88話 温泉旅館
「久し振り!」
「久しぶりだね。娘3人は元気かい?」
瑠璃の父は、3人の娘を見る。
「…瑠璃姉、それサファイアの色してるんだよ。あとシールに名前が書いてある」
「へぇー、まぁ、9月の誕生石ってサファイアだもんね」
次女の小麦と長女の瑠璃、そして末っ子の樂良。3人の仲はそこそこ良い。
それを見た瑠璃の父は苦笑する。
「…まぁ、よく喧嘩してはいますが」
「小麦ちゃんだけドライなんでしょ?」
「そう。まぁ、中学校行ったら変わるかな。瑠璃みたいに」
「確かに瑠璃ちゃんも変わったもんね。あの子も吹部なんだっけ?」
「うん」
その時、ふたりの男女がこちらへ歩いてくる。
「悟くん、久し振りです」
「悟さん、ご無沙汰してます」
女の子と男の子は姉弟だ。
「あ、颯姫ちゃんと春陽くん、久し振り」
「瑠璃ちゃんたちは?」
「ああ、そこに…」
父の言葉を待たずに、瑠璃は颯姫へ飛びついた。
「颯姫ちゃん、連絡先交換して私にも楽器を教えて〜!」
「う、瑠璃ちゃん。茂華中だって充分うまいよ」
「うそ!颯姫ちゃんの和太鼓、すごく上手だった!」
「えぇ…」
颯姫は困ってしまい肩をすくめた。
「私たちの学校ね、全国行くことになったの」
「それは随分急なこと」
そして彼女はくすりと笑う。
「連絡先なら繋いでもいいよ!」
「やったぁ!紅愛お姉様以来だ!」
「お姉様呼びするんだ」
「…うん!」
紅愛とは月館紅愛のことだ。時々瑠璃の相談に乗ってくれた小学校時代の友達だ。
「素直になったね。瑠璃ちゃん」
「えへへへ」
瑠璃は幼女のように照れだした。かわいい、と颯姫は瑠璃の頭を撫で回す。
「…随分丸くなったこと」
「優愛お姉ちゃんのお陰だよ」
「まったく、一体君のお姉ちゃんは何人いるのやら…」
すると瑠璃の母が瑠璃たちに話しかける。
「ほら、颯姫ちゃんたちに迷惑掛かっちゃうから、そろそろ旅館に行くよ」
「あ、うん」
瑠璃は颯姫に「またね」と手を振って別れた。
凪咲たちにはまだ言っていなかった。まさか愛宕岩中学校吹奏楽部の部員と友達だなんてこと。
そして、瑠璃たちはガラス街を後にして、温泉旅館へと向かった。
温泉旅館は、2層の建物で10階ほどの高さがある和風な所だった。一度だけ行ったことがあるが、再び訪れるのも楽しみだ。
「うわぁー!スカートにソフトクリームが!」
車内にて樂良が叫ぶ。どうやらスカートにソフトクリームが落ちたようだ。
「まったく、ティッシュ貸してあげる」
小麦が仕方なさそうに彼女のスカートを拭く。ごしごしとティッシュで拭く。
瑠璃はチョコミントアイスを食べながら、外の景色に満足していた。
「おいしい」
ミントの風味が口の中がすっきりさせる。そこへチョコチップの甘みが丁度よく響き合う。
「…やっぱりチョコミントこそ不滅」
絶対的な自信を、アイスと共に噛み締める。
「瑠璃姉!箱ティッシュとって!」
それも小麦たちによって、味の噛み締めタイムは終了した。
旅館に到着すると、母たちと荷物を持つ。
「…わぁあ」
瑠璃は真っ先に目を輝かせる。大きなダイヤのシャンデリアが真っ先に目を奪う。
「あ、」
しかし、その時だった。
「…優月先輩?」
見覚えある男女がいた。え、まさか?と瑠璃は試しに手を降ってみる。
すると案の定、その男女は手を振り返してきた。
「優月先輩と実優ちゃんだ」
そう、いた人物は小倉優月と小倉美憂だった。
優月は2つ上の先輩、美憂はひとつ下の後輩だ。瑠璃に気づいた優月は彼女へ歩み寄る。
「瑠璃ちゃん、どうしてここに?」
優月は驚いたように目を見開く。先ほどガラス街にいたことに気づいたのは瑠璃だけだったようだ。
「優月先輩、久し振りです」
「ひ、久し振りだね」
優月は顔を引きつらせながら笑う。
「やっぱり!副委員長!?」
そこへ実優がやってきた。
「実はガラス街で副委員長を見つけて…、話しかけるか迷ったんですけど」
「私も実優ちゃん見つけたの!まさか同じホテルだったなんて!」
瑠璃は本当に嬉しそうだ。そこへ樂良が来る。
「瑠璃お姉ちゃん、ホテル2階だって」
「え、低っ!わかったぁ」
その2人の会話に優月が思わず口を突っ込む。
「…え、ここのホテル2階は宿泊室ないよ」
何度か来たことのある優月はそう言った。
「え、ないの?」
「もしかしたら館数じゃない?ふたつあるし」
「確かに」
瑠璃がそう言った瞬間、小麦が「2館のほうだった」と話しかけにやってくる。
「やっぱり」
優月はニコニコと笑ってそう言った。
「ありがとね。優月先輩!」
「大丈夫よ」
優月がそう言うと、樂良が彼を凝視する。
「優月ちゃん、久しぶりだね」
そして、こう言った。
「…え、優月君、この子と知り合いなの?」
実優が訝しげに訊く。
「え、まぁ、実はバーベキューのお菓子買いに行った時に、偶然…」
「私の妹が迷子になった時に見つけてくれたの」
そこに瑠璃が補足する。
「へ、へぇ」
実優は依然として疑ったままだったが、優月は興味なさそうに神妙な面持ちを見せる。
「…なんだよ?」
「別に」
そうして、実優の不審な視線を優月は回避した。
「私もおかしいと思ったぁ」
瑠璃がそう言って荷物を畳の上へ置く。
「…でも、瑠璃は小さい時にここに来たことあるのよ」
母がそう言った。
「えっ?いつ?」
「太鼓の合宿」
「え?」
瑠璃は小学校低学年まで、和太鼓クラブ『天龍』に所属していた。その時に来ていたのか、と瑠璃は今になって思い出す。
「…天龍かぁ」
瑠璃は和太鼓を叩いていたときのことを思い出した。本気で叩いていたときの演奏は小学生離れしていると称賛されたことがあった。
でも、本気で叩いていた理由はうまくなりたいだけでは無かった。
本当は誰かに振り向いてほしかったから無理をした。無茶な叩き方で3年生まではよく手を傷つけていた。そんな過去がティンパニ破壊事件を起こしたのだ。
一方、温泉に向かった優月。
「…あれ?」
そんな彼はロビーの床で何かを見つける。黄金色に光る指輪。その中枢にはふたつの紺青の宝石が埋め込まれていた。
「サファイア?本物?」
優月は照明の光に当てて確認する。しかし特に特別な煌めきは見られなかった。
「…まぁ、本物のサファイアがふたつも埋め込まれている訳ないか」
優月はそう思って、目の前のフロントに届けようかと思った。だが、指輪にあるものが写り優月はそのままポケットへ入れた。そして誰かへ一報を入れた。
「…これは直接渡したほうが早いかな」
その後、優月は露天風呂たちを楽しんだ。
なめらかな湯が幾重も波を作り出している。硫黄の滑らかな香りが鼻を突く。いい匂いだな、と優月は温泉へ浸かる。しかし東北とはいえ真夏日なので暑かった。
「執着を断て…」
もう意味不明なことを口にしていた。
だがその時、後輩の箏馬の言葉が思い浮かぶ。
『サウナの近くには水風呂ありますから、適度浸って体に籠もった熱を逃がしたほうが良いですよ』
優月は彼の言われ通りに冷水に浸かる。すると喉の奥が少しだけ冷える。
「あぁ、極寒なのに極楽ー」
夏の暑い空気は、水風呂ひとつで全て解消できたようだ。やはり、部活で溜まった疲れやストレスもある。そのストレスを緩和したい彼は気の済むまで温泉に浸かりきった。
その頃、温泉から上がった瑠璃は何かを探しているようだった。
「小麦からもらった指輪がない。どこ行っちゃったんだろうなあ?」
困り果てた彼女だが、フロントに訊いても分からないようだ。一体どこにあるのだろうか?
その時、彼女は娯楽スペースを発見する。それと同時、メール回線が復活したので彼女のスマホからバイブレーションが鳴る。
「え?」
瑠璃は慌ててスマホを見る。すると連絡先はまさかの優月からだった。
(優月先輩?え、)
瑠璃はその一報を聞いて安心する。
どうやら、優月が落とした指輪を拾ったらしい。
「…太鼓バトル。旧式かぁ」
瑠璃が見つけたものは太鼓を叩いて正確さを競うゲームだった。
「…やってみようかな?」
久々にやってみようかな、と瑠璃はお金を入れる。優月と合流するまでどうせ時間があるのだから。
とりあえず難易度は簡単にして、オリジナル曲をやってみる。その曲は、太鼓の連打や基礎打ちのような単調なリズムのみの簡潔なものだった。
早速、瑠璃は樂良のバチを構える。実は音ゲーをしている樂良から、マイバチというものを預かっていたのだ。
瑠璃は容赦なく1打目を振るう。すると左から飛び出すアイコンが金色に点滅する。これは最高点を獲得できる。しかし淵打ちでアイコンは銀色に点滅する。これはおおむね完璧、という評価である。
単調なリズムを刻むなどいつ振りだろうか?
天龍では、大太鼓をやっていた彼女は、低学年ということもあり、簡単なリズムしか任されなかった。吹奏楽部では殆ど複雑なリズムを刻むことが多いので、久しく余裕な感覚を感じることは出来なかった。
だが、今は違う。
瑠璃は足でテンポ良くリズムを取る。そしてアイコンが嵌ったタイミングで、高速でバチを振り下ろす。どん、どん、どどどん、かっか。キレの良いリズムがスピーカーから飛び出す。
つい楽しくなった彼女の瞳が大きく開く。興味は殆ど太鼓へ向けられた。天龍での感覚が色濃く甦る。
バチをギュッと握り思い切り叩く。愉悦に浸っていた彼女は、優月に気付かなかった。
「…瑠璃ちゃん」
1曲目が終わったタイミングで、優月が気まずそうに話しかける。
「あ、優月先輩!」
「…うまいね。かっこよかった…」
優月が褒めると瑠璃の頬が赤くなる。もう2人の頭の中に指輪のことはなかった。
「あ、ありがと。優月先輩もやる?」
「あ、いいの?」
「優月先輩の演奏が見たいです」
そう言うと優月は渋々と瑠璃から受け取ったバチを構えた。優月は最近はドラムで複雑な曲を捌いてばかりだった。果たして和太鼓としてでは通用するのか?
優月はバチを振り下ろす。突然の連符にも対応する。優月にとっては余裕だった。すると暫くは簡単な打撃に入る。
「あれ、太鼓の音?シンバルの音は入ってない?」
余裕ができた優月は瑠璃にこう訊ねる。それに瑠璃は、
「ちなみに、ドラムの音になってるよ」
と答えた。このゲーム、どうやら太鼓自体の音を変えることも出来るらしい。
まさか、ドラムの音になっていたとは。
「先輩、ドラムを使うことの方が多いと思ったから…」
それが瑠璃の気遣いだと思った優月は、そのままドラムの音として刻み始める。
正面を叩けばスネア、淵を叩けばシンバルの音が鳴るらしい。それが、彼の中で何かが目を覚ます。
それは、自分が幼少期にバケツドラムをやっていた時の感覚だ。つい最近、新しい過去が脳内へ追加されたのだが、それがドラムを始めたキッカケ。確か、太鼓団の中に小型のドラムを叩く奏者がいたのだが、その行為に憧れてバケツドラムを始めたのだ。
優月はその過去に直結することが起こると、度々超集中状態になる。
『なめてんの?』
優月の声色が低くなれば、もうその合図だ。彼は踊るように体を揺らし、複雑なリズムを次々と打っていく。初見だというのに指示が出された瞬間には、全て記憶して一糸乱れぬタイミングで打つ。
額に汗の滲んだ彼なので数回は外してしまった。だが、殆ど完璧な演奏をしてのけたのだ。
終わった彼に、瑠璃が拍手を送った。
「優月先輩、すごいですね!」
瑠璃が褒めるので優月は思わず赤面した。
「ありがとう。あ、それで指輪。指出して」
「はい」
「気を付けてね」
優月は瑠璃の人差し指に指輪を嵌めてあげる。瑠璃にはその姿が優愛と重なった。
「ありがとうございます」
瑠璃がお礼を言うと、優月はこう言った。
「…瑠璃ちゃん、本気で叩くとカッコイイんだね」
その言葉に瑠璃の頰は更に赤くなる。恥ずかしい、恥ずかしすぎる感情を押さえて「えへへへ」と瑠璃は笑うしかなかった。
またやってみよう。瑠璃はそう決意した。
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