102話 後輩と期待
東藤高校吹奏楽部は、ようやく全通しが始まった。
「今日は衣装なしでもやってみます!」
顧問の井土の指示に、全員の視線が彼へ向けられる。
「…では、恋からやってみましょうか。ここは、最初は鳳づ…」
その時、鳳月ゆなが手を挙げる。
「ゆなっ子ね」
「あ、はいー」
指示を止めてまで言うことか?と思ったが、ゆながいちいち突っ込んでくるのは今に始まったことではない。
「で、恋はゆなっ子が最初にドラム、で途中からゆゆがドラムになります。ゆゆ、どこで入るか分かってる?」
問いを投げられた優月に部員の視線が集中する。刺々しい視線ならば狼狽するかもしれないが、優月は何も動じずに、
「3間奏です」
と答えた。
「そうですね。それまでは適当に演技してもらいます」
すると視線は再び井土へ向けられる。
「…それで2サビですが」
次々と指示が浴びせられる。
『ポプ吹コンクール』の1曲は『backnumber』の『恋』だ。ここは、まずメイド服を着せられた優月とサックスの夏矢颯佚が恋愛ドラマのように演技をする。コンセプトは『メイドへの片思い』だ。そして優月から巫女服のゆなに変わったあと、颯佚はゆなのことも好きになってしまう。
…といった話しだ。
ちなみに、彼氏にいい思い出のないゆなと、彼女に一途な颯佚は猛反対していたが、いつの間にかこれで決定していた。
練習終わり、颯佚は暇だったので神平市街を歩いていた。お酒が有名なこの市は酒蔵がある。それでも未成年の颯佚には何の興味も無いのだが。
「…はぁー、誰か一緒に喋ってくれないかな」
無言で歩くのが疲れた彼は、誰かに言うわけでもなくそう口にした。
「…まぁいいや。団子買って帰ろう」
近くの茶店で大好物のみたらし団子でも買おうと、彼は小走りで向かった。
「…つい、あ!」
颯佚は少し驚いたような顔をする。
「朱雀ー!」
手を振ると、数人の誰かと話していた彼女が、手を大きく振り返す。
「…あ、颯佚だ」
そう言って手を振り返したのは朱雀美玖音だ。彼女は颯佚と同い年で、茂華高校吹奏楽部のパーカッションパートだ。実力はとんでもないもので、最近ようやく茉莉沙以上だと気が付いてしまった。
出世と才能の塊というべき存在の彼女は、何かを彼の口へ突っ込む。
「団子、1個残ってるから食べてくれる?」
問い口調だが、完全に強制だ。
「もが…!」
次の瞬間、颯佚の口内にとろんとした甘さが広がる。大好きな甘味に集中した彼の表情までとろけてしまう。
「あー、うまい。さっきのやつも許せるぅー」
「本当、颯佚は甘い物に弱いな」
美玖音はそう言って肩をポンポン叩いた。
しばらくして、ようやく気を取り直した彼が美玖音に言う。
「朱雀、どうして君は後輩といるんだ?」
「え、相談乗ってた」
そう言ってふたりの男女へ視線を移す。
「比嘉と相馬さんじゃん」
颯佚もふたりには覚えがある。確か、1人は美玖音のような、神平小学校からの生え抜き、もう1人は小学生の頃から御浦の楽団に所属していたとか?よくは覚えていないが、そうだった気がする。
「…夏矢先輩じゃないすか〜、お久し振りです」
悠介はそう言って小さくお辞儀をした。
「…お久し振りです」
冬深の方も浅く頭を下げる。冬深はそこまで話したことがないので『ただの先輩』としてしか、覚えていないのだろう。それは颯佚も同じだが。
「随分と不思議な因果ですね。先輩はどうしたんですか?」
「暇だから団子買いに来たんだ」
そう言って団子の串を口元から離す。
「…相馬さんこそ、どうしたの?」
「朱雀先輩から団子を奢ってもらいました」
「へ、へぇ」
相変わらず後輩に優しい人だな、と颯佚は思った。
「…それで、比嘉たちは何を相談してもらってたの?」
颯佚がそれとなく訊ねると、悠介は誇らしげな表情をして答える。
「全国行けるかなーって」
「行けるだろ」
しかし、颯佚はクソ真面目な顔でそう言った。…というか、神平中学校は数年連続で全国大会に出ている。技術力も全国の強豪に引けを取らないはずだ。
「それが、今年の打楽器、終わっててなー」
すると悠介は頭を抱えるように言う。
「終わってるのは比嘉もでしょ」
そこへ冬深が突っ込んだ。
「どこがだよ?」
「音楽室で飯を食ってる時点でアウトだから」
「だって、暑いんだからしゃーないでしょが?」
「だからって、楽器の近くで食べないでくれ」
「あそこが1番、エアコン当たって涼しいんだよ!」
具にもつかない会話を、見届ける颯佚に美玖音が話しかける。
「茂華中学校」
美玖音が言ったその校名に颯佚が振り返る。
「それがどうかしたのか?」
「…全国行くかもしれないって」
その言葉に颯佚は半歩下がって目を丸める。
「えぇー?茂華が全国いけるって、何年ぶりだ?」
「…8年ぶりだね。私も演奏聴きに行ったけど、上手すぎて正直驚いちゃった」
「え、いつ?」
「…東関東大会への選考会」
そうか、と颯佚は考え込んだ。
「…ただ、まだ未熟さは残ってたね。多分、修正しそうだけど」
「朱雀はどう思ったんだ?」
「…打楽器に限って言えば、県内でも高い方。鍵盤は音程に沿って演奏できてる。だけど、タンバリンのリズムが少し偏ってた。でも、まだ評価としては可愛い方かな」
彼女がそう言うということは、もっと重大な批評があるということだ。
「他に何かあるのか?」
「…ティンパニがちょっとね。感情がこもっていても、音が小さいからバランスが悪い。本来、目立ってもいい楽器なのに、あの子は何かを躊躇してるように見えたかな。あれは、悠介君に舐められても仕方ない」
美玖音は非情に言い放つと、悠介と冬深の言い合いを笑いながら見始めた。
「…その子ってさ、古叢井さんのことか?」
「そう。瑠璃ちゃん」
美玖音と瑠璃は、4月に一度会ったことがある。
「…あの子か」
颯佚も、彼女を見たことがある。1カ月前に、高校の部活見学に来てくれた瑠璃を。
「でも、瑠璃ちゃんなら修正してきそう」
美玖音のその言葉は、まるで瑠璃に期待しているかのようだった。
そして別れる直前、こう言った。
「颯佚。私はもう茂華の部員だから」
その言葉が指す意味。それは神平が全国に進もうが、落とされようが気にはしない。そんな非情な響きが含まれていた。
「俺も東藤の部員だ。ぶっちゃけ神平中がどうなろうとな…」
果たして、全国へ選ばれるのはどちらか?
しかし、茂華中学校の事態は深刻だった。
『もう…駄目かも』
練習終わり、オーボエの不調に陥っていた久城美心乃はひとり塞ぎ込んでいた。
神平に勝てると努力して、合宿でも頑張ったというのに駄目だと言われた。
『…どうしょう』
自身への失念でぼろぼろと涙がこぼれ落ちる。
そんな美心乃にも気づかずに、午前の個人練習を終えた瑠璃たちは秀麟や希良凜たちと話していた。
「先輩ー、昨日徹夜で先輩の絵を描いたんですよ」
陽気な彼に瑠璃は「えー?」と疑いの視線を向ける。彼女が振り返る前に希良凜が大きく目を見開いた。
「…わっ!かわよ!傑作!ていてい!」
そう騒ぐ彼女の方を向くと、スケッチブックに瑠璃の絵があった。顔は大きく胴体は小さい、まるで
「わぁー、かわいい」
まるでマスコットキャラクターのようだった。
「これ、グッズにして売りましょうよー」
「え、誰が買うの?」
瑠璃は真面目な顔でそう言った。
「…いや、瑠璃先輩、本当に可愛いですから全国の皆さんが買ってくれますよー」
「そ、そうかなぁ?」
謎の自信を突きつけられて、瑠璃は少し困ってしまった。
…とその時だった。
「瑠璃!ちょっといい?」
凪咲が音楽室に滑り込んでくる。突然の先輩の突入に、希良凜と秀麟は少し後ずさりする。
「え?」
瑠璃は親友の血相を変えた顔に、少し驚いた。
「凪咲、どうしたの?」
「く、久城さんが…」
「美心乃ちゃん?どうかしたの?」
「大変なことになっちゃってる!」
「え!?」
瑠璃は嘘だろ?と言わんばかりに音楽室を飛び出した。
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【次回】 茂華中編 瑠璃の感情が消える…。
茂華高校 美玖音の本気の演奏
東藤高校 茉莉沙対ゆな




