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5.嵐も怖くない(1)

 今日も公演が始まる。いつものことだ。変わらない営み。

 人間が呼吸をするように、花が水を求めるように、それは、何年も、何十年先もずっと続いていく。そうして、いままでも続いてきた。

 いまは、その重要な歴史の1ページに、私も名を連ねている。

 いつかは主演スターになるかもしれないという期待を背負った、ひとりの若きスターとして。


 なのに、あんなミス……!


 悔しかった。悲しかった。

 だって、まさか、あんなところで、剣を取り落とすだなんて。

 まったくの想定外! 練習では、いつもうまくいっていたのに。

 最も信じがたいのは、客席降りでのあの瞬間だ。一瞬だったが、分かる人には分かってしまう。現に、客のひとりとは目が合ってしまった。(それが、のちに『同志』となり、『友人』となる永山藤梧であるとは思いもしなかったけれど)信じられない。客席降りで転ぶなんて。確かに、足元は暗かったし、見えづらくはあったけれど。

 でも、私達は『プロ』だ。そうならないために、日夜にちやお稽古をしているのだ。



「はーちゃん、調子はどないや?」


 気付くと、同期の真礼(まれい)(とら)が、そばにいた。

 マレーとは、同じ大阪出身ということで気が合って、養成学校の頃から親しくしている。けど、18歳の年に入学したので、歳は1つ上の26歳。頼りになるお姉さんみたいな感じだ。

「……全然や。いまも、怖くてたまらん。またミスするかもしれへんて、ミスしたらどないしようって、もう、パニックになりそうや」

「もうなってるやん」

 もうパニックになってるから大丈夫だ、とマレーは笑って言う。ならどうしたらええんや。

「ええか、落ち着いて、まずは深呼吸せえ。ほら、吸ってー、吐いてー、その調子やで。少し、落ち着いてきたやろ?」

 言われるままに深呼吸すると、確かに、少し落ち着いた。

 でも、本番のことを考えたら、また怖くなってきた。こんな調子で、今日の公演、乗り切れるんだろうか。新人公演は? やっぱり、私には、向いていなかったんじゃないだろうか。

「なあ、くよくよすんなって。らしくないで?」

「そんなん言われても……」

 マレーは、落ち込む私を、精一杯奮い立たせようとしてくれた。

「もう!! そんなんでどうするん!? 自分、主人公ヴィクトルの仲間やろ!? 新人公演、主役やろ!? もっとしっかりせえや!!」

 そうだ、自分がしっかりしなくてどうする。本公演ではともかく、新人公演では、自分がお芝居の中心となってみんなを率いていく立場であるのに。

「やる気ないんやったら、私と、役、交代せえや!!」

 感極まったマレーが、突然、そんなことを言い出した。本気か?

「だって、あんなに近くで、かおるさん(葉名咲)の顔、拝めるやなんて、そうそうないねんで? それに、新人公演の主役も!! いままでの公演、ずっと私が主役やってたやん!! なんで今回だけ、はーちゃんなん!? 私かて、ヴィクトルやりたかった!! めっちゃうらやましい!! ずるいやん!! なんなん、もう!!」

「な、なんなんって……そんなん、こっちが、『なんなん』やわ!!」

 こうなったら、もう言いたい放題。お互い、ムキになって、本音のぶつかり合いだ。

「はーちゃんなんて、入団のお成績、ビリやで?」

「いつまで昔の話、してんねん!! いまは、真ん中くらいにまで上がったわ!!」

「新人公演最後の7年目に、ようやく主役を掴んだような人やで?」

「マレーは、3年目で、もう主役やってたもんなぁ?」

「それも、5回やで!? 5回やってんねんで!?」

「そうそう。それに、今度の、小劇場公演の主役も決まってるしなぁ?」

「500人くらいの小さな劇場やけど、新人公演やない、私のために作られた舞台や。ええか、私のためにやで!?」

「あー、すごい、すごい。さすが主役はちゃうわー」

「なんや、その反応! もっと驚かんかい!!」

「いよっ、真礼虎!! さすが!! 日本一!!」

 最後はふたりともバカらしくなって、気付けば、顔を合わせて笑っていた。

「でも、よかったやん……。期待されてるんやで、はーちゃん」

「ははは……。マレーかて、十分、期待の星やんか……」


 本当は、誰よりも分かっている。

 私は、『真礼虎』という役者を尊敬しているし、マレーもまた、『はる乃夢』というひとりの役者を尊敬してくれている、ということ。

 良いところも、悪いところも、全部、お互いに意識して高め合えるライバルみたいな存在。それが同期だから。


「大好きやで、マレー」

「なんなん、気持ち悪い。急に変なこと言わんといてよ」

「ええやん、ホントのことやもん」

 抱き締めてぎゅーっとしたくなる。マレーは気味悪がってるけど、気にしない。ええやん、たまには。私だって、溢れ出る愛をぶつけたくなるときがあるのだ。


「ねえ……ちょっといいかしら?」


 ふいに背後から呼び止められて、ドキリとした。葉名咲(はなさき)スミレ。 

 今日もビシッと決まってかっこいい。でも、その葉名咲が、一体、何の用だろう。


「ゆめちゃん、あのね、あなた、公演が終わったら、ちょっと私の楽屋に来てくれる? 話があるの」

 葉名咲はそれだけ言うと、次の出番のために舞台へ上がってしまった。

 残された私達は、顔を見合わせ、戦慄する。

 これは、『呼び出し』や、と……。

 悪い想像しかなかった。主演スターの葉名咲からの直々のお呼び出し。きっと、先日のミスのことだ。ダメ出しされて、こっぴどく叱られるに違いない。

「……あんた、なんかやったんとちゃう?」

「やっぱり、あんときのミスのことかな? 私、ひょっとして、めちゃ怒られる? うわぁ、怖いわぁ」

 だが、マレーが考えていたのは、そうではなかった。

「そんなん、どうでもええわ。やっぱり、なんか、やらかしたんやろ? かおるさんの大切にとっていたプリンを勝手に食べてしもーたとか、お気に入りのマグカップを割ってしもーたとか……あ、わかった。新人公演でかおるさんの役やらせてもらう言うて、愛用のネックレスを譲ってもろた言うたけど、はーちゃん、失くしたやろ? それで怒ってはるんや。はーちゃん、いくらあんたがマヌケでおっちょこちょいやからって、先輩からもらったもん、失くしたらアカンで」

 なんだそれ。言いたい放題言うにもほどがある。大体、どこにそんな証拠があるんや。

「勝手なこと言いなや!? 私がかおるさんのプリンを勝手に食べるわけないし、そもそも、マグカップだって割ってへんわ。私が貰ったネックレスを失くした? なわけあるかい!! いまも、大切に使わせてもろとるわ!! マヌケでおっちょこちょいって、誰に向かって言うてんのよ? マレー、あんたそれ自分のことと間違えてへん?」

「おお、こわ……。そない怒らんでもええやん……。冗談やがな……」

「冗談に聞こえへんわ!!」

 私にとっては一大事なのだ。()()葉名咲スミレを怒らせてしまったかもしれない、という。

「さっきはあんなこと言うたけど、まだ怒られるって決まったわけやないやん」

 マレーが、ふと我に返って言う。いやいや、そんなわけないやん!

「とにかく、私も一緒に行ったるから。ちょっと落ち着きや」

「そ、そうやな……。ありがとう、マレー」

 たとえ方便だったとしても、マレーがそばについていてくれるのはありがたい。

「ま、ついていくって言っても楽屋の外までやけどな」


 ……やっぱりそうか!!



   *



 公演が終わると、約束通り、私はマレーに連れられて(もちろん、マレーとは楽屋の前で別れたけれど)葉名咲スミレの楽屋まで来ていた。

「よく来てくれたわね。狭いところで申し訳ないけど、まずは、座ってちょうだい」

 部屋に入るなり、目の前のソファーを勧められる。ふっかふかの気持ち良さそうなソファーだ。

 私やマレーのような、大きな肩書のない『いち団員』に対しては、みな平等にひとつの大部屋だが、葉名咲クラスの主演スターともなると、個室の楽屋が用意されている。初めて通された葉名咲の楽屋は、整然としていて、余計なものがなにもない、シンプルな部屋だった。

「ふふ……緊張してるのね。大丈夫よ。捕って食ったりしないから。どうぞ、楽にしてちょうだい」

 そんなこと言われても、相手は天下の主演スター、緊張するなという方が無理というものである。

「今日、あなたを呼んだのはね、何も、ダメ出しするとか叱るためではないのよ」

「ち、ちがうんですか……?」

 どういうことだ。完全に、叱られるとばかり思っていた。

「ええ、もちろん違うわ。今日呼んだのは、あなたが心配で、見ていられなかったから。あなた、こないだの一件があって以来、ずっと、心ここにあらずって顔してるもの」

「そ、そんな顔、してましたか……?」

 それは不覚だった。仮にも、いち表現者たる者、決して個人の感情は表には出すまいとしていたのに。

「してたわよ。それで、ああ、この子はとても繊細な子なんだなぁって、きっとひどいミスをやらかしてしまったと悔いているんじゃないかって、そう思ったの」

 そうでしょう? そう問いかけた葉名咲の表情は優しかった。

 私は観念して頷く。やっぱり、この人には敵わない。

「気に病むことはないわ。最初は、誰にだってミスはある。私もね、若手の頃は、そりゃあひどいミスをやったものよ」

 慌てた拍子に大道具のセットをひっくり返して大騒ぎになったりね、と葉名咲は笑う。それって大丈夫なのか。

「いまは大変な時期だけど、それさえ乗り越えれば、あなたはきっとすばらしいスターになる。私には分かるの。私も、同じだったから」

 あの葉名咲が、私と……?

 信じられない。だって葉名咲スミレは、非の打ち所がない完璧なスターで、だけど私は、ダメダメで。そうだ、私と葉名咲は、まったく似ていない!


「……辞めないでね」


 ドキリとした。いきなり、何を言い出すのだ、この人は。


「あなた、辞めようと思ってるでしょう? 自分には向いてないかもしれないって、そう思っているのではない?」

「な、なにを……」

「実家を継ぐとか、結婚を考えているとか、劇団を出て女優になろうと思っているとか、明確なプランがあるというなら私も止めはしないわ。けど、あなたの()()はそうじゃない。乗り越えられない壁はあるし、本当に、向いてないこともあるけれど、あなたは違うでしょう。きっと乗り越えられる壁よ。なのに、ここで志半ばで諦めてしまうなんて、もったいなさすぎるわ」

 諦めるな、前を向け、と葉名咲は怒ったように言う。

 乗り越えられる壁……。私は、まだ続けていてもいいのだろうか。

「私、あなたの芝居が好きよ。あなたも、そうでしょう? あなたも、お芝居が好きで、舞台が好きで、たまらないのではない?」

 葉名咲の言葉は、スッと自分の中に入ってきた。

 そうだ。私は舞台が好きだ。だから、成績が悪くても、なかなかお役がつかなくても、この歳までやってこられたのだ。


 そう思うと、私もまだまだやれる気がした。

 それに、藤梧に負けたくない。あいつもきっと、この世界のどこかで、いち役者として立派な舞台人になるべく頑張っているはずだから。



 自分の楽屋に戻ると、やってきたマレーにあれこれ聞かれた。

 葉名咲は怖かったのかとか、やっぱり何かやらかしたんじゃないかとか。

「そんなんちゃうよ……。ただ、あのときのミスを引きずって悶々(もんもん)としているのはよくないって、そう言われただけや」

「それだけ? ほんまに、それだけなん?」

 それだけよ、と言うと、マレーは明らかにホッとしたような顔をした。彼女なりに、私のことを心配してくれていたのだろう。

「ごめんな。でも、もう大丈夫やから」

「そうよ。はーちゃんが元気出してくれへんと、私が困るやん。元気のないはーちゃんを相手にしてたって、張り合いがないねんもん」

「そうやな……よっしゃ!! 負けへんで!!」

「私かて、はーちゃんには、絶対負けへんわ!!」

 どっちが先に主演スターになるか競争や、とふたりで言い合う。同期でライバル。お互いに張り合って、磨き合って。私達は、いつだってそうやって戦ってきた。

「あ……」

「どうしたん?」

 ふと、マレーの視線の先が、私の背後のある一点で止まる。

 振り返るとそこには、新人公演の相手役になった、安華(あか)いばらの姿があった。


「ほら、いとしの人が来てくれたで」

 マレーは、すっかり、いたずらっ子の顔になって、私をからかう。

 いばらが側までやってくると、あとはごゆっくり、なんて言って自分はさっさと行ってしまった。

「おい……! どこ行くんや、マレー!!」

「はる乃さん、ちょっといいですか」

 極めて控えめに、いばらは言った。

 3年も先輩の私に、どう切り出していいか考えあぐねている様子なのが見て取れる。だから私も、優しく聞き返してみることにした。

「どうしたの? いばらから話しかけてくれるなんて珍しいね」

 新人公演の相手役に決まってからというもの、いばらの方から話しかけてくれるなんて、これまでに一度もなかった。

 いつも私が一方的に話しかけてばかりで、これは先輩だから当然といえば当然なのだけれど、次はこうしようああしようと提案するのも、いつも私だった。

「ひとつ、訊いてもいいですか」

「いいよ。何かな」

 いばらは、大きく息を吸うと、真っ直ぐに目を見据えてこう言った。

「あの方は、どなたですか。どうして、あのスタジオにいたんですか」

 スタジオ。私が父の名義で借りている、あのスタジオのことだ。

 新人公演の自主稽古で使うことがあるかもと、私は、いばらには、いつでも自由に出入りできるように予備の合い鍵を渡していた。


 でも、なぜ、いばらが()のことを知っているのか。

 あそこには誰もいなかったはず。いや、待て、本当に誰もいなかったのか……?

 藤梧は言っていたではないか。誰かがドアを開ける気配がした、と。あれは、ひょっとして、いばらのことだったんじゃないのか?


「いばらは知らなくていい」


 知る必要のないことだ。永山藤梧のことは、いばらには関係がないはずだろう? だったら打ち明ける必要もない。

 それがたとえ、ふたりのあいだの気まずさの原因になっていたとしても。

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