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胡蝶ノ夢 ―夢追う者、夢追いし者―  作者: ゆかれっと
番外編

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20/22

パパみたいに

 ずっと、パパみたいになりたかった。

 ママじゃなくてパパ。

 わたしには、ママみたくはなれないことは早いうちから分かりきっていたから。


 ママは、関西の名門劇団、帝国女子歌劇団の娘役女優だった。

 『娘役』というのは、男役に対して、主に女性の役を演じる役者という意味。帝国女子歌劇団には、女性の役者しかいないから。

 女性だからこそ作り出せる美。潔さ。

 それは、この世のものとも思えないほどに煌びやかで、一度見たらとりこになるほど素敵なものなのだと、ママは今でも熱っぽく語る。

 小さい頃は、ママの観劇に付き添われて、姉とわたしも舞台を観に行った。

 地元だったから、それこそ友達の家に行くみたいに、気軽に行っていた。


 変わったのは、小学校に上がった姉が「自分もここに入りたい」と言い出したからだ。

 ママにとっては、自分が青春時代を過ごした思い出の場所。

 その場所で、娘が同じように夢に向かって歩こうとしている。きっと嬉しかったに違いない。

 そうと決まると、ママは、姉にバレエや日舞(※1)を習わせた。

 劇団の養成学校が休みの日にだけ行っている、子ども向けのミュージカルスクール(※2)にも通わせた。もちろん、まだ小学生。通わせるにも付き添いの大人が必要なので、ママは休みの日でも早くに起きて準備して、姉を車で送って行った。


 残されたわたしは、当然、ひとりになった。

 いつも遊んでくれるお姉ちゃんがいない。幼稚園児だから、ひとりで友達の家に遊びに行くこともできない。ママはお姉ちゃんの送り迎えでお留守。


 必然的に、わたしは、パパと遊ぶことが多くなった。

 もちろん、パパも普段は仕事をしているので、会社が休みの日だけだ。パパとの『遊び』は、お庭でのキャッチボールが多かった。

 パパも昔はチームの中心メンバーとして球場を走り回っていたんだよ、と言うけれど、本当だろうか。確かに、パパの投げるボールは鋭くて、本気で投げたらどうなるんだろうと思うこともあるけれど。

 小学校に上がると、わたしはクラスの男の子たちに交じって、地元の少年野球チームに入ることにした。おかげで野球にも詳しくなった。

 いまでは、男の子たちに負けないくらい野球が好きになって、地元の球場に野球観戦をしに行くほどになり、朝から晩まで野球のことばかり考えていた。

 野球選手にも詳しくなった。

 いまはどんな選手が強いかとか、昔、大活躍した往年のスター、いろんなことを知りたくて図書館に入り浸ったりもした。


 パパが、かつて名を馳せた凄腕のプロ野球選手だったと知ったのは、小学4年のときである。


 『大分おおいた由布也(ゆうや)


 まさか、パパの名前を、かつて活躍した日本のプロ野球選手を取り上げた本で見ることになるとは思っていなかった。イチローや松井ほど有名でもないし、球団だって大きいところじゃないけれど。

 パパは、本当に、プロ野球選手だったのだ。

 ユニフォームを着て、チームの中心メンバーとして球場を走り回って、鋭い投球で相手チームをあっと言わせていた。

 わたしは、すごい人を相手にキャッチボールの練習をしてもらっていた。

 すぐにでも自慢したかったけれど、残念なことに、うちのクラスの男の子たちは、誰ひとり『大分由布也』を知らなかった。

 でもいいの。パパがすごい人なんだってことは、娘のわたしが知っていればそれでいいんだから。

 人気者じゃなくてもいい。有名じゃなくてもいい。でも、確かにそこにいた。チームの中心で、みんなから頼りにされて、実力もあった。

 家では優しいパパで、休日には家族を連れて出かけ、娘に合わせてキャッチボールをしてくれる。

 パパみたいになりたい。

 パパみたいな、優しくて、かっこいい人に。



   *



 姉は中学を卒業すると、帝国女子歌劇団の併設の養成学校に入学した。

 養成学校は2年制で、劇団に入るためには、この学校でバレエや日舞の基礎を学んで卒業する必要がある。

 わたしは、そのとき、中学に入ったばかりだった。

 姉が通った学校に、入れ替わる形で入学した。

 姉のことを知る教師や先輩は「あの大分さんの妹」と可愛がってくれた。君も『帝女』を受けるのか、と言われたときは、さすがに辟易(へきえき)したけれど。

 わたしは『帝女』には興味がない。『帝女』の女優になるつもりもない。バレエや日舞もやりたくない。

 わたしは、ママでも、お姉ちゃんでもない。ただの、普通の女の子だから。


 中学に入ったわたしは、女子野球部に入部した。

 野球部の練習は、楽しかった。

 幼い頃のパパとのキャッチボールと、小学生時代に通った少年野球チームのおかげで、部活では『エース』と称されるほどの主力のメンバーにもなった。


 強豪と言われてきた他校の女子野球部との練習試合が決まった中3の春、姉が、養成学校を卒業して帝国女子歌劇団での初舞台を迎えることになった。

 初舞台公演では、毎年、その年の初舞台生たちが開演前に舞台上に一列に並び、座長さんの紹介を受けて口上を披露する場面がある。一度に入ってくる初舞台生の数は、およそ40人。それを、1公演、2~3人ずつに分けて口上を述べる代表の人が選ばれる。

 公演は1ヶ月あるから、順当に行けば、1人につき、2公演程度は代表役が回ってくることになる。もちろん、母はどちらも観に行くつもりだった。

 けれど、その1回目の出番は、あろうことか、わたしの練習試合の日とモロにかぶっていた。

「あら……ごめんなさいね、杏桃(あと)。悪いけれど、ママは応援には行けないわ。あなたも分かるでしょう。(おと)は、この日のために、一生懸命頑張ってきたのよ」

 わかるよ、わかるけれど。

 ちょっとくらい、わたしの気持ちも考えてほしかった。音は頑張ってきたなんて、まるで、わたしが頑張ってないみたいな言い草だ。ひどい。わたしだって、一生懸命練習して、次の試合に向けて頑張ってきたのに。

 ママはいつもお姉ちゃん、お姉ちゃんしか見えてないみたいな言い方をする。

 お姉ちゃんはママの夢だから。

 わたしは、ママにとっても、お姉ちゃんにとっても、『邪魔な娘』で『邪魔な妹』でしかない。わたしは、ふたりのそばにいてはいけない。


 結局、ママは試合には来なかった。


 パパは来てくれたけれど、ママも、お姉ちゃんもいない。今頃、劇場では初舞台の幕が開いて、緊張した面持ちで口上を述べているんだと思うと、試合に身が入らなかった。

 そのせいで、勝つと決めていた相手校にも、ボロ負けしてしまった。

 チームメイトにも申し訳が立たない。今日は強豪高校のコーチも見学に来ていたのに。わたしたちの実力をアピールする、大事なチャンスでもあったのに。わたしのせいで、それを()()にしてしまった。

 責任を感じたわたしは、部活を辞めた。あんなに好きだった野球も、やめてしまった。

 コーチも監督も、顧問の先生も、部活の仲間たちも、それにパパだって、みんな「杏桃のせいじゃない」と言ってくれたけれど、それでも辛かった。

 姉のほうはというと、そちらはうまくいったらしく、家に帰ると、晴れやかな顔で今日の舞台のことを語っていた。杏桃とパパは2回目のときに観に来てね、と言われたけれど、わたしは、絶対観に行ってなんかやるもんかと心に誓った。

 お姉ちゃんなんか嫌い。ママも嫌い。みんな、みんな、だいっきらいだ。


 本当は、わたしだって、ママと一緒にいたかった。

 だけど言えなかった。

 どんなに真っ暗なお部屋が怖くても、冬の凍てついた部屋が寒くても、わたしが泣いて叫んだところでママはやって来ない。

 ママは……いつだって、お姉ちゃんのほうに夢中だったから。

 いかないで、って言ったら、ママは聞いてくれていただろうか。

 抱きしめてって。わたしも連れて行ってって。

 そしたらママは、杏桃も一緒に行こうって言ってくれたのだろうか。



   *



 高校に入ると、野球や『帝女』とも離れて、ありきたりの、普通の女子高生としての生活を満喫した。

 友達とプリクラを撮ったり、ファストフードのハンバーガー店に入って夜遅くまで喋ったり。アルバイトも始めた。田舎だから、『街に出る』といえば必然的に姉のいる劇場の近くに来てしまうことになるのは致し方なかったけれど。


 ほんの少し歩けば、その先に、姉がいる。

 煌びやかな衣装を身にまとって。舞台の上で歌っている。

 距離でいえば、ものすごく近いはずなのに、なぜか、いまは遠かった。姉はもう、わたしとは住む世界が違う人間なのだと、改めて思い知らされた気がした。

 思えば、初めから決まっていたのかもしれない。

 姉が「わたしもこの劇団に入りたい」と言い始めた、あのときから。

 それとも、生まれたときから、すべて決まっていたの?


 姉は “選ばれて” あの世界に入った。

 夢と希望に満ちあふれたショーの世界。

 わたしは、選ばなかった。選ぶことができなかった。

 それよりも、庭でキャッチボールをして、男の子達とグラウンドで駆け回って遊ぶことを選んだ。

 姉には夢があって、やりたいこともある。

 だったら、わたしは?

 わたしには、やりたいことってないの?

 わたしのやりたいことって……なに?



 それから、野球部のマネージャーにならないかと誘われたのは、夏休み明けのこと。野球部の男の子で好きな人がいるからお近づきになりたいという友達が、ひとりで入部するのは怖いから一緒に来てほしいと、そう頼みにきたのだ。

 野球。幼い頃、好きだった野球。

 中学までは『選手』としてマウンドに立ったこともあった。

 わたしのやりたいこと。野球が、わたしのやりたいことなの?

 もう一度、足を踏み入れてみようか……。

 うちの高校の野球部は、男子しか入れないから、女子はマネージャーになるしかない。それでもいい。もう一度、野球に関われるなら。

 一度は諦めた野球。もう一度だけ、足を踏み入れてみよう。

 もしかしたら、これこそが、わたしの『やりたいこと』なのかもしれないから。


 マネージャーの仕事は、おもしろかった。

 それに、やっぱり、わたしは野球が好きだ。

 勉強のためにと、また野球を観始めて、久しぶりにハマってしまった。

 練習試合にも付き添いで行ったし、時には、部活のメンバーとプロ野球の観戦に行くこともあった。

 甲子園にも行った。

 初めて見る『生』の甲子園は、それはもう、胸に迫るものがあった。


 そして――。

 高校3年生。何度目かの甲子園。女子でマネージャーだから出場することはないけれど、引退も迫って、もうここに来ることもないだろうと思い始めていたそのとき。ひとりの男に出会った。

 東京で、芸能事務所のマネージャーをしているという。

 女優に興味はありませんか、と彼は言った。正直、うさんくさい話だ、とわたしは本気にしなかった。

 だけど、家に帰って、名刺を眺めて、それから考えたのだ。

 これは、ひょっとしたら、東京へ行くチャンスなのかもしれない……と。


 東京に行けば、実家を出られる。この街を出られる。

 もう、姉と比較されることも、母親の影に怯えることもない。

 わたしは、そのとき、初めて『自由』になれるのだと。


 このことを、わたしは父親にだけ告げて、東京へ向かった。

 反対はされなかった。おまえは、おまえの好きにやったらいいと。おまえの人生は、おまえのものなのだからと。

 高校は、転校することになったけれど、それでもよかった。

 わたしは、なにもしがらみのない場所で、いちから自分の足で歩いてみたかった。

 わたしの初めての夢。

 初めて見つけた、やりたいこと。

 それが、東京の地で、女優として生きることだった。



   *



 1ヶ月後、わたしは、『期待の新人』として芸能界デビューした。

 初めは小さなお役ばかりだったけれど。

 それでも、事務所の人気俳優のバーター(※3)などを経て、少しずつ重要な役を任せてもらえるようになり、いま注目の若手女優として主演を任されるまでになった。

 女優の仕事は好き。

 野球も、もちろん好きだけれど、女優の仕事は特別なもの。

 それに、この仕事は、わたしが初めて見つけた夢で、やりたいことでもあったから。


 いまは22歳。

 女優としても、期待されて、乗りに乗っているときである。

 今度は、映画の主演が決まった。


 姉は……もうしばらく会っていないけれど、入団8年目、くらいにはなるんだろうか。

 テレビと舞台。交わることのない世界。

 形は違うけれど、こうして、()()()()、表現者の道に進むとは思っていなかった。


 いつか、姉とも会う日が来るだろうか。

 まだわからない。

 けど、いつかは会えたら、と思う。

 そして、あの日のことをきちんと謝るのだ。

 本当は、わたしも、姉の初舞台をきちんと見たかった。

 だけど、うまく言えなくて、あの頃は、なかなか素直になれなくて、たぶんだけど、いっぱい傷つけてしまった。

 そうだ、今度、姉の舞台を観に行ってみようか。

 姉の舞台を観て、わたしの出ているドラマを観てもらって、仲睦まじく語り合う。

 幼い頃の、いつも一緒にいた、わたしたちのように。


 わたしには、ママみたくはなれなかった。

 でも、お姉ちゃんはママそっくりで。

 かわいくて女の子らしくて、歌が得意で。将来はきっと、立派な歌劇団のスターになるだろう。

 わたしには、『あの市古いちご千代子(ちよこ)の娘』の肩書は重過ぎた。

 だけど姉なら。

 姉ならきっと、ママの期待に応えられる。



 帝国女子歌劇団の娘役女優、(じゅん)ここあは入団8年目。期待の歌姫だった。

 だけど、わたしには、舞台が好きでバレエが好きな少女、()()()のままだ。いままでも、これからも、この先何年経っても、それは変わらない。


 大好きな、たったひとりの、わたしの自慢のお姉ちゃん。

※1 日本舞踊。


※2 中学生以下の少女を対象にした『宝塚コドモアテネ』では、宝塚音楽学校が休みの期間、子どもたちに向けてミュージカルの指導を行っている。卒業生には、宝塚音楽学校の出身者、ひいては歌劇団の出身者も数多く輩出している。


※3 もともとは物々交換の意味で、芸能用語としては、知名度のあるタレントと、ほぼ無名だがこれから売り出していきたいタレントをセットで売り出す形式として使われる。

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