日々これ精進
慣れた。
人間の適応力とは凄いものだ。
日々、努力していると確実に身体が覚える。
俺はもはや「シャル」と呼ぶところだけ小声になったり、「ウィル様」と呼ばれて挙動不審になったりすることなく、普通に奴と会話できるようになった。
訓練もいたって順調で、幻視を利用した魔力操作トレーニングもいい具合に長時間続けられるようになった。やはり、立った状態ではなく、座ったり、横になったりした状態で始めれば良いということに気付いたのが大きい。途中で倒れそうになって中断するということがなくなったので、かなり集中できた。
もちろん問題がありそうならすぐに調整して、彼女に負荷がかかりすぎないようにはしている。
「長椅子は硬いな。寝台でやろう」と誘って、初めて寝室のベッドに横たわらせたときは、なかなか集中してくれなかった。俺はできるだけ優しい声(メイド達にお墨付きをもらった発声法)で、相手をなだめすかして、力を抜くように言ったがうまくいかない。俺が上からのしかかるようにしたのが圧迫感があり、組んだ両手を押し付けられたのが痛かったのだろう。
ちょっと涙目で震えるヒヨコはかわいかったが、虐めたいわけではないので、俺はすぐに改善策を提案した。
「では、俺が下になる」
その方法でも、最初のうちはダメダメだったが、細かい改善を繰り返して、最近はだいぶいい感じだ。
一般教養の座学も面倒をみたが、ずっと勉強ばかりさせると学習効率が下がるので、合間合間にちゃんと行楽も入れて息抜きをさせた。
財力と権力と優秀な使用人がいるというのはこういうときに大変便利だ。これまで俺は自分から行楽に行きたいなどと思ったことがないので、若い娘が喜びそうな行楽地にはさっぱり行ったことがなかったが、一声命じたら、次から次へと手配してくれた上に、連れて行った先で男がすべきことの一覧まで用意してくれた。
一覧の中には、なぜそんなことをしなければいけないのか理解不能な項目が沢山あったが、俺は素直に実践した。どこに行っても何をしても、とどのつまりヒヨコが機嫌よく楽しんでくれれば、俺は満足だったのだ。
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慣れない。
日々努力はしているが、これは心臓が保たない。でも、そんなことは言っていられない。
シャロンは自分を叱咤した。
「おいで」
ベッドで絶世の美青年が自分を呼んでいる。無駄に色っぽい眼差しで、無防備に両手を差し出している。これから自分はその手を取らなければならない。
毎晩のことではあるのだが、どうしてこうなったのかわけがわからない。
これでも多少はマシにはなったのだ。最初に彼が「寝台で」と言い出したときは、気絶しそうだった。押し倒されて、両手を拘束されたまま、蕩けるような甘い声で囁かれるというのも大概だったが、その後で「俺が下になる」と言い出されたときは壮絶だった。
跨いで上に乗れって、そんな……腹の上に座っていいと言われても。「これでも結構鍛えているからお前が乗るぐらい平気だ」と言ってベストとシャツの前を開けて腹筋を見せてくるのは破壊力が反則すぎた。
着衣の乱れた美青年に馬乗りになって、ジッと見つめられながら、上から覗き込んで互いの額をくっつけろって……それは無茶。それで呼吸を整えて、心を無にして、魔力を冷静に操作しろなどと、要求が無理すぎる。
手のひら同士をつける姿勢が難しいなら、できるだけ心臓に近い位置で、ある程度広い面積で直接接触できたら、それでもいいというのは、それは譲歩でもなんでもない。
かろうじて留まっていた胸元のボタンを外して、胸をはだけさせて、素肌に手を置いたときは、とてつもなくイケナイコトをしている気分だった。
目を閉じてとお願いすれば閉じてくれた。が、「どんな要求でも言ってくれれば従うぞ」とか言い出されても困る。
本人は気づいているのかどうかわからないが、呼吸を合わせているうちに、向こうがこちらの心臓のドキドキに揃え始めて、練習を始めると彼はほんのり上気した顔になる。その状態で、少しだけ薄目を開けて「今のは良かったから、もう少し続けよう」なんて言ってきたりするのだからたまったものではない。
無理、無理、無理!
「上」は無理ですと頼み込んで、なんとか隣り合って横たわる形式にまでは持ち込んだ。
「大丈夫!俺とお前はただの師弟だ。正当な魔法の訓練なんだからもじもじするな。下衆な勘ぐりをする使用人がいたら俺が叱り飛ばす。俺達の間には後ろめたい関係は一切ない!」
そう言われましても。
としか言いようがない。
そんなことを言うくせに、彼はシャロンを頻繁に有名なデートスポットに連れ出した。そして女の子が有頂天になる絶妙なタイミングに、キザな仕草でキザな口説き文句を仕掛けてくるのだ。
それだけならやはりそういうつもりなのかとも思えるのだが、なぜか彼は、その直後にすべてを台無しにするような解説をし始めるのだ。
輝く湖で舟遊びをしたときには「君のほうがずっと綺麗だよ」といったあとに、なぜ人が水のある風景を美しいと感じるのかという生物学的観点での考察と、この湖の水質に関する地質学的な考察をして、「であるからして、魚も住めない水質だからこのように青いこの湖を、水が生存に不可欠だから良いものと認識している人間が美しいと考えるのはとんだ誤解である」という結論を出し、だからシャロンがこの湖と比較して綺麗かどうかは重要ではないなどと言い出した。
そしてシャロンが、何をどう受け取っていいのかわからなくなったところで、「ま、お前は可愛いから」と、雑に結ぶところまでがお約束。
これは貴族流の冗談かなにかなんだろうか?と真剣にシャロンは悩んだ。
とにかく知れば知るほどウィリアム・ウィルフォードは変な人だった。何を考えているのかは皆目見当がつかなかったが、色恋に関しての意識は、そういうのに疎いシャロン以下のお子様で、恋愛感情はまったくないのはだいたいわかった。
そしてどうしてだかわからないが、彼はシャロンに魔法の才能があると心の底から信じていて、彼女のためにあらゆる努力と投資を惜しまないでくれた。
これは、男だ女だ愛だ恋だと迷わされずに、ただまっすぐ魔法を勉強しろという師匠なりの試練なのかもしれない。
キラキラの笑顔で、耳が溶けそうな愛の言葉を囁いた流れから、魔法陣の構成要素の質疑応答に入って、「よしよし、偉いぞ。可愛い可愛い」と雑に頭を撫でるウィリアムに、シャロンは一種の悟りを開いた。
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手をつないで並んで横になって魔力操作の訓練をしているうちに、疲れて寝てしまったシャロンにそっと上掛けをかけ直してやって、俺はベッドから下りた。
最近は限界ギリギリまで訓練をやるために、彼女が寝落ちしてしまうことが多い。だから訓練時間を就寝前にして、そのまま寝てしまっても構わないようにしている。
寝巻き姿を俺に見られることを恥ずかしがったヒヨコには、恥ずかしくない可愛い寝巻きを買ってやった。
俺の気遣いに抜かりはない。
それにしても、こんなに無防備にスヤスヤ寝て、コイツは……。
仮にも若い男の隣で、ちょっと無警戒過ぎやしないだろうかと心配になるが、これも俺を信頼してのことかと思うと、日々の努力が実った気がして感慨深かった。
うむうむ。俺が絶対にお前を、世界を滅ぼしたりしない立派な魔術師にしてやるからな。
頭を撫でてやろうかと思ったが、本人の意識がないときに、訓練と無関係に体に触れるのは紳士にあるまじき行いだと思い直して、手を引っ込めた。
いくら可愛くても、俺はコイツの信頼に応える義務がある。
俺は体調管理と保安上の結界を複数重ねがけして、彼女の寝室をあとにした。
使用人一同「このヘタレがぁっ!」
彼女いない歴人生二周の魔法使い恐るべし。