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2.楽しく、悩ましき、春の夢

 私が『帝女ていじょ』と出会ったのは、小学5年生の夏。


 その日、たまたま大阪公演に来ていた彼らに、大の帝女ファンである伯母が連れて行ってくれたのだ。

 私は一目見て、この帝国女子歌劇団、通称『帝女』のファンになった。

 キラキラして、ドキドキして、まるで、心浮き立つような……。こんなに素晴らしい世界があるのかと、生まれてはじめて思った。

 そして、いつかは私も同じ舞台に立つのだと、強く心に決めたのだ。


 大正3年に始まったこの劇団は、当時としては画期的な海外のレビューやショーを取り入れた演劇として大変人気があったらしい。

 もっとも画期的なのは、その出演者全員が女性、それも見目麗しい若い少女たちで構成されていたことである。主役の青年も女、ヒロインも、もちろん女。仲間も敵方も、その他大勢も、役柄上の性別が男であろうと女であろうと、みな女性が演じているのだ。

 そしてその伝統は、創立から100年を経た今でも続いている。

 私は、この『男役』に憧れた。

 実際には男でないからこそ作り出せる、理想の男性像。それでいて、本物の男性よりも男らしい、と思わせてしまう。

 私は、『男役』になりたかった。


 劇団に入るためには、併設の養成学校で2年間、芝居やダンスのことを学んで、卒業試験を突破しなければならない。

 この養成学校というのが、曲者だった。

 なんせ、学校に入るだけでも難関の試験を突破する必要がある。しかもその競争倍率ときたら、毎年20倍から30倍近くの競争率だというのである。ひどいときは、50倍なんて年もあると聞いた。

 ある者はバレエの名手で、ある者は歌唱コンクールで入賞経験のある歌姫、またある者はダンスコンテストの出場者……そうそう、児童劇団でいつも主役を張っていた、という猛者もいたっけ。そんな風に、この学校には、全国各地からあらゆる実力の持ち主が集まっていた。

 実力を兼ね備えた者たちが、2年の養成学校生活でさらに腕を磨き、劇団に入団して初舞台を踏む。この初舞台も、毎年、春の公演で新しい初舞台生が紹介されるのだが、日替わりで挨拶を述べる口上と、一糸乱れぬラインダンスは毎年の注目の的となっていた。

 これまで、バレエやダンスというものを習ってこなかった私は、それを知って、ぜひともバレエを習いたいと母に申し出た。

 母も、最初は「どうせ飽きるからダメ」だのなんだのと言っていたが、私の強い気持ちに圧され、父の後押しを受けて、ようやくバレエを習うことを許可してくれた。ミュージカルスクールに通った方がいいという知人の教えを受けて、近所のミュージカルスクールにも通ったりもした。

 そうして、努力に努力を重ねた結果、2度目の受験を迎えた16歳で、30倍の倍率をくぐり抜けて、なんとか養成学校入学にまでこぎつけたのだった。ちなみにこのときの成績は最下位……なんとまあ、よく通り抜けたものである。


 それから8年。


 私も入団7年目を迎え、ちょっとは成績も上がって、男役としても磨きがかかってきたと思う今日この頃。同じ舞台に立つという夢を叶えた今、いつかは主演スターになりたいと夢見ていた。

 『帝女』の主演スター。

 それは、常に主役を張るというプレッシャーに耐え、一座を代表する者として団員たちを支え、ショーの最後には大きな羽根を背負って登場することを意味する。(この羽根が、相当重いらしい)なかなかできることではないけれど、言ってみれば、それだけの価値があるということだ。

 私は、最下位の成績から養成学校に入った人間、それがどんなに難しいことかはよく分かっているつもりだ。


 関西の専用劇場と、東京にある劇場と、それから地方公演、通年の連日公演を可能にするため、所属俳優たちは全部で5つのチームに分かれている。


 イタリア語で「ダイアモンド(※)」を意味する『ディアマンテ』。

 ルビーの由来であり、ラテン語で「赤」を意味する『ルベウス』。

 サファイアの由来、ギリシャ語で「青」を意味する『サピロス』。

 エメラルドの原石、緑柱石を意味する『ベリル』。

 時のロシア皇帝、アレクサンドル2世からその名を取ったとされる宝石、アレキサンドライトに由来し、ロシア語でアレクサンドルの愛称を意味する『サーシャ』。


 5つのチームすべてに看板スターがおり、それぞれに個性を出しながら、理想的なカップルを演出する。チームが5つしかないということは、選ばれるのも5組。かなりの狭き門だ。

 さらに、どのチームにも属さない、技術のスペシャリストたちを集めた『ビジュー』と呼ばれる集団もいる。ビジューとはフランス語で「宝石」のことだ。まさしく雲の上の、さらに上のような存在。まあ、私には縁のないことだが……。


 だけど、諦めきれなかった。

 最下位から始まって、卒業時には最下位脱却、入団1年目と3年目、5年目の試験でも徐々に成績が上がり、入団7年目の今、同期のうちでちょうど真ん中くらい。可能性もなくはないと思うのである。

 かの伝説の大スター、天城戀(あまきこい)も、かつては成績がひどく悪かったという。

 自分も、諦めさえしなければ、そしてこれからも努力を重ねていれば、いつかは……と思うのだ。

 私は、主演スターになりたい。

 一座を代表し、団員たちを支え、そしてこれからも語り継がれる伝説のスターに。



   *



 その香盤(こうばん)を見た瞬間、これは夢ではないのかと思った。

 香盤というのは、もともとお香の世界で使われる板のことで、碁盤のマス目のような形をしている。これとよく似ていたことからそう呼ばれるようになったのが、演劇業界で言われる『香盤』。

 それが、ある公演の、出演者と出演シーンを分かりやすく表にしたものである。


 その香盤には、こう書かれていた。


『沈黙のロゼッタ』

・主役 ヴィクトル:葉名咲スミレ (新人公演:はる乃夢)

・ヒロイン ロゼッタ:秋乃さくら (新人公演:安華いばら)


 葉名咲(はなさき)スミレは、我らがディアマンテ一座の現在の主演スター、秋乃(あきの)さくらは相手役の主演 “娘役” (劇団では、主に若い女役のことをこう呼んでいる)。

 この二人はまあ、常に主役を演じる身であるから別段驚くことでもないのだが、問題は『新人公演』のあとに書かれた「はる乃(ゆめ)」の文字である。

 新人といっても、入ったばかりの新米、という意味ではない。

 うちの劇団では、若手の育成のため、入団7年目までの団員だけを集めて、本来の公演(本公演)と同じ舞台装置、舞台衣装で上演される特別公演があるのだ。

 本公演では、ほぼ毎日上演される公演も、この新人公演は関西と東京で1回ずつ。いわばお試し公演みたいなものだ。

 それは、『帝女』の役者たちが、団員であると同時に、()()でもあるからだった。


 学校に入ったら生徒、入団しても生徒、退団するまで生徒。

 そして()()は、日々努力を重ね、共に切磋琢磨する仲間と少しでもいい作品を作り上げるため、常に学ばなければならない。


 だから、まずは新人公演で主役を張る。その回数が増えるにつれて、小劇場での単独主演も任せてもらえるようになる。その頃には本公演でも重要なポジションを任せてもらえることが多くなって、やがては本公演の主役のすぐ下、2番手格のスターに。そして、ゆくゆくは劇団を代表する主演スターになるのだ。

 ちなみに、この新人公演では、演出家も、新進気鋭の若手演出家を起用するようにしている。

 ベテラン演出家の助手から始め、新人公演の演出を任されるようになり、やがては小劇場公演の演出を率いて、ゆくゆくは本公演の演出家として華々しいデビューを飾る。新人公演は、役者だけでなく、演出家にとってもチャンスの場でもあった。


 そして、今回、その新人公演の主役に選ばれたはる乃夢。

 それは紛れもなく、私のことだった。入団7年目にして初の快挙、初の主演である。

 驚いたのはそれだけではない。

 なんと、本公演でも、主演の葉名咲スミレの仲間のひとりとして、葉名咲に剣を差し出すという大役を仰せつかったのだ。


 ヒロインに選ばれた安華(あか)いばらは、3年後輩、入団4年目の娘役。

 こちらも、同期や後輩にさんざんヒロインの座を奪われながら、初のヒロイン役を射止めたシンデレラガールである。

 本公演では、なんとヒロイン、秋乃さくらの妹役として抜擢されていた。

「私も主役としてはまだまだひよっこだけど、一緒に頑張ろうね」

 励ますようにそう言うと、いばらは、はにかむように笑う。その笑顔が、とても可愛い子だと思った。


 毎日お稽古して。時には、新人公演のお稽古もあって。

 お稽古がない日には、自分が父親のツテで借りている貸しスタジオまで行って、自主稽古をした。

 慣れない主役も、主演スターに剣を差し出すという大役も、相手役の娘役と組むという経験も新鮮だったが、日に増して上達している自分がいる。

 怖いことなんて、何もないと思っていた。

 ここまでやってきたんだ、これで本番で失敗するなんてありっこないと……。


 だけど、それが間違いだった。

 本公演初日、幕が上がって大勢の観客の姿を目にした途端、胸のうちに、言いようのない緊張があふれ出してきた。

 手のひらには汗がにじみ、額からは滝のような汗が噴き出している。心臓の音が激しくなる。頭がくらくらして、立っているのもやっとなくらいだ。

 でも、倒れてはいけない、と思った。

 なんとか、葉名咲スミレに剣を差し出すところまではやり遂げなくては。それまでは、耐えるのだ……。

「お受け取りください」

 一歩、前に進み、剣を握りしめた手を差し出す。葉名咲が頷く。葉名咲が手を伸ばす。

 そのときだった。

 ガシャン――と鋭い音がして、差し出した剣が私の手から滑り落ちた。

 みんなが遠巻きに私を見ている。やってしまった、と思った。頭が真っ白になり、私は、分かりやすくうろたえた。

 二の句が継げぬ私に、葉名咲スミレは、何事もなかったように剣を拾い上げると、そっと近づいてきて、励ますように肩を叩いた。「ありがとう」それから、周囲の騎士たちを振り向いて続ける。

「さあ、これで私はようやく戦地に赴ける。おまえたち、あとのことは任せたぞ!」

「はい!!」

 揃って頷き、舞台袖へ。私も他の騎士たちと同じように駆けていく。

 舞台が万事元通りにうまくいったのは、葉名咲スミレのとっさの機転のおかげだった。

 さすがは主演スターとでも言おうか。なかなかできることではない。私も、彼女がいなければどうなっていたことか……。

 その後、舞台袖に下がった私は、極度の緊張から解放されたせいか、崩れ落ちるように、その場に倒れ込んでしまった。

 気付いたときには楽屋に敷いた毛布の上に寝かされていて、心配そうな座長さんに見守られて介抱を受けていた。

「しばらく安静にしていろ」という座長さんの助言で、結局、次の出番が来るまで私は楽屋の毛布で横になっていた。


 もう同じことはないだろう……と臨んだ第2幕。

 全編が歌とダンスで構成されるショーだが、その中で、演者自らが客席に下りてパフォーマンスをする場面があった。

 私の前を行く演者が、客席後方に向かって駆けていく。私もそのあとを追う。

 そのときだった。

 足元のふとした段差に気付かなかった私は、通路の途中でつまずき、思わずつんのめってしまったのだ。



 そして、客席にいた()に出会った。


 考えてみれば、これは神様による運命の思し召しだったのかもしれない。


 ()は間違いなく、私にとっての救世主になりえたのだから。

※ダイアモンド、ルビー、サファイア、エメラルド、真珠パールは、俗に5大宝石と呼ばれる。真珠の代わりに翡翠やアレキサンドライト、オパール、キャッツアイなどが入ることもある。

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