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  知らざぁ言って聞かせやしょう(2)

 後日、約束通りはる乃さんは、僕を借りているスタジオに招待してくれた。

 普段はひとりでお稽古している部屋だというから、どんな小さな部屋だろうと思ったら、そんなことはない、ざっと見ても40人は軽く入れそうな立派なスタジオである。

「すごい……思っていたよりずっと立派なスタジオじゃないですか。はる乃さんって、実はものすごいお嬢様だったりして?」

「やめてくれよ。うちなんて、ただのしがないサラリーマン家庭だよ」

 はる乃さんは謙遜して言うけれど、ただのサラリーマンが、これだけのスタジオを貸し切れるとはどうしても思えなかった。月契約? それとも年間契約? いずれにしても、それなりに裕福な家庭の人間であることは確かだ。

「でも、はる乃さんが通っていた養成学校だって、結構授業料とか、かかるんでしょう。それに、お稽古着や化粧道具だって、全部自前だって聞きましたよ。あれだけ派手な化粧をするんですもの、下地から何から相当かかってるはずでしょう。若手のうちは親御さんの負担も大きいって、どこかで聞いたことあります」

 どこか…とは言うまでもなく、うちの祖母からなのだが、今、それを言うつもりはなかった。

「随分と詳しいじゃないか。それも調べたのかい?」

「え、ええ。ファンなので……」

 慌てて誤魔化したけれど。うまく誤魔化せていただろうか。

「ふうん。ファンねぇ……」

「そうですよ、うちは祖母の代からの『帝女』のファンですから」

「そうか。そういうもんなのかな」

 はる乃さんは、それ以上追及してこようとはしなかった。

「それより、舞台の稽古をしよう。今度、新人公演で主役をやるんだが、その芝居の稽古をチェックしてくれないか。自分じゃどうなっているか分からなくてね。見てもらえるかい?」

「もちろんです」

「あとで、君の芝居も見せてくれ。私で参考になるかは分からないけれど、気付いたことがあったら言わせてもらうよ」

 ありがたい申し出だ。恐れ多い、とも言える。なんたって、相手は『帝女』の未来のスターになるかもしれない人なんだから。

 参考にならないとしたら、僕の方かもしれない。舞台人といえ、まったくの畑違いだし、僕はショーのこともダンスのことも “てん” でわからない。

 僕が「舞台の稽古」と言って『藤娘』を踊ったら、きっと驚くだろう。歌舞伎とは気付かなくても、まさか日本舞踊だとは思っていないだろうから。


「ロゼッタ、君を愛している!」

「祖国のために戦うのだ!」

「国には、いまも私の帰りを待ってくれている人がいる。ここで死ぬわけにはいかないんだ……」


 英雄ヴィクトルになりきったはる乃さんは、いままで見てきた中で一番、生き生きとして輝いて見えた。

「すごい……すごいです」

「そう? そう言ってもらえると、お世辞でも嬉しいよ」

「そんな、お世辞なんかじゃないです」

 僕には、逆立ちしたってできることじゃないから。

「強いて言うなら、剣の立ち回り……でしょうか。少し、わざとらしい動きが多いような気がします。もちろん、あえてやられているのなら別ですが。ただ、相手の方と合わせて見たときに、うまくかみ合わないんじゃないかと思うんです」

 言い過ぎただろうか? 生意気だ、と思われる? おまえは一体、何様のつもりなのか、と?

 気付けば、アドバイスを求めて稽古を披露したはる乃さんよりも、評価を下した僕の方がずっとずっと緊張していた。

「……そうか。そんな風に見えていたのか」

 はる乃さんは神妙な顔をして、ひとつ頷いたあと、「次回の改善点だな」と言ってニッコリ笑った。

「さあ、次は君の番だ。君の精一杯の芝居を、私にも見せてくれ」

 僕は立ち上がり、はる乃さんの目の前で、『藤娘』を舞う。

 意外なことに、はる乃さんは僕の舞を見ても、驚いたりしなかった。いち役者として、僕の演技を一秒たりとも見逃すまいと、真剣な瞳で見入っていた。だから僕も、変に遠慮するのはやめて、真摯な気持ちで踊りと向き合った。

 これが、僕の踊り。僕の、渾身の『藤娘』……。


 はる乃さんの前で『藤娘』を舞う僕の耳に、何度もテープで聞いた長唄のセリフが聴こえてくる。


〽藤の花房 色よく長く……


 この瞬間、僕は、役者を目指すひとりの男ではなく、つれない恋に胸を焦がす藤の精だった。

 いとしくて、さびしくて、にくい……。ああ、あなたというひとは、どうして。


 はる乃さんが僕を見る。僕も、はる乃さんを見る。

 背後で、誰かがうっすらとドアを開ける気配がした。ハッとして振り向いた。


(……誰も、いない?)


 いま、確かにそこにいたはずなのに、振り向いた先には、誰の何の姿もなかった。ドアはぴっしりと閉ざされていて、わずかに開いた形跡すらなかった。

「どうしたんだ?」

「いえ、あの……いま、ドアの向こうに誰かいたような気がして……」

 気のせいだったんだろうか。そんなはずはない、確かにあのとき視線を感じたのだ。

「誰もいないよ。藤梧の見間違いだろう。ほら、続けて。稽古の続きをしよう」

 ここのスタジオの存在を知る人は限られた人間しかいない、だから誰も来るはずがないのだ、と言われて僕は頷くしかなかった。そして無理やりにでもそう納得させようとした。

 そうだよ、ここには僕とはる乃さん以外、来られるはずがないんだから……。




 興之助兄さんとの稽古に遅れていると気付いたのは、それから、三十分が過ぎたあとのことだった。

 どうして忘れてなんかいたんだろう。兄さんがつけてくれる稽古は、僕がほんの子どもだった頃から続いている、日課みたいなものなのに。いまから急いで帰れば間に合うだろうか? 断りもなく遅れて行って、兄さんをがっかりさせたくない。

「すみません、はる乃さん。僕、そろそろお(いとま)します……」

「そう。気を付けて帰るんだよ。それと、また、こうして稽古に付き合ってくれ」

 また今度。また今度が、あるだろうか?

 名残惜しい気持ちを残しながら、僕はスタジオを出る。興之助兄さんの自宅に着いたとき、既に、約束の時間を1時間以上も回っていた。


「すみません、遅くなりました……」

 遅刻を詫びて、いつものように稽古場に入る。兄さんは、僕に背を向けていた。

「兄さん……?」

 怒っている、だろうか? それは、そうだよな。約束をすっぽかされて平気でいられる人間がいるはずがない。それも、僕のためにと、多忙の合間を縫ってわざわざ稽古をつけようとしてくれている相手だ。

「ごめんなさい。忘れていたわけではないんです。ただ、その、約束の時間を1時間、間違えて覚えていて……」

 嘘だ。本当は、稽古のことなんかすっかり忘れていた。

 憧れの『帝女』のスターと、はる乃夢と、まさか稽古できるなんて夢みたいで、僕は、はる乃さんに会いたくて、兄さんとの稽古をすっぽかしたのだ。

「藤乃くん……」

 兄さんが、ゆっくりと振り返る。そして、真っ直ぐに僕を見据えた。

「よく覚えておいてくれ。私はね、言い訳をするために嘘をついたり、誤魔化したりする人間が一番嫌いなんだよ。君には、そういう、いい加減な役者にはなってほしくない」

 僕は、言葉を返すことができなかった。兄さんを失望させた。よりによって、一番失望させたくない人を失望させてしまった。

「……それが、君の答えか。そうか」

 残念だよ、と兄さんは言った。稽古はこれで終わりだ、とも。

「君には、もっと稽古を見てやりたかったという思いもあるけどね。君が、そういう考えならば仕方がない。もう稽古はつけないよ。君は、君の思うようにやったらいい」

「そんな……!」

 ちがいます、と言おうとして、ピシャリと言われる。

「言っただろう。言い訳は聞きたくない。やる気がないなら来てくれなくて構わないんだよ」

 兄さんは怒っていた。僕が約束をすっぽかしたことに、じゃない。言い訳をして、自分がした過ちを誤魔化そうとしたことに怒っていた。

 そんな兄さんに、もう、わざわざ彼の手を煩わせてまで稽古をつけてもらう資格なんてない。


 僕は、最低で、最悪の過ちを犯してしまったのだから。

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