Beyond
まさか生物の姿をしていない──それも反応からして物質そのもののような──それが肯定を示す行動をしたことに、ステラは驚きつつも、自我のようなものが存在する可能性があると先んじて考えて置いたおかげで、声を上げることはなかった。モナドが見えるようになる前に巨大な目玉のようなものを見ていたおかげでもあるだろうか。自我があるのは確定しつつも、ステラはいったいどれほどの知恵をモナドが保有しているのか、またどのような性格なのかが気になる。彼女らを害すような行動は見られないことから、現状わかるのは少なくとも敵対的ではないということだけ。
「私の手の動きに従ってみて」
そのようにはっきりと口に出すと、モナドは再び肯定する。まずは拳を作り、その中から人差し指だけを上に向ける。モナドもステラの目の前から上方に移動した。次は人差し指を左下方向に向ける。モナドは上方から左下に一直線に移動した。線のみの星型を描くと、モナドの軌道も星型になった。そこでふと好奇心が湧く。手のひらを広げたらどのような反応をするのだろうか。再び人差し指を目の前の位置に置き、握る。ステラの視線の中心に移動したモナドに向かって、手を広げる。すると、なんとモナドは複数の小さなモナドに分裂し、そのモナドたちによって幾何学的な模様が浮かび上がる。モナドというのだから単一の存在であると考えていたステラは驚き、思わず手を開いたり握ったりするのを数回繰り返す。モナドは律儀にそれに従い、また一つに融合してすぐに別の幾何学的な模様になり、融合してその次は反幾何学的な模様を形成し、その次は順序数の渦を、その次はツェルメロ=フレンケル集合論とそれに選択公理を含めたものを表す記号群を中空のホワイトボードに展開する。その様子を面白おかしく感じたステラは、更に何度も手のひらを交互させながら、空を寝かせている自身の部屋に向かう。アートマンやミレニアムK-Oが見ることができなかったモナドを空が視認できるか確認するためだ。決して自身のスラングとしての方の性癖に直撃するような美麗かつ可憐な顔が眠っている様を見るためではない。そうして手を動かしながら移動すると、やはりモナドも分裂と集合を繰り返しながらステラに追従していった。その結果、先ほどモナドがおそらく適当に数学の者を展開していたからだろうか、少なくとも数学に関しては全知らしいことがわかった。様々な数学の公理や定理、概念を示す図や式で特に難解なものをいくつも生成し、中にはおそらく絶賛構築途中であろうものから、明らかに人類の数学体系とは大きく異なる──人間以外の知性体の数学だと思われる──ものまで、あらゆる数学に属するものを次々に表していった。その様子を無表情で、しかし心の中で非常に驚きながら──ちゃっかり他の知性体種のものだと思われるものを記憶領域に詰め込みながら──歩き続けていると、いつの間にか自室の中にいた。ステラには行動しながら思考にふけっていると肉体が自動的に行動を行なうという奇妙な性癖が存在したが、おそらくそれだろう。記憶を辿ってもアートマンに会いに行く前に自室の扉は閉めたはずだから、それを考えると肉体は勝手に歩き、そしてドアノブを開けて部屋の中に入ったのだろう。そこまで合点がいってから前方を見ると、身体を軽く起こした空が困惑と驚愕を器用にも同時に顔に浮かべながらステラの方を見ている。
「え、ええと……おはよう?あと、そのよくわからないものは何かしら?」
自身でも見返すと奇妙だと思うような行動を空に見られていたことを知り、羞恥心で全身の肌を赤く染めながら、ステラは解答する。
「モナド。私はついさっきそう呼び始めたし、これもそれでいいみたい」
「そう……」
困惑しつつも、一応は納得したふりをする空に対し、ステラは言いようのない奇妙な──近いものでいうならば友情とでもいうべき──感情を得た。アートマンやミレニアムK-Oのような間違いなく優れた資質を持つ存在でさえ感知できないであろうモナドを自分以外にも見えることに。
「これ、アートマンとミレニアムには見えないみたい」
「アートマンと……え、ミレニアム?」
モナドの存在を知った時よりも遥かに大きな驚きを思わず顔に浮かべる空。
「どうかしたの?」
「──おかしい、ミレニアムK-Oは間違いなく全知のはずよ、だって大宇宙に──大宇宙?」
突然合点が行ったかのように表情を明るいものに戻す空。
「多分、この……」
「モナド」
「モナドは大宇宙より上、それとも外といった方がいいかしら?ともかく、大宇宙じゃないところから来たと思うの」
太陽系の事でさえ気になることが大量だというのに、それよりも遥かに大きな──少なくとも単一の宇宙の大きさはあるはず──大宇宙を更に越えた存在かもしれないということに、ステラは驚いていなかった。やはりこれも、無意識のうちにステラは大宇宙との関連性をモナドに対して感じていたからだった。
「とりあえず、この子の事は内緒にしておきましょ」
「内緒に?」
「ええ、まだ銀河のこともわかっていないのに、それよりずっと後の……もしかしたらたどり着けないような目標を定めてしまうのは良くないわ」
「ああ……あの人一回走り出したら止まれないタイプだからね」
「それは私も知っているわ。だからね、内緒にするのよ」
慣れないような挙動で不器用にウインクをステラに送る。自分の好みの顔からそのような──不慣れな挙動だったことも彼女の心によく刺さった──ものを送られて彼女は顔を赤くする。
(ずっと私だけだったから、人肌が恋しいだけなのかもしれないけど……今はそれでも温かさが欲しい)
極限まで擦り減り、衰弱した精神の中に無自覚に溶け込んでくる彼女を、少女らしくモナドを犬のように扱い始めたステラを空は優しく眺めていた。
「そういえば、空って何歳なの?」
「え?ええと……こっちに来たのが私の主観だと二年前のはずだから、多分十五歳よ」
「え」
モナドを抱きかかえたまま少女は硬直する。
「ど、どうしたの?」
「……私の一個下じゃん」
少女たちの硬直は、アートマンが扉をノックするまで続いた。