「根性ある」というのには同意
集中講義と特訓の甲斐あって、休暇が明けてから、シャルは順調に成績を伸ばした……と言いたいところだが、あのうっかりヒヨコめ、クラスの連中や教師の目がある実習授業だと、緊張するらしく、周囲をあっと言わせるような成果は出せていない。筆記のケアレスミスも減らないせいで、記述式の試験も本人の理解度ほどの正答率はないようだ。
別段、奴に成績優秀者になってもらいたいわけではないので、構わないのだが、せっかく奴があんなに努力したのに見える評価が貰えていないのは残念に思う。
「あの子、なんか結構ひどい陰口言われているみたいだよ」
クリスが、批難がましい目付きで俺の責任を追求してきた。
曰く、高位貴族の俺に"馴れ馴れしくしている"せいで、「玉の輿に乗ろうと色目を使っている」とか、もっと下品な言い回しの誹謗中傷にさらされているそうだ。
「何だそれは。あいつは色気なんか全然ないし、いつまで経っても俺のことを"ウィル"じゃなくて"ウィル様"としか呼ばないんだぞ。二人きりのときは敬称略でいいって言ったのに」
クリスは片手で顔を覆って嘆息した。「君はもう少し思慮深くなった方がいい」ってなんだ。失敬な。
「とにかく、君がかまいすぎると彼女に迷惑がかかるから、少し自重しなよ」
「断る」
「陰口だけじゃなくて、足引っ掛けられて転ばされたり、水かけられたり、なんか悪質な嫌がらせもされてるみたいだよ」
そういえば、青あざを作って「転んじゃいました」とか「うっかりしてミスっちゃいました」とか言ってヘラヘラしていたな。即座に回復魔法をかけたが、あれが自責事故ではなく悪意ある傷害なら、防いでやる必要がある。
「わかった。奴には護身結界と自動感知式の微回復魔法を常時付与するようにする」
より安全を確保するなら、居場所の追跡と周囲の音声の転送魔法もかけておいたほうがいいのだが、王族の近衛か護衛騎士みたいに常時見張る程の根気は俺にはないような気がする。魔法に集中するのは得意だが、基本的に人間の挙動に興味はない。
どうだろう?ヒヨコ相手ならできるかな?やったらできる気もするな。あいつ、面白くて見てて飽きないからな。
「万全の監視体制をしいて、イジメるやつが出たら確実に報復すれば良いんだな」
「やめろ。この魔法バカのスットコドッコイ」
なんでも魔法で強引に解決しようとするなと叱られたので、では権力にモノをいわせればいいのかと尋ねたら、頭を張り倒された。無礼なやつだなー。
「俺がアイツを特別扱いしているのが悪いというが、俺はただ家庭教師代わりに、魔法と一般科目の基礎を教えているだけだぞ」
「そんなことを、これまで他の誰かにしたことは?」
「ない」
「だろう?」
「だってここに通うようなやつは皆、幼少期から家庭教師に教わってきているだろう。授業だってそれを前提にしている」
「まあね」
「だから、基礎のなっていないアイツに基礎を教えてやっているんだ」
「うーん。君の理屈ではそうなんだろうけれどね……」
そうは思わないご令嬢が多いらしい。なんだ?みんなそんなに学業についていけなくて困っているのか?
「俺が一人だけ教えているから、アイツがいじめられているというのなら、他のやつも教えればいいのか?」
「えっ?君がそんなことを?」
「面倒だが仕方あるまい」
明日は嵐か吹雪じゃないか?などと失礼千万なことを言うクリスを放置して、俺は早速、生徒募集の張り紙を書き始めた。
流石に学校で一般科目の初歩なんぞ今更教えても仕方がないし、そんなものは本職の教師に質問しに行けばいいだけなので、俺は魔法の基礎訓練の生徒を募集した。
あくまでシャルに教えるついでなので、レベルは初歩の初歩。入門もいいところの基礎訓練だ。
今更そんな地味なカリキュラムを受けたがるモノ好きはいないだろうと思ったら、意外にも希望者が大量に集まった。
「うわ……面倒くさい」
「言うと思った。いいよ。名簿は作ってあげる。教室の手配や訓練場の予約もやってあげるから、君は訓練内容の予定表を作って」
クリスの協力のおかげで、ウィリアム・ウィルフォードによる魔法の基礎訓練の講習は無事に始まった。
ただし、無事だったのは始まるところまでだった。
早朝。
「おはよう諸君。よく始業前のこのように早い時間から集まってくれた。それでは朝の訓練を始める」
「はい!」
うむ。ヒヨコは今日も朝から元気がいい。今日から他の奴らも一緒に教えると言ったときには不安そうにしていたが、大丈夫なようだ。
集まった受講希望者の8割以上は女生徒だった。皆、髪を巻いたり、アクセサリーを沢山つけていたり、化粧をしていたり、妙にめかしこんでいる。何時から起きて支度したんだろう。
あの派手な女はコルセットをしているようだが、大丈夫か?
皆、事前に張り出した案内を読んでいないのだろうか?
いや、読んだからこの時間にここにいるんだよな。だったら、どんな格好だろうと後は個人の自由か。
「まずは基礎体力づくりと心肺機能の向上のために走る。総員、駆け足、進め!」
「はい!」
「は?……ええっ?!」
ヒヨコの返事は、いつも通りとても良い。新規加入組の反応が悪いが、初めてだから仕方ないな。積極的に声をかけていこう。
「呼吸は一定に」
「はい!」
「っはい」
「ペースを落とすな」
「はい!」
「はぁ…はぁ…ぃ」
「がんばれ、お前ならできる。よし。もう一周」
「はい!」
「……ぐ……っぷ……」
俺と一緒に最後まで走りきったのは、シャルと数名の男子生徒だけだった。
彼らと、汗だくで化粧も巻き髪もあったもんじゃない女生徒達に、俺は声をかけた。
「次。腹式呼吸と腹筋、体幹の強化。地面に座って、足を伸ばし、踵を拳一つ分程上げた状態で、発声練習を行う」
「はい!」
返事をきちんと返してくれるのが、ヒヨコだけなのはいただけないな。皆、ヒヨコを見習え。
この訓練は連続詠唱のためには必須だが、腹の中は一朝一夕には筋肉がつかないので、毎日、地道に続けるしかない。
はい。次はその状態で上半身をひねりながら左右に足を振る。
なれるまでは腹が痛くなってきついんだよな、これ。
走るのを断念し、地面に座るのを拒否したご令嬢方は、毎朝やるのはこれだけだと言ったら帰った。
中には上級魔術の実践はないのかと聞いてくる奴もいた。
基礎訓練だといっただろう。基礎のできていないやつに応用なんかやらせるもんか。
そう答えたらそいつらも帰った。
クリスが名簿に取り消し線を入れている。凄いな誰が誰だか見分けがついているのか。
夕方。
「午後は座学だ。基礎過ぎてつまらなければ、途中退席してかまわない」
俺がいつも通りに授業を始めると、開始早々、集まったメンバーの大半の目の焦点が宙に彷徨い始めた。
「このように、霊素子と実素子の微小時間における相転移振動は、複素数平面上の円で表すことができる。さて、ではこの複素数平面上で、先ほど説明した漸近線にそって運動する動点甲、乙は、虚数項を含むこの形の式で表すと……どうなるかわかるものはいるか?」
教室内は墓場のように静まり返っていた。
うーん。初歩過ぎて退屈すぎたのだろうか。寝ている奴もいるな。
「シャロン・テンプテート」
「はい!」
「答えは?」
「わかりません!」
「どこからわからない」
「虚数をそのまま霊素子を表すために使用すると、実素子の存在する実空間とは直交する、虚数空間が存在するかのように式が書けてしまうところまではわかった気がするんですが、だとすると動点の曲線が垂線に平行になるかくっついちゃったときの状態はどうなってしまうのかイメージできません」
「なんだ。お前、そこでつまずいちゃうのか。問題を混ぜて難しく考えすぎだ。今は漸近線の問題だから、そういう事象はひとまず考えなくていいんだぞ。でも疑問を持つのはいいことだ。仕方がない。今日は他の生徒がいるから、お前のためだけにそこの解説をしていると、みんなの迷惑になる。後で無限の概念に関する参考図書を2,3冊渡してやるから、読んでいつもみたいにレポート提出な」
「はい!」
「すまんな。コイツはまだまだ基礎学習が足りていないんだ。大目に見てやってくれ」
教室内の起きている生徒の首がノロノロと上下した。
皆、なれない早起きで眠いのかな?目が虚ろすぎるだろう。
「では、他にわかる奴は?」
ストームとブリザードを撃ち込まれたゾンビ軍団よりも活きの悪い生徒相手の授業は辛かった。
結局、私の基礎訓練講座は大不評で、初日のみで終わってしまった。
クリスは「当然だ。バカモノ」と言いながら、取り消し線だらけの名簿を屑入れに投げ捨てた。
これまで上々だった私の評判は一気に下落したが、シャルの評価は上がったらしい。
「あんな頭おかしい指導に素直に従っていて可哀想」
「根性ある」
「意味不明。関わりたくない」
どういう評価だ。
それは褒めてないだろうと言ったら、クリスに反省しろと言われた。解せぬ。
主人公は、100年以上先の学問をやらせているので、基礎だけど基礎ではない。
「この概念はこの時代にはすでにあったはずだから大丈夫」(専門機関の最先端とお坊ちゃん学校の教科書の格差を考慮していない)
講義内容はファンタジー物理&数学だからリアル知識で突っ込んじゃだめですよ〜。




