【急募】生贄である私を食べてもらう方法
世界はもう何度も滅亡の危機に直面している。
そんなことを言えば多くの人間は安っぽい陰謀論だと鼻で笑うだろう。
だけど今年で十五歳になる四条院アゲハにとっては身近な話だった。京都の祇園、その古き良き街の奥の奥、秘匿されし『一族』である彼女にとっては。
「嫌じゃあ!! もう生贄だとか差し出された人間を食べたくないのじゃあ!!!!」
「そんなこと言われても困ります。くくるり様のお力がなければあと少しで世界は滅亡するのでしょう? ですからさっさと生贄である私を食べてくださいね」
観光のために整えられた街並みで覆い隠したその奥、観光客はおろか地元の人間さえも近づかない古びた家でのことだった。
縁側で女の子が駄々をこねるように転げ回っていた。
くくるり様、と呼ばれた彼女は見た目こそ十歳前後の女の子にしか見えない。真っ白な髪は腰まで伸びており、その瞳は鮮血よりもなお真っ赤に染まっていて、どこか神秘的に見えるが、そもそも人間かどうかも怪しいものだ。
幸運を引き寄せる座敷童、人喰いの白鬼、零番目の守護天使、真なる世界の支配者、凶星の白き妖精、全能なる奇跡の象徴などなど時代によって呼び方は様々であり、『扱われ方』も多種多様だったが、少なくとも今は真っ白な着物がはだけるのも構わず駄々をこねるのが日常化していた。
「アゲハはいじわるじゃ」
「と言われましても、だったら世界の滅亡を受け入れますか? 生贄である私も含めて全員が死ぬだけですけれど」
「ほんっとうアゲハはいじわるじゃあっ!!」
大和撫子という記号がそのまま当てはまているのでは思うほどに整った黒髪美人の四条院アゲハは小さく息を吐く。
黒を基調としたセーラー服を身に纏った彼女は言う。
「とにかく、早く私を食べてください。生贄である私を食べることでくくるり様は世界を救う力を使うことができるのですから」
「いーやーじゃあー!! わらわはもう人間は食べたくないのじゃあーっ!!!!」
これがかつては座敷童とか天使とか呼ばれていた神聖な存在なのかと疑いたくなるほどには駄々っ子そのものだった。
そんなくくるり様を見ながら、見た目こそ大和撫子でも中身は現代っ子な四条院アゲハはスマホから掲示板にスレを立てていた。
【急募】生贄である私を食べてもらう方法、と。
……そうやってどこかに吐き出すくらいには、思うところはあったのか。
ーーー☆ーーー
くくるり様。
彼女が何者であるのかは現代科学でも解析はできていない。
わかっているのは超常的な──そう、現代科学でも説明不能なそれこそ世界を何度も滅ぼせるほどに強大な──力を扱うことができること、そしてその力は人間という『存在』を喰らい尽くして得られるエネルギーでもって発動できることだけだ。
SNSに投稿された写真から公的機関の記録、果ては人々の記憶といったその人間が確かにこの世界に生きていたのだという痕跡の全て。『存在』そのものを喰らい尽くすことでくくるり様はその力を振るってきた。
この世界を守るために。
そのために多くの生贄を喰らうことで。
それほどの力であればくくるり様を味方に引き入れるなり排除するなり考える国々もあっただろう。歴史の裏で多くの攻防があったはずだ。
その辺りを四条院アゲハは詳しくは知らないし、興味はない。何やら『世界合意の機関』とやらが関わっているようだが、そんなものが何だというのか。
彼女にとってくくるり様とは幼い頃からずっと一緒の馴染み深い友達だ。その周辺をどこぞの誰が利権だなんだ求めてうろちょろしていようが興味はない。
「くくるり様」
「つーん」
そんな髪から着物から真っ白なくくるり様は絶賛拗ねていた。何なら口から『つーん』とか言い出す始末である。
「いい加減機嫌を直してくださいよ」
「なんじゃなんじゃっ。わらわが悪いのかえ!? 人間を食べたくないと思うことの何が悪いのじゃ!?」
「別に今までもそうだったんですし、今更そんなこと言わずともいいでしょう」
「今までだって嫌だと言ってきたのじゃぞ!? それなのに人間はいつだってわらわにその身を差し出すのじゃっ。なんじゃ生贄って! もっと生きるために足掻くべきじゃろう!?」
「ですから『人間』が生きるために足掻いた結果、私たち『一族』の代表がくくるり様にその身を差し出して犠牲を最小にするのでしょう?」
「ううっ!!」
四条院とはくくるり様のために調整された生贄の『一族』である。
普通の人間一人の『存在』を喰らうだけではくくるり様の腹を満たすには足りない。それこそ何十万もの『存在』を喰らう必要があるのだ。
ゆえに歴史の中では不自然な神隠しという形の誘拐、死刑や一生刑務所から出られない犯罪者、戦争や災害など大規模な混乱を利用して多くの人間を回収し、くくるり様に捧げたのも一度や二度ではない。
とはいえくくるり様に力を使わせる度にそんな大勢を消費するのも問題がある。
だからこその『一族』。
人間という『存在』を最大限増幅するために肉体はもちろん魂や精神といったオカルトじみたものさえも長きにわたって品種改良されたのが四条院という『一族』なのだ。
その『存在』は一人で何十万もの人間に匹敵する。
ゆえに世界を救うのには四条院の人間一人で事足りる。
そうやって世界は滅亡の危機を乗り越えてきた。
極大の地震による大陸の崩壊も、巨大隕石の衝突による氷河期の到来も、くくるり様とはまた違った超常存在による破壊活動も、その他にも人類が滅びる原因は全てくくるり様によって跳ね除けられたのだ。
それが、一人の命で済む。
本来なら何十万もの命を支払うところを四条院アゲハだけで済むというのならば、そのほうが絶対にいい。
これまでも『一族』はそうしてきた。
これからもそうするべきだ。
こんなものは考えるまでもない当たり前だというのに……、
「アゲハは……いじわるじゃ」
小さく、涙さえ滲ませてくくるり様はそう言う。
これまでだって多くの命を喰らってより多くの命を救ってきたはずなのに。
いいや、これまでもそうだったのだ。
彼女も言っていたはずだ。嫌だと言ってきたと。それでもこれまでだって『人間』はくくるり様に縋り、祈って、頼ってきた。
助けてと。
そのためならこれだけの生贄を捧げると。
では、そもそも生贄とは何なのか。
生贄の儀式は世界各地どこでだって行われてきた。その多くは単なる迷信であり、実際にくくるり様のような超常存在にその命が捧げられたわけではないにしても。
興味深いのがそういった生贄の儀式は多くが似たような変異をしていることか。初期は身も蓋もない言い方をすれば偶然の場合が多い。何か重大な危機が起きたら際に偶然にも誰かが命を落とした。あるいは解決のために奔走して死んだ。その後に偶然にも未曾有の災害などの危機が過ぎ去った。その偶然を『誰々が命を捧げたがために奇跡が起きた』と思い込み、同じような危機に対して今度は誰かを率先して殺す。それが生贄の始まりとなる場合が多いのだ。
それが次第に殺す人間を『カミサマに捧げる特別な存在』──聖女だとか巫女だとか人間側で勝手に特別扱いするようになる。よく生贄にうら若き乙女が選ばれているのはそれだけ多くの人間が価値ある存在だと定義するからだろう。
罪悪感からなのか、これだけ特別な人間を捧げるのだからカミサマも願いを叶えてくれるだろうと思うのか、他に何らかの理由があるのか、生贄に選ばれた人間はその短い生の間は丁重に扱われる。
それで生贄を捧げられる側が納得するかどうかは別だが。というか納得できないからくくるり様は怒っているのだ。
とはいえ生贄である四条院アゲハは丁重に扱われているからこそ、普通の人間よりは恵まれた生活を送れている。本来なら学校に通う必要もない贅沢三昧でも構わないのだが、それは断った。
例え短い生であっても、だからこそ普通に生きていたいから。
その一生にアゲハは満足している。
あくまで捧げる側の自己満足だとしても。
「くくるり様」
「なんじゃ」
「私はこの身をくくるり様に捧げることに後悔はありません。ですから、どうか、くくるり様も気にしないでください」
「……、やはりアゲハはいじわるじゃ」
ぽすん、と。
アゲハの胸に顔を埋めて、くくるり様は言う。
「気にしないなど、そんなことできるわけがなかろう。だからこそアゲハを食べたくなどないのじゃよ」
ーーー☆ーーー
今にして思えば、それはくくるり様の中で四条院アゲハという『存在』を大きくするための一環だったのだろう。生贄の一生には必ず世界を救うためという大義名分でもって誰かが介在しているのだから。
だから幼い頃の彼女はくくるり様のお世話係として古びた家に住むことになった。
『はじめまして、四条院アゲハと申します』
『堅苦しいのう。もっと気軽に話していいのじゃぞ』
『と言われましても、これが私の普通ですので』
『まあ、お主がそれでいいならいいがの。それより! これからお主はこの家に住むのじゃからこれだけは守ってもらうぞ!!』
『はい、何でしょう?』
『気を遣うでない!! 楽にするのじゃ!!』
『は、はあ』
『何せ家じゃからな。気を抜いて楽にするべき場所でわらわに気遣って疲れても何じゃろう。というか、変に気張られてもわらわも困るしな!!』
『……、生贄なんかにそのようなお心遣いは無用かと。邪魔であれば物置にでも──』
『何でそうなるのじゃ、ばあーか!!』
ぽかん、と頭を殴られた。
軽く、痛みなどなかったが、それはどうしてだかひどく響いた。
『生贄などと己を卑下するでない。お主はこの世界でたった一人の存在なのじゃぞ。それをお主自身が貶めることはない。周りが何と言おうが、どう扱おうが、お主の人生はお主のためだけのものじゃ。であれば、幸せになるために足掻くべきじゃろう』
『幸せ……』
『なあに、心配するでない。今のところわらわの力が必要な危機が起きる気配はなかろうて。昔と違ってここ百年以上は何事もなかったのだし、お主だってこのままその身を捧げることなく一生を生きることができるかもしれぬのだ。だったら楽しまないと損じゃろう?』
それが、くくるり様との出会いだった。
よりにもよって必要なら四条院アゲハを喰らう側からそんなことを言われたのだ。
この時、アゲハは怒るべきだったのだろうか。
もしかしたらそうするべきだと言う人間だっているかもしれない。
だけど、それでも、彼女はその言葉を受け入れてしまった。もしも、いつか、この身を捧げるまではと。
どうして、と自問しても答えは出ないけど。
少なくともくくるり様と一緒に過ごしてきた日々は幸せで、後悔なんてないのだから、それが正解だったに決まっている。
ーーー☆ーーー
「【急募】生贄である私を食べてもらう方法、ねえ。世界は何度も滅亡の危機に瀕していて、その度に超常存在によって救われてきた。だけどその超常存在が力を振るうには生贄が必要。世界を救うために数十万もの人間の『存在』を喰らうよりも自分一人で済むならそのほうがいい。その超常存在は記憶だの記録だのとにかくその人間の『存在』の全てを喰らって力を使うためのエネルギーに変える。『世界合意の機関』ってのはつまり世界中の国が結託しているってことで、うーん。これは……」
「愛梨さん、何か言いましたか?」
「にゃーんでもにゃいよー四条院ちゃん。それより何か元気なくない? 隣の席のよしみで話を聞いてあげてもいいけど???」
「……、同居人と少し言い合いになりまして。そのことを考えていたのが表情に出ていたのかもしれません。私は決して間違っていないと思うのですけれど」
「にゃっはっはっ。四条院ちゃんは真面目で優等生でザ・委員長タイプだもんね。詳しく聞かなくても正論ぶつけてぎたんぎたんにしている光景が浮かぶよーにゃんにゃん」
「そう、ですか?」
「ですです。まーいいんじゃない? 四条院ちゃんは間違ってないならそのままでも。そうやって放っておける程度の相手であれば、ねえ?」
「何ですか、その含みのある言い方は」
「べっつにー。ただあ、その同居人は理屈じゃなくて感情でぶつかっていたからこそ言い合いになったんじゃないかにゃーっと。その正論と感情、どっちが大事か考えてみた? もしも考えていないなら少しは考えたほうがお互い納得できるかもだよ? というか理屈だけで生きるってんならロボットと変わらないんだし、もうちょっと肩の力を抜いたほうがいいって。……まあ、どんな言い合いをしたのかすら知らないからアレだけど、すっごく後悔しているって顔に書いているし? 多分間違ったアドバイスじゃないと思うにゃー」
そんないつだってスマホが手放せないネットサーフィンが趣味の同級生との会話が妙に頭に残っていた。
当たり前の日常。生贄としてその身を捧げるまで──つまり世界が滅亡するまで残り一ヶ月もないとわかっていても、四条院アゲハは普通に学校に来てクラスメイトと話をしていた。
そうするべきだと、そうしたいと、理屈ではなく感情でもって決めたから。
だったら──
ーーー☆ーーー
「くくるり様、仲直りしましょう」
「なんじゃ、突然。だったら生贄になるのをやめるのかえ?」
「いえ、私は生贄になることを諦めるつもりはありません」
「なんじゃそれはっ! だったら仲直りなどできぬわっ。アゲハのばかっ!!」
「申し訳ありません。それでも私が生贄になるのが最善であるのは間違いないので」
「むう!!」
「ですけど」
そっと。
膝を曲げて、くくるり様と視線を合わせて、そして四条院アゲハは言う。
「くくるり様が私を食べるのが嫌だというのならば、強制はしません。何十万もの誰かを喰らうのでも、誰も食べずに世界を滅ぼす脅威を放置するのでも、くくるり様が選んでいいと思います。それが本当の本当にくくるり様の望みであれば、私は付き合いますよ」
「……その結果、世界が滅んでもかえ?」
「私、考えてみたんです。くくるり様に無理強いして泣かせるか、それとも満足そうに笑っているくくるり様と世界が滅びるのを黙って眺めているか」
穏やかに、心の底から、アゲハは笑っていた。
「私はくくるり様が満足するなら、笑っていられるなら、幸せなら、それでいいかなと思いました。世界を救うためにこの命を使うのは私が生まれてきた理由で、そうでなくても多くの人間が生きるこの世界を救うためなら何だってやりたいですけど……それは、くくるり様を泣かせてまですることじゃないようです」
「どうして、そんな……」
「どうして、ですか。正論を抜きに考えていたら、こうするのが一番だと思ったからです。それくらい私にとってくくるり様は大切な存在なのだと、恥ずかしながらついさっき気付いたもので。私の気持ちよりもくくるり様の幸せが一番ですからね」
照れくさそうに頬をかくアゲハ。
普段の大和撫子のような綺麗だが感情の読みにくい表情が崩れて年相応の女の子らしい表情を浮かべていた。
「ばか。そんなこと言われたら、これ以上意地を張れないではないか」
「くくるり様……」
「どいつもこいつも死に急ぎおって。いつだってわらわを一人残して……本当いじわるじゃ。骨も残さず食べてやるからの」
「はい、よろしくお願いします」
生贄として喰らった人間の『存在』は世界から消えるが、くくるり様だけは忘れない。忘れられない。
だから、残る。
傷跡のように確かに。
それでいい。それならアゲハには後悔はない。
そんな彼女の意思を汲んで食べると言ってくれたくくるり様を泣かせてしまったのでやはりどこまでいっても生贄の自己満足でしかないにしても。
せめてこれから先、食べられるまではとびっきりの笑顔でいられるよう尽くそうとアゲハは誓う。楽しく、幸せで、それだけしかない日々をくくるり様に残すために。
ーーー☆ーーー
いや、わざわざ生贄になる必要ないじゃんwww
ーーー☆ーーー
それは吐き出したくても吐き出せない思いを吐き出してすっきりするために立てた【急募】生贄である私を食べてもらう方法というスレへの書き込みだった。
くくるり様という名前こそ書き込んでいないが、アゲハが生贄にならなければならない理由はほとんどそのまま書き込んでいる。
『世界合意の機関』もアゲハ本人に注意はしても書き込み自体に手は加えていない。下手に騒ぐよりは放っておいたほうが嘘っぽさが強まると考えて。
こういうものは下手に隠そうとすると『それだけの価値あるもの』、つまり真実なのではないかと疑われることになる。つまり逆に放置していれば胡散臭いものだといずれ忘れ去られるということだ。
今回の書き込みもあくまで創作物の一種だと思われているのか、反応は面白半分なものばかりだ。(生贄を食べるのが白髪の幼女だと書き込んだからか)ちょっと過激な書き込みも見てとれたが。
そんな中、『いや、わざわざ生贄になる必要ないじゃんwww』という書き込みはこう続けられた。
──生贄にならないといけない私かわいそうがしたいにしても設定甘すぎwもっと練ってお願いだからwww
──どこが甘いというのですか?
──全部だよ全部w下手に『世界合意の機関』とか大袈裟なの出したせいで台無しになっているしwww
──説明になっていません
──じゃあ説明するけど、超常存在は人間の『存在』を食べて力に変える。記憶や記録やとにかく全てを含めて『存在』を。だったら別に生身の人間じゃなくてもいいじゃんwww
──何を言っているんですか?
──だーかーらー公的機関だのSNSだのに存在しない人間の情報でも捏造して登録すればいいじゃんw記憶だけでなく記録も『存在』の一部で食べられるというなら数十万と言わず億でも兆でも適当に捏造して超常存在に記録上だけの人間の『存在』を食べさせれば万事解決w生贄になるかわいそうなスレ主必要なしwww
──『世界合意の機関』とかいうの出したせいでそんな捏造できませんとか言えないしwねーねー何か反論はーwww
──はい勝ち確ですどうもありがとうございましたーwww
ーーー☆ーーー
くるくる、と。
スマホを片手で回しながら、四条院アゲハの友達である同級生の少女は一人呟く。
「うーん。やっぱりネットで妄想垂れ流している構ってちゃんの矛盾点を突いておちょくるのは楽しいにゃー☆」
……古びた家の一室で四条院アゲハが色々と耐えられず身悶えていることに、もちろん同級生の少女が気づくことはなかった。
ーーー☆ーーー
そんなわけでどうにかなった。
とはいえこれも考えてみれば『生贄』の一種なのかもしれない。
簡略化。
人間の代わりに人形や食べ物などの供物を代替えの生贄とするのは世界各地でも見られていることなのだから。
こんな簡単なことに気づけなかったのはそれだけ染まっていたからか。世界を救うには誰か犠牲が必要である。そんな固定観念に。
『世界合意の機関』の力を借りれば人間の捏造は簡単だった。あくまで記録上ではあるが、それでも『存在』しているのは確かなのだ。
後はその捏造した人間の『存在』をくくるり様が数十万と言わず億でも兆でも食べれば万事解決……だったのだが、
「アゲハーもう食べたくないのじゃあー……!!」
「我儘言わないでください。世界を救うためですよ」
「だってえ! もうマネキンは食べたくないのじゃあ!!」
唯一問題があるとすれば、くくるり様はあくまで人間を直接食べることでその『存在』を喰らうという点か。
つまりマネキンでも何でもいいから記録上の人間の『実物』を用意する必要があった。無機物であっても名前があって戸籍が登録されていればその人間の『存在』は固着できたが、それでも生きた人間よりは薄かった。
ついでに言えばやはり人間というからにはある程度の質量・大きさがないとうまく『存在』が染みこまないらしく、人間大のマネキンを喰らう必要があった。
『存在』が薄いために数十万よりも大量のマネキンを、世界が滅びるまで残り一ヶ月も満たない間に。
「多い、多すぎるのじゃ! 食べても食べてもちっともなくならないのじゃあ!! しかも味気ないし、本当大変なのじゃあ!!」
「でしたら私を食べますか?」
「それはもっと嫌じゃ!!」
「でしたら頑張らないといけませんね」
「ううっ! やっぱりアゲハはいじわるじゃ!!」
「はいはい、いじわるでいいですから頑張ってください。もしもこの方法で世界が救われるのならば私の生贄としての価値はなくなります。つまり私がここにいる理由もまたなくなります」
そっと。
それでいて確かにくくるり様を抱きしめるアゲハ。
「それでも、ずっと一緒ですからね。後悔してももう遅いです。我慢なんてしてあげません。こんな私を生かしてしまったくくるり様が悪いんですからね?」
「何を言う。そんなの最高ではないかっ!!」
無邪気に、本当に幸せそうに。
そうやって笑うくくるり様をアゲハは湧き上がる愛おしさと共に抱きしめた。
こうして世界が滅亡することはなくなった。
どんな破滅がやってこようとも、絶対に。
だから今日もくくるり様は古びた家の縁側でアゲハの腕の中に収まり、幸せそうに笑っている。