42話 夜凪の覚醒
優月たち東藤高校吹奏楽部は、市営コンクールで金賞を目指し、御浦市民ホールで午後練習を行う。前半が終わり、夕食兼休憩に、優月は後輩と食事に行くことに。1年生の様々な話しを聞きながら、いよいよホール練習は後半戦を迎える…。
ファミレス『シェスター』から、ホールに戻ると、茉莉沙と志靉が談笑していた。
「えっ?先輩も、パーカッションやってたんですか?」
「はい。実はやってたんですよ…」
すると美鈴が彼女たちへ駆け寄る。
「えっ!?先輩、パーカッションやってたんですか?」
「は、はい…」
にこやかに談笑する少女たちに、優月は小さく笑った。しかし美鈴と話す茉莉沙の顔が少し引きつっている気がした。
それからもホール練習は続いた。何度も何度も、細かい部分を確認して、ようやく完成へと近づけたのだ。
「はい、では休憩のあと、合奏をやってみましょう!」
「私、寝るわー」
ゆなが欠伸しながら言う。すると井土は「お好きにー」と返した。
優月も正直眠かった。満腹だからだろうか、眠気が毒のように体中に染み渡る。
「く…く…」
座席に腰掛けて、眠気を抑えようとした時だった。
頭の中が眠気から真っ白になる。
「……」
眠さは、感覚を支配する。半分瞼が下がろうという時に、箏馬が話しかける。
「先輩、大丈夫ですか?」
「あ、ああ」
大丈夫、と優月は答えた。しかし眠すぎて全ての行動が本能任せになってしまった。
数分ほど、談笑している声を聞いていると、井土が「再開しまーす!」と呼び掛ける。しかし、ゆなは本当に寝ているようで、むくりとも動かなかった。
「むっつん、起こしてきてー」
井土が苦笑しながら言うと、むつみは「了解」と観客席の方へズカズカと歩いて行った。
やはり、みんな眠いのは同じなんだな、優月は眠気に襲われながらも、無意識にそう思った。
優月はドラムを前にスティックを構える。眠いがまだ叩ける。
トランペットやフルートのイントロを越え、優月は大きく振りかぶる。
スティックの腹で、ハイハットシンバルを叩く。両足を上下に動かして、最大限の音を響かせる。
その頃、ゆなは起きたようで、ビブラフォンに張り付いていた。
『瞼、焼き付いた顔♪ 理解者の証さえ♪』
優月は眠気を振り切ろうと、必死に叩く。やはり食べ過ぎたのがいけなかった。
ド、ド、ドドン!!とフロアタムにスティックを叩きつける。大きな音が床を震わせる。
音量重視のぶっきらぼうな音。その音のまま、曲は終わってしまった。
「うむ、皆さん、眠いんですねー」
井土は何も口にすらしていないのだろうか、欠伸ひとつしない。睡眠欲よりも食欲が勝っている状態なのだろう。だから冷静な判断ができる。
「…ゆゆ、ドラムが大き過ぎますね。眠くて疲れてるでしょうけれど、音量はもう少し落としてください。あと振り過ぎです」
矢継ぎ早に注意される優月は、こくりと頷いた。
もう少し、振りを小さく、音量も周りに合わせて…。
言われれば言われるほど、眠気が徐々に抜けていった。
「あと鳳月さん、思いっ切り打つ所がズレとります。気をつけしょうね」
「…ぐう」
ゆなは可愛らしい声を出しながら、眠りの世界へ半身入り浸っていた。
「鳳月さぁーん!!」
井土が声を上げるも、ゆなが気を取り戻す気配はない。
「…うーん、仮眠が足りなかったんでしょうかね?」
井土が困ったように首を傾げる。こうなれば、どうしょうもない。
仕方ないので、再び細部の確認が行われた。その間もゆなは眠りこけそうになっていたが、辛うじて立っているので、寝てはいないのだろう、と誰もが思った。
「はい、それではもう一度、休憩を取りましょう。鳳月さんは、しっかり寝てくださいね!」
井土が指示をすると、ゆなは首を縦に振る。
休憩時間、優月は眠気と格闘しながら、ホールの天井を見つめていた。暇だ。
しかし、その時、ある光景が浮かんだ。
先の優愛との会話だ。
『…優月くん、私のスティックいる?』
『えっ?スティック…』
『そう。優月くん、ドラムこれからもやるでしょ?』
優愛はそう言った。
『えっ?貰っていいの?』
『私、もう使わないし。全然スティック、擦り切れなかったから良いよ』
『あ、ありがと!』
優月が礼を言う。ハッキリ言って嬉しい。
『…大事に使ってよね』
優愛は最後、そう言っていた。
『じゃあ、金賞穫る穫る為に頑張って!』
その言葉が、何故か今になって蘇る。
「…!!」
次の瞬間には、優月はリュックや荷物が置かれている観客席の方へ向かっていた。
そして自身のリュックの中を見る。
真っ白な木材で作られたYARAHAのスティック。それをぎゅっと握る。
「これ、使ってみるか」
昨日、これを触ってから霊感に敏感になったように、何か恐ろしいものを感じたが、優月は優愛のスティックを使うことにした。
まさか、友達の女の子から貰ったスティックとは言えず、優月はそのまま、ステージへと戻った。
それから、眠気を覚まそうとストレッチをすること5分、練習が再開された。
「はい、ではもう一度、月に叢雲華に風と恥ずかしいか青春は、をやってみましょう!!」
『はい!』
優月は、自身のスティックを小物台という場所に戻すと、新たなスティックを握る。そして、ドラムセットを一瞥する。その時、何故だか、優愛の光景が浮かび上がる。
コンクールか、コンテストか、コンサートか?ホールで打楽器を演奏する彼女の姿が浮かぶ。
その幻想を見て、優月は思い返す。自身が吹奏楽部を始めた理由を。
そうだ、優愛に憧れたのだ。必死に演奏する彼女の姿に。そして今、手にしているものは、その憧れの原点と言うべきものだ。
「…なら、本気で」
その時、優愛の言葉の意味が分かったような気がした。大切に使ってほしい、と言う彼女の言葉の本当の意味は、きっと…。
演奏が始まる。何度も聞き慣れたイントロ。そして何度聞いても素晴らしいトランペットとフルートの音。
そして、ドラムが先導するように入り込む。優月は先程とは違う、手首を使って、テンポ良く刻み出した。入りはまるで完璧。音も材質のせいか、先程とは違って聴こえる。だが、スティックが重い。思い切り叩けば、間違いなく腕が麻痺する。だから優しく触れるように打つ。きっとそれが最適解だ。彼は確信しながら、他の管楽器の音を聴く。流水のように、流れ込むように、自然に音を鳴らす。ハイハットシンバルの技術と、先程とは違う。まるでゆなが鳴らしているかのような音だ。
そしてフロアタムのリズムへ突入する。
ド、ド、ドドン!
スティックの先端から腹にかけて、太鼓の打面を大きく震わせる。驚くほど良い音が出た。しかし優月の神経は演奏に注ぎ込まれている。成功すれば良い、そんな腹づもりでの演奏は案外、上手くいくものだ。
優月にとって、このスティックとは相性が良かった。シンバルも良い角度で鳴らせる、タムも打つ面積が広い。音を効率的に鳴らせるのだ。
無我夢中で、ハイハットを打ち続ける。様々な管楽器隊が、ドラムの間を駆け抜ける。そして最後の1小節。シンバルからスネアの連打。スティックが皮を打ち鳴らす。
演奏が終わると、瞳を開きすぎて、生理的な涙がこぼれ出る。
「…終わった」
それと同時に優月の肩から力が抜ける。すると今まで握っていた持ち手が冷たくなる。さっきまでは燃えるように熱かったのに…。
「うん!ゆゆ、ドラムはそれくらいで良いよ!」
すると井土は優月に称賛を送る。
「は、はい…」
覚醒していて気付かなかった。本番も、このスティックを使うべきか?
「さて、では次の曲をやってみましょう!」
そうして、1時間ほど練習をすると、あっと言う間にホール練習は終わった。
楽器の片付けを終え、井土が言う。
「さて、皆さん気をつけて帰ってください!夜遅くなのでどこにも寄り道しないように!」
『はい!!お疲れ様でした!』
優月は、優愛のスティックをリュックに隠し、ホールを出た。すると夜凪と生ぬるい風が、優月の頬を叩く。
「…ふぅ、終わりかぁ。ホール練習」
また行きたいな、優月は何故だかそう思った。
その時だった。
「優月さん」
誰かが背後から話しかけてくる。それは諸越と居たはずの降谷ほのかだった。
「…えっ?降谷さん…」
ほのかに話しかけられるのは、初めて…かもしれない。
「…ど、どうしたの?」
「君さ、ドラムやってた?ここ来る前」
「えっ…や、やってないよ」
「じゃあ、質問変えるね。何か太鼓やってた?」
「…やってないよ。この吹部に入るまでは絵を描いてたから」
心当たりは1つある。だが、敢えてそれは言わない。
「本当に?」
「…う、うん」
「…そう」
すると、ほのかは風がなびく間に消えた。
「太鼓…やってた…」
先程の言葉を復唱する。その時、あの幼少期の記憶がフラッシュバックする。
ん?あの少女!?
優月は幼少期、ほのかをどこかで見たことがあった。
こうして、午後から夜にかけてのホール練習は無事、幕を閉じたのだった。
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【次回】 矢野vs秀麟 瑠璃がブチ切れる…。




