29話 昼休み練習
雑談混じりの音楽室に、ひとつ溜め息の音が放たれる。
「はぁー…、箏馬君戻ってきてくれぇ…」
優月はそう言って、グロッケンの楽譜を譜読みしていた。連符、連符、連符!
「…しかも、ソロっぽいメロディー入ってるし」
優月はそう言って、今度は小さくため息をついた。
「早く練習しないとなぁ…」
『月に叢雲華に風』、『恥ずかしいか青春は』の2曲は、殆どクリアしている。しかし『夏祭り』を始めた他の曲は、まだまだの域だ。
「まぁ、貯めても仕方ないし、やりますか」
そう言って、優月はマレットを構える。
しかし悲しいことに、初見一発でできることは無かった。結局、合奏の時間で指摘されてしまった。
「はぁぁ」
いつものことだが恥ずかしいな、と優月は思う。
「優月くん、大丈夫?」
隣で歩いていた咲慧が、心配そうに顔を覗き込む。その甘そうな目元は、彼を一点に捉えている。
「ううん」
「あとで教えよっか?」
「お願いします」
すると咲慧は「分かった」とすんなり承諾した。
「でも最近は市営の合奏が多くなったからなぁ」
優月が言うと、咲慧はうーん…と首をかしげる。そんな彼女が出した答えは、想像を絶するものだった。
「昼休みで良いんじゃない?」
「は?」
嘘だろ、と優月は頭の中で絶叫する。
「だって、前の学校は昼休みも、音楽室で練習してる人いたよ」
「い、いたんだ」
凛良は、そこまでするのか、驚きの方が勝った。
「…じゃあ、来週やろうね」
そう言うと、咲慧はニコッと笑った。
「う、うん」
優月は、昼休みか、と思いながらも頷いた。
そうして数日後の昼休み。優月は想大と昼食を取っていた。夏休みまであと少し…ということで話題も必然的に夏祭りが挙がる。
「えぇ!?バイト?」
「おう。2日も神輿を担ぐだけで15,000円も貰えるんだぜ」
「…それは割が良いね」
「優月君も行かないか?」
「…うーん。今年はコンクールに出ないから良いかもね…」
優月はそう言って、想大を見る。
「因みに俺は応募した」
「えぇ。神輿かぁ」
神輿といえば、派手な仏閣が乗せられた台を保育園の時に担いだっけ?と頭の中を支配する。
「今年は瑠璃ちゃん、友達とお囃子行くみたいだし」
「ぶへっ!?」
想大がそう言った瞬間、優月が大きく咳き込む。ああ、驚いた。
「えっ?あの子がお囃子行くって、何かあったのかな?」
「さぁ?」
中学時代、瑠璃は夏祭りのお囃子が苦手、と聞いたことがあった。
「…ああ、それで」
その時、優月の口角が上がる。
しかし、
「優月くーん」
その会話は、咲慧によって打ち切られてしまった。優月は「行くね」と言って、咲慧と共に廊下へ出ていった。
「…大変だな。優月君」
弁当箱を仕舞いながら、想大が言う。
「てか、あの転校生…。どっかで?」
しかし、彼は何故か、彼女に見覚えがあった。
どこで?かは分からなかったが。
ー音楽室ー
昼休みの音楽室は、誰も居なかった。電気が付いていない音楽室は、静寂がはらんでいた。楽器はまるで自分が弾かれるわけない、と言わんばかりに静けさを放っている。
「付き合ってもらっちゃってゴメンね」
優月が言うと、咲慧は「いいの」と言う。
「グロッケンだっけ?君の楽器」
確認するように尋ねられると、彼はそのまま頷いた。
「オッケー。音階はピアノと一緒だね」
すると咲慧がマレットを手に取る。
すると聞き馴染みのあるメロディーが流れる。やはりピアノ検定2級の実力は伊達じゃないな、と思う。
10分ほど集中して演奏すると、昼休みの終了時間が近くなる。
「ありがとね。咲慧ちゃん」
「…いいのいいの。少しでも出来るようになれたなら。でも、まだ課題はあるんから、練習せんとあかんよ」
「は、はい」
すると咲慧はクスリと笑った。いつもの可愛らしい笑顔。すると、優月の脳裏に一筋の疑問が浮かぶ。
「…そうだ。咲慧ちゃん、和太鼓できるんでしょ?じゃあ、ドラムもできるん?」
「えっ?私?」
「そうそう。鳳月さんもできるじゃん?」
そう言いながら、優月はドラムセットに掛かる布を剥ぐ。すると、黄昏色のシンバルや光に反射する太鼓が剥き出しになる。
「…うーん。教わればできるかも?」
「そうなんだ」
「まぁ、ゆなっ子は凄いよね。異色だもんねー」
「本当」
すると、優月は徐ろにスティックを手に取る。
「…教えようか?」
優月が言うと、咲慧は「また今度」と断る。ならいいや、と優月は再びドラムセットに布を掛ける。
「そういえば、咲慧ちゃんのアルトサックスってさ…私物なの?」
「うん。私物だよ。従兄弟からのお下がりなの」
「へぇ」
すると咲慧は、思い出すように目を細める。
「…私ね、こっちに転校した理由があるの」
「ああ、まぁ、あるだろうね」
「私、前の学校で吹部やってたんだけどね。そこで揉めちゃって…」
「揉めた?」
「そう。親友と、」
親友、その言葉に優月の脳裏には2人の人間が思い浮かぶ。
小林想大。榊澤優愛。この2人だ。
「どうして揉めたの?」
「うーん、楽器決めでね」
そう言った瞬間、チャイムが鳴る。もう少しで咲慧の過去が聞けそうだったのに。優月は少しばかり悔しくなった。
その日の放課後。咲慧は音楽室へ歩いていた。
「ねぇ、ゆなっ子」
珍しく咲慧がゆなに話しかける。
「ん?何?」
「あの、今の部員に話したの?君の過去」
「いくら正直者とは言え、話すわけないでしょ?」
ゆなは珍しく顔を引き攣らせる。
「…そう」
しかし、咲慧がこれ以上追求することは無かった。
「大体、何でアンタは、東藤へ来たのよ?」
「それは、親友と揉めたから」
「…ああ、美玖ちゃんのことね」
「ねぇ、聞いてよ〜。それでな、楽器決めで美玖と揉めたんや〜」
咲慧が彼女へすがりついた。
「その口調やめて」
しかし、ゆなは冷たい声で、咲慧の口調を拒絶する。その冷たい声色に、思わず怯むように頷いた。
この日もこの日とて、市営コンクールの練習だった。
「…やっぱり違うなぁ」
優月が羨ましそうに見る人物は美羽愛だ。海鹿美羽愛。ユーフォニアムなのだが、実力が桁違いに高い。それは、優月さえも分かった。志靉も低音を演出することが上手いのだが、それでも美羽愛と差があるように聴こえる。
恐らく、1年生の中で1番上手い。そう思った。
「えぇ。皆さんに話しておかなければ無いことがあります」
合奏の最中、彼が言う。
「久遠君についてですが。本番に出すか否です。あまり言いたくは無いのですが、今週の金曜日までに部活に来なかった場合は、出られないこととします」
すると、諸越が手を挙げる。
「本人は、部活に来る意思はあるんですか?」
その問に井土は首を縦に振る。
「ええ。しかし家庭の都合で行けていないようです」
複雑な話だ、と志靉がごちる。
「…しかし、やはり部員全員で出たいというのが、私の本心です。ですがもう1カ月も切っている上、1ヶ月以上も休部しているので、このような判断を下します」
これでも、まだ優しすぎる判断だ。しかし…、
箏馬。彼は戻ってくるのか?
「箏馬君」
優月は不安になった。電話口で聞いた彼の言葉。それは確固たる決意が込められていた。
「確かに、最近は天龍にも来てないな」
孔愛が言うと、日心も頷く。
「…それでは、再開しましょう。他の本番も近いですしね!」
そう言って、合奏は再開された。
しかし、井土が期限を確定したということは?
箏馬は間違いなく動き出している。
ただそんな気はした優月は、窓の外を見つめる。
(…箏馬君、戻ってきてね)
優月は、彼が戻ることを信じている。
この後、箏馬の壮絶なる過去が明かされる。
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【次回】
新章 : 想いは紡がれる。『奇跡の始まり』
 




