全ては神の導きのままに⑬
話は深夜に遡る。それぞれの夜を過ごしている頃、妙な胸騒ぎで目が覚めたアイラの目の前でアレクサンドラはにこりと微笑んでいた。
「こんばんは。良い夜ね」
「どうやって此処に?城には警備が……」
「ふふ、私には造作もないことよ」
彼女はいたずらっぽくウィンクする。このような状況でなければきっと見惚れていただろうに、得体の知れない恐怖に自然と警戒心は高まる。
「そんな顔しないでちょうだい、取って食おうってわけじゃないんだから。取引しに来たの」
アレクサンドラはパチリと指を鳴らすと1本の短剣がサイドテーブルに現れる。持ち手も刃を収めている鞘もシンプルで、見た目は何の変哲もない短剣だ。
「それは貴女以外には見えない魔術が掛けられている短剣よ。毒が塗られてあるから扱いは慎重にね」
「これを使って私に何をさせようと言うんですか……?」
明確な凶器に彼女の顔色は更に悪くなる。もしや婚約者を奪った罪を償えと自害させられるのだろうか。それとも追放の処分を下した彼の命を狙えとでも言うのか。どちらにせよ実行すれば自分の未来は無い。
「私を楽しませてくれればそれで充分よ。だって貴女つまらないんですもの」
「ちょ……っ!」
「折角この部屋に家に帰れるヒントを設けたのに全然気付いてくれないし」
真正面からの「つまらない」に流石にその言い方は無いんじゃないかと言い返そうとした。確かに自分は平凡な人間で容姿も知性も最上級の彼女には及ぶべくもない。だからと言って余りの言いようにカチンときたが、ヒントという言葉に怒りが霧散する。
「……え?どういう事…………?」
だって皆帰る術は無いと言っていた。だからこそ辛くなるだけだから日本の事は思い出さないようにしていたのにヒントとはどういう事だろうか。
戸惑うアイラにアレクサンドラは机の裏側を見るように言う。試しに覗いてみる何と久しく見ていなかった日本語で「東へ3歩、西へ5歩、北へ1歩、着いた場所の床を調べろ」と彫られていた。急いでその場所を辿ると床を周囲深く観察したり手触りなどを確認してみる。
するとカーペットの一部に切れ込みが入っており、捲ると折りたたまれた紙が置いてあった。これかもしれないと逸る気持ちを抑えて開いたが、アイラの期待を裏切りそこには何も書かれていなかった。
「そんな!?どうして!?」
「そう長い間ヒントは保持出来ないわ。」
肩を竦める彼女の無慈悲な言葉に崩れ落ちる。帰る手掛かりはすぐ傍にあったのだ、それなのに自分はちっとも足掻こうとはしなかった。早々に諦めて元居た場所より贅沢な生活を送れるんだからそれで充分だって自分の気持ちに蓋をして、本当の願いの為に動かなかった。そのツケが回ったのだ。
「でも謎を見事に解いて家に帰った聖女は確かに居る」
その後の「惜しかった子も居たけれどね」という呟きは聞こえなかった。アレクサンドラは指を弾き、1冊の本を彼女の手の中に出現させる。本は触れてもいないのにひとりでにパラパラと捲れ、あるページで動きが止まった。そこは歴代の聖女がこの国に来た年代と死去した月日が書かれたページで、数名は病死という理由で召喚されてから僅か数日で在位が途切れていた。
「……アレクサンドラ様、貴女は一体何者なの……?」
初めて病死と記載された聖女は今から数百年以上前の人だった。既にその頃から帰るヒントが存在していたとして、それを設けたらしい彼女は本当なら数百年生きている事になる。
顔を上げたアイラは偶然彼女と視線が交わる。彼女の琥珀の瞳は人間には余るほどの何かを孕み過ぎていていっそ無だった。狡猾にして純真、悪徳にして無垢、淫乱にして貞淑、様々な相反する要素を破綻する事無く併せ持つ彼女は間違い無く人間の範疇を超えていた。
目の前に居るのは自分と同じではない。そう本能が直感した瞬間冷や汗が流れて止まらなくなる。
「言ったでしょう?取って食いはしないって。明日楽しませてくれれば帰れる余地はあるわよ?」
「何をすればいいの?私に出来る事なら何でもする……!」
自然とそう口に出していた。人智を超えた相手に逆らったところで結果は目に見えている。自分のような矮小な存在は兎に角彼女の言う事を聞いて家に帰してもらうしか道は無いのだ。
「簡単よ、その剣で明日私の目の前でアダムを刺すだけ。それだけで良いわ、タイミングは自ずと分かるから」
指示されたのはアダムの殺害だった。彼には色々と世話になっている。葛藤しつつも明日になったらまた考えようと念の為ウエストのリボンに挟んでいたのだ。そして今、彼女は選択を決意した。利用された怒りを全て切っ先に込めたのである。
「約束とは何だ!?一体アレクサンドラと何を話したんだ!?」
一方2人の間の取引を知らないレオナルドは困惑しきりでアイラから話を聞こうとする。ナイフと言い、あの優しい性格の彼女がこの状況で彼の命を虎視眈々と狙っていたなんて何か理由があるに違いなかった。
しかし彼女は彼の腕を振り払い苛立たし気に怒鳴り散らした。
「邪魔しないでよ!もう沢山なのよ!私は家に帰るの!」
強い怒気に気圧されて身体が固まる。その隙を突き、彼女は振り返る事もなく景色の向こうへと行ってしまった。追いかけようにも穴は瞬時に消えて、もう彼女と会う事は無い。
「アダム様っ!」
自身の神官服で出血を抑えようとしていた付き人達が悲鳴を挙げる。刃に毒でも塗られていたのかアダムの顔色は土気色に変わり、口から血が混じった泡を吹いて痙攣を起こしていた。医者も呼べない状況下では既に手遅れである。
レオナルドは振り払われた手をじっと見詰める。彼女はあの時にもう沢山だと言っていた。果たして自分の何処が至らなかったのだろうか。
自問しても答えは出て来ない。不自由な思いをしないよう希望にはなるべく応えたし、郷愁に駆られて嘆いていると報告があった際は故郷に近い品々や料理を出来る限り用意した。
力を失くしてからは苦しい日々だったとは思うが、穏やかで周りに慕われている彼女ならばきっとこの苦しみも乗り越えられると信じていた。
だがレオナルドのそれは当の本人にとっては何の慰めにもならなかった。いくら故郷の味を再現したとて母の味には程遠い。友人を用意されても元の世界でしていたようなくだらない話なんかとても出来やしない。ドレスじゃなくて日本に住んでいた頃の服を着たい。今まで培った常識が全く役に立たない。文明の利器に慣れ切った身ではこの世界は非常に不便で、毎日馴染もうとするのに精一杯だった。
そして何よりアイラにとって堪えたのは彼が為政者としての姿勢を彼女に求めた事だ。彼女は今でこそ聖女だが元は違う世界から連れて来られたただの一般人である。つまりレオナルドが教育の中で身に着けたような国の行く末を逃げずに見届けるという精神を持ち合わせていないのだ。
彼はいずれ自分と結婚して王妃となる身なのだから、当然自分と同じ精神を持っているものだと無意識に思い込んでいた。だからこそ王都の状況がいくら不穏になってもアイラを遠い地へ逃がそうなどとは欠片も考えなかったのだ。探せば瘴気がマシな王国領など幾らか見つかったというのに。
付き人は主人の死に嘆き、レオナルドはアイラに拒絶された衝撃から今だ戻れず、誰もが動けないでいる中でアレクサンドラに近寄る影が2つあった。
「あの……。私達をアイラ様のお傍に送る事は出来ませんか……?」
話しかけてきたのはアイラの2人の侍女だ。まだ顔色は悪いが意を決した様子の彼女達にさしものアレクサンドラも意外そうに片眉を上げる。
「彼女が行った先は貴女達の常識も文化も言葉も通じない全く違う世界です。それでも行きたいのですか?」
覚悟を問う厳しい言葉にもこの時まで着いて来た彼女達の意思は固かった。アイラ様が居る場所が自分の生きる場所だと2人共1歩も引かなかったのだ。
本気を悟ったアレクサンドラは彼女達に向かって手を翳す。2人の全身は白い光に包まれていき、光が収まると同時に彼女達もこの場から姿を消した。
「おや?残ったのは王太子と公爵夫妻と付き人2人、これでは瘴気は祓えませんね」
人差し指を口元に当てたアレクサンドラのセリフは全くもって白々しかった。そもそも今の状況を作りだした元凶は彼女なのに見えている地雷に迂闊に踏み込めず、ただただ歯噛みするしかなかった。公爵夫妻は彼女の手によって歯噛みすら出来ないのだが。
「仕方ありません。最良とは言えませんがこの状況を覆すチャンスを与えましょう」
アレクサンドラはさも慈悲を施してやると言わんばかりに溜息を吐くと、親指と人差し指で何かを摘むような仕草をする。彼女の手にはいつの間にかアイラ専用のティースプーンが収まっていた。
「私が時間を遡る魔術を行使して代表者1名を例の茶会の日に送り込みます。送られた人は時間以内に毒が塗られたスプーンをこの無害なスプーンと入れ替えてください」
「もしやそれをすれば……」
「そう、茶会は特に問題なく終える。大司教は計画通りにいかず激怒するでしょうがね」
彼女の挑発するような眼差しに口の渇きを覚える。
本来時を操るなど神の領域だ。しかしここまで見せられた数々の魔術を目の当たりにしては彼女の力は最早疑いようが無かった。それに全てを無かった事にしてしまえばアイラが力を失っても例の研究資料が活躍し、国民は飢えから逃れられる。連鎖的に襲撃事件も革命も起こらない。綱渡りだがこの提案に賭けるしかなかった。
「そしてその代表者は貴方です」
「僕……?」
彼女が代表に指名したのはレオナルドであった。彼は一瞬困惑こそしたが結局承諾しスプーンと鍵を受け取る。この時彼はもしここで怖じ気づいたりすれば二度とチャンスは得られなくなる。自分は彼女に試されているのだと考えたのである。それに彼等の思惑に気がつかなかった結果の不始末は自分でつけなければ。
説明されたルールもシンプルでスプーンをすり替える時に誰にも見られてはいけない、制限時間はアダムが工作を行って家政婦張が入って来るまでの20分間の2点だけ。自分が送られる空き部屋も例の部屋からそれほど離れておらず、理不尽な難易度ではない。
ルールを頭の中で反芻し覚えたレオナルドはさっそく忌まわしい日へと送ってもらう。もしこの時、自分が送られて来る部屋こそ数カ月前に謎の悪臭騒ぎがあった部屋だと思い出せていれば、別れ際の彼女の「幸運を」の言葉の真の意味に気付いていたかもしれない。




