86話 愛宕岩中学校 吹奏楽部
この物語はフィクションです。
実際の地名や建物が登場しますが、実際にあった事件などとは関係ありません。
約4話編成ですので最後までお楽しみください。
茂華中学校。今は合奏中だ。
『…はい、もう1回です』
周囲からの視線が釘のように背筋を突き刺す。
千本桜、と書かれた楽譜は夏休みの最後に行われるコンクールで演奏する曲だ。
現在瑠璃は、合奏中だというのにサビを練習していた。しかしコンクールなので技術は難解化してある。
『…はい』
そんな彼女は複雑なリズム打ちが出来ていないのだ。それがやっとの思いで出来たとしても…。
『あと、もう少し音量出せませんか?別に思いっ切り叩いても大丈夫ですよ』
次は音量の壁が立ち塞がる。ただでさえ、細かいリズムを刻むことが難しい彼女に、音量まで管理することは至難の業なのだ。
一体どうすれば音量を出しつつ、細かい技術を出せるのか。本当に思いっ切り叩いてもいいのか?瑠璃はこの時、本気で悩んでいた。
そんな淡い色をした悩み事も、お盆休みで殆ど消えてしまった。
『…んん〜』
瑠璃はカーテンから差し込まれた陽光で目を覚ます。まだ少し眠い。
「…あ、もう7時」
その時、幼女が瑠璃のベッドへ飛び込む。
「瑠璃お姉ちゃん、起きろー♪」
「樂良!おはよう、」
しかし彼女に押しつぶされた瑠璃は起き上がれない。
「お姉ちゃんも旅行に行くんでしょうが」
「い、行くよー、だからベッドから出て」
そして彼女は机の上にある服たちに手を付ける。
「身支度するから出ててね」
「えー、お姉ちゃん、私が見てなくても着替えられるの?」
「着替えられるから大丈夫だよ」
すると樂良は部屋から出ていった。
「はぁー…」
瑠璃の妹、樂良がここまでテンションが高い理由。それは旅行に行くからだ。行き先は福島県の愛宕岩。父の友人に会いに行くという名目だ。東北は涼しそうなので楽しみだ。
そこで、まさかの再会があるとも今は知らずに…。
瑠璃はすぐに白シャツに赤い半袖カーディガン、そして凪咲とお揃いの黒スカート。
わざわざ今日の為に温存していたものだ。早着替えで済ませた彼女は、リュックを掴んで部屋を出る。
瑠璃の家はそこそこ広い。元々は瑠璃の親戚が住んでいたものを譲ってもらったものだ。
2階から1階に下りると、既に妹たちは準備が万全だった。部屋へ押しかけてきた樂良はまだしも、小麦も支度を済ませていた。
どうやら、自分が1番遅く起きたらしい。多分、外では両親が待機していることだろう。
だから、瑠璃は左右に髪を縛る。いつもの可愛らしいツインテールが完成するとリュックを肩に引っ掛ける。
「…おねーちゃん、遅い!」
「はやくして」
小麦の冷たい声が飛ぶ。純粋無垢な長女に引き換え、冷戦沈着でツンツンしている次女が小麦だ。
ふたりに急かされ、瑠璃は飛び込むように家を出た。
「福島へLETS"GO!」
車内でも樂良が1番ハイテンションだった。
ーその頃、優月たちー
「今日は優月くんたち、温泉旅館に行くんだって?」
優月は、母の寛美たちが経営している花屋で話していた。
「はい」
寛美の母、加苗の問いに優月はそう答える。
「そう。雅永くんのお義父さんに会いに行くんだって?」
「はい」
会うのは2日目の帰り道なのだが。
「そういえば、さっき調べたら世界のガラス街で、どこかの学校の吹奏楽部が演奏会するみたいよ」
「お盆なのに…、大変ですね」
世間はお盆だと言うのに、演奏会をするとは。
「聴きに行くの?」
「…それは現地に行ってから考えます」
優月は微笑混じりにそう言った。
ちなみに花屋に寄った理由だが、父の両親に手土産を渡したいと、彼女たちの手土産を受け取りに来たのだ。
車は高速道路の入り口へと差し掛かっていた。
「え、お父さんの友達って子供がいるの?」
瑠璃が訊くと運転している父は「ああ」と答える。
「その娘さんも、吹奏楽部でね」
「そうなんだー」
愛宕岩中学校とは、茂華中学校の比にならないと言っても過言ではないほどの吹奏楽の超強豪校だ。全国大会で一金を取ったことさえある。
「楽器は?」
「さぁー、確か長女が打楽器で、長男の方はファゴットとか言ってたかな?」
「へぇ」
打楽器ということは瑠璃と一緒だ。窓の景色は滑るように変化する。しかしお盆なので高速道路は多分渋滞だろう。
「…まぁ、世界のガラス街で演奏会があるらしいから、よかったら聴いてきたら?」
その言葉に瑠璃は少し胸が高鳴る。強豪の演奏を聴くことはきっと為になる。
何より全国大会に進む学校の演奏をもっと聴きたいのだ。
「ほーんと、また太鼓バカになっちゃったわね」
瑠璃の母がなじるように言う。少し呆れているようだ。
「まぁ、いいじゃんか。やりたいことが見つかったんなら」
「あの子、生まれつき物に乱暴な子だから心配…」
両親はそんな会話をコソコソと交わしているが、演奏が楽しみな瑠璃には、蚊の鳴き声のようにしか聴き取れなかった。
一方の優月たちは、愛宕岩へ出発しようとしていた。
「…お昼、どうするの?」
優月の妹が、雅永に詰め寄る。彼の妹は美少女だが性格に難ありだ。
「え、どうする?」
「ハンバーガーショップで良いんじゃない?」
寛美が進言すると、雅永は「だな」と言った。
お盆で交通量が多いので、現地で食事だと軽く2時は回ってしまう。ならば道中のファーストフード店で購入した方が早いと見たのだ。
「パーキングエリアでフードコートとかは?」
優月が途中で口を挟む。しかし雅永は「時間がない」にやりと笑う。
「それなんだが、優月に見せたいものがあるんだ」
その言葉が少し引っ掛かった。
「だから、フードコートで食事する時間はない」
「ふーん」
優月はその言葉に少し引っ掛かったが、深く尋ねないことにした。
「あー、旅行とか楽しみ!」
そんなことを車中で妹が叫ぶ。
「…そうだねぇ」
優月は相槌を打ちながら、加苗の言葉を思い出していた。
『世界のガラス街で演奏会があるらしいから、よかったら聴いてきたら?』
スマホで調べる。すると「愛宕岩中学校演奏会」と表示されていた。8月16日、今日だ。
(世界のガラス街ね)
確か、咲慧が激推ししていた覚えがある。ちなみに想大と咲慧にはお土産を頼まれている。
「…本当にやるんだ。まぁ、お盆なら他県の人から見てもらえるもんなぁ」
確かに井土もこれに似ていたことを言っていた。
夏休み中のとある日。合奏中の休み時間
『…やっぱりお盆とかに開催されてるフェスに出るべきでしょうかね』
顧問である井土広一朗はそう言っていた。
『えー、めんど』
当然、面倒くさがりのゆなは猛反対だった。そこへ普段は口を開かない志靉がこう言う。
『大内東では、そういう日に本番とかあったよね?』
チューバを持った彼女は、同じユーフォニアムの1年生の美羽愛にそう言った。
『確かに。あったよね』
ふたりの会話に、ゆなの表情が更に引きつる。
『うげ…、大内東えぐぅ』
『あはははは』
隣にいた優月は笑うことしか出来なかった。
『まぁ、大内の東もそこそこ強いですもんね。それに大休日の本番に出ると、色んな地域の人の目にとまるから、意外と認知取れるんですよ。そうすれば定期演奏会の観客数300人も夢じゃないかも』
井土が言うと、志靉が『ですねー』と頷く。
『…大内東ならサックスうまいですよね』
井土が言うと、吹部オタクのむつみも、
『まぁ、音がキラキラしてる感じ』
と褒め称える。
『…誰か来ないの?サックス』
そこへゆなも会話へ入り込んだ。ちなみに、ゆなは楽したいという名目で、優秀な人材を欲しがっている。
『月館』
志靉が言う。
『つきだて?』
井土も誰?と首を傾げる。
『あ、月館紅愛ちゃんならきてくれそうだよね』
それに美羽愛も頷く。
『紅愛ちゃんは、誘えばフラッと来そうだよね』
するとスマホを弄っていたフルートの心音が口を開く。
『略してフラット』
『心音、適当になってんなー。そのままじゃん』
『じゃあ、略してコテージ』
『くくく』
いつの間にか、ゆなと心音が別の会話を始めていた。
『なるほど、月館さん、来てくれると良いですね』
井土が言うと、美羽愛は『誘っときます!』と息巻いていた。
意識が現在へ戻ると、間近に妹の不満げな顔があった。
『優月君、降りるよー』
「あ、ああっ」
どうやら、高速道路前のハンバーガーショップに到着したようだ。
その後、各々が食べたいものを購入すると、車は一気に高速道路へ入った。
「…いやー、夕飯何食べよう!」
「…夕飯ってビッフェなんでしょ?」
優月が言うと、妹は「当たり前!」と言った。どうやら彼女は事前に調べ尽くしていたらしい。だからといって『当たり前』という言葉を使うか、と優月は少し呆れた。
『悲し〜め〜る心も〜♪怒れ〜る優しささえも〜♪き〜っと♪』
食べ終えた彼はイヤホンで音楽を聴き始めた。
「やっぱりいい曲だな」
優月は次々と曲を変える。今度は部活で演奏している曲にしようか?
『月には叢雲♪華には風と♪』
妹はひとりで期待を胸に騒いでいた。
それにしても…やはり…、
「高速、渋滞してるなぁ」
少しばかり車のスピードは遅かった。それからパーキングエリアで休憩すると車の波は静まった。
「やっぱコーヒーがいい」
「それココアでしょ」
そんな減らず口の会話を続けていると大きな山が見えてきた。
その山は磐梯山。真夏の紺碧の空より存在感を放っていた。
「本当に着いたんだなぁ」
やはり福島に着いたことを実感させられる。
「そろそろ着くね」
彼女が言うので、優月は「だね」と言った。
世界のガラス街は、大きな煉瓦造りの建物だ。だが、その広場の前には人だかりができていた。
車からでも微かに楽器の音が聴こえる。恐らく人数と技術から成り立つものだろう。
『…みなさん、こんにちは。愛宕岩中学校吹奏楽部です』
奇跡的に空いた空間に車を止めると、優月は雅永に問う。
「もしかして『見せたいもの』ってこれ?」
すると雅永の目が細められる。
「そう。聴きに行ったらどう?」
「行ってくるね」
優月は聴きに行くことを即効決意した。
ちなみに彼女は、そこら辺を歩く、と人混みを歩いていた。知人などいないだろう、彼女はそう思っていたが、ツインテールの見覚えある少女を見て顔が変わる。
(え、古叢井副委員長!?)
一瞬、我が目を疑った。
楽器の音がけたたましく鳴り響く。チューニングだけでもやはり口コミ通りに上手い。
すると部長らしき人物がサクスフォンを構えた。
いよいよ演奏が始まる。佇まいだけでも違う。どれだけ凄い演奏ベルたちからが飛び出すのだろう。
優月は息を呑んだ。
愛宕岩中学校の本懐が今、見える。
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