Boundless and Eternal
彼女らがノックの音を聞き硬直するのを止めて体勢を修正してから少しすると、アートマンが部屋の中に入ってきた。
「多分歓談しているところ悪いんだけど、これからについて話し合いたい」
穏やかに開けた扉を律儀に閉じながらそう提案するアートマン。彼は自分たちのこれからと、空のこれからについてを話し合おうと考えていた。つい先ほどまで緩んだ顔をしていたステラと空も顔を真剣な表情に変える。それもそのはずで、太陽系内の彼らの住む地球の位置を無限より多い数のブレーンの中の、更にその内部で様々な多元宇宙論と再帰構造や集合論などによって無限に増殖している様々な大きさの宇宙の中から、自分たちの故郷がどれかわからない状態で探し出す必要性がある。その上、タルタロス計画ではステラたちはアルファ・ケンタウリ星系に切り上げ六年で辿り着き、そこから数か月探索した後に再び地球に戻るのに乱数を考慮せずに十二年時間が掛かる見込みであり、しかし時間がどのように働くのか見当も付かない。このまま直接地球に帰ったとしても、もしかしたら出発から五年も経っていないかもしれないし、既に哺乳類という概念の寿命が尽きているかもしれない。そのような様々な考えうる可能性を考慮した上でこれからどうするのかを彼らは選択しなければならないのだ。
小一時間ほど話し合った結果、空はステラたちと同行することにし、ミレニアムK-Oは彼女らのように太陽系外縁部に墜ちてきた者たちの導き手となることとなった。しかし、キュクロプス号をアルファ・ケンタウリ星系でも機能するように改造するのに法則の調査も含めて最短でも二か月掛かる見込みであることから、しばらくは外延部にとどまりながら太陽系とアルファ・ケンタウリ星系の観測と考察などを行なうことになった。その為の装置の作成に外縁部に浮かぶ天体をいくつか魔術で必要な物資に変換し、その資材を使用して観測装置を作成した。観測装置はステラやアートマンが考えていたものより遥かに優秀で、天文学的な基準に基づいての──その基準が大宇宙で正しいとは思われない──何百光年先も正確に視ることができ、更には素粒子のような量子力学的な領域より下の世界まで観測することができる優れたものだった。ただし、ミレニアムK-Oの製作に使われた設計図を一部改変したのみであるにも関わらず、ミレニアムK-Oのように自我は発生しなかった。
「本当に素粒子より小さいんだ」
望遠鏡のような姿になっている装置を覗き込みながら、冥王星の表面に存在する量子を視ているステラ。
「私たちが持つ技術だとそこまで行けないから、正直外縁部という立地の影響もあるのだけどね」
外縁部では太陽系を支配する法則の力は薄れており、その結果本来物理法則的に不可能な素粒子より小さな世界を視ることもできるし、オールトの雲の天体群を無視して直接冥王星を観測することができているのだ。
「空、薄っすらと素粒子に重なるように紐が見えるんだけど、これって超弦理論?」
「ええ、半分正解で半分不正解ね」
「そういえば、全部重なり合ってるんだっけ」
「そうよ、だから素粒子は点でもあるし、紐でもある。文字通り最小の物質でもあるし、今ステラが見えているようにそれが人類の主観でしかないのも正解」
一か月ほどで非常に親しくなった──ステラは幼い頃からタルタロス計画の為に訓練や勉強を、空は最年少の世界的な学者として暮らしてきたため、同年代の気安く会話できるような相手が居なかった──彼女らは、調査の一環として太陽系で働く物質の法則について調査していた。
「うん?何か見えたような……」
そういいながら再びステラは量子力学的な深淵を覗き込む。しかし、ステラはそれを覗き込んだことを後悔することになった。そこには、太陽系と同じようなめまいのする無限の広大さを持つ渦が存在した。しかも、それは一つではない。ステラが視ていたすべての分子、原子、素粒子、そしてそれらより小さな粒子とその波長、そのすべてが渦だった。渦の中に気泡のように別の渦が存在し、そして渦の流れは渦の連続体であり、より渦の中心になればなるほど粒子は小さくなり、そしてそれは永遠に続く。
「しっかりしなさい、ステラ!」
呆然としながら機械的に深淵に飲み込まれそうになったステラの異変を察知した空が慌てて身体を揺すりながらステラを覚醒させる。
「一体何を……」
「──大量の渦」
「渦?」
「うん、いくつもの渦があった。渦はより大きな渦の一部だったり、泡みたいに別の渦があったりした。そして──」
「そして?」
「どの渦も、永遠に続いていた」
カウンセリングのようにステラに優しく語りかける空に、静かに冷静さを回復させながら努めてわかりやすく認識した混沌とした海洋の詳細を空に伝える。そして、その内容はさながら──
「私の、仮説?」
「ねえ、空。超プラトン的ブレーン連鎖仮説だと、人間が考えられることは全部人間の世界にあるんだよね?」
「急に……ええ、そうよ」
「多分、その仮説もブレーンの中の一部でしかないんだと思う。太陽系と同じような渦が粒子たちにあった。分子も、クオークも、電子もそう」
それを聞き、慌てて空も観測装置を覗き込み、口から生暖かい空気を吐き出す。確かに、空の目──正確にはこの場合は精神といったほうが正しいだろう──にも、渦の連鎖が存在した。
「多分、冥王星──いや、惑星や衛星も……」
そして、レンズを調整し再び太陽系を観測すると、そこには太陽系の大渦の中に存在する惑星であるいくつもの渦と、その中の泡として存在する衛星たちが存在した。いや、それだけではない。太陽系のブレーンの中のすべての宇宙も渦であり、そしてその宇宙の中の星々と粒子、その中の宇宙、その中の星々と粒子、その中の──そのすべては、渦であった。