お前がそうか!(違います)
東館3階の東南の角部屋は、俺の研究室だ。
最上級生でもない一介の学生の身で何故にと我ながら不思議だが、くれたのでありがたく使っている。
研究室とは言うものの、今更この時代に学院で必死に魔法を研究する気はないので、大きなテーブルと快適なソファーを置いて、授業のない時間に気兼ねなくダラダラしている。……うるさい従者がいない分、家よりくつろげるんだよな。
同級生で悪友のクリスも我が物顔にやってくるので、プライバシーはないが、茶と茶菓子を常備できるのは良い。
「おーい、ホワイトエリーの季節限定新作クッキー持ってきたぞ。茶を煎れてくれ」
「うむ。何味だ?」
「ジンジャーベリー」
「美味いのか?それ」
「知らん。食おう」
趣味で揃えた茶器で茶を煎れる。
前世では寒い日に白湯を飲む程度だったが、貴族に生まれて茶の楽しみを知った。
茶葉の産地や銘柄も多様で奥が深いが、温度管理で味が変わるのが面白い。
クリスと二人でクッキーをむさぼり食っていると、ものすごく控えめなノックの音がした。
「誰だ?」
「ああ、ヒヨコだろう。昨日話した新入生だ。俺が呼んだ」
「なにっ?!お前が一度会っただけの女を覚えている上にここに呼んだだと?」
どれどれどんな奴だ?と言いながら、クリスはわざわざ扉を開けに行った。興味本位なのが顔に出すぎている。
「ようこそ。君がヒヨコちゃんかい。可愛いね。どうぞ、入りなよ」
「ふぁい……お、おじゃまします」
クリスのペースについていけずに、おずおずと入ってきたのは思った通り昨日の新入生だった。女の見分けがつかない俺だがこの野暮ったいお下げ髪はわかる。
「なんだ。1人なのか?連れてこいと言っただろう」
「あの、その……それが……」
「あれ?お友達も一緒なの?えーっと、あの子かな?」
クリスは扉の向こうの廊下にいると思しき相手を手招いた。
部屋に入ってきたのは、何やら派手な女生徒だった。
「お招きに預かりまして恐悦……」
「学院でそういうのはいい」
仰々しい淑女の礼をしようとするのでやめさせる。
「お前か」
「はい」
堂々とした態度の女だ。
これがシャロン・テンプテートかと思うと、何やら感慨深かった。
「座れ」とソファーを勧めると、女は礼を言って優雅に腰掛けた。
テンプテートなる家は聞いたことがないが、上流階級の作法を身につけられる身分のものらしい。
「あの……えーっと?あれ?」
「君も座っていいよ」
何やらオロオロしているヒヨコを、クリスが座らせた。
”ご苦労。帰っていい”と言うつもりだったのだが、座ってしまったのなら仕方がない。
ちゃんとシャロン・テンプテートを連れてきた褒美に茶と茶菓子ぐらいは振る舞ってやろう。
§§§
なんだか助かったけれど、ややこしい事になってしまったと、シャロン・テンプテートは当惑した。
自分一人で行くわけにもいかないと困ってはいたが、こんな形で他の人を巻き込むのは想定外だ。
隣に座っている美人は、同じクラスの子で、なんだか凄い身分のお嬢様らしい。
凄いのは身分だけではなくて、座学も実技も成績優秀、積極的でリーダーシップバリバリ。当たり前のようにクラス代表に選出されて、新入生ばかりのクラスで、入学2日目にして、彼女はすでに頂点に君臨していた。
シャロンは、今朝、登校したとたんにウィリアム・ウィルフォードが名指しで訪ねてきた件を知らされた。面識のないクラスメイト数名から「なぜあなたなんかが」と詰め寄られてオタオタしている最中に、間に入ってくれたのが彼女だ。
「皆様、あまりそう口々におっしゃっては、こちらの方が応える間もありませんわ」と彼女が言うと、皆が一斉に引いてくれたのは驚いた。
自分にもまるで心当たりがないが会いに来るように言われた、人違いかなにかの連絡ミスだと思うと、しどろもどろに説明すると、彼女は自分も昨日、ウィルフォード様に会いに行くことを快諾していただけたと語った。
「一緒に参りましょう」と言うのを、万一悪い話だと迷惑をかけるからと思って遠慮して断ったのに、ついてきていたらしい。
もしこれで、ウィルフォードの要件が、怨恨だとか、弾劾だとか、身に覚えはないが、シャロンを責めるものだった場合、縁もゆかりもないご令嬢にとんだ濡れ衣を着せてしまうことになる。
シャロンは勇気を振り絞って、ウィルフォードじゃない方の優しそうな人に本日の呼び出しの理由を尋ねた。
「え?なんで呼ばれたかって?ねー、なんでお前、この子ら呼んだの?」
優雅な仕草で茶器を扱っていたウィリアム・ウィルフォードは、こちらを見ようともせずに物憂げに答えた。
「なに、大したことじゃない。そいつが優秀な魔術士だという話を聞いたので、どれほどの腕か見せてもらおうと思ったのだ」
「ええっ?!お前が他人の魔法の腕を気にすることなんてあるの?!」
優しそうな御学友はヘーゼルの目を見開いて、オーバーリアクション気味に仰け反った。
「君、どんな天才?」
「まぁ。お恥ずかしいですわ」
恥ずかしいと口では言うものの実力があることを否定しようとはしないお嬢様と、感心する御学友と、致命的な誤解をしているらしいウィルフォードを前に、シャロン・テンプテートは、名乗るタイミングを完全に失った。