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吹奏万華鏡  作者: 幻創奏創造団
夏休み終盤 ポプ吹コンクール編
171/210

99話 浮かび上がる面影

夏休み下旬の練習終わり。

現部長である明作茉莉沙は御浦市のホールに来ていた。

「まぁーりさ♪」

久々に御浦市民ホールに来た茉莉沙を待っていたのは、可愛らしい少女だった。

「野々村さん、久しぶりですね」

「改まっちゃってつまんなーい」

少女の名前は野々村葉菜。世界レベルのホルン奏者だが、実は優月と同い年だ。

「トロンボーン持ってきた?」

「持ってきました」

「…じゃあ、行こっかぁ♪」

実は茉莉沙を呼んだのは葉菜だった。

「最近は本番とかないの?」

「ない!来年からフランス行くかもしれない」

「すごいですね」

そんな彼女は不定期的に世界を回っているほどだ。

「んもー、茉莉沙の方が年上なのに。つれないなぁ」

葉菜はそう言って不満そうだ。



「じゃあ、チューニングの音、Bから」

「うん」

茉莉沙のトロンボーンのベルからは、優しい音が流れるように飛び出す。

「茉莉沙、ちゃんと楽器の手入れしてるんだね。偉い!」

すると彼女がまず評価したことはこれだった。

茉莉沙は元打楽器奏者ながら、トロンボーン技術は神域に達していると言っても過言ではない。だと言うのに、一瞬で楽器を手入れしてるかどうかを見抜いたのだ。

「…あ、ありがとうございます」

「はい!もう敬語禁止!」

「うん…」

(…今のちょっとした音だけで、それが分かるのか)

茉莉沙は、他の楽器の調子まで知り尽くしている葉菜が少し怖いと思った。

「…じゃあ、やってみたい曲とかある?」

「え?」

「ほら、近い本番とかで吹く曲」

「ああ、じゃあ、恋で」

「あー、これはね、」

その後も茉莉沙と葉菜は、練習したい曲の音階を吹き続けた。



「んー、つまんなぁい」 

ある程度と言っても1時間半ほど吹いていると、葉菜がそう言った。

「え、なにが?」

「だって、茉莉沙、殆ど完璧なんだもん」

「え…」

「私に教えてって言う子は大体、音量や調号、音程、酷いときには基礎まで出来てないんだから」

「そうなんだ」 

「あ、そういえば、野村中学校だっけ?港井君が通ってるとこ?」

その時、彼女は冬樹の話しをした。

港井(みなとい)冬樹(ふゆき)。この楽団でトロンボーンを吹いているが、実力は楽団内でも1、2を争う実力者だ。


「そうだね」

茉莉沙も冬樹のことを鮮明に覚えている。

「今もラブラブなの?」

葉菜がそう触れた瞬間、茉莉沙はびくりと震える。

「そ、それは…」

「それは?」

「…分かんない」

「分かんないんかーい」

葉菜は残念そうに首を上げる。

「そうだ。市営コンクールで聴いたよ。ラストリモートのアレンジ曲」

「え、」

茉莉沙が曲名を伝える前に、彼女はホルンを吹く。柔らかそうな唇と頰が柔らかな音と寂しげなメロディーを音を作り出す。

「…すご」

そんな彼女は原曲を一瞬で吹き始めたのだ。所々、抜けたりアレンジされているのは、きっと耳コピをしているからだろう。

どう見ても素人の無せる業ではない。

あの茉莉沙が彼女との大きな差を悟るまでに葉菜は凄かった。


「…え、こう?」

「え、多分」

「茉莉沙、原曲とか聴いてないの?」

「うん、聴いてない」

茉莉沙は『月に叢雲華に風』の原曲を聴いていない。アレンジ曲を演奏したのだから当然、原曲に触れるわけもなかった。

「でも、本当に良かったよ」

葉菜は普通に褒める。

「もしかしたら東高(とうこう)は、コンクール曲よりポップスの方がいいのかもしれないね」

「私も思った」

茉莉沙も小さく笑う。2人分の笑い声が、小さな練習室に響いた。


そうしてまた1時間ほど吹いていると、再び葉菜が彼女に話しかける。

「そうだ!茉莉沙、まだ打楽器できる?」

その言葉に驚いた茉莉沙は、トロンボーンを胸元へ下げる。

「…え?」

「だから、まだ打楽器できるかなーって」

「できる…と思いますよ」

「じゃあ、やらない?今なら沢柳いないよ」

「…何で知ってるの?」

なぜか葉菜は、彼女が沢柳のことを苦手としているのを知っているのか。

「なんで?って阿櫻先生から聞いたからだよ」

「そ、そうなんだ…」

茉莉沙は苦い顔を見せずに葉菜を凝視した。

「てか、あいつバイトでしょ?なんで野村市に住んでるのに、東藤のコンビニで働いてるんだろう?」

茉莉沙の苦い視線にも、気づいていない葉菜はそのままの疑問を口にした。



彼女の言う通り、沢柳律はレジ打ちの仕事をしていた。

「…くしゅん!」

沢柳は辺りの商品棚を見ていた。

その時。

「お願いしまーす」

誰かが商品を渡してきた。

「…はーい。あ、小倉だ」

その客は優月だった。彼はさっきまで井土と居残り練習をしていて、今はその帰り道だ。

「沢柳…くん。久し振りだね」

最後に会ったのは、半年前だったか?それ以降は沢柳の働いている時間帯でコンビニには行っていない。

「君、もしかして部活帰り?」

「そうだよ。沢柳君は夏休みなのにバイトなんだ。お疲れ様」

「さーんきゅ、じゃない、ありがとうございましたー」

すると優月は忽然と姿を消す。しかし10秒もしないうちに何かを持って戻ってきた。

「…これもお願いします」

「110円です」

優月は残った小銭を引っ張り出す。

「袋は付けますか?」

「いらないです」

首を落とした沢柳へ、優月は小さな声で言う。

「…これ、食べて。じゃあ、練習頑張ってね」

最後に声援を残し彼は店から消えた。


「…うお。アイスもらっちゃった」

沢柳は少し嬉しそうに袋を握る。あとで溶けないうちに食べようと思った。

「いいとこあるじゃん。メイ先輩の後輩ちゃん」



一方、御浦市のホール。

「わぁ!すごーい」

早打ちをしたマリンバを前に、葉菜と鈴木燐火の褒める声が響きわたる。

「…そんなことないよ」

「でも、少しミスってたね」

「現役じゃないから…」

茉莉沙は少し恥ずかしそうに笑った。鍵盤楽器を触ること自体、久しぶりな気がする。

するとオーボエ奏者の鈴木(すずき)燐火(りんか)がこう言った。

「でも、鍵盤は怜奈と冬深がうまかったよな」

「…」

その名前に茉莉沙の目が見開かれる。

「…あ、ごめん」

当時の感覚を思い出させたと、燐火は思わず謝罪の言葉を投げる。

「いや、冬深って誰?」

しかし茉莉沙は問いを投げ返した。

「クラも吹いてた相馬冬深ちゃんだよ。覚えてないの?」

「ごめん。あの時は自分のことで、他の人のこととかは覚えてなかった」

「あー、冬深は神平町に住んでる子だよ。中1で辞めたから、茉莉沙と同じ年に辞めたんだっけ」

「…そうなんだ」 

そういえば、自分のように、クラリネットの他にも鍵盤や太鼓類を粛々と演奏する人がいたな、と思い出した。


「じゃあ、茉莉沙、次はドラムやってー」

「えぇ…」

しかし、完全に思い出し切る間もなく、葉菜は再び茉莉沙に無茶振りをかましてきた。

「メイちゃん、今でもドラムできるの?」

「…高校行ってからも、少し叩いてるからね」

茉莉沙はそう言って見慣れたドラムセットへ手を掛ける。

「そうなんだ」

葉菜は意外そうに言う。ちなみに燐火は何度かそれを見ている。

「最後に茉莉沙の演奏聴いたのいつだっけ?」

葉菜が遡るように考え込む。

「…定期演奏会前には、オーストリア行ってたから、全国コンクールまでじゃないかな?」

その時、燐火がこう言った。

「そうだね!茉莉沙ったら3年生になったら、急に化けちゃったからビックリした!」

「…あははは」

茉莉沙は苦情した。

そう、茉莉沙は中学3年生に上がるまでは、落ちこぼれと言われても過言ではないほどの存在だった。阿櫻は先見の明で、彼女の才能を見抜いていたようだが、才能開花する前は本人さえも恨むほど実力不足であった。


「それで、思いっきりいっていいですか?」

適当にリズムを刻む予定の茉莉沙はそう訊ねる。

「大丈夫だよ」

燐火が答えると、瑠璃は近くに転がっていたスティックを手にした。

「分かりました」

そして彼女はスティックを一閃させるように振る。次の瞬間、シンバルの金切り音がホールへ弾けた。

普段は大人しい彼女も、打楽器のことになると性質が変わる。集中力が深くなる度、表情は狂気じみた笑顔に変わり、演奏は激しくても正確に刻まれる。

未熟な頃は何度も注意された場所だが、トップ奏者になってからは何度も楽しいと思った場所。そんな複雑な所だ。


「茉莉沙の表情が変わるのは変わらないね」

「それが沢柳を超えるんだから仕方ない」

天下のウラ奏者と呼ばれるふたりも、彼女には強い興味を持っている。

「…でも、本当に良かった」 

そして燐火はこう言った。

「努力が報われたみたいで、本当に…」 


実は茉莉沙はトップ奏者になっても、御浦ジュニアブラスバンドの事は大嫌いだった。ただ楽器が好きなだけだった。

茉莉沙は厳しい指導や沢柳のパワハラにも耐えきれずに、自分を傷付けた。それだからこの楽団を嫌うのも当然だ。


「…っ!」

茉莉沙はシンバルが指を掠めようと叩き続けた。

ここへ来ると、本当に過去を思い出す。

自分を失い、自分をただ傷付けたあの日々を。でも茉莉沙は誰も恨まず、ただ自分ひとりを責め続けた。精神科に行ってようやく自分がおかしいのだと気が付いた。

それでも辞めたくなかった。楽器を続けたい。今までの苦悩を全てひっくり返してやりたい。そう努力したのだから。

その結果、沢柳以上のトップ奏者、そして一緒にいたい友達だってできた。


だが、楽団は大嫌いだ。

もう強豪にはいたくない。楽しくやるのが吹奏楽。茉莉沙はそう思い続けるうちに、御浦楽団の記憶を消そうと思い始めた。

ウラ奏者である音乃葉や燐火も忘れようとした。だから知らないフリを何度もした。


…だと言うのに、友達全員が気に掛けてくれた。こうして引退後も、練習へ誘ってくれる。茉莉沙はそれが幸せだということに気が付いた。

「…まりさぁー、やっぱり上手いね。流石沢柳以上!」

「…今はどうだかな?」

そんな2人を見て、茉莉沙は小さく笑った。




夕方、ようやく茉莉沙は家に帰ることができた。

「ただいま」

茉莉沙はひとりっ子だ。だから誰かと遊んだりなどをすることはない。

トロンボーンケースを自室に置くと、ひとつの写真立てに手を掛ける。

それは、御浦楽団にいた時の定期演奏会後の写真。

沢柳律と佐野怜奈、茉莉沙の横にいる大人びた見た目をした少女。彼女は小さなクラリネットとドラムスティックを持っていた。

「この子…」

そこで茉莉沙はようやく冬深という少女に気が付いた。ひとりだけ小学生だというのに、彼女の身長は当時の茉莉沙とそう変わらない。

「…この子が冬深ちゃん」

落ち着いた表情をしていた少女の姿が、記憶の海にうっすらと浮かぶ。しかし波が全てを飲み込むかのように、姿は記憶の海から消えた。

「…そっか」

茉莉沙はトロンボーンケースを開けて、トロンボーンを磨き始めた。

学校の所有物(モノ)だが、部長を引退するその日まで、茉莉沙は大切に使おうと心に決めた。

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