91話 合宿練習スタート
バスは合宿所へと向かっていた。学校から目的地の日光までは3時間近くかかる。
三つ編みにしてもらった瑠璃は、手鏡を見ながら満足そうに笑った。
「希良凛ちゃん、ありがとね」
「いえ。先輩も忙しくて朝時間がないのは分かってましたから」
すると希良凛は少し耳を赤くする。
「ホントにセルビアは気を付けてください」
「え、セルビア君?どうして?」
「いや、あの人は粘着質な所があるので」
「別に私は大丈夫だよ」
瑠璃はそう言って嬉しそうに笑った。
「瑠璃、そっちの方が好きだから」
瑠璃の今までの人生は殆どが孤独だった。
群馬県の保育園だったが友達は数人、低身長を理由に喧嘩も絶えなかった。小学校時代は和太鼓クラブ天龍にいた時は殆ど孤独だった。何人かは面倒を見てくれたが迷惑を掛けてしまった。小学校高学年になる頃には少しずつ話せてきて友達もできたが、茂華町に引っ越してきてもまた孤独だった。
そんな環境を変えてくれたのが優愛、そして吹奏楽部なのだ。
だから恋されることは別に良い。
「…なら良いですけれど」
希良凛は小さくため息を吐いた。よほど心配してくれてるのだろう。
「まぁ、なんかヤバかったら相談するよ」
「してください!」
なんだか希良凛は怒っているようだ。
「先輩にこれ以上、彼氏を取られる訳にはいかないですから」
「…あ、そゆこと?」
どうやら希良凛は瑠璃が彼氏に取られることを恐れているらしい。可愛い後輩だな、と思いながら瑠璃は口元を締めて目だけで笑った。
「はぁー、私も彼氏ほしい」
そんなことを言う後輩を見ながら。
瑠璃たちが盛り上がる傍らで、部長に不穏な相談を持ち掛ける3年生がいた。
「ぶちょー、相談ちゃんがあるんだけど」
「どうした?」
「人間関係って補修しとくべきかな?」
「しとくべきだな」
雄成はそう言って目を細める。
『部内がギスギスしてるのは部長が下手だからだよ』
脳裏に瑠璃の姿が蘇る。彼女を通して人間関係の重要さを学んだばかりだった。そんな雄成に彼の言葉は無視できない。
すると3年生は語りだした。
「土谷さん、いるじゃん?チューバの」
「土谷さんか。どうしたんだ?」
土谷菫玲。チューバパートの1年生だ。
「その子と、2年の霞江遥翔くん」
「…ユーフォニアムだな。てか、そのふたりって…」
実は選考会直後から、ふたりの仲が急激に悪化したという噂が流れたのだ。
「うん、ふたりが喧嘩して別れたんよ」
雄成はその言葉に頭を押さえた。
「はぁあー、だからリア充は嫌いなんだよ」
「古叢井のこと好きなやつが何言ってるんだ…イテテテ!」
雄成は踵で3年生の足を踏む。
「瑠璃のことは別に好きな人としては見ていない。それより!」
雄成はその3年生を睨んだ。
「もう勝手な噂を流すなよ?芽吹」
その3年生の河野芽吹は「はーい」と頷いた。
(はぁ、本当に分かっているのか?)
雄成は彼のことが心底心配だった。
彼は無類の噂好きだ。吹奏楽部内の情報通でもある。
それからしばらくすると、合宿所へと到着した。
「ありがとうございました!」
『ありがとうございました!』
バスが行き、トラックの中にある楽器をホールへと下ろす。ここはよく日光学園吹奏楽部がホール練習に訪れるらしい。
ここからは顧問の笠松明菜が指示をする。
「はい、11時からパート練習にします!ホール近くに会議室などがあります。そこで各パートごとに練習して下さい。それでは解散!」
『はい!!』
瑠璃は希良凛と秀麟を集めて、打楽器の陣形を作り出す。
「ティンパニはこれでOKだね」
瑠璃が満足そうに言う。というのも瑠璃が主に使うのでやはり準備は大切なのだ。
「瑠璃先輩、ドラムはどうしますか?はやく練習したいですー!」
「え、今日は練習しなくてもいいって笠松先生が言ってたから、今は大丈夫だよー!」
瑠璃が声を上げると、希良凛は不満そうに頬を膨らませる。それがかつての自分と重なる。
仕方ないので今のうちに組み立てて、こっそり練習することにした。笠松に見つかったらきっと怒られるが、
「ドラムもう組み立ててるの!?早いねぇ」
副顧問の中北楓の前なら、全く問題は無いだろう。
「先生、ドラムは他の楽器の邪魔にならない所に置きますねー!」
希良凛が中北に言うと彼女は笑顔で頷いた。
彼女はとても優しいので、並大抵のことなら何かを咎めたりはしない。
瑠璃と希良凛は当然それを熟知している。
それに瑠璃もドラムは不安ばかりだった…。
そうして打楽器パートも練習が始まった。瑠璃は中北に付きっきりで指導されながら基礎打ちを始めた。秀麟はビブラフォンで全音階を打ち込む。希良凛はスネアドラムのロール練習を始めた。
「ここは少し強調するから、4小節前からやってみようか?」
「はい」
瑠璃は細かい連打から弾けるようにティンパニを叩いた。風船が破裂するかの如く音が弾ける。
「うん、そうそう。ここは少し弱めにするけど、途中から音量を上げるの」
「はい!」
瑠璃は言われたことを意識しながらマレットを振る。手首の脱力が重要と優愛からよく言われてきた。
和太鼓とは違う。手首を使った精密な動きが演奏の要となる。そんなことを考えていると、軽く2時を回っていた。
3時の合奏までの1時間、昼食休憩になった。
「…さっちゃん、トマト食べる?」
「え、瑠璃先輩いいんですか?」
「私、トマト苦手なんだよね」
「やったー♪」
希良凛はトマトが大好きなので、ぱくりと口の中へ放り込んだ。酸味が口いっぱいに広がった。
「ん、これ酸っぱい」
「希良凛先輩、僕のトマトも…」
「トマト嫌い多すぎません?」
希良凛が苦笑しながら秀麟のトマトを口にした。
「…確かに」
瑠璃もトマトが大の苦手だ。小さい頃に喉に詰まりかけてからあまり食べなくなった。ちなみにトマト以上に苦手な食べ物が納豆だ。
「お昼、お弁当ですけれど夕飯はどうなるんでしょう?」
希良凛が訊ねると瑠璃は「カレーとか?」と考え込む。やはりカレーは夕飯の定番だろう。
「…それより、私はちょっと食べ終わったらダンスの練習してくるね」
「え、ダンスですか?」
どうしてダンスの練習をするのか?と秀麟は首を傾げる。
「ポプ吹コンクールで踊るからだよ」
そんな彼に瑠璃はそう答えた。
「あ、そうでしたね!お盆も練習したんですか?」
「うん。結構練習したよ」
休憩時間はスマホで遊ぶ部員もいるが、瑠璃は空きスペースでひとりダンスの練習をしていた。
「…ふぅ」
スマホから流れる音楽を止めた瑠璃は、ポケットに入れたハンカチで汗を拭う。汗ばんでいた先ほどの感覚より心地よい。
「…瑠璃」
その時、凪咲が空きスペースの前にいた。音もなく声を掛けられて初めて気付いた。
「どうしたの?」
「もしかしてダンス練習?」
「うん。そうだよ」
すると凪咲は「暑くない?」と心配の言葉を掛ける。大丈夫だよ、と瑠璃は答えると白いジャージの胸元へ手を掛ける。するとひんやりとした空気が胸に触れた。
「暑いじゃん」
凪咲はそう笑って瑠璃へ手を差し出した。
「…少し安も」
「うん」
まだ2回しか通していなかったが、十分だと感じた瑠璃は時間まで凪咲と他愛もない雑談をした。
ありがとうございました!
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