2話「日常と夜」
太陽の活動が最も忙しくなるお昼過ぎ。歩きに歩いた都内での物資調達も無事に終わり、ルーシェたちは帰宅のための最終確認を行っていた。
服に本、缶詰や保存食等の食料品を丁寧に荷物袋に詰めて、忘れ物がないかチェックする。魔女謹製の荷物袋は容量に上限がない代わり、1度入れたら最後、目的の物をピンポイントで取り出すのは至難の業だ。それこそ、落ち着いた場所でもない限り、荷物確認なんて真似はできない。
「服、服、缶詰、本、缶詰、保存食、服、缶詰……」
「おうおう、結構色々手に入ったな、姉御! 焼き鳥? だっけ? 肉の缶詰もあったし、今日の晩飯が楽しみだぜ! なぁ、お嬢?』
「そうだね。わたしも、久しぶりに鯖の味噌煮になんて見たかも……」
『味噌煮っつうのもいいよなぁ、滅多に食えねぇし。そうだ! お嬢、オレの焼き鳥とそっちの味噌煮、少しずつ交換しようぜ! そしたら、どっちも食えてお得だろ!!』
「ふふっ。いいね、それ。みかんの缶詰もあったし、そっちはデザートにしよっか」
真面目に荷物の詰め込みを行うルーシェの傍らで、七奈とルークは笑い合いながら今日の夕食の話をする。咎めないどころか、手伝っての一言も言わないのが、彼女の優しさ……もとい不器用さなのだろう。
1人、黙々と荷詰めをし、終わったら終わったで、ルーシェは懐から杖を取り出した。
直径1センチ、長さは50センチほどの円柱のような杖。なんの装飾もなく、ただただシンプルに黒で塗られたそれを手に持ち、軽く振る。
すると、ルーシェの周囲、七奈やルークを囲む形で光の壁が形成されていく。
「転移魔法で帰るから、大人しくしてるのよ?」
「『はーい』」
「……ふぅ」
それはなんのため息だったのか。息の揃った返事をする1人と1匹に対してなのか、今から行う転移魔法の不便さ故なのか、答えはわからない。
徐々に光で満ちていく壁の中、ルーシェたちはしばし息を止め、眩い光に身を任せる。
転移魔法は、その名の通り目的の場所に人や物を転移させる魔法。瞬間移動という、過程をすっ飛ばした結果だけを残す偉業は、魔女の使う魔法の中でも上位に位置する習得難易度を誇るが──如何せん使い勝手が悪い。
初めに、転移には目的地に対して目印となるその魔女独自のマーキングが必要で、それがない状態で魔法を行使すれば見たこともない土地に飛ばされる可能性がある。加えて、生成された光の壁の範囲外に体を出していると、その部分だけ転移がキャンセルされてしまい、体の部位の切断などが起こってしまうのだ。
他にも、マーキングは魔女独自のため仲間との共有ができず、敵味方問わず同じ魔女にはマーキングの破壊がいとも簡単に行えてしまうことも、不便さの一つだ。
(……もう少し、魔法の余波が小さかったら手広く使えるんだけど……考えるだけ無駄ね)
諦めたように1人心の中で愚痴るルーシェの言う通り、転移魔法は魔法の余波も大きい。余波、もとい演出と言ってもいいだろう。光の壁を使って範囲を指定するのはいいが、その光の壁自体が目立つ。しかも、その光の壁は外側からも簡単に侵入できてしまうため、一歩間違えたら敵も味方もひっくるめて拠点にご招待……なんて事態になりかねないのだ。
もっとも、終末世界と化した都内に人影はなく、光に連れられて、彼女たちは無事に家へと辿り着く。
光が離れ、ルーシェたちの視界に映るのは見慣れた景色。古めかしく、趣のある平屋の古民家。
戦争地域から逃れ、焼かれることもなく残っていた数少ない物件の1つであり、竈門やら囲炉裏やらお風呂やら。生活に必要そうなものが一通り揃っていた奇跡の一軒である。
「……はぁ、やっと帰ってこれた」
「お疲れさま、ルーシェさん。わたし、ご飯の準備の前にお洗濯しようかなぁって思ってるけど、お風呂どうする? 先に入るなら、準備しちゃうけど」
「少しゆっくりしたいし、落ち着いてからでいいわ。ルークも別にいいでしょう?」
『おう! オレは畑の様子も見に行きてぇし、平気だぜ!』
「わかった。じゃあ、先に洗濯しちゃね」
先程までのわちゃわちゃ感はなんのその。家に着いた七奈は、水を得た魚の如くテキパキと家事をこなすため走り去っていく。ちゃっかりと戦利品でもある服を荷物袋から漁り、持っていったあたり、今日の夜は1人ファッションショーでもするのだろう。
微笑ましくもありながら、同時に少し呆れてしまうような光景にルーシェは笑みを零し、ゆっくりと家の中に入る。
そして、ルークは昨日から変わらぬ犬の姿のまま、家の敷地内に作られた畑の方に走っていき……三者三葉、それぞれが自由に過ごし始めた。
これが、彼女たちの日常。
魔法の修行やら、特別な予定でもなければ、2人と1匹はバラバラに動き、時々交わる。
きっとそれは、いつか来るお別れのための予行演習。七奈が独り立ちするために、ルーシェは絆を深めつつも、過度に関わるのを避け。ルークはルーシェ亡き後、七奈の使い魔になるため、程々に干渉する。
建前としては、それだけだ。
本音を、本音をもしルーシェが零すなら、七奈と家族のように親密になる資格は自分にないと、そう言い切るだろう。だって、そうだろう。彼女の両親を殺したのも、思い出を燃やしたのも、平和を奪ったのも、全部ルーシェなんだから。
だから、ルーシェは無理に絡むこともせず、本を読んでは時間を潰す。
静かな、日常だった。
◇
時間は過ぎ、また夜がくる。
穏やかな食事の時間は終わり、ルーシェはまた1人、縁側で本を読んでいた。
来訪者が訪れる、その時まで。
「一週間ぶりだね、ルーシェちゃん」
「……情報屋のネズミちゃんが、なんの用かしら? ジェリー」
「いや、少しお腹が減っちゃってさ。ここなら、ご飯分けてくれるかなぁ〜って」
「はぁ……温めなくてもいいなら、野菜炒めとお味噌汁くらい出せるわよ」
「よかったぁ、それだけで十分だよ。お願いできる?」
「……はいはい」
彼女の前に現れたのは、元の世界から縁のある情報屋・ジェリー。灰色のショートヘアに、翠色の瞳を持つ女性。年齢や背格好は、ルーシェと変わらないくらいで左目の下にある泣き黒子が特徴な彼女は、明るい雰囲気を醸し出しながらも、どこか薄暗さがある印象。恐らく、羽織っているローブもそれを補強しているのだろう。
ジェリーがローブを羽織る理由は、1つだけ。それは……死んだはずの自分が生きていることが誰かに知られたら、不味いから。
そう、本来なら彼女は死んでいたはずなのだ。同郷のルーシェが、自分の村を焼いた時にジェリーは死んでしまうはずだった。運良く生き残って、何故かルーシェと再会して、今に至る。
「……お待たせ。はい、どうぞ」
「助かる。……ん、んぐ! ……前よりは、よくなったね」
「炭にしてた頃よりはマシよ。今日は少し塩っぱいけど、ご飯と一緒ならこれくらいがちょうどいいわ」
「かもね〜。……そうだ、これお礼の情報ね。最近、魔女団が海の向こうで小競り合いしてるんだって。確か……アメリカ? だっけ? そんな名前の国とやってるらしいよ。他にも、うちの世界の小国が、こっちの世界の小国と突きあってるとかどうとか。──やっぱり、戦争は終わったけど、和平とはいかないみたい」
「まぁ、そうでしょうね。こっちの世界も私たちの世界も手酷い損害を受けた。大きな戦いが終わっても、はいよろしくお願いしますって、平和には繋げられないわ」
「お互いの違いとか文化をわかってきたからこそ、理解し合えない部分もある……ってことなのかな」
「かもね」
情報交換という会話に相槌を打ちながらも、時間は過ぎる。ちょっとずつ、ちょっとずつ、間が持たなくなり、静かな時間が増えた時、ルーシェから口を開いた。
「まだ、魔女団に私たちの居場所を売ってないのね」
「……悪い?」
「いえ、別に。復讐したいならすればいい。あなたにはその権利がある」
「……権利があるのと、実行するのは別でしょ? 確かに、あたしは魔女としてのルーシェちゃんを許せないよ。許せないけどさ、あたしたち親友だったじゃん?」
そう、2人は親友だった。
一人っ子のルーシェと違い、家族が多かったジェリーだったが、何かと理由をつけて2人は遊んでいた。唯一の同年代の友人として、彼女たちは互いにとって無二の存在だったのだ。
だがしかし、あれから時間が経ち、今では唯一の同郷の仲間。
片方は、家族を奪われ。
片方は、家族を奪い。
生きている、今、ここに。
故に、裏切れない。
燃え尽きた縁だったとしても、それこそが唯一の繋がりであり、故郷があった証だから。
「親友だった……そうね、親友だったわ、私たちは」
「嫌いだよ。憎いよ。──それでも、大好きだったから。裏切りたく、ないんだ」
「そう。私も……好きよ」
罪悪感はある。
まだ自分を親友だと言ってくれてるジェリーに対して、申し訳ないと思っている。だからこそ、謝るなんてことはせず、表情を努めて変えずに想いを返す。
謝罪は、許すか許さないかを他人に委ね、強制する行為だ。謝られたら最後、謝られたら側は許すか許さないかを選択しなければいけない。
許せないけど、許してしまうかもしれない。
許したいけど、許せないかもしれない。
自分勝手なわがままで介錯すら強請るなんて、酷く傲慢で、悪辣だ。
自分が悪だと理解しているなら、尚更。
「……………………」
「……………………」
故に沈黙だけが残り、静寂が再び訪れる。1分だったか、はたまた10分は経っただろうか。
今度は、ジェリーから口を開き、これが最後だと言わんばかりに真剣な声音で問いかける。
「あの、さ。七奈ちゃんを拾ったのは、罪滅ぼしのつもり? それとも──」
「理由なんて、ただの自己満足よ。私はそんな高尚な人間じゃないもの」
「だよね。……うん、答えてくれてありがとう。そろそろ、行くね」
食べ終わった食器を置き、苦しそうな笑顔を浮かべたジェリーは腰をあげる。立ち去る前に、ただ1つ、ルーシェの頬に置き土産の口付けをして。
毎度の事ながら、何度しても慣れない行為に、ルーシェはただ唇が触れた頬を撫でながら、彼女が去っていくのを見送った。
「……私にとっては、今も親友よ。大切な、たった1人の」
誰に言うわけでもなく、1人呟くようにルーシェはそう口にして、目を瞑る。
頬に熱がある今なら、少しくらい眠れる気がしたのだ。
次回もお楽しみに!
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