世界はあっけなく崩壊した
この回は重たいですが本作はコメディです。
このままでは、世界が崩壊する。
私は禁呪の使用を決意した。
なんとしてでも魔女シャロン・テンプテートが魔法陣を残すのを阻止せねばならない。でなければ、世界は破滅するのだ。
その日、私は自宅で、いつも通りの静かな朝を迎えていた。
人里離れた郊外の一軒家は、さして大きくもない古い石造りの家で、小さな塔があるせいで、近隣のものからは、塔屋敷と呼ばれていた。
身寄りを失った孤児の身から、生涯のほぼすべてを魔術の研究にあててきた私には、妻子も親族もないため、この家には私しかいない。2日に一度、通いの使用人が来ているが、その日は来ない日だった。
魔法省の名誉顧問などという肩書はあっても、王都で勤務する必要もないので、ほぼ家に籠もりきりの私の生活は、物語に出てくる偏屈な魔法使いのそれと大差なかった。中央の者たちの私の扱いも概ねそんな感じで、恐れを含んだ敬意と、疎ましさからの隔意に満ちたよそよそしい形式的な連絡をたまに寄こすだけだった。
前夜に届いていた定期報告の内容もつまらないもので、王立学院の附属図書館の積層書庫に保管されていた魔導書の間から、制作年代の異なる魔法陣が発見されたというものだった。
脇書はなく、なんのためにそこに残されたのか不明な魔法陣のため、魔法省で解析するという報告だが、解析実施日は今日で、どう考えても事後報告のつもりでしかない連絡だった。
使用されていた用紙の分析結果だの、挟まれていた本の要旨や履歴だのが無駄に詳細に添付されていたが、明らかにこんなレポートをよこすほどの手間を掛ける案件ではない。鬱陶しい名誉顧問になにがしかのお伺いを立てているという建前のための報告書であることはミエミエである。
私はそれでも朝から一通りその報告書に目を通し、返信のために所感をしたためていた。
その時、猛烈な違和感に襲われた。
世界に薄く満ちている魔力層に異変が起こった。なにか大規模な魔法が発動したのに違いない。
私はすぐに魔力感知に集中した。
近くではない。王都の方角だ。
異変は起こり続けている。
急いで塔に登って王都の方角を見た。
あいにく朝から薄曇りで視界はよくない。視力を強化して遠方を望むと、灰色の雲が一面に低く垂れ込めた空の向こうで、王都の上空だけがポッカリと晴れているのがわかった。
ザワザワする違和感は増大しつづけている。
さらに目を凝らすと、黒い半球が王都の北側を覆うように出現しているのがわかった。巨大な黒い半球は周囲の魔力を吸い込みながら、みるみるうちに拡大している。
このままでは王都全域が呑まれるだろう。
私はすぐに緊急連絡用の魔導具を発動させて、魔法省に連絡を取ろうとしたが、魔導具は宛先座標エラーで動作しなかった。
半球の内部は”虚無”だった。
私はすぐに塔屋敷から退避し、王都から離れた魔法省の支部に連絡を取って、この深刻な魔法事故に対処しようとした。
しかし黒い虚無領域の拡大は止まらなかった。
虚無は撃ち込まれた魔法攻撃も、張られた結界も、自身を拡大する魔力として飲み込んで成長し続け、範囲内に取り込んだ全てのものを無に変換した。
各国との連携による合同対策本部も設立したが、日頃いがみ合う諸国の連合などまともに機能するはずもなく、いたずらに物資と人的資源を消耗するだけで何の成果も上げることはできなかった。私は、無駄な会議が踊るばかりの対策本部に早々に見切りをつけて、独自に、虚無を生み出している魔法を解析しようとしたが、効果範囲周辺の魔力は全て吸い込まれてしまうため、魔法感知ができず、拡大速度が早くなりすぎていて最早、視認距離に近づくことも危険な状態のため、どうにも手が出せなかった。
このように破滅的な魔法は、私が管理を任されていた王国の禁呪書庫にもなかった。
状況証拠でしかないが、あの日、王都の北区にある魔法省付近を中心として異変が発生していたことと、魔法省で新たに発見された魔法陣を解析しようとしていたことから判断するならば、この魔法は、問題の魔法陣が原因と考えられた。
使用されていた用紙は、分析結果から推測すると王国歴の132年から140年あたりで学院内で使用されていたものだった。学院の紋章が入った正式文書用のもので、学院が公表する論文などに使用されるものだ。年代は紋章の形状から推定されたため、古い紙が使用されたのだとすれば後ろはもう数年後の可能性はある。
魔法陣の書かれていた用紙には製作者の名前が、書きかけで消された痕跡が残っていた。その綴りと一致する名前で、図書館の貸出履歴で132年から140年の間で該当する名前は3件。
中でも最も可能性が高いのが”シャロン・テンプテート”だった。
これほどの大魔法を残すほどの魔法使いだったにも関わらず、彼女の名は魔法史のどこにも残っていない。
彼女がどういう人物で、なぜ魔法陣を残したのか?
100年以上昔に学院に所属していた者だ。彼女を知るものは、たとえ学生だったとしても、今は生きてはいない。
世界を滅ぼす魔法を残した恐るべき魔女が、一体何を考え、どれほどの恨みを世界に抱いていたのか知るすべすらなく、世界は滅びようとしていた。
すべてが虚無に呑まれて、終焉を迎えようとする世界の片隅で、私は禁呪の使用を決意した。
理論上は可能だが、世界の因果律を壊す可能性があるために使用が禁じられていた魔法だ。
「このままではすべてが無になるんだ。因果律など知ったことか」
私は世界に残った魔力リソースをかき集めて、時間逆行転生の大魔法を発動させた。
シャロン・テンプテート!
必ずお前を阻止してみせる!!
深刻な展開にはなりませんが、よろしければお付き合いください。