1.いとしと書いて藤の花
〽藤の花房 色よく長く 可愛いがろとて酒買うて 飲ませたら
〽うちの男松に からんでしめて
〽てもさても 十返りという名のにくや かえるといふは忌み言葉
興之助兄さんの自宅の一室、カセットテープから流れる長唄の文句に合わせながら、僕は『藤娘』を舞っていた。
いまのは舞踊の中盤、藤音頭の場面である。
前半の振りをもう一度、今度は “酔っ払った” 体で演じなければならない。熟練の役者でも難しいとされる役どころだ。
我が家に伝わる伝統の演目で、父も、その父であるおじいさまも、そのまた父であるひいおじいさまも、もれなくこの『藤娘』を演じてきた。
僕は、いま二十歳、歌舞伎の舞台で『藤娘』を踊らせてもらうにはまだ早い年頃だけれど、稽古は早いうちから、それこそ言葉を覚えるよりも先だった。いつか僕も……と踊る日を夢見て、こうして暇を見つけては稽古をしているのである。
興之助兄さんは、うちの門下ではないが、近しい流派として父や祖父の舞台に出ることがある。そこで、僕も “名家・枝垂屋のおぼっちゃん” として可愛がってもらっていた。
「さすがは枝垂屋のおぼっちゃんだね。藤乃くんは、なかなか筋がいい。左手の振りをもっと意識すれば、格段に良くなるよ」
テープを止めて、兄さんが言う。
「ありがとうございます。恐縮です」
僕も振りを止め、ちゃんと座り直してから兄さんに向き合う。この人は、いつもそう。いいことも悪いことも、包み隠さず伝えてくれる。だから僕も安心できるのだ。
「しかし、藤乃くんは、ここ数年で役者としての腕を随分と上げたねえ。このあいだも、おじいさまの『娘道成寺(※1)』、二人で白拍子(※2)を演じ上げたって、すごい話題になっていたじゃないか」
「そんな……あれは、おじいさまが隣でフォローしてくださっていたからですよ……」
「だけど、なかなかできることじゃないと思うよ。さすがは、名女形・山科蝶三郎の血を引くお子さんだってね」
昭和の立女形と呼ばれた山科蝶三郎は、僕のひいおじいさまでもある。
立女形というのは、歌舞伎で女役を演じる『女形』の中でも群を抜いて実力に秀でた役者のことで、いわば女形界のトップスターである。その立女形が、僕のひいおじいさまだった。
父は立役(男役)だが、祖父は立役も女形もこなす。僕は、まだ迷っている。父のように立役になるべきか、祖父のような立役も女役もこなせる役者を目指すか、それとも、ひいおじいさまのような、立女形と呼ばれる役者を目指すのか。
「もし、君がこれからも女形を続けるっていうのなら――」
兄さんが言う。
「今度の舞台、君を相手役に推薦してみようかと思っている」
それは、願ってもない知らせだった。
なのに、僕は、兄さんの決意に対して、逃げるように走り去ってしまったのだ。
僕には、兄さんの相手役なんて、できるはずがない。
井原興之助といえば、今や押すに押されぬ(※3)人気役者で、対して僕は、ただ歌舞伎の名門に生まれたというだけの、ひよっこだ。
こんな僕が、井原興之助の相手役にふさわしいと言えるだろうか?
*
おばあさまから、観劇に行かないかと誘われたのは、その頃だった。
若い頃は女優をやっていたというおばあさまが観に行くのは、かつて自分が所属していた劇団の、お芝居やショーの合わさった大掛かりな商業演劇である。
おばあさまは、劇団を辞めた今もこの舞台が大好きで、暇さえあれば、おじいさまと一緒に観に行っている。時には、こうして僕や父を誘ってくれることもあった。
そして僕も、幼い頃から観続けてきたこの舞台が大好きだった。
創立100年を超える劇団の、唯一無二とも言うべき演劇スタイル。それは、江戸時代から続いてきて、他に類を見ない演劇として現在もこの世に存在している歌舞伎の世界とも、どこか共通するものがあるように感じた。
さらにおもしろいのは、この劇団に所属する役者が、みな女性ばかりだということである。若い娘や年取った女の役はもちろん、主役の男も、仲間の男たちも、敵役の男だって、みな演じているのは女なのだ。歌舞伎は主役も敵役も、女の役も、みな男の役者が演じるけれど、そんなところも似ている気がして妙な親近感を感じてしまう。
女の役は、女らしく。
男の役は、男らしく。
役を演じるのに、実際の性別なんて関係ないのだと、見るたびにハッとさせられる。
そしてそれは、僕が歌舞伎で女形を演じる上でも、十分に参考にしていることだった。
「今日は、かおるさまの主演舞台なの。演目は確か……お芝居とショーの2本立てで、フランス革命のときの話だったかしら」
『かおるさま』というのは、劇団の看板スター、主演男役の葉名咲スミレのことである。本名の薫から、ファンの間ではそう呼ばれているらしい。単純に「葉名咲さま」とか「スミレさま」と呼ぶより、距離が近くなる気がする……そうだ。
そして、おばあさまが今、一番、推している役者でもあった。
「かおるさま、素敵なのよ。この前の観劇のときも、ウィンクを飛ばされちゃってね……」
今日も飛ばしてもらえるかしら、とのんきなことを言っている。
僕は適当な話をして浮かれるおばあさまをなだめながら、劇場に向かうべく、タクシーに乗り込んだ。
劇団が持つ劇場は二つあって、ひとつは関西に、そしてもうひとつは東京にある。もともと関西の方が本拠地なのだが、東京生まれ東京育ちの僕は、東京の劇場に足を運ぶことが多かった。今日も、その東京の劇場である。
東京の劇場は大きい。歌舞伎座と同じくらい大きい。何が大きいかって、まずその収容人数だ。
普通、劇場といえば1000人ちょっとのところが多いのに(小さいところなんかは、500人くらいしか入らないところもある)この劇団の併設劇場は2000人近い人数が入るのだ。
歌舞伎座も2000人近く入るけれど、演目によっては全然お客さんが来ないときもあるし、やはりこの劇団は人気があるのだなあ、と思う。
小さい頃は、僕もいつかはこの劇団に入って同じ舞台に立ちたい。そう思っていた。女しか役者になれないと知ったのは、僕が歌舞伎の世界で初舞台を踏んで、この世界で一生やっていこうと決めた頃の話だ。
女は役者になれない歌舞伎と、女しか役者になれないこの劇団。似ているようで、違う。そして僕が生きるのは、間違いなく、前者の方だった。
いまは、少し迷っている。
僕は、もしかしたら、前者ですらないのかもしれない……と。
幕が上がる。
舞台の上には、派手なメイクと、煌びやかな衣装を身にまとった女が数人。そのうちの何人かは、男の姿である。
ほぼ中央の位置で、今、セリフを喋っているのが、主演スターの葉名咲スミレだ。
海軍出身の父親譲りといわれる体格の良さと、舞台映えする顔立ち、それに歌・ダンス・芝居と三拍子揃った実力は、まさしく主役になるために生まれてきたといえよう。低く、よく通る声は、マイク越しでも耳に心地よい。
その葉名咲に、周囲の輪から離れて、一歩近づく男がいた。(いや、正確には男ではないのだが、ここでは男ということにしておこう)
葉名咲と同じ、軍服に身を包んだ若者で、葉名咲よりは少し年若い青年に見える。腰には剣を差し、一方の腕は、また別の剣を差し出していた。
「お受け取りください」と、彼が言う。
葉名咲が答え、剣を受け取ろうと手を伸ばした……そのときだった。
ガシャンという鋭い音を立てて、彼の持っていた剣が、そのほっそりとした手のひらから滑り落ちた。
「あっ……」
僕は、思わず声をもらした。周囲の観客も、突然のことにざわついている。おばあさまも、ちょっと戸惑っているみたいだ。
剣を取り落とした彼の方を見ると、これまた分かりやすくうろたえていた。
そんな中、葉名咲は、何事もなかったように剣を受け取り、これを渡そうとした彼の肩を勇気づけるようにポンポンと叩いて「ありがとう」と頷く。
「さあ、これで私はようやく戦地に赴ける。おまえたち、あとのことは任せたぞ!」
「はい!!」
葉名咲の言葉に、周囲の男たち、女たちが声を揃える。剣を取り落とした彼も、同じように従った。
それからは、すっかりもとの進行に戻ったとみえて、客席のざわつきも再燃することはなかった。
お芝居は、戦地に赴いた葉名咲が座長率いる敵方と対決して、見事勝利を収め、妻であるヒロインのもとに帰ってきてハッピーエンドで幕を閉じた。
それが1幕。
30分の休憩を挟んで2幕目は、歌とダンスで構成される『ショー』の始まりだ。
ミラーボールの灯りに照らされ、きらめく舞台。スパンコールで彩られた衣装に身を包んだ男役たちが、主役の葉名咲を先頭に一糸乱れぬ動きでダンスを繰り広げる。
曲が変わり、芝居で葉名咲の相手役を務めていた女優が現れると、男役たちは後ろに下がって、葉名咲と女優の息の合ったダンスに切り替わった。
そして暗転――葉名咲のソロ歌唱、若い女役たちのシーン。
いくつかの場面を繰り返して、舞台上の役者たちが、続々と客席へ降りてくる。
通路のすぐ隣にある僕の席も、触れるか触れないか絶妙なところを、美しい役者たちが流れるように駆けていった。
観客たちは、演者の動きに合わせて手拍子で彼らを歓迎する。僕も、おばあさまと同じにそれに倣った。
彼に出会ったのは、何人かの演者を見送って、そろそろ流れも途切れるかと感じていた頃のことだ。
先に行った演者が立ち止まり、その場に止まって演技を続ける。きっと次にやってくる演者が僕達のところで止まるのだろう、と思ったそのときだった。
次にやってきた若い男役は、僕の予想通りに立ち止まろうとしたが、思わぬところでつまずいて危うく転びそうになった。
「あっ……」
その瞬間、目と目が合ったような……気がした。
そしてそのときに、たぶんだけど、僕は、彼に恋をしたのだと思う。
男心のつれなさを舞にして踊った藤娘。
いとしくて、にくい。でもやっぱりいとしくて……そんなあなたがいじらしい。
長唄の一節が脳裏をよぎる。
〽いとしと書いて藤の花 エエ しょんがいな
僕は、あなたに恋をした藤娘。
実りのない恋だと知りながら、いま、熱く燃えるような想いに胸を焦がしている。
※1 歌舞伎舞踊『京鹿子娘道成寺』(きょう がのこ むすめ どうじょうじ)
紀州の安珍清姫伝説をもとに作られた能楽『道成寺』の歌舞伎版。能楽と同じく、伝説に語られる事件から数百年後という設定。また、女の執念を描いた能楽版と比べ、多くの娘に共通する恋心をふんだんに取り入れた点に大きな違いがある。宝暦3年(1753年)の初演時には、若女形の所作事にも振袖衣装が使われるようになり、以降、振袖に演技させる舞踊の系譜となっている。女方舞踊の決定版。派生形として、白拍子二人で踊る『二人道成寺』、立役が主役の『奴道成寺』、男と女で踊る『男女道成寺』などがある。
※2 白拍子は、主に平安時代末期から鎌倉時代にかけて行われた歌舞の一種で、またそれを演じる人物を指す。立烏帽子、水干=水干狩衣に太刀を差した男姿で舞ったので「男舞」とも呼ばれる。
※3 押すに押されぬとは、押しも押されもせぬに同じ。どこへ出ても圧倒されることがない、実力があって堂々としている、という意味。「押しも押されぬ」は誤り。