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  あなたこそ我が家(2)

 新人公演の幕が開けた。


 今回の作品、『沈黙のロゼッタ』のあらましは、こうだ。

 時は、戦争下のフランス。

 軍人であるヴィクトルは、愛しい妻のもとを離れ、戦地に向かわなければならなかった。

 フランスの勝利のため、妻と会うことも叶わない日々。それでも、彼は仲間達を率い、先頭に立って戦い続ける。長く苦しい戦いの末、見事勝利を収めると、ヴィクトルは故郷に帰ることを許される。

 そして、彼のいなくなった自宅では、妻のロゼッタが、ひとり、ソファーに座り、不安そうな表情を浮かべていた。戦地に向かい、安否のわからない夫。帰りを待つだけの身が、どんなに不安で、辛いことか。


「彼は本当に帰ってくるだろうか……いいえ、絶対に帰ってくるわ。きっと無事に帰ってくる。わたしは彼を信じている!」

 胸の前で重ねた手をきつく握りしめる。

 絶対に帰ってくる。わたしは信じている。誰でもない、自分に言い聞かせるようにそう叫ぶ。

 そこに、ヴィクトルが帰ってきた。

「……ただいま、ロゼッタ」

 久しぶりの帰還。会いたくても会えなかった愛しい人の姿が、いま、目の前にある。感極まったヴィクトルが、ロゼッタを抱きしめた。

「……ヴィクトル」

 おずおずと、ロゼッタがヴィクトルの背中に手を回す。

「会いたかった。君と離れている間、寂しくて悲しくてどうかなりそうだった」

「わたしもよ、ヴィクトル」

 二人は見つめ合い、やがてヴィクトルがロゼッタのあごに手をやると、そこで、観客の視線を遮るように彼女の姿を覆い隠した。

 そのとき、何があったのかは、我々には見せなかった。

 だけど、夫が妻に『すること』であるのは、はっきりとわかった。


 はる乃夢のヴィクトルと安華いばらのロゼッタは、本役の葉名咲スミレや秋乃さくらにも引けを取らない、それこそ理想の夫婦に見えた。



「はる乃さん、見違えたわね。いまは、とってもお似合いの二人に見えるわ」

 隣に座ったおばあさまが、ポツリと、僕にだけ聞こえる声で呟く。

「当然です。彼女は、僕の『()()』ですから」

 同志。志を同じくする者。僕とはる乃さんは、同志だ。

 演劇の世界で、スターを夢見てもがいている『ひよっこ』で、奇しくも、女性のはる乃さんは男の恰好を、男の僕は女性の恰好をして演じている。

 はる乃さんが遠い、少女歌劇の世界で頑張っていると思えば、僕も、歌舞伎の世界で頑張れる。良きライバルを得たと、いまにして思う。

 観劇後、近づいてきたおばあさまに「お付き合いのほうはどうなってるの」と訊かれた。

「あなたとはる乃さん、お付き合いしているのでしょう? このあいだも、うちまで訪ねてみえて。いいわね。お似合いのふたりだったわよ」

 いや、だから、それは!

「付き合ってません。はる乃さんは、尊敬するスターで、仲間です」

「あら、そうなの?」

「そうですよ。付き合うだなんて、おこがましい……ずうずうしいにも、ほどがあります。僕とはる乃さんは、そんな関係じゃありません」

 それに、いまの僕には、恋愛よりも、歌舞伎のほうが大事だから。

「残念ね。歌舞伎の世界に生まれたあなたと、歌劇のスターであるはる乃さんが一緒になれば、それはそれは、素敵だと思ったのに」

「それは、おじいさまとおばあさまでしょう。おばあさま、なんか、僕とはる乃さんを、過去の自分達に重ねて見ていませんか?」

 僕とおじいさまは違う。役者としても、もちろん、人間としても。だからこそ僕は、おじいさまとは違う、役者になろうと思うのだ。

 『女形』が好きだということもある。

 相手役として、興之助兄さんと、もっと踊っていたいというのもある。

 けど一番は、祖父や父、そして曾祖父のコピーにならない、いち役者としての『山科藤乃』を築き上げてみたいからだった。

「だって……昔のおじいさま、素敵だったのよ。いまのはる乃さんと、同じくらいに、ね」

 とはいえ、役者としての『はる乃夢』を褒められるのは、自分のことのように嬉しいものだった。



   *



 また別の日。

 井原興之助主演、新作歌舞伎『淡し恋は散る花の如く』の公演が行われていた。

 興之助演じる茨助(いばらのすけ)は奉公人。山科藤乃演じる奉公先の娘、藤花姫(ふじはなひめ)との身分違いの恋に悩まされている。度重なる障害に、若い二人は生きる気力をなくし、せめてあの世で一緒になろうと身を投げ出す。

 死ぬ間際、最期に一目だけでもその姿を焼き付けておこうと、見つめ合う二人。茨助は、覚悟を決めたように、口を開く。

「命かけても愛したこの恋、どうにも許されぬのならば、いっそふたりでこの身を投げ出してしまおうか。いとし我が君、どうかわたしとともに……」

 そして、愛しい藤花姫の腕を引き寄せた。

「……あな、うれし」

 藤花姫は喜んで身を投げ出し、二人は、静かに息を引き取ったのだった。

 そこで、3色の定式幕(※1)が下り、お芝居は幕を閉じる。

 脚本家が二人のために当て書き(※2)したのではないかと思えるほど、息のピッタリと合ったお芝居だった。



 舞台が終わり、楽屋に戻る。

 こういうとき、大きな役のつかない、養成所上がりの役者はみんな揃って大部屋だが、歌舞伎の家系に生まれて子どもの頃から舞台に立っている僕のような役者は、ありがたいことに、この歳でもう個室を与えられていたりする。

 『山科藤乃さん江』と書かれたその暖簾(のれん)をくぐると、そこは、僕だけのプライベート空間だった。

 お茶を入れて一服していると、「失礼します」と声が聞こえて思わず振り返る。

「……どうぞ?」

 誰だろう、と思っていると、まず頭より先に、大きな赤いバラの花が見えた。それから、声の主が顔を出す。その顔を見た瞬間、僕は、あっと声を上げた。

「はる乃さん!」

「公演、お疲れ様。素晴らしい舞台だったよ」

 さすがは現役の男役とでも言おうか。世の中に、こんなにも両手いっぱいのバラの花束が似合う人間はいない。服だって、メンズライクなパンツスーツが様になっている。

「あれが、舞台にいるときの『山科藤乃』なんだね。すごいよ。女性にしか見えなかった。あれは、私の友達の永山藤梧じゃない、奉公人との恋に苦しむ藤花姫なんだって、思わず、感情移入してしまった」

「それを言うなら、はる乃さんだって……」

 はる乃さんだって、そう、男性にしか見えなかった。

 先日の新人公演。

 あれは、間違いなく、戦地での任務を終えて愛しい妻のもとに帰ってきた、ヴィクトルというひとりの男の姿だった。

「……」

「……」

 ひと通り褒め合ったところで、僕らは沈黙する。

 話すことがなくなったというのもあるけれど、一番は、小恥ずかしさから来る何かが原因だった。だけど、ずっと沈黙しているのも堪えきれなくて、僕はまた口を開く。

「あの」

「そういえば」

 僕とはる乃さんの声が重なって、思わず言葉が出た。

「あ。はる乃さんから、どうぞ」

「いいのかい?」

「ええ。年功序列で……」

 確か、はる乃さんは僕よりも年上だったはず。そう言うと、はる乃さんはちょっと苦笑いをして、私達『生徒』には年齢という概念がないんだよ、と教えてくれた。

「だから、年功序列といえば、先輩の藤梧からだ」

 先輩とか言うわりには呼び捨てにしてるじゃないかと思ったが、それはそれである。

「僕からですか?」

「年功序列で、と言ったのは君だよ」

 仕方ない。覚悟を決めるしかない。僕は大きく息を吸った。

「僕は……僕は、はる乃さんが……はる乃さんのことが……」


――好きです。


 鯉三郎(こいさぶろう)のお姐さんから言われて、ずっと自問し続けてきたこと。


 “あなたが、心から愛している人”


 長いこと悩まされてきたその答えに、ようやく、気付いたのだ。

 確かに、興之助さんは大切な人だ。尊敬しているし、この人と同じ舞台に立ちたい、作っていきたいという思いはある。だけど、姐さんの言う『愛している』とは違った。そもそも男性同士であるし、年の差もある。興之助兄さんとは、恋愛に似たそれというより、舞台上の、かかせないパートナーに近かった。

 だとしたら、はる乃夢はどうだ?

 僕の『同志』で、『戦友』。だけど、本当にそれだけなのか? そう考えたときに、僕の胸の奥のほうに潜む、はる乃さんへの憧れ、少女的な恋慕にも近いものに気付いた。


 その人を大切にしなさい、と姐さんは言った。でないと後悔することになるから、と。

 僕は、後悔はしない。したくない。

 だから、思い切ってぶつかることにしたのだ。はる乃さんならきっと、僕のこの想いを、真剣に受け止めてくれるはずだから。


「藤梧……」


 はる乃さんは、驚いた様子で僕を見つめたあと、わずかに目をそらして慎重に言葉を紡いだ。

「私……、私も、藤梧が好きだ」

 だが結婚はできない、と()()は言った。

「藤梧を愛している――それは真剣な気持ちだ、嘘はない。だけど、いますぐ結婚できるかと訊かれると、待ってほしいんだ。君の知っての通り、うちの劇団には()()()()()()()所属できない。私はまだ辞めたくない。分かるだろう? これから芸を磨いて、主演スターにはなれないまでも、行けるところまでは行ってみたいんだ。私は入団してまだ7年、辞めるには早すぎる。せめて……せめて、あと3年。入団10年目まではやらせてほしい。それで結果が出なかったら、潔く諦めるから」

 男役10年。はる乃さんたち、少女歌劇の世界で言われていることだ。

 本来女性である彼女たちが、男性の仕草や声色を研究し、一人前の『男役』になるまでには10年はかかると。実際、10年を越えると、幼さの残っていた男役も深みが出て、大人の色気を醸し出すようになったりする。

「だから……」

 そこで、はる乃さんは、僕の目をまっすぐに見つめて、思わせぶりにウィンクをした。

「プロポーズは10年後に、ってところかな」

 10年後、僕は30歳。その頃には、大学も卒業して、役者としても一人前になっているだろう、と思う。結婚も意識しているかもしれない。歌舞伎は世襲制で、僕はその御曹司でもあるから。

 結婚……するんだろうか。

 いつかは僕も、父やおじいさまたちのように、生涯の伴侶と呼べる人に出会って、結婚する日が来るんだろうか。

「そうだよな。10年後なんて、まだわからないよな。そのあいだに自分の信念を変える運命的な出来事があるかもしれないし、私だって、劇団で、いち生徒として舞台に立つよりも、外の世界に出て映像の仕事がしてみたいと思っているかもしれない。女優よりも大切な夢が見つかるかもしれない。藤梧だって、歌舞伎の舞台で主役を務めているかもしれないし、それこそ、結婚して子どももいるかもしれないんだよ」

 子ども……! 信じられないが、ありえる話だ。

 歌舞伎の血を絶やしてはならない、愛する人との子どもが欲しいと思ったら、僕だって十分にその可能性はある。30歳前後なんて、まさにその適齢期だ。

「だからさ、藤梧」

 はる乃さんは、いつになく真剣な顔をして言った。

「10年も経てば、気持ちは変わるかもしれない。いまはお互いに好きだと思っていても、すぐには結婚はできないし、そのあいだに気持ちが変わることだってある。いつか、本当に大切にしたいと思う相手ができるかもしれない。だけど、だけどね、藤梧……これだけは言わせてくれ。10年後、もしも、私達二人の気持ちが変わっていなかったら、まだお互いに好きだと思っていたら、そのときは……そのときは、結婚しよう」

 はる乃さん、それって……。


「逆プロポーズじゃないですか!!」


 そんなの、バリバリ男役のはる乃さんから言われたら、もう……惚れるに決まってるじゃないか。女形の僕の『乙女』な部分が出てしまう。内心、ときめきまくりだ。はる乃さん、あなたという人は、なんて罪な人なんだ!

「男役の私と女形の君だから、逆もありだろう?」

 ああ、もう……。

 僕は、この、はる乃夢という人の魅力には、もう一生、抗えないみたいだ。

※1 歌舞伎で幕開きと終幕に使われる3色の幕。じょうしきまく、と読む。黒、オレンジ系統の柿色、濃い緑の萌黄(もえぎ)色、の3色。幕を引く人=黒子(くろご)が手動で左右に開け閉めするので、「引幕(ひきまく)」とも呼ばれる。


※2 演劇や映画などで、その役を演じる俳優をあらかじめ決めておいてから、脚本を書くこと。特定の出演者に役を「当て」て「書く」から当て書きである。

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