なぜならお前がシャロン・テンプテートだからだ
そんなこんなで、学年度末。
「(あっという間だったなぁ)」
シャロンは、積み上げた本を崩さないように気をつけて、ぐっと伸びをした。
試験はなんとか乗り越えて、課題を提出できれば、無事進級というところまではこぎつけた。
後はこの用紙を仕上げてしまえば良いだけである。
入学当初は身分のことなどで、周囲と馴染めず、学業でも何かと苦労したが、今ではぼちぼちなんとかなっている。
何が何やらちんぷんかんぷんだった魔法も、拙いながらに様になってきた。
秋の学級対抗戦で、半分以上嫌がらせで魔法対決のチームメンバーに選ばれたときは、泣きたい気分になった。しかし、「泣いている場合か!お前の実力を見せつけるチャンスなんだぞ」とウィリアム・ウィルフォードに言われて、必死で喰らいついた。
「がんばれ!お前ならできる」
どこから何を根拠にそんな言葉が出てくるのかまるでわからない彼の声援が、シャロンのよって立つ確かな土台となった。
失敗してもやられても、めげずに立ち直って、最後まで立ち向かうシャロンの努力と根性と根拠のない”やればできる!”の思い込みが、冷ややかだったチームメイトを精神汚染した。
ナゾの勇気と友情で熱く燃え上がったチームは、一丸となって学級対抗戦を制した。
そのときのチームリーダーだったお嬢様の推薦で、シャロンはその後の学校対抗戦のメンバーにも選出され、辺境選抜チームとの壮絶な接戦を制し、国の代表戦で優勝を経験。お嬢様とペアを組んで、ついには国際親善試合にまで出場した。
「立て!シャロン・テンプテート」
「なぜ諦める必要があるのか。お前は、誰だか思い出せ!」
「お前はシャロン・テンプテートなんだぞ。そんな雑魚に飲まれるな」
「国がなんだ!お前の魔法のスケールには国境なんてない!」
ウィリアム・ウィルフォードの目には一体何が映っているのかと、その声援を聞く誰もが不思議に思ったが、ただ一人、シャロン本人は、もうそんな疑問を考える段階はすっかり通り過ぎて、ひたすら愚直に真っ直ぐその言葉を信じた。
だってウィル様がそう言っているんだから!
ウィル様は、常識と対人関係と日常生活に関してはとんでもない間違いや勘違いをしていることがびっくりするぐらい一杯あるけれど、それでも魔法に関しては絶対に間違ったことは言わない。だから、他の何が間違っていたって、ウィル様が私は魔法が使えると言うなら、私はできるのだ。
孵化したヒヨコへの刷り込みよりも強烈な、ほぼ催眠暗示も同然の洗脳効果だった。
元々の彼女の魔法の資質は確かに十分にはあっただろう。しかし、国際親善試合で他国の天才魔術士を威圧するほどのオーラを振りまきながら、こちらは本物の天才であろうお嬢様と熱血タッグを組んで勝利をもぎ取ってきたのは、完全に彼女の努力と根性と思い込みの才能が花開いた結果だった。
「ウィル様、勝ちました!」
「うむ。よくやった」
優勝のメダルを手に駆け寄った彼女を、ウィリアム・ウィルフォードはそれはもう艶やかな蕩けるような笑顔で迎えた。
でも、だからといって抱きしめるわけでもなく、彼は小さな子供を褒めるように、いつも通り雑にシャロンの頭を撫でながら「えらい、えらい」と言っただけだった。
それでも、その晩の祝勝会で、小っ恥ずかしいド派手なイリュージョンを夜空に高々と出現させて、関係者一同を赤面させたり、後日、とんでもない高級店でディナーをご馳走してくれたり、意味がわからない祝い方はしてくれたのだが……。
課題である自作魔法陣をちまちまと提出用紙に書き込みながら、シャロンはついウィリアム・ウィルフォードのことを考えた。
彼にとって自分は何なのだろう。
たまたま知り合った後輩?後輩なんて山ほどいる。そして基本的に彼は人の顔と名前を覚えない。
見かねて世話を焼きたくなる程どんくさい阿呆?彼はバカが嫌いだ。そして仕事でもないのに他人のことに口を出すおせっかいな奴はバカだと思っている。
にも関わらず、彼はシャロンに無償で魔法を教え続けてくれている。
彼にとってシャロンとは何だというのだろう?
才能のある弟子?変わり種の魔術士の卵?自分流に一から育てている実験動物?
「はぁ~」
すっかり先の乾いてしまったペンを置いて、書き上げた用紙を脇にどけてから、シャロンは机に突っ伏した。
クラスメイト達が突っついて来るような"恋"だの"愛"だのの可能性はどの角度から検討しても見当たらない。
シャロン自身が恋愛沙汰に疎すぎて鈍いのではないかと言われたので、女友達が奨めてくれた恋愛描写が良いと噂の本を図書館で借りてみた。
が、どうも司書の人との意思疎通を失敗したらしく「世界の中心は愛」という本を借りるつもりだったのに、手元に来たのは「世界の中心は虚数」という難解な理論魔導書だった。
日頃、ウィリアムの推薦図書を借りていたためだろう。積層書庫の奥底から出してきたという年代物の革表紙の本を抱えてニコニコしている司書さんに「それ違います」と言えなくて、そのまま借りてきてしまったが、当たり前だが、読んでも恋愛についてはさっぱり詳しくはならなかった。
ウィル様が卒業してしまったらこの関係もそこでおしまいになっちゃうんだろうな。
そう考えたら、胸がキュッと痛くなった。
たとえ"恋"だの"愛"だのが、彼の気持ちの中に無限分の1すらなくても、これまでの日々はたまらなく充実していた。
「でも、どのみち釣り合わないもの」
シャロンは机の上に積み上げて開いていた参考図書をノロノロと片付けた。
崩れないように台車に積んで、覆いをかける。
一生縁がないはずだったこれらの本と同じように、彼への思いも、自分の中で整理して覆いをかけて片付けてしまった方がいいと、シャロンは自分に言い聞かせた。
台車をゆっくりゴロゴロ押して図書館まで行き、返却手続きを全て済ませて、部屋の掃除をしてゴミを全部出し終えて、何もかも忘れてぐっすり眠った翌日……。
シャロン・テンプテートは、提出課題の魔法陣を書いた用紙が見当たらないことに気づいて悲鳴を上げた。
厄災は再び仕込まれた。




