新入部員歓迎会とサックスの章
この物語はフィクションです。
人物名、学校名は全て架空のものです。
『はい!では自己紹介を始めます』
県立東藤高校の音楽室に拍手が鳴り響く。
『それでは、席順に齋藤さん』
すると、テナーサックス担当の齋藤菅菜が椅子からゆっくりと立ち上がる。
「齋藤菅菜です。パートはテナーサックスです。趣味は音ゲー。好きな言葉は『気分上々』です。よろしくお願いします」
すると周りの部員から拍手が起こる。
『はい、次は初芽さん』
「初芽結羽香です。パートはフルートです。趣味は友達とお喋りすることです。好きな教科は国語です。よろしくお願いします」
『次…』
「川又悠良ノ介です。パートはユーフォニアムです。趣味はサイクリングをすることです。好きな食べ物は柑橘類です。よろしくお願いします」
『明作さん、どうぞ』
「明作茉莉沙です。パートはトロンボーンです。趣味は色々ありますがトロンボーンを吹いている時間が1番楽しいです。好きな言葉は『月に叢雲花に風』です。よろしくお願いします」
『奏さん』
「奏澪です。澪と呼んでください。パートはギターです。趣味は足湯に入ることです。好きな花は彼岸花です。よろしくお願いします」
…とこんな形で自己紹介は続いていった。
「月に叢雲花に風ってどういう意味?」
鳳月ゆなが岩坂心音に訊ねる。
「…分かんない」
そんな彼女らを見かねた降谷ほのかが心音の方を見て、
「いい時には邪魔が入りやすいって意味」
と言った。
「へぇー、ほのか、すごぉ…」
ゆながそう褒めると、何故かほのかは嫌そうな顔をした。
『次に1年生の自己紹介です…』
「…ふぅ…緊張したぁ」
齋藤菅菜がそう言って、額から流れた冷や汗を拭った。
「…菅菜、お疲れー」
そんな彼女に駆け寄ってきたのは、ゆなだった。
「ゆなちゃん、久し振りだね」
この会話から勘違いする者もいるが、菅菜が先輩でゆなは後輩だ。
「ゆなって子、距離感壊れてるね」
そう言ったのは、つい先日入部した小林想大だ。
「うん。優愛ちゃんとは真反対だから、話すのが大変…」
優月はそう言って、彼女を思い出す。
優しそうな瞳に、人当たりの良い態度。
「…妹は?元気にしてる?」
ゆなが尋ねてきた。
「…うん。この前、2人で太鼓の達人やったの」
そう言って菅菜はスマホをゆなに見せる。
「…へぇ。かわいい」
写真には、太鼓を叩く菅菜とその妹が写っていた。
「昔から、音ゲー、好きだったもんね」
すると菅菜は「うん」と目を細めて頷いた。
どうやら2人は、ただの先輩と後輩の関係ではないらしい。
「…2人は友達なんですか?」
すると、夏矢颯佚がゆなと菅菜へ歩み寄る。
「うん。和太鼓部の後輩」
すると菅菜がそう言って、ゆなを指差す。
「…ちょっ…!私が先輩の間違いでしょ!?」
「ええ?」
「私よりも後に入部した癖に…」
先輩であるはずの菅菜もゆなの勢いには、未だついていけてないようだ。
「鳳月ー、そういうの良くないよー」
颯佚がそう言って、ゆなを見る。
「…ふん」
しかし、ゆなは己の態度を貫くだけだった。
「…ってか、2人は何中だったんですか?」
すると菅菜が、
「冬馬中学校」
と言った。
颯佚はそれを聞いて「和太鼓部かー」と言った。
初めて聞く。そして、本当にあったのか。
「部員は最初は4人しかいなくて、菅菜ともう1人の先輩が卒業しちゃって、翌年に1人入ったけど、今は不登校」
何の隠しもせず、ゆなはそう答えた。
「…ふ…不登校」
颯佚はそう言って、気まずそうに目線を逸らした。
その時、誰かが音楽室に語るように、
「…私、練習行ってきます」
と言った。恐らく全員に、言っているのだろう。
「私もテナー吹こう…」
すると、優月が前へ出る。
「どうして先輩、吹奏楽部に入部したんですか?」
すると菅菜は「うーん…」と頬に細い指を当てる。
「今じゃなきゃダメ?」
少し困った表情をしている。
断るか…と諦めかけたその時…
「メイは練習しに行ってるけど、私たちはもう少し話しましょ」
ゆながそう言った。
それを聞いた菅菜は諦めたように、頷いた。
「…俺は練習行くぞー…」
しかし、颯佚は関係無さそうに、サックスのある楽器室に体を向ける。
しかし、ゆなが「何言ってんのー」と彼の首筋をガッチリ掴んだ。どこからそんな握力がでてくるのか…、颯佚は苦しそうにもがいた。
「ふぁ…ふぁふぁ…らよ!」
彼の苦し紛れの言葉が『分かったよ』であることに気が付いたゆなは、手を離す。
「…これ、俺も逃げたら…ヤバいやつ?」
想大が顔を真っ青にする。
「ヤバいかもねぇ」
優月も諦めて、菅菜とゆなの話しを聞くことにした。
最も、優月は練習する曲、想大は楽器すら決まっていないのだが。
学校の校庭にトロンボーンの音が響く。
茉莉沙が朝礼台に腰掛けて、トロンボーンを吹く。
音の転調、音量も、淀み無く緩やかに進む。
すると、茉莉沙は鉛筆を手に取った。
そして楽譜に何やら書き込んだ。
茉莉沙は毎日、人気のない場所で、密かにも高らかな音を響かせているのだ。
その時、菅菜も諦めたように、椅子へ腰掛ける。
優月、想大、ゆな、颯佚も椅子へ座り込んだ。
「ゆなちゃんにも、話してないんだよね…」
菅菜は独り言のように言う。
「そうだよ、知らないもん」
ゆなが、その独り言に平然と返した。
キッカケは3年前の中学3年生の冬らしい。
菅菜は元々、和太鼓部で活動していた。しかし部員が少なく、偶に吹奏楽部で活動していた。
そんな中、文化祭に出た日の事だった。
「…和太鼓部、人数少ないのに、頑張ってるね」
吹奏楽部の顧問がそう言った。
「…ありがとうございます」
当時、和太鼓部の副部長だった齋藤菅菜がぺこりと頭を下げる。
「齋藤さん、吹奏楽部の片付けのお手伝い、手伝ってくれるから助かるわ」
当時の菅菜は、和太鼓部がお世話になっている吹奏楽部の手伝いをよくしていた。
「いえ。いつもこっちこそ、助けられているので…」
そう言って菅菜は笑う。
笑うと、甘く優しみのある真っ黒な瞳が、更にほころぶ。
「それにしても、すごい体力ね」
顧問が彼女へそう言った。
「いつも、和太鼓やってるからかな…」
そう言って笑うと、菅菜は、
「そうかもしれませんね…」
と返した。
ゆなの和太鼓まで片付けてばっかりいたから、勝手に手伝いに動いてしまう癖がついてしまったとは、言えなかった。
ゆなの面倒臭がりは、この頃から健在だったようだ。
「…うーん、菅菜ちゃんが吹奏楽部だったら良かったのにー…」
すると吹奏楽部員の1人がそう言った。どうやら後輩のようだ。
「そうよね。菅菜ちゃん、体力あるし積極的だから、トランペットとかサックスをやってたらよかったかもしれないわね…」
顧問がそう言って、羨ましそうに菅菜を見る。
「…私、太鼓の達人が大好きで、和太鼓始めたんだよ。買い被り過ぎですよ」
「でも、高校に和太鼓部は無いわよ。まぁ、また鳳月さんが力づくで創り出しそうだけど…」
そうなのだ。
和太鼓部を創ったのは、ゆななのだ。
自分は、あくまでも、その話しを聞いて、飛び入部しただけだ。
「…その時は、バドミントンを続けようかな」
すると、その後輩が「勿体なーい」と残念そうに言う。
「先輩は、絶対に吹奏楽部の方が良いですよ!」
「…そ、そう?」
「はい!!」
菅菜の目から頼りない光が差す。
「…そっか」
しかし、何の楽器ができるのか?
少し、不安になってくる。
「でも…今は、受験だよ!頑張ってね!」
だが、先生にこう言われただけでも嬉しかった。
それから1ヶ月後。
「…はぁ。先生は、菅菜なら大丈夫です、って言ってたけど、不安だなぁ…」
彼女がそう言っていると、どこからか、大きな音が聴こえてくる。
その音は、自分のやっていた和太鼓の鋭い音とは全く違う、優しさが籠もった音だった。
「…んあ?」
すると、1人の女の子が何かを吹いていた。
黄金に光を放つサクスフォンだ。
伸びやかな音が、ベルから鳴り響く。
「…あれは」
その時、彼女の穏やかな光に、剣呑な光が宿る。
カッコいい…。
そう思ってしまった。
それから、サックスに憧れた彼女は、吹奏楽部へ即座に入部した。
しかし、彼女が憧れたのは、皆で同じように吹くのではなく、1人で伸び伸びと吹く。そんな吹奏楽に憧れた。
しかし、彼女のその考えは、とある人との出会いで跡形もなく崩れ去った。
ある日、先生から許可をもらった彼女が、夕日の見える裏庭へサックスを持っていく。
サックスを構えたその時だった。
どこまでも伸びやかな優しい音が聴こえてくる。
だからか、菅菜は直ぐに分かった。
これを吹いている者は、熟練者だと。
誰だ、と菅菜が歩いて行くと、そこには、トロンボーンを吹く少女がいた。自分よりも小さな体をした女の子。必死に吹いていてどこか可愛らしいと思ってしまった。
「…あの子」
その少女を彼女は知っていた。
パーカッションパートの人たちと体験入部していた女の子だ。
「…すごい」
その時、彼女の真っ黒な髪を煽るほどの、強い風が吹き付ける。
それでも、手を止めずに彼女はトロンボーンを吹き続けた。
彼女はパーカッション奏者ではないのか?と背筋に強い悪寒が走る。
その時だった。
一通り、演奏を終えたのか、女の子がこちらを振り向いてくる。
「…何か?」
その深紅の瞳が、菅菜を捉える。どこか警戒しているようだ。
「…あ、いや…」
菅菜は何を言えばいいか分からず、慌ててしまった。
「…あなた、和太鼓部とか言って、講釈たれてた方ですよね?こんな所で練習してて大丈夫なんですか?」
冷たい、怖い、逃げたい。
「…私も言えたことじゃないですけど、あなたの演奏聴いてたら、まだ基礎がなっていないように聴こえます」
…はっ!と菅菜は気がつく。
と同時に実力がないくせに、こんな所で吹こうとしている自分が恥ずかしくなった。
「…あ、あなたは…?」
泣きそうな気持ちを抑えて、菅菜が訊ねる。
「…私は、1年1組の明作茉莉沙です」
同級生だというのに、礼儀正しい。
「…とまぁ、初心者如きが、こんなこと言って、すみませんでした」
そう言って茉莉沙はペコリと深く頭を下げた。
下げ慣れているのか、あまり丁重さは感じられなかった。
明作茉莉沙。菅菜は彼女に憧れた。
「…というのが、私の入ったきっかけだよ」
すると、ゆなが眉をひそめる。
「メイって、マジで初心者だったんだ…」
優月もそれに同意する。
「うん」
誰が聴いても初心者とは思えないくらいに、彼女の演奏は上手い。
「…齋藤菅菜先輩、改めて、これからよろしくお願いします」
すると、颯佚が突然、お辞儀した。
「…ふふ。よろしくね。夏矢君」
どうやら、2人も打ち解けたみたいだ。
これなら、ゆなが話しを、無理強いしたことにも意味があったんじゃないか、と優月は初めて思った。
しかし、彼らは茉莉沙の壮絶な過去をまだ知らない。
ありがとうございました。
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