65話 剣から楽器に
安っぽいスピーカーからキイキイと音が鳴る。
「…雄成はトランペット、上手いわねぇ」
ここは病室だ。
雄成の母は、肺がんのステージ4で入院している。
「お母さんに言われると嬉しい」
テレビには、先日の地区・県コンクールのDVD映像が流れていた。
「そうだ、お母さん、神平中学校を見てもいい?」
すると母は優しげに笑う。
「私も今、見ようと思ったところ」
母の顔はやつれていたが、笑顔の花を咲かせていることは彼にも分かる。
「それにしても、雄成ったら前より元気になった?」
「そう?」
「なんだか笑顔が増えた…」
母はゴホゴホと咳混じりに言う。
「…気の所為だよ」
そんな雄成の頭に浮かぶは、瑠璃の姿。
『お母さんを信じてあげないと駄目なんだよ!』
わざわざ内なる心情を見抜いてまで、そう言ってくれた彼女に本当に感謝している。
「はい、これだよ」
彼がリモコンを操作する。神平中学校吹奏楽部辺りで早送りボタンを止める。
すると、トランペットやユーフォニアムの柔らかい音が響き出す。病室のテレビのスピーカーからも心地よい音が響いた。
「俺らの中学校、神平に勝たなきゃ全国は行けないんだ」
「そう」
しかし母の表情はあまり変わらない。
「…それにしても、ユーフォニアムの男の子、上手いわねぇ」
「えっ?誰?」
「ほら、あの目が…小さい子」
母の言う人物を、彼は映像から必死に探し出す。
見つけた。
「ああ、そうだよね。俺も思った」
「…あとサックスの音も聴いてて元気になれるわ」
「神平はサックス上手いんだよ」
雄成もこの中学校の演奏を認めているようだ。
「それと、ほらこのドンドンっていう音」
「ティンパニのこと?」
「そう。この音は茂華には出せない気がするわ」
「確かに」
ティンパニの跳ねる音は、生き物の胎動のごとくホールへ響きわたっていた。あの技術は数年そこらで得られるものではない。
「…確かに、瑠璃より上手いんだろうな。ティンパニ」
「…でも、頑張って…」
最後に母から有難い言葉を頂戴した雄成は、手を振りながら病室をあとにした。
その頃、茂華中学校。
トランペットパートでは、午後から参加する雄成に代わって、今日は澪子が指示をしていた。
「…まずは基礎練習から始めましょうか。ではBEから」
『はい』
トランペットパートは雄成がいないにも関わらず、いつも以上に熱をはらんでいた。
「頑張ってるね、トランペット」
久城美心乃が言うと、鈴衛音織もこくりと頷いた。
「努力で得るが偽りなき実力。とても褒められたものだ」
音織は変わった喋り口調をする。それでもフルートの腕は一級だ。
「ねぇ、音織ちゃんはどうして、そんな話し方をするの?」
単純に気になった美心乃が訊ねると、音織は小さくため息を吐いた。
「それは、私の親戚に変わったトランペット奏者がいたからなんだ」
片岡翔馬。彼とは保育園が同じだった。しかしその保育園は少し変わっていた。
『…面!!』
竹刀が面に当たる。かん!と甲高い音が響いた。
『…はぁ、どうして剣道なんて』
音織は気だるそうに言う。順番に竹刀を正眼に構える。そして深呼吸をする。
『っ!』
次の瞬間、靴底が砂に擦れ砂埃が中を舞う。
甲高い音を立て、面へ竹刀を打ち込む。しかし竹刀は面の頭を掠る。集中しない彼女の一太刀は見事に外れた。
『…あらあら』
それを同い年の翔馬は見ていた。
『鈴衛さん、頑張ってください!』
剣道の先生に叱られる彼女を見て、翔馬は苦笑を溢した。
その後、不貞腐れた音織はひとり砂場で愚痴をこぼしていた。
『はぁ、誰が剣道なんか…』
『仕方ないよ』
『何が?』
『剣道は心身ともに鍛える教育なんだから。言って打ち込みだけだし』
その独特な言葉に、音織は声のする正面を向く。
『えっ?君は誰?』
『酷いなぁ』
『ああ、翔馬くんかぁ』
音織と翔馬は家が近く、保育園に上る前からよく遊んでいた。
『いっつも、ゼツミョーなタイミングで入ってくるよね。何の魔法?』
『まさか。魔法じゃないよ』
『嘘だあ』
音織は集中力の欠けていた子供だった。
『集中すれば会話に自然に入ることなんてスグだよ』
翔馬はそう言って笑った。
『集中?』
『そう。集中!』
『どうやってやるの?』
『えっ?』
音織の訝しげな質問に、翔馬は困ってしまった。
『それは、それは…』
音織にどう説明すれば良いのだろう?全く分からない。しかし、その時、頭の中にある思考が一閃する。
『し、喋り方を変える!だよ!』
『喋り方を変えるー?』
『そうだ』
『よくわかんない』
翔馬の言うことがイマイチ分からない。
『例えば…だなぁ、例えば…だなぁ』
『集中しなきゃ分かんないっしょ?』
音織の冷たいツッコミに動じず、翔馬は口を静かに開く。
『…美しく太刀を振ることこそ、剣士の心得…とか?』
この台詞は昨日見た時代劇で聞いたものだった。
翔馬は冗談のつもりで言ったようだ。しかし…
『…カッ、カッコいい』
音織は意外にも気に入ったのだ。
『良き良き良き!』
思わずの反応に、翔馬の全身から力が抜ける。
『な、ならよろしー』
当時からこの武将口調が音織には染み付いていた。
「…そ、そういうことだったんだ。てか、片岡ってそんな人だったの?」
「あ、美心乃ちゃんは知らないか。彼のこと」
「へぇ。引っ越したの?」
「そうだね」
音織は目を細めた。それが変わった口調の始まりだった。
「…それから私、剣道を小学3年生までやってた」
「剣道…。やってたんだ。意外」
美心乃は江逆小学校で、音織とは違う小学校だ。
それにしても、音織は楽器を始めても、その変わった口調は変わらず使っているのだ。
その時だった。
「あ、音織!美心乃ちゃん!」
瑠璃がこちらへ歩み寄ってきた。
「あ、瑠璃ちゃんだ!」
瑠璃はツインテールを揺らしながら、こちらへ駆け寄ってきた。その金色混じりの髪は太陽の光を反射する。
「ねぇ、中北先生見なかった?」
「えっ?楓先生?見なかった」
「何か起こった?」
瑠璃の問いにふたりは心配する。
「…うん。少しティンパニさんの調子が悪いから見てもらってーって」
「あぁ、笠松先生に?」
「うん。笠松先生、今は木管見てるから」
「ちょっと待て。木管?」
途端、音織と美心乃の表情が真っ青になる。
「音織ちゃーん!」
「やばいやばい!!笠松先生に怒られる!」
フルートとオーボエは木管だ。マズイマズイ!とふたりは瑠璃から去って行った。
「…あ、そっかぁ」
後になって思い出した瑠璃はふたりを見送った。
それから数分、職員室まで歩くと、中北はすぐに見つかった。
「あ、中北先生!!」
「うん、どうしました?」
中北は部員からも懐かれている先生だ。そんな彼女は副顧問で、学生時代はコントラバスや打楽器をやっていたという。
「先生、ティンパニさんの調子が悪いみたいなんですけれど…」
「ああ、ティンパニサンねぇ」
中北は柔らかい笑みを浮かべながら、瑠璃に付いていく。
音楽室。
ティンパニの不調の原因はネジが外れていたことだった。
「先生、ありがとうございます!」
「大丈夫だよ。これで練習始められるかな?」
「はい!」
そのまま音楽室を去るものかと思ったが、中北はそのまま口を開く。
「そういえば、少しだけ気になった所、いいかな?」
「あ、はい?」
「ロールと音量の緩急なんだけど。ロールは技術を磨くしか無いけど、音量の緩急が小さいのは直ぐに改善できると思うの」
「緩急…ですか?」
中北はマレットをティンパニに構える。そしてドロドロドロ…と軽く連打する。正確かつ模範的な打ち方だ。そして腕が隆起する。
ドド!ドドド…ドンドン!バン!
マレットを大きく振りかぶったり、撫でるように叩いたり、目まぐるしい技術が連立する。
「瑠璃ちゃんは、正確さを重視したくて、優しく叩いているけれど、それだけだと完璧完璧フルパーフェクトとは言えないの」
「完璧完璧フルパーフェクト♪」
瑠璃は無邪気に両手を挙げる。
「それで、まずは小さく振る、それから大きく振る練習をしてくれる?」
「あ、分かりました!」
瑠璃は中北からマレットを受け取ると、ティンパニの練習を始めた。応用を出来るようにならなければならない。
それから間もなくして合奏が始まった。
ありがとうございました!
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