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See you

 キュクロプス号には一階建ての小さな一軒家ほどの居住用の空間が設けられており、その中に現在ステラが向かっているさまざまな学問の資料と勉強用の机が配置された部屋が存在する。ステラは木製の扉の壁紙が張られた金属扉を潜り抜け、洋館を模した壁に敷き詰められた本棚を目に入れる。そこには宙に漂うことなく、しっかりと与えられた位置に整列する本の群れがあった。本来宇宙空間であるために重力が地球上と同じ働きをこなすことは期待できないが、宇宙船内の居住空間限定で重力が地球上と同様になるような仕組みが施されている。だからアートマンはコーヒーを飲みながら手帳に数式を書くことができているし、本たちも空中散歩をしていない。

 さて、基本的にリビングとして使用している部屋を飛び出してこの小さな図書館にきたはいいものの、ステラは具体的に何を勉強するかについて失念していた。仕方ないので机の上に積まれている資料の中から適当に取ったものについて勉強しようと考え、昨日勉強してからそのままとなっている紙の山へと足を進める。机に付属されたこの宇宙船には珍しいアンティークの木製の椅子を無視し、山の中腹ほどに手を当て、指先を滑らかに使い一枚の資料を取り出す。その資料の最初の見出しには、”魔法の体系化と理論化について”と書かれている。一見論文のようなものに見えるかもしれないが、この資料は実際にはあまり難解なことは書いておらず、単純に魔法を学ぶ者へ向けた入門書のようなものだ。そういえば最近物理学ばかり勉強していたなと脳裏に浮かび、ちょうどいいので復習がてらこの入門書を読むことにした。


 この資料が書かれた時点で判明していた情報と仮説を再び海馬に送り、大脳皮質から再帰させたステラは、魔法が明確に自然科学として体系化されてから執筆あるいは加筆修正された魔導書を手に取ろうとしたとき、突然視界が深紅に染まり、耳が痛くなるようなアラートが発生した。


『──緊急事態、緊急事態──』


 慌ててステラは自身が持つ携帯端末の液晶画面を覗き込む。そこには箇条書きで、不明な原因による航行動力の稼働停止、不明な原因による天体群のすべての演算・予測外の挙動、不明な原因による独立していない配線の破損など、上の三つでさえ気が滅入るようなトラブルであるのに、ここから更に七つもトラブルが発生したことに普段表情筋の動きが乏しいはずのステラの顔からは、一目で不安と驚愕が見て取れる。しかも、ほとんどが修復するのに一日以上かかるトラブルであり、その上、対策用に張り巡らされた様々な科学的、魔法的なスキャンを素通りして的確に致命的な箇所を破損させており、試験運用ですら考えうるすべてのトラブルを的確に突き止めていたためスキャンの信頼性は非常に高く、事実上修復不可能であることが見て取れた。その上、もはや宇宙船をなんとか修復したとしても、これまでとまったく異なる無秩序な軌道を取り始めた氷塊群をすべて避け切り、地球あるいはアルファ・ケンタウリ星系に到達するのも同様に事実上不可能だった。無意識にエンジンに向かって走り出していたステラはこの結論を出して、ようやく冷静になった。ある種の火事場の馬鹿力ともいえるだろう。少女は数瞬思考し、今度はアートマンの元に走り出した。



 宇宙船内のスピーカーからトラブルを知らせる機械音声が流れ、それを裏付けるように白衣に縫いつけられた胸ポケットに入れていた携帯端末を確認しても、アートマンは至って冷静であった。本来ならあと四年半後までかかるアルファ・ケンタウリ星系への到達と、そこからの帰還という今のところ人類史上最大の計画が、道半ば途絶えようとしているというのに、アートマンは平常を保っていた。実は彼は、タルタロス計画を必ず完遂するという明確な大義を持ちながらも、そこに個人的な野望も抱えていた。その野望の中で最も重要な仮説──その仮説を支持するアートマンにとっては真理であり原理──である、若き天才であり非常に優れた宇宙学者、哲学者、形而上学者である海姫 空が提唱した”超プラトン的ブレーン連鎖仮説”。それに基づくならば、太陽系の宇宙の法則は、オールトの雲のおおよそ中間地点までの太陽系全体に浸透しており、その地点を通過すると、異なる宇宙の法則が存在する領域に突入するとアートマンは考えていた。実際現在の彼らの位置は約五万天文単位、すなわち太陽系から転落する一歩手前であり、それ故に太陽系の宇宙の法則の力が弱まり、宇宙船の機能の一部が麻痺していた。しかしそれは至って正常な事であった。魚は水中でしか泳げない。他の生物も同様だ。


 そして、キュクロプス号と親子は、天の川銀河の宇宙空間に転落した。

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