…すみません」
しかし井土は再び笑顔になる。
「それでも少しとはいえ、難しい曲をやってくれてます。君みたいな出世の早い生徒はいませんよ」
「え…?」
「たった2年で、ドラムの曲を3分の1、そして他にも高難易度な曲をやってる。別に君が完全に下手、という訳じゃないですよ。誇ってください」
それを聞いて、優月は何故か泣きそうになる。
優月は元より、自己肯定感が低い。それは恋愛も、部活や勉強もそうだった。
「略してたこ焼き」
「はい…」
それでも、慢心すらできない優月は、俯きざまにそう返事した。
「…とまぁ、それは単なる世間話枠」
「枠…ですか?」
しかし、話しはまだ続くようだ。
「…久遠のことです」
「え、箏馬君のことですか?」
すると井土の眉が少しだけ下がる。
「…彼、鍵盤が苦手なそうで、2曲だけ引き受けてくれませんか?」
「…えっと、どんな曲ですか?」
心配そうな顔をする優月に、井土は心情を見透かしたように笑い返す。
「大丈夫です。ゆゆがドラムの曲には入れてないので」
そして数枚の楽譜を渡す。
「…色は匂えど散りぬるを、あと…これは?」
残り1曲は新曲だった。
「でも、ゆゆは芸術で音楽じゃないんだよね。全くー、音楽にしてくれれば良いのに」
彼は何かを悔やむように言う。その声には彼を咎める響きがあった。申し訳なくなって優月は小さく頭を下げた。
「…まぁ、来週あたりに教えますので」
そして彼は、机上のパソコンを慌ただしく打ち始める。
「あの、箏馬君って辞めないですよね?」
たまらず優月が訊ねる。
「えっ?久遠ですか?まだ退部届は受け取ってませんので、意思は彼に聞いてください」
優月は静かに頷いた。
やはり、最近の早退の多さが、田中美心を連想させて怖いのだ。
「…心配なんですね」
井土は最後、優しい声で背中を押した。
そして近い未来、吹奏楽部員としての命の灯火が消える者が、現れてしまうのだ…。
読んでいただきありがとうございます!
次回もお楽しみに!!
【次回】 今度は優月が…




