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吹奏万華鏡  作者: 幻創奏創造団
想い切り覚醒 市営コンクール本編
115/208

44話 厳しさの理由

矢野雄成。彼の家は母子家庭だった。

父は、彼が物心つく前に、事件に巻き込まれて亡くなったらしい。その後は、病気がちな母が彼を育てた。

『友達には、厳しく愛情を持って接しなさい。雄成は優しいんだから』

そう母からは言い聞かせられていた。


しかし、今から2年前。

『…ごほごほ』

『お母さん、大丈夫?』

苦しそうに咳き込む母を雄成は心配して、病院へ連れて行く。


そこで医者に、診断された結果は非情なものだった…。

『肺がん、ステージ3ですね』

その言葉は、落ち着いて聞いて下さい、と言う不穏な言葉に、合った言葉だった。

『…お母さん』

その日、彼女が重い病と知った雄成は、泣いて自分を責め立てた。


それからは、母は入院を繰り返した。

「…お母さん、来たよ」

「雄成、」

彼女の姿は少しやつれていた。点滴を打ったからだろう。

「吹奏楽のコンクールの結果が出たよ」

「そう…」

「金賞だった」

すると母の表情が良くなった。

「それは凄いわね」

それから数日、病状は信じられないくらいに安定していた。

その事実に、雄成は少し嬉しかった。吹奏楽で良い結果を穫れば、もしかしたら母の病状は良くなるかもしれない。

そう信じていた。


しかし、コンクールの数カ月後。母の容体は突然、悪化した。退院してしばらく病院へ通わなかった時のことだ。

すると、またもや医者は残酷な現実を告げる。

「…ステージ4です」

「はっ…!?」

その言葉は、雄成の胸に深い傷を付けた。



練習終わり。

「…瑠璃、矢野にキレたの?」

久城美心乃が訊ねる。彼女はオーボエパートリーダーだ。そんな彼女はオーボエを『エリンジウム』と名付けている。

「…別に切れてないよ」

「でも、胸倉掴んだんでしょ?」

「あぁ、事実事実うるさいから、話聞けよってね」

「怖ぁい」

そこへ鈴衛音織が話しかけてくる。

「何?部長に掴みかかるとは」

「あ、部長やめたら?って言っといたよ。ひとり勝手な行動されたら、困るのは私だもん」

きっぱり言い切る彼女に、音織は笑う。

「本当に奇想天外な少女と心から思う」

「へへ、褒めてる?」

「そうしたいのが内なる心情」

話し方が異質な彼女は、友達が少ない。それでもフルートの腕は一級品だ。

「でも、雄成の目、少しやつれてたんだ。まるで泣いた後みたいに」

「えっ?」

突然の言葉に美心乃が目を見開く。

「…私も部活中、泣いてたことがあったから分かるんだ」

「えっ?泣いたことがあったの?」

「うん」

そうなのだ。

ひとり泣いている所を優愛に見つけられたのだ。しかし、それはもういい。

「…そんなことより!」

瑠璃が会話の流れを変える。

「…やっぱり雄成にも事情があると思う。それを必死に隠してるんだと思う。あの時の私みたいに」

「…なるほどね」

美心乃は困ったような表情をしながらも、瑠璃を見つめる。その瞳には迷いがない。間違いなく彼女の言う事は紛れもない真実だ。それは音織も確信していた。

廊下の先は、夕日色に染まっていた。この先に帰路がある。その薄暗い空間へ、3人は足を踏み入れた。


その頃、トランペットパートは延長練習が終わった後だった。

「あ、矢野、帰ってきた」

澪子が言うと、矢野は「ああ」と頷いた。

「先生に注意されました」

そう言うと、澪子はくすりと笑う。

「後輩と揉めて、古叢井さんにブチギレられたんだって?」

「いや、本人はキレる直前だったようだ」

他人事のように言った彼は、トランペットを手にする。

「後輩ごと帰っていいぞ」

「言われなくてもそうするよ」

矢野は黙々とトランペットを吹き始める。その音には確かな技術が塗られていた。経験と努力の結晶。それが彼の鳴らす音だった。

「そうだ、矢野」

「ん」

「お母さんは…どう?」

恐る恐る訊ねる。怒られるかと思った。しかし、

「きっと大丈夫だ」

冷ややかな声で彼は言った。次に彼が音を吹き鳴らすときには、彼女の姿は無かった。


坂井(さかのい)澪子(みおこ)。彼女は唯一、矢野を制御できる相手だった。矢野とは幼なじみだ。

「…先輩」

その時、後輩のひとりが、澪子に話しかける。

「ん、どうしたの?」

「…矢野先輩のお母さんって…何かあるんですか?」

後輩の声は、とても小さかった。それでも澪子は聞き取ったようで、静かに目を閉じる。

「…肺がんなの。あいつのお母さん。ステージ4のね」

「そ、そんな…」

「矢野がキツく当たるのもそれが関係してるの。だから許してあげて」

澪子の声は、とても穏やかだった。後輩は「はい」と黙って頷く。

それ以降、ふたりは別れるまで一言も口にしなかった。


翌日、瑠璃は昼休み、秀麟とリズム練習をしていた。本来、昼休みに音楽室で楽器を鳴らすことは禁止とされているが、打面にパッドを貼って、大きな音を出さないという条件で、笠松から許可を貰っていた。

瑠璃が打面を打つと、黒い布が規則的に跳ねる。その刻むリズムは正確だ。

「秀麟君もやってみて」

「はい」

秀麟も真似するように打つ。するとパッドである布は更に跳ねる。

「うーん、とっっても上手いんだけど、もう少し叩く時に力入れても良いかも。ここは強調した方がいいからね」

「なるほどです」

秀麟は納得したように頷く。

「曲面によって、音量の加減を加えることも大切だよ。最初は難しいかもだけど音楽に深みを入れられるから」

それを聞いて彼は目を見開く。

「理解しました!瑠璃先輩!」

秀麟は瑠璃を深く尊敬しているようだ。矢野とは対比された優しい性格に彼は懐いている。

その時だった。


「…何してんだ」

冷ややかな声が聴こえる。瑠璃と秀麟は慌てて振り返る。

「…雄成、先生から許可を貰って練習だよ。昨日、雄成が言ってくれた所の練習」

「そんなの部活中に…」

その時、瑠璃が矢野の肩をぎゅっ…と引っ張る。

「私、ティンパニの練習あるから無理」

「は?」

「あ、タムタムの所もまだだ」

すると瑠璃の唇が、彼の耳元を向く。

「…ちょっと来て」

「…なぜ」

「お願い」

そう言って、ふたりは音楽室を出る。

「秀麟君、練習しといてー」

そう言葉を残して、彼女は矢野を階段裏へと連れ出した。


「…ねぇ、どうして、みんなに厳しくするの?」

「本気で全国行くんだろ?」

矢野は厳しい声で言う。容赦なんてもの微塵もない。

「…トランペットパートだけギスギスしてるなら、トランペットパートの子が下手なだけかも知れない。でも部全体がギスギスしてるのは、部長が下手だからだよ」

「……何が言いたい?」

「どうして、そんなに全国に固執するの?」

その問は誰もぶつけられないものだった。無論、矢野も一瞬言葉を失う。

「みんなね、去年までは東関東大会に出たい!って言ってた。でもできれば今年は全国行きたいな、っていうスタンスだよ。どうして東関東大会を見ないの?」

「…むっ」

彼女の問いは鋭いものだった。

「…いきなり全国行くって言ってるのは、雄成だけだよ」

そして瑠璃は幼気な光を宿した瞳を細める。

「何かあったの?」

やっと…聞けたいことが聞けた。

「…お前、本当に有能だな」

「有能無能とか言わないで。そういうの本当に嫌い。みんな限られた能力や個性で一生懸命頑張ってるんだよ」

瑠璃が怒るように言うと、矢野は「すまんな」と謝る。

「私、人に厳しい人には厳しくするし、大嫌いだから」

でも、と彼女は言葉を紡ぐ。

「…何があったかだけは聞きたい」

「何かあった、は確定事項なんだな。その通りだ」

その時、彼の声が初めてうわずった。

「…病気の母がいるんだ」

その言葉は、何一つ予想だにしなかったものだった。

「肺がんのステージ4。もう余命幾許もないらしい。結果を出せばお母さんは喜んでくれる。だからお母さんとお別れする前に、全国大会に出場して…」

その時、ぱん!と乾いた音が響いた。矢野の頬を叩いた音だ。

「ばぁか」

その声は、瑠璃の声とは思えないくらい低かった。

「どうして、そのことを部員に言わなかったの。その工程を抜いたせいで、東関東どころか、地区で落とされるかも知れないんだよ」

小さな拳がぷるぷると震える。

「現実はひとりじゃない。泣いても笑っても1人じゃ何も変えられない」

そして足を半歩、前へ出す。

「それは吹奏楽も一緒なんだよ」

その言葉に、矢野の瞳が震える。冷酷な仮面が外れた彼の表情は、既に泣きそうだった。

「私も一緒。ひとりじゃ、今頃吹部なんて辞めてた。変えてくれる人が必要なの」

「…あ」

その言葉は、昔母が言っていたものに似ていた。

「それに、ステージ4でしょ?私の親戚もがんに罹ってる。同じステージ4の肺がん。それでも生きてる」

瑠璃は足を床へ踏みつける。踵からバン!と乱暴な音がした。

「…唯一の息子が諦めてどうするの!?どうしてお母さんが死んじゃうって決めつけるの!」

狭い空間に声が反響する。

「お母さんが元気になった理由ってさ…、雄成が本気で喜んでたからなんじゃないの?」

瑠璃の言葉は矢野の思考の核心を突く。

「医者が死ぬって言えば、本当に死ぬって思ってるでしょ?だから、中々笑うことが出来なかった。私はそれは当然だと思うよ。私もお医者さんの言う事を信じる。だけどね…」

瑠璃は「その後だよ」と矢野を見つめる。

「それを信じて、お母さんを悲しませるのはもっと駄目なんだよ」

その言葉に矢野の喉の奥が、ひゅっと鳴る。

「…隠してごめんな」

彼が謝る。

「私も、昨日はひどいこと言ってごめん」

そこで瑠璃は話しを切る。

「…これからどうするの?」

すると矢野は、

「みんなに本当のことを言いたい」

そう言った。



放課後の音楽室。部活が始まる前。

「みなー、部長から話しがあるらしい」

音織の呼び掛けで部員一同が集合する。皆は怒っているのだろうか?と恐れているが、矢野は殊勝な顔をしていた。

「…どうしたんだろう?ね、瑠璃」

凪咲が訪ねると瑠璃は「さぁ?」と白を切る。

その時だった。

「皆さん、今までの事を…詫びさせてください」

その言葉に、部員一同騒然とする。

「はい、落ち着きなされ」

音織が呼び掛ける。すると再び沈黙の空間へと化す。

「自分は今まで全国大会に出たい、とひとり勝手な考えをして、関係ない人達にまで迷惑をかけました」

そして彼は語り出す。

「自分には、重病の母がいます。そんな母は余命幾許もない状態です。そんな母を喜ばせてやりたい。その一心でした」

その言葉に再び騒然とする。

「…しかし、皆の気持ちも考えず、ひとり突っ走った結果が、今この惨状です」

そして深々と頭を下げる。

「自分からのお願いです!全国大会に出たい、その目標に付き合ってくれますか?」


その反応は、突然に現れた。

「…分かりました」

初めて愚痴を開いたのは、河野という部員。すると少しずつ皆が賛同の声を上げる。

「…矢野さん、私からも賛成だ」

音織が突然そう言う。

誰も、その方針に異を唱える者はいなかった。


「雄成、言えたね。偉い偉い」

瑠璃はそう言ってニコニコと笑う。

「えっ?瑠璃、知ってたの?」

「ううん。知らなかった」

それでも瑠璃は、昼休みの件を隠し通す。


「ありがとうございます!」

その時、矢野がそう言った。すると音織が、

「茂華中学校吹奏楽部、全国大会に出場しましょう!」

と矢野の代わりに言う。

すると部員全員が拳を突き上げた。


全国大会出場。

その目標に、今、全員の心がひとつになった。

そして、茂華中学校吹奏楽部は、逆転への物語が始まる。


ありがとうございました!

良ければ、

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【次回】 心音のフルート、上手くいかない…

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